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次の日、いつもの様に出勤したが、麻子が辞める事は早くも売り場の人間には知れ渡っていた。
こういう情報は女性だとかぎつけるのが早い。
ロッカーで制服に着替えていると、同期の南が声をかけてきた。
「麻子、辞めるんだって?」
「相変わらず、情報が早いわね。」
「まぁ、売り場は情報社会だから。」
「どこのブランドに引き抜かれたの?」
「引き抜きじゃないわ。」
「だってあんた、現場命じゃない。どうすんのよ。」
「昨日、採用が決まったわ。IT関連よ。」
「IT!?あんたが?」
「南だって知ってるでしょ?うちの業界が給料安いの。」
「確かに…。売上悪かったらすぐ、給料に響くものね。」
「IT関連は給料がいいのよ。まぁそれだけじゃないけど。」
バタンとロッカーを閉め、鍵をしっかりとする。ロッカーが施錠されているのを確認すると
売り場の方へ向かった。その麻子を追う様に南もついてくる。
「だけど、パソコンを使う仕事でしょ?あんた、パソコンなんて使えるの?」
「使える様になる為に昨日、パソコン教室に入会したわ。最低でも、ブラインドタッチが出来る様に
なりたいしね。今日から仕事終わりはパソコン教室よ。」
「相変わらず、段取りがいいわね。ちょっとぐらい隙がないと男が逃げていくわよ。」
「いいのよ。今は男よりお金よ。」
若かった頃の麻子は相当、気が強かったらしい。
売り場に出る前に扉の前でお辞儀をする。開店前でも、この癖は徹底して覚えていないと
いざ、開店後でも忘れてしまう。
そして、二週間後には辞める事を一切出さずに仕事をした。
売るべき商品は徹底して客にアピールし、必要とあらば他の会社のブランドも勧めつつ
しっかりと自分の担当しているブランドも付けて売上になるように勧める。
麻子はこの売り場に来て、売上はつねにトップだった。
しつこくもなく、かつ確実に売り上げにつなげる。そして必ず、麻子の顧客を作る。
これでリピーターが増えて、売上に繋がっていた。
なので、今日来た数多い顧客の中でもよく買い物に来てくれる客にだけは
二週間後に辞める事は教えておいた。
「えぇ、小林さん辞めちゃうの?小林さんが勧めてくれる服が気に入ってここに通ってたのに。」
「すみません。せっかく通って頂いてたのに。でもこれからもよろしくお願いします。
私も近藤様にお会いできなくなるのは寂しいです。辞めるのは二週間後ですから
また、お会い出来ますか?」
さりげなく、最後まで売上を伸ばす為の布石は打っておく。
その辺りが麻子の売上の秘訣だったのかもしれない。
閉店近くの時間になると、後藤がやってきた。
首には入館証がぶら下がってる。
それでも手には以前から頼んでおいた、予約の商品はなかった。
(またか…。)
ここまで来ると呆れてしまう。
「小林ちゃん、お疲れ。」
「ですから…。」
「あぁ。悪い悪い。小林さん、だったね。」
「予約の商品は?」
「物流センターに置いてきたよ。下でチェックを受けるだけだ。」
だいたいの百貨店には地下に物流センターがあり、各メーカーから持ち込まれる商品をチェックして
値札などを付けていた。
「ようやく持ってきてくれたんですね。明日、お客様に連絡します。」
「それよりさ、例の話だけど。」
「…。」
「ここで話すのも何だから、『秀樹』で待ってるよ。」
「分りました。」
それだけ言うと後藤は売り場主任の元へ去って行った。
おそらく麻子が辞める事を告げるのだろう。正式に決まったら後任の販売員も来るはずだ。
その子にも顧客の事や、売れ筋商品を教えなくてはいけない。
南が近づいてきて、
「ねぇ、『秀樹』って何?隠語?」
「みたいなもの。近くに『ギャラン・ドゥ』っていう喫茶店があるのよ。」
「あぁ、あそこ。なんだかレトロな店ね。」
「後藤さん、あの店が好きみたいで打ち合わせはあそこでいつもしてるの。」
「でも隠語を使うほどの店でもないんじゃない?」
「さぁね。後藤さんなりに業界の人間っぽい事を言いたいんでしょ。」
今日の売上を決められたフォーメットのシートに書き込んでいく。
今日は思ったより売上がよかった。麻子が辞めるのを聞いて買っていく客が多かったのだ。
(この手は使えるかもしれない。明日も使おう。)
そう思いながら、最後の客をお辞儀をしながら見送り、閉店の時間を迎えた。