私は高校時代、小説で書いた嫌がらせ以上の嫌がらせを受けました
生卵を投げつけられたり、体育が持病で出来なかったので
見学していたら、発作を起こした時にセーラー服の襟を掴んで
引きづられて保健室に連れて行かれたりと、思い出したくもない事ばかりです
先輩からの根性焼きなんて当たり前
だから、高校を卒業した時
「これから先、あんな嫌がらせにあってきたんだから、どんな困難でも
乗り越えられる」と思ってました
でも人生はそんなに甘くはありません
事故で障害者になったり
親に振り回されたり
睡眠障害になったり…
今、江國香織さんの「東京タワー」を読んでます
終盤で耕二が
「傷つくってことに関していえばさ、生まれた瞬間には誰も
傷ついてないんだぜ。俺それについて考えたんだけど、たとえば
どっか不自由に生まれついたり、病弱だったりひでえ親っだたりしてもさ
生まれた瞬間にはそいつは全然傷ついてないわけじゃん。
人間って全員完璧な無傷で生まれてくるんだぜ、すごくない?それ
あとは傷つく一方っていうか、死ぬまで傷は増えるだけだろ、誰でも」
と、奥深~い話を透にしてました
(先天性はともかく)
あの高校時代を乗り越えたからと、いって「今」の壁を乗り越えるのは
別の話になる訳です
私は何でも、真っ正直に受け止める所があるらしく
それで傷が増えるのを増量しているらしいです
つまり、受け流す事が出来ない…
死んでしまうのが早い人が早く亡くなってしまったかと思えば
死んでしまいたいのに死にきれない人もいる…
交代したい位です
よく
「世渡り上手」と言われる方がいらっしゃいますが
どうやったら「世渡り上手」になれるんでしょうねぇ