◆今日の一言
No.453(07/7/20)

『古典とは、時間がたっても古くならない作品だ』





東京国際ブックフェアから帰ってきて、「心機一転、さぁ頑張るぞ!」と日々の仕事に戻った矢先…

バイクが盗まれ、中身も全部なくなってしまいました。

数日後、鍵もイスもミラーも壊され、唐人町で発見された愛車を見て、不快さが改めて催したのはもちろんのことですが、それにしても、よくもこんなことを白昼堂々とやるものだと、現代社会について考え込んでしまいました。



数日後知ったところによると、どうやら西区に拠点がある九州最大の暴走族が一斉摘発されたらしく、ある少年が「盗んだバイクの数は多すぎて覚えていない」と供述したとか。

皆さんも自転車やバイクには気を付けて下さいね。

ということで、東京出張やバイクのごたごた、止まっていた仕事の処理などで、10日近く配信が止まってしまい、すみませんでした。



さて、僕はここ数日、大月さんの「mai place」の新サービスのお手伝いの一環で、職業観に関する古い本を優先的に読んでいます。

なんでも、mpのホームページを大幅にリニューアル・増強し、サイト内にシンクタンク的なコーナーを作ろうということなのです。

そこで、いくつかテーマを決めて、資料を漁ってみました。そのテーマとは、たとえば以下のようなものです。



◆金銭を卑しむ思想の由来は何か

◆江戸時代の士農工商の価値観は明治時代にどう引き継がれたか

◆昭和5~20年の社会主義の怒涛のような流入の背景は何だったのか

◆戦後の社会主義の普及は学校教育や職業教育にどんな影響を与えたか



◆現代の学校教育や大学教育に見られる社会主義的価値観と昭和初期の青年の価値観の共通点は何か

◆職業観形成や是正に尽力した先人は何を問題と見、どんな解決策を設定したのか

◆各時代の教育行政、学校教育の代表的人物は、問題をどう分析し、何を原因と規定したか



そんなことを考えながら読んだのは…

■『共産主義と人間尊重』(小泉信三/文藝春秋新社※絶版)
■『真理と平和を求めて』(田中耕太郎/講談社※絶版)
■『石田梅岩と都鄙問答』(石川謙/岩波新書※絶版)
■『人間の建設』(岡潔・小林秀雄/新潮社※絶版)
■『兄小林秀雄との対話』(高見沢潤子/講談社現代新書※絶版)
■『風蘭』(岡潔/講談社現代新書※絶版)
■『論語と算盤』(渋沢栄一/国書刊行会)

などです。

ほとんど絶版で書店では入手不可能ですが、もしかしたら見つかることもあるかもしれないし、欲しい人もいるでしょうから、以下、少し詳しく書いておきますね。興味があったら探してみて下さい。



『共産主義と人間尊重』の小泉信三博士は、本メルマガの長年の読者の方ならご存知の、戦前~戦後の慶応大学を率いた塾長です。

経済学者としても立派な業績を残し、天皇陛下の教育係を務められ、美智子皇后との縁談をセッティングされた、日本が誇る教育者ですよね。

戦前、戦後を通じて外国人にも物怖じせず、堂々と意見を主張し、相手から深い尊敬と信頼を集めた姿は白洲次郎にも通じるところがあり、昨今の軟弱、軽薄な国際交流などとは雲泥の差です。



『真理と平和を求めて』の田中耕太郎博士は、終戦直後の文部大臣で、反骨の法律家としても有名であり、長年最高裁判所長官を務めた学者です。

田中博士は、西南大の隣にある修猶館高校の出身で、東大学法科を首席で卒業し、明晰な頭脳とカトリック信者としての温かい感性で終始共産主義を批判したことでも知られています。

わが国における商法の第一人者で、人間愛と経済的合理性は矛盾しないことを説き、本書では一貫して日本の学者、官僚が国際的に大変勉強不足であることを憂え、叱咤しています。



『石田梅岩と都鄙問答』の石川謙博士は、戦後日本が陥った精神的貧困を救うため、日本の商業思想を形成した江戸時代の古典『都鄙問答』を終生研究したことで知られています。

『都鄙問答』については、今さら繰り返すまでもないでしょう。



また、文芸分野では、『人間の建設』の岡潔博士と文芸評論家の小林秀雄さんは、本メルマガの読者の方であれば既にご存知でしょう。

自然や芸術を優しい愛情で見つめ、人間性をどこまでも肯定、尊重した両氏の作品は、没後も多くの愛読者を持っています。

『兄小林秀雄との対話』は実の妹である高見沢潤子さんが小林秀雄さんの生き方、考え方を分かりやすくまとめた本で、ページを開くたびに優しさと感動、素朴な発見が満ち溢れていて、本書は僕の学生時代の愛読書でした。



このような名著を昭和50年生まれの僕が読んでいる、いや、持っているというだけで時代錯誤と言われそうですが、実はこれらの本は、読めば読むほど新しく、いつも新たな気付きを与えられる名作ばかりです。



どの本でも一貫して主張していることは…

・戦後、日本人の知性は驚くほど劣化し、下がり続けている

・日本人ほど社会主義になじみやすく、不勉強でお上に靡きやすい国民は稀である

・戦後の青少年は学ぶ喜びを知らず、勉強、学問の何たるかを教えられずに社会に出され、気の毒だ

・われわれ日本人はもっと堂々と国家戦略を議論し、歴史や古典と向き合って先人の英知に学ぶべきである

といったことです。



皆、当時の時代の風潮や流行に流されず、立場や地位を気にせず堂々たる論陣を張った気骨あるサムライで、僕はこの方々のような生き方が本当にかっこいいと昔から憧れ、尊敬しています。

そのため、このような方々はどんな勉強をしていたのだろうと調べるようにしているわけですが、そのたびにいつも確認できる事実が、「若い頃に古典を徹底して読んだ」という経験です。

FUNでも、「私も学生時代に古典を読みたい!」と熱望する学生さんが8人ほどおられたので、先週から「古典の会」を開き、毎回3時間、熱く深く語り合っていますが、皆、「深すぎる!」、「人生が変わった!」と一瞬で「本当の自分」を掴めて喜んでいるようです。



古典とは何か。

先週読んだ『古典の讀み方』(岩波文庫/非売品)から、小泉信三さんの古典精読体験を振り返りながら考えてみます。

本書は岩波文庫創刊25周年記念の小冊子で、書店では販売されておらず、したがって入手は不可能なのですが、戦後の各界を代表する学者、作家が「私と古典」といったテーマで古典に接する姿勢を書いた本です。



小泉博士の本は明快で例え話が豊富なのは、読まれた方は皆感じたことでしょうが、博士は本書の中で、こういう趣旨のことを述べています。



「紙に文字が印刷しているものが皆本だとすれば、時刻表の類も本である。どの駅を何時に出れば、どの駅に何時に着くか、まさに右から左に役立つという点では、その効用は疑うべくもない。

しかし、このようなものが読書の効用かと言われれば、誰もそうは思わない。



また、養豚養鶏の方法を述べた実務書も、読んで実施すればたちどころに利益を上げられるという点では、申し分のない効用を持っている。

読んで役立つという点では疑いもなく読書の利益を享受できるわけではあるが、このようなものも読書の効用ではない。

目的の利益が手段によって制約されるような限定性のあるものは、やはり古典とは呼べない。「すぐ役立つ人材は、すぐに役立たなくなる人材だ」と言うように、「すぐ役立つ本は、すぐ役立たなくなる本だ」という言葉は至言である。



しからば古典とは何か。古典とは、後代の人々がそこから発想を行い、思考の出発点として接し、しかして後代の思想を支配する本である。

時刻表、養豚養鶏の実務書のようにすぐに役立つかと聞かれれば、古典がこのような意味では役立たないことは明白であるが、古典を求めないような人生も世の中に役立たないであろう」



だいたいこういった趣旨の内容で、読んだ学生さんも一様に自分の読書履歴、読書経験を振り返って、様々な感慨を抱いたようでした。

「試験があるから、テキストを読む」。

そういう場合のテキストは、「試験のため」という目的が限られており、試験に限っては役立ちますが、終われば何の役にも立ちません。



もちろん、人生は知らないことばかりに出くわすので、場合によってはこれらの実務書を求めることも大切ですが、しかし、実務書ばかり読んでも、人間的成長にはつながらないということです。

それは、読書習慣や学習姿勢、記憶方法の訓練には役立つでしょうが、人生の大方針を決定したり、実務知識をいかに役立てるかという人間的な思いやりを得たりすることには、何ら寄与しないということです。

つまり、「実務書を読んでは捨て、読み終えては忘れる」というような行為は、当人はそれを「勉強」と詐称するかもしれませんが、実は「勉強の真似事」か「勉強ごっこ」でしかないわけです。



現在は試験中で、読者の皆さんの中にも、前期で学んだ内容を復習し、それぞれの熱意を持って試験に取り組んでいる方がおられると思います。

もし、学習内容を振り返って、人格的な成長や視野の拡大が得られていないのであれば、残念ですが、それは「知識の使い捨て」、つまり「学費の廃棄処分」だったというほかありません。

要するに、勉強など、1分もやらなかった、ということです。そういう学生が読んできた数千円の教科書は、「時刻表」か「養豚法」だったわけです。



社会に出て、「大学の勉強なんて、役に立たないよ」としたり顔で話す社会人もいますが、それは本人がどういう人間になりたいか、どういう人生を過ごしたいかを考えることなく、場当たり的に試験のためだけに生きてきたなら、当然のことでしょう。

「勉強が役に立たない」というのは、知的矛盾もいいところで、役に立たないのはその人自身です。「これに役立てよう」という目標のないところで得られる学習行為からは、何ら実効性のある知識や見識は得られません。

現代は「理屈は通用しない」ともっともらしいことを言う人も多い時代ですが、理屈は通用します。あくまで基本にこだわれば、基本は必ず成長を生みます。

ただ、それを忠実に継続する人が少ないだけの話ではないでしょうか。それを「理屈は通用しない時代だ」と言うのはごまかしにほかなりません。



要するに、学ぶ前から「何に役立つか?」、「これに役立てたい」と考えすぎるのは、場合によっては効率化を図る前提にもなりますが、そういう姿勢を人生態度として適用すれば、いつも最新知識にキャッチアップするのが精一杯で、成長できない人間になってしまうということです。

どの知識も、得るとたちどころに陳腐化し、すぐに使えなくなってしまいます。だから、またせっせと新しい知識を習得しないといけない。いわば、「現実との合作」に必死で、何かを創造することなど不可能です。

これを要約すれば、「最新知識とは、最古の知識である」ということができるでしょう。「古い」とは、昔生まれたことではなく、現実への適応性と耐用性を欠くことを言うからです。



ここから、「古典とは、どのような本であるか」を逆説的に定義することができます。



それはつまり、「時間がたっても古くならない作品」だということです。生まれた時期は数百年、数千年も昔かもしれませんが、いつ読んでもそのたびに新たな解釈ができ、人格的な成長や知的な発見をもたらしてくれ、読むほどに新しくなる本、それが古典です。

「古」という字がついているだけに、それだけで古い本だと決め付けて読まない人も多くいますが、実は、最新トレンドなどを追い求めている人たちこそ古臭くて時代遅れの人々なのであって、古典を読む人こそ、真に新しいものを創造できるクリエイティブな人だということです。



さて皆さんは、人生の楽しさを倍増させてくれる「私の古典」を、何冊持っているでしょうか。

生涯にわたって読み返したいと思うような深い感動を与えてくれる本に、学生時代、何冊出会ったでしょうか。

友達と同じく、その本の数が皆さんの学生時代の価値でしょう。自ら本を読まないような学生は、学生証を持ったフリーターに過ぎず、永遠に18歳のままの知識で生きるわけです。



人格的な深みを増し、透徹した洞察力を磨き、人生で何か新しく価値あるものを作りたいと思ったら、そういう時こそ古典を読んでみるのはいかがでしょうか。

時間がたっても古くならない本を読んだ人だけが、時間がたっても古くならない人になることができます。そうやって自分を日々アップデートできる人こそ、真に若い人だということができるでしょう。



「就職に役立つだろうか?」

そのような動機こそ、人生に最も役立たない投機的、衝動的、感情的な動機です。

そういう狭い視野で生きるから、どう生きるべきか、どう働くべきかを考えることができず、自己分析や業界研究といった細々したことで立ち回る器の小さい人間に成り下がってしまうのです。



学生時代は、茫洋たる未確定の未来に思いを馳せ、遠く将来を描き、雄大な自己成長を図るための時間でしょう。そうして、喜ばせたい人、解決したい問題を描き、そこから逆算して仕事を決めればいいのです。

仕事選びのための学生時代は、養豚の本と同じく、何の仕事にも役立たないと知るのが賢明な学生です。

賢く有能で、可能性溢れる学生の皆さん、ぜひ夏は、人生を支える一冊を読みましょう。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門229位、就職・アルバイト部門142位です。

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