◆今日の一言
No.448(07/6/19)
『一芸は万芸に通ず』
日曜の出版記念パーティーにご出席いただいた皆様、お忙しい中50名近くもお集まりいただき、盛大に祝っていただいて、本当にありがとうございました。
進行も不慣れで手間がかかり、十分にお話できなかった方、すみませんでした。
ここ数週間は、出版関係の作業でどなたともゆっくりお話する時間が持てずにいましたが、日曜のパーティーと昨日の打ち合わせでひと段落ついたので、また学生さんを始め、読者の皆様と交流を深めていきたいと思っています。
営業塾、韓国語塾、その他諸々、なかなか詳しいご連絡ができずにお待たせしてしまいましたが、営業塾は今週から、韓国語塾は来月から開始しますので、興味がある方はご連絡下さい。
さて、最近皆さんから寄せられる質問の大半は、「本を出して、どういう気持ちですか」というものです。
まるで記者会見のようですが、僕の方では別段変わったところもなく、やるべきことをやっただけ、という実感です。
それでも、ジュンク堂や紀伊国屋に自分の本が平積みされているのを見れば、それなりの感慨にはふけりますが。
出した僕も嬉しいのは嬉しいですが、それより何より、学生の皆さんや友人・知人のみんなが喜んでくれるのが一番嬉しいです。
世の中、「自分が楽しむ」なんて処世訓は下の下で、やっぱり人を楽しませることが一番楽しいのだと、改めて感じているところです。
さて、『イマドキの若いモンは 会社の宝だ!』のタイトルのネーミング秘話は、パーティーでお話した通りです。
4,000年前に作られたエジプトのピラミッドの石室の壁に、何やら解読不能の文字が書かれてあるのが発見され、専門家の間で「もしやこれは、歴史的なメッセージなのでは?」と期待されました。
学者や専門家が集まってその文字を解読した結果、読み取れたメッセージは…
「最近の若いモンは、なっとらん!」というものでした。まさに、「人間の本質は何千年たっても変わらない」という歴史的メッセージでした。
ということで、どの国でも、どの文化圏でも、大人が若者の体力や精力に驚きつつも、その知識や判断力を疑い、「本当にこれでやっていけるのか」と不安視する傾向は変わりません。
「今どき、最近、この頃、近頃」の若い者は…という言葉の後には、潜在心理レベルでネガティブな先入観が形成されやすい、ということです。
だからそれをひっくり返し、「会社の宝物」と結論してみれば、「何だ、この変な本は?」とギャップが生まれ、不整合の原因を確かめたくなるのではないか、と書店を歩き回りながら思った次第です。
ということで、デビュー作は変なタイトルで、しかも僕のイメージとは程遠いかわいいデザインの表紙の本になりましたが、内容はいたってまじめで、読まれた皆さんから、「表紙の印象と内容のギャップが楽しい」というご感想をいただきました。
しかも、なぜか一番人気が高いのは「あとがき」で、全編を読み終えた後にあとがきを読んで、思わず泣いてしまった、という声もいただきました。
そういう反応を知ると、作家冥利に尽きるなあと感じます。
しかし、著者たる僕がもっとも強調したかったのは、「まえがき」にもある通り、「仕事の味覚障害を直す」ということです。
すぐにアウトプットをやりたがる若者の性急な自己表現意欲を抑え、まずは徹底的なインプットをやってみませんか、という提案です。
そのためには、仕事の魅力を若者に分かりやすく、読みやすく、理解しやすく「翻訳」する必要があります。
僕は昔から外国語、とりわけ翻訳が大好きです。英語の試験でも勉強でも長文読解が好きで、辞書を見ずに前後から単語の意味を想像して、適訳や名訳を考案するのが大好きでした。
ゲーテでもシェークスピアでも、同じ作品であれわざわざ違う人の訳で読んで、翻訳者それぞれが持つ日本語の語感や訳読の苦労を知り、「なんと国語力が豊かなのか」と驚いたことも多々あります。
同時通訳なんかも、やっていて非常に楽しいのですが、やはり作家の人生や意欲と向き合う翻訳は、じっくりとフィットする日本語を想像、選択する過程が楽しく、ボウリングより楽しい趣味です。
振り返ってみれば、僕の20代は、この「翻訳」が仕事や生活のテーマになってきたと思っています。
翻訳といっても、何も外国語と日本語の交通整理をやるばかりではありません。
未知の商品を理解し、その魅力を伝えるのも、
相手の気持ちを察し、それをコンパクトにまとめるのも、
異業種同士のメリットを語り、それを具体的に結び付けるのも、
異質な物事の共通点を探して「たとえ話」を作り出すのも、
未熟な用語の中から相手の性格を見抜いて正確に置き換えるのも、
僕が仕事で行ってきた全ての行為は、このように「翻訳」の性質を持っています。
「英文学科だから、ビジネスに関係がない」とか、「国際文化学部だから金融業界とは関係がない」というのは表面的な見解です。
知力とは「関係のないところに関係を見出し、その関係を打ち立てる力」を言うのですから、語学や比較文化学は、深いレベルで仕事に役立つ立派な学問です。
「広告代理店のクライアント開放は、不動産のサブリースと同じ仕組みじゃないか」
「証券会社の上場支援は、夏の全国高校野球と同じじゃないか」
「VCのベンチャー支援は、桃太郎の話と同じじゃないか」
「成功する投資は、わらしべ長者と同じじゃないか」
等々、新たな知識の獲得による前に、「自分の中に既にあるもの」から新知識の本質を理解できれば、忘れるということもないし、何より「そうか、自分も知っていたことなんだ」と自信が湧きます。
のみならず、最先端の金融システムと誰もが知る昔話が連結したり、「商品」で見れば全く関係ない業種が会計上では全く同じ仕事をしていたりするのを知ると、学生さんは俄然仕事に興味を持ち、目を輝かせます。
翻訳の能力はこれほどにも人を幸せにするのかと24歳の頃に悟り、その力を基盤に様々な仕事をしてきましたが、一つの作業でもこだわり抜くと、これほど多くの物事の本質とつながっているのかと、31歳の今になって驚くばかりです。
我々は通常、経済学を学ぶとか、人間工学を学ぶとか、文学を学ぶとか、情報工学を学ぶとか言っていて、専攻が違うと何もかも違うように思っていますが、実は全くそんなことはなく、法学、商学、文学、理学、工学、芸術などを通じて人生や世の中の本質を学んでいるだけです。
勉強でもスポーツでも芸術でも趣味でも、何か一つ徹底的に打ち込んで見れば、他の新しいことに取り組む時もすぐに本質に達することができ、驚くほど多くの物事をモノにすることも可能です。
スポーツや芸術の世界では、「一芸は万芸に通ず」とよく言われます。
一つのことを極めれば、千、万の物事に通じることになる、という意味です。大学の学問はその入口で、出口ではありません。物事の本質に達する入口は誰にでも開かれているのですから、努力しないのはもったいない。
就職や卒業を控えて、自分の学部や学科に不満を並べているようでは、専攻の勉強すら何もやらなかった、と言っているのと同じです。
英語の勉強から流通の仕組みに興味を持つこともあるし、法律の勉強から環境問題に興味が移ることもあるし、工学の勉強から金融に興味を惹かれることもあります。
学力とは記憶力や表現力のことと思われていますが、それは学力の手段に過ぎず、本当の学力とは新たな関係を発見し、異質の分野への興味を湧かせ、挑戦意欲を喚起する意欲の持続を言うのでしょう。
命令や強制、試験がなくても、純粋に自発的な動機で自ら飽くなき探究心を持続させる。それが本当の勉強をした人間の行き着く結果だと思います。
FUNでも、いつも空手を題材に仕事や人生を語るM君、音楽大好きでギタリストのAさん、高校時代に吹奏楽の経験を持つTさん、深層心理や言語の世界が好きなHさん、ラグビーに置き換えて仕事を理解するH君など、色々なこだわりを持った学生さんがいます。
卒業生でも、福祉学科に入ったのに創業史ばかり読み耽り、今は広告代理店で活躍するKさん、宝石販売を考えていたのに証券にはまり、投資セミナーに出席を続けたMさん、全てをドラえもんとつなげないと気が済まないY君、何でも恋愛論に結び付けて渋く語るI君など、多くのこだわり学生がいました。
他にも多くのこだわりを持つ学生がたくさんいて、毎週10人近くの新入部員が訪れる中、今年はどんなこだわりに出会えるのかと、今からとても楽しみです。
僕は「翻訳」というたった一つのこだわりから、社長・サークル顧問・作家の3つの仕事に展開を図ることができました。
「難解な物事と向き合い、質を下げずに相手が理解しやすい表現方法を考える」というこだわりで、仕事や生活を切り開いてきた、という実感があります。
語学にはまり始めた頃は、他の多くの人と同じく、国際交流や一人旅ができればいいな、くらいのささやかな目標しかなかったのですが、いざ熱中してみると10年以上たち、今では語学の効用は、著作や営業、起業にまで及んでいます。
志望する大学や学部に入れたことも一応の「力」ですが、本当の力は今いる場所からどれだけ物事の本質に通じ、夢に近づけるか、によって示されます。
つまり、「通じていない」と思うものを通じさせ、「つながっていない」と思っていたことをつなげることに、本当の知力や学力が発揮されるわけです。
そのためには、今いる場所で何か一つ、本気で打ち込み、何が何でも継続させることです。
「続けることが大事だよ」
そんなありきたりの言葉を疑う若者も大勢います。そういう人は、それよりも手っ取り早くて価値ある「秘訣」のようなものが存在しており、自分はそういう地味なことをしなくても、うまくいく才能を持っているんだと過信しているのでしょう。
しかし、「秘訣」などはそもそも、周回遅れの人間が高い値段を払って買う「高額な基本」に過ぎません。そして、基本を疑い、基本を軽視している間は、人は一歩も成長することができません。
もし、大学生活が基本の重視と工夫の継続とかけ離れたところでなされる「知識の吐き出し」や「手続きの繰り返し」で終わる単なる時間の経過でしかなければ、こんなに不幸な勉強はないでしょう。
ありきたりの、普通の言葉の奥底に潜むメッセージを見抜ければ、それでこそ成長した人間です。
物事に飽きたとは、それが面白くなくなったということではなく、自分が想像や挑戦を止めたという証拠でしかありません。あるいは、初心を忘れたのでしょう。
「一芸は万芸に通ず」。
誰もが頭では分かる簡単な言葉です。では、体で本当にそうだと味わってみるまで、一つの言葉にこだわってみてはどうでしょうか。
たった一つの物事からでも人生の奥深さを知れば、今自分がここで生きていることが、楽しくて有り難くて仕方なくなってきますよ。
今後も、「異質な知識の自然な結合」を基盤にした本を書いていくので、どうぞよろしくお願いします。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
ただ今、教育・学校部門167位、就職・アルバイト部門93位です。
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