◆今日の一言
No.426(07/4/16)

『証拠なくして断定することは、これを最も慎んだ』(小泉信三)





今日はこの後、夜から第4回「トップセールス研究会」があり、僕が記者時代からずっとお世話になっている大阪ご出身のO谷さんが「コミュニケーション能力向上の秘訣」というタイトルで話されます。


僕も海外勤務や経済誌の記者、創業を通じて多くの人に会ってきましたが、O谷さんほど温和で相手を尊重できる方は他にはいないほどで、昔から、いつも教えられてばかりです。


初めてお会いした時は僕が24歳、O谷さんはちょっと年上で、僕は記者、O谷さんは不動産会社の営業マンでしたが、O谷さんはその頃と変わらずいつも若く、明るく、僕もかくありたいと願うばかりです。



さて、コミュニケーションといえば、このメルマガも一つの大切なコミュニケーション手段であり、今年になってからは特に読者の方から感想や質問をいただくことも多く、紹介で読者の数が増えることが多くなりました。


面接前にプリントして読んでいる、社員研修で部下に配っている、営業ツールとして使っている、気に入った作品は印刷して冊子化している…という連絡をよくいただき、そのたびに「しっかり書かないと」と思います。


内容は学生、就職、経営、仕事、創業、営業、会計、読書、思想、文化、語学、教育など多岐にわたり、できるだけジャンルが循環するようにしており、時には厳しい作品、優しい作品、感動する作品、勉強になる作品を織り交ぜ、トーンもきついもの、柔らかいもの、説明調のものなど、色々と挑戦するようにしています。



そういう毎日の小さな執筆活動や、サークルでの講義の中で、開始以来大事にしている姿勢は、「証拠なくして憶断せず」です。


これは、僕が大好きな学者・小泉信三さんの代表的著書である『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)の「まえがき」にある「証拠なくして断定することは、これを最も慎んだ」とあるのを縮めた表現です。


小泉信三さんは東宮教育係、つまり皇太子殿下(今の天皇陛下)の教育係を務められ、経済学の分野でも地道な研究を続けられた慶応大学の元塾長で、僕は昔から小泉信三さんの作品を愛読しています。


「FUN近現代史勉強会」にご参加の方は、いくつか読まれましたよね。



その作品は、客層が違うブックオフではまず手に入らず、福岡では葦書房、入江書店、痛快洞、大橋文庫、幻邑堂に古い著作があるくらいです。


もう60~80年前の作品で、紙も茶色になっていますが、その内容はいつも斬新で、洞察力と先見性はいつも驚かされます。


ですが、僕が最も尊敬するのは、小泉博士が、その立場を異にする人に対しても非常に寛容で、意見が対立する研究者の著作でも実に丹念に読み込み、正確な引用や研究をもって論じている礼儀正しい姿勢です。



小泉博士は、慶応大学を再建させた塾長、東宮教育係、スポーツマン、読書家、随筆家、経済学研究者としてよく知られていますが、本業は大学教授であり、特にマルクス主義の理論的批判が有名です。


1930年代、洪水のように日本に流れ込んだ社会主義思想に対して、多くの日本人は「西洋発の易姓革命思想」、「危険思想」、「国家転覆思想」だと警戒しました。


それは全て間違いではないのですが、しかし社会主義は根本的に経済制度を一変させる理論であり、純粋な学問的見地からこれを研究した人は少なく、どちらかといえば政治思想として捉えた人が当時は多かったようです。



もちろん、社会主義は人間の政治的態度、社会認識、歴史観、職業への態度など全ての見直しを提言した急進的な思想だったため、見方によっては職業教育、経済教育、歴史教育、政治教育の手段にもなる広範な対象を含んだ思想ですが、これを理論的に反駁した学者の代表は、やはり小泉博士です。


同時期に東大教授として活躍した河合栄治郎博士は、社会主義が政治思想として成り立たない理由を詳細に論じており、河合博士の作品もFUN Business Cafeなどで何度か紹介しました。


しかし、明快な理論や比喩で「経済学」としての社会主義を解剖し、その根拠を突き止めた小泉博士の研究結果の方が、僕は教えられるところ大でした。



小泉博士は、長年の社会主義研究をまとめ、「社会主義は体系化された嫉妬の情念である」という言葉を残しています。


マルクスが煽動的に論じた「資本主義の内部崩壊」も、経済理論的に見ればやや規模の大きい景気循環を論じたものに過ぎないこと、労働価値説が人間性から見ても経済的合理性から見ても成り立たないことなど、今の日本の教育にも当てはまる正論を多数残しています。


本メルマガは社会主義や資本主義を解説するものではないため、これについては書きませんが、特に印象的な部分を紹介しておきたいと思います。



小泉博士は「私とマルクシズム」(文藝春秋新社)の中で、共産党の指導層との交流を回想しています。


のみならず、後の日本で「危険思想保有者」、「革命家」、「売国奴」と切り捨てられたような相手を慶応大学で教えた頃の思い出も綴っています。


決して噂や先入観で個人や組織、国家に対する意見を決め付けてしまうのではなく、一個の人間として真正面から向き合い、純粋な学問的見地から論じ合い、立場が違えど相手が立派な見識を持っていれば、「勉強家である」、「見習いたい姿勢だ」と評価しています。



もちろん、「証拠がないものは、絶対に信用しない」という教条的な価値観を持つ人ではなく、スポーツや文学を通じて育んだ感性から来る直感も一流のもので、感性と理性がバランスよく調和した理想の教育者の姿を感じます。


どの著作からも、小泉博士の厳しさと優しさが伝わってきて、社会主義の理論を明快に批判しながらも、その論考は、経済学の本義が人間の幸せを極大化させることにあるという本質からは全くずれていません。


根本的な矛盾を内包した社会主義を論破しつつ、同時に資本主義の研究者や伝統を大事にする保守主義者の学ぶ姿勢が劣っていること、自信がないこと、迎合主義であることを嘆き、人生における学問の意義を堂々と説いているようでもあります。



皆さんは今、世の中や人生の様々なことに対して様々な意見をお持ちだと思います。特に、就職や仕事に対しては、年齢的にも環境的にも、よく考える機会を持っているのではないでしょうか。


その中で、書類選考、面接、筆記試験といった「手順」を考えることもあるだろうし、職業観、人生観、金銭観という「思想」を考えることもあるだろうし、能力、知識、情報、経験という「資源」を考えることもあるでしょう。


就職という問題に対しても、人はこれだけの情報や経験を動員せねば、まともな意見が持てないものです。



もし就職に「自信」というものが生まれるなら、それは多くの資源を保有している時ではなく、全てを自分でやりきった時です。


この根本を、多くの学生さんは履き違えているようにも感じます。些細なことでも、自分で「できる」と信じてやり抜けば、それが自信になるわけですが、とにかくビビってしまい、「借り物」でもいいからその場だけを乗り切ろうと、ブランドやマニュアルにすがる…。


そのような出処進退は人生の根本目標に根ざしたものではなく、所詮は「行き当たりばったり」に過ぎないので、いくらやっても自信や手応えは生まれず、最後はコンプレックスの塊になって自己嫌悪に陥るだけです。



なぜそうなるか。


それは、自分の思想や意見を信じていないからです。そして、不安や疑念から目を向けた他人の意見もまた、心から受け入れ、信じることはできないものです。


就職に対して「不安だ」、「こわい」、「やりたくない」という強固な先入観を持っていれば、その願望に応じた情報が集まってくるでしょう。


怠けていれば、怠けている自分を正当化する情報や語句を優先的に集めるでしょう。本当の怠慢とは、ブラブラすることではなく、精神を弛緩させてどうでもいい他人の意見で判断することです。



つまり、自分の価値観や信念と照らし合わせ、主体的に研究、考察した情報や知識をもって意見を形成するのではなく、ただ「すごそうだから」、「役立ちそうだから」、「気に入ったから」という基準だけで意見を構築していっては、いずれ論理矛盾に陥ってしまうのは、最初から明白なことです。


たとえばSPIの準備が足りない人は、筆記で落ちた自分が受け入れられないため、「筆記で落とすなんて許せない。面接で見てもらわずになぜ人が判断できるのか」と憤る人を「同志」だと感じるでしょう。


あるいは、「筆記が全てじゃない」、「筆記ができなくても仕事はできる」などと言う人を見て、「仲間だ」と感じるかもしれません。



そうして「精神的怠慢」のうちに安心すれば、これはもう、就活を支える一つの価値基準になっていくでしょう。


筆記試験の準備が足りないのは、言うまでもなく就活に対する甘えです。「数学ができるかどうか」よりも、「課された条件にどれだけの努力を見せるか」がより本質的な選考対象であるからには、「筆記で人は分かる」のです。


このシンプルな事実を受け入れない限り、その人は筆記試験をまともに頑張ることはないだろうし、将来は、人生の実利的効用と関係なさそうな地道な準備を全て億劫だと思って敬遠する態度が身についてしまうでしょう。


筆記ができないのはまだ不採用で済みますが、地道な準備を嫌う人間になれば、貧乏人か敗者にしかなれないでしょう。



もし、就活中に「筆記って、本当に大事じゃないのか?」、「筆記で受からなかった人は、どういう対策で挽回したのか?」、「筆記で受かった人は、どう言うだろうか?」とでも考える習慣を持っていれば、就活の結果も、人生の結果も、大きく違ったものになっていたはずです。


人生では、そういう小さな決断が後になって大きな路線変更のきっかけになる、ということも多いものです。


特に、受験や就職、転職、独立という将来設計に大きな影響を及ぼす選択では、自分の頭で考えに考え抜いて決断することが大事です。



学生さんがよく就活で口にする「自分の言葉」を最後に定義しておきましょう。


それは一人で断言した後、誰かに対して補強や賛同を求めることなく、堂々と「私はそうだと考えている」と言い切れる言葉のことです。


他人の顔色をうかがわず、素直に、堂々と表明できる思想のことです。


珍しい言い回しや、上手な伝え方が「自分の言葉」なのではなく、心の底から考え抜いて同意した言葉こそ、自分の言葉です。


そういう言葉で思索を行い、想像を重ねるには、好奇心や疑問を放置せずにしっかりと自分の目と耳で調べ、納得がいくまでとことん調べぬくことです。


そういう堂々たる生き方、考え方、働き方を学んでみたい人は、小泉信三さん、福田恒存さん、小林秀雄さんなどの作品を読まれてみてはどうでしょうか。



ということで、堂々たる社会人が集まって学びあう「トップセールス研究会」に、そろそろ行ってきます。



今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門38位、就職・アルバイト部門18位です。

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