■「内定への一言」バックナンバー編
「確かに私は、日本の植民地支配を恨んでいます。
しかし日本の高校生のように、
自分の国の悪口を言って相手にへつらう人間が、一番嫌いです」
最近、自分の年表を作っています。未来ばかり見つめていて、20代のいつ、どこで何をしていたか、このままでは思い出せなくなりそうだと思ったのがきっかけです。
10年前…20歳の春と言えば、僕の韓国旅行記が「諸君!」(文藝春秋)に掲載され、それを見た東京大学教育学部の藤岡信勝教授が、僕のエッセイを「朝まで生テレビ」(テレビ朝日)で引用して下さった時期でした。
「海外勤務」と言えば、僕の略歴でも一番質問が集中するところで、「どうやって行ったのか?」とよく聞かれます。
そのたびに、「自分の書いた文章がテレビに出た」と答えていますが、どのような文章だったのかを詳しく紹介する時間は、なかなかありませんでした。今日は、そのエピソードをご紹介してみようと思います。
大学1年の夏前、大学の勉強があまりにも楽しくなくて、今の時間を価値ある実力につなげようと、経済学部ながら、英語以外の外国語を片っ端から勉強し始めました。
その中で一番熱中したのは、韓国語でした。日本語と全く同じ文法、読み方の似た漢字、酷似した動詞・形容詞の活用に、「おい、韓国人!マネするな!」と思うほどはまり、1年の夏休みに、一人で釜山を旅しました。
当時、西南大の斜め前には大学付属の教会があり、クリスチャンではない僕も、英語の勉強のために、毎週日曜は「無料英会話」の勉強に行っていました。
2年ほど前まで西南の学院長をされていたL.K.シィート先生が、僕の高校時代の英語の恩師・N先生の学生時代のゼミの先生だったそうで、シィート先生が牧師を務められていたその教会に、僕も遊びに行ったわけです。
最初は、本場の英語がなかなか聞き取れませんでした。英検準1級を取ったばかりなのに、簡単そうな単語の意味が逆に分からなくて、悔しい思いをしました。
どちらかと言えばアメリカ南部の白人が多かったためか、南部特有の言い回しなどがあったそうですが、当時の僕は、アメリカ英語とイギリス英語の区別、標準語と方言の区別すら、分かりませんでした。
それが悔しくて悔しくて、CNNやFENのテープを買い、擦り切れるほど聞きまくりました。
そんな努力の甲斐あってか、8月頃にはようやく、何を言わんとしているのかが分かるようになり、知っている単語を以前以上によく使って、会話ができるようになりました。
しかし、それでもシィート先生の宣教は、聖書独特の言い回しがあるためか、なかなか聞き取れませんでした。
また悔しくなって、隣にいたおじさんに、「今の英語、分かりましたか?」と聞いてみると…。
「英語より、私は日本語の方が分かりません」。
意外な答えを聞き、どちらの方か聞いてみると、その方は釜山から1年間の研修で唐人町の「こども病院」に勤務していた、仁済(インジェ)大学の先生でした。
まだ日本に来て日が浅く、英語よりも日本語の方が分からない…という状態で、病院のような複雑な日本語を使う職場でやっていけるのか?と思いましたが、「韓国語を教えて下さい!」とお願いすると、「いいですよ」との返事。
ここから、今年で10年になる韓国語の勉強が始まったわけです。
黄(ホァン)先生は、唐人町のローソンの横のマンションに住んでいて、僕は毎週、学校帰りに韓国語を習いに行きました。
医学は漢字が多いので、日本語と韓国語がいかに酷似した言語であるか、よく分かりました。
黄先生が本勤務になった後は、忙しくて学べなくなり、僕は福岡に留学している韓国人をつかまえて、続きを習うことになりました。
その間およそ2ヶ月。集中すれば、これほど短期間で語学力の上達を実感できるものか、と我ながら驚いた時期でもありました。
そして、夏に初めての韓国旅行に行き、通じない悔しさと通じた喜びの混ざった複雑な感情で帰国。
通じた喜びの方を信じた僕は、その後も韓国語の学習に力を入れ、1年の冬には、一人で議論できるだけの語学力を身に付けました。
そして、2年が始まる頃の春休みに、ソウルの友人の家に、2週間遊びに行きました。
この時の旅のテーマは「百済を知る」で、階伯将軍ゆかりの扶余(プヨ)や、演歌に出てくる漁村・木浦(モッポ)、学生運動で韓国現代史の舞台となった光州(クァンジュ)などを訪れました。
ちなみに、今「韓国語塾」で使っている歌は、その頃に韓国の友人に「名曲」と薦められて買った曲ばかりです。
僕の友人は当時、ヨン様と同じ成均館大学の学生でしたが、その中に、「イ・ヨンジュン」という、イ・ビョンホンとぺ・ヨンジュンを足して2で割ったような名前で、顔はどちらにも似ていない友人がいました。
イさんは高校で日本語を学んでおり(韓国では高校から第二外国語を学ぶ)、たどたどしい会話ながら、日本語で話そうとする熱意が伝わってくる人でした。
当時は、「Shocking Asia」という韓国の「お国紹介番組」が放送されていて、アジアの様々な国が紹介され、海外旅行が大衆のものになり始めた韓国では、大変な人気を誇っていました。
また、「ムクゲノ花ガ咲キマシタ」(ムクゲ=槿。韓国の国花)という小説が超ベストセラーになっていた時期でもあり、あの時期に韓国を訪問した日本人なら、誰しも「読んだか?どうだった?」と質問を受けたことでしょう。
~20XX年、経済力と軍事力で日本を追い抜いた韓国が、積年の恨みを晴らすため日本と戦争し、日本相手に連戦連勝を重ね、最後は日本の「ハシモト総理」が韓国大統領に泣いてお詫びを乞い…
韓民族全ての恨みと怒りを込めた核爆弾を東京に射ち込むも、「最後の情け」で弾道を外し、核弾頭は東京湾に消えていった…~
という小説です。
韓国人にはスッキリするであろうこの小説を、もちろん僕も当時読みました。そして、若気の至りからか…
「あんたらはいつも、妄想の中だけでは勇敢だな。
日本なら、マトモな出版社はこんな三流小説は扱わない。さしずめ、無名出版社かエロ本専門の出版社が出すフィクションにちょうどいいくらいだ。
韓国の出版文化のレベルの低さが現れていて、それを知るにはちょうどいい小説だ」
と答えました。
もちろん、いい顔をする友人はいませんでしたが、僕は正直な感想を言っただけです。
そして韓国の友人もまた、
「確かに。わが国には、強者に卑屈で弱者に傲慢な弱点があり、何か問題があると、すぐに日本を叩いて不満を逸らそうとする」
と答えてくれました。
韓国が通貨危機でIMFの管理下に入り、国富の4割が消し飛ぶ失態をさらしたのは、その2年後のことでした。
ちなみにその頃、北朝鮮寄りの言動と「裸一貫」のパフォーマンスで、高卒弁護士として活躍し、「挙動不審」、「金正日の手下」と呼ばれていたのが、現在のノ・ムヒョン大統領です。
今ではますます、「朝鮮労働党ソウル支店長」ぶりを発揮していますが。
マレーシアに赴任するまで、韓国には3ヶ月に1度のペースで行きましたが、毎回歴史や文化、経済の話題で白熱した議論ができました。
友人が、途上国の経済を研究するサークルに所属していたため、比較的まじめな韓国人が多かったのも、幸いしました。
その中で、大学2年の春の旅行では、先のイさんから面白い話を聞きました。
イさんは高校の頃、日本に姉妹校がある高校に通っていたそうで、日本から修学旅行で訪れた高校生と交流する際の「団長」を務めたそうです。
その高校というのがまた、日教組(マルクス主義を信奉する教師の労働組合)バリバリの学校だったらしく、イさんたちに会うなり、日本の高校生は…
「日本という国は、力の差も弁えずにアメリカに戦争を仕掛け、こてんぱんにやられた挙句にアジアの国々にも迷惑をかけ、戦後もカネのことしか考えていない、本当に愚かな国なんです。
私はこんな国が大嫌いで恥ずかしい」
と言ったそうです。
日教組による見事な洗脳ぶりを示す言葉ですね。
イさんは通訳の言葉を聞き、唖然としたそうです。
何に?それは、「日本人の卑屈さに」です。
イさんはテコンドーを愛し、身体屈強で男気に富み、「チョー・ヨンピルに似てさえいなければ、芸能人も射程距離だった…」という、才能があったかなかったかはよく分かりませんが、リーダーシップがある人でした。
イさんは、自分の国をバカにする日本の高校生を見て、「我々は、こんなに醜い奴らに植民地にされたのか」と怒りが抑えられなくなり…
「確かに私は、日本の植民地支配を恨んでいます。
しかし日本の高校生のように、自分の国の悪口を言って相手にへつらう人間が、一番嫌いです」
と答えたそうです。
「コジマさん、私はあの時こう言ったんですが、日本人はみんな、あんなふうに卑屈なんですか?
あなたのように強硬でも、韓国の古い歴史をよく学び、日本を愛するとはっきり口にする日本人には初めて会った。
今私は、どちらの日本を信じてよいか分かりません」
というのが、このエピソードを語ってくれたきっかけだったそうです。
僕はその時、とても複雑な気分になりました。
もちろん、自国を愛するあまり、韓国人相手に強硬な姿勢に出ていたのも否めません。
同時に、否定・批判されっぱなしであることにも、耐えられませんでした。
しかし、「韓国の若者の方が、一枚上手だな」と認めざるを得ませんでした。
悔しくも爽快なこの経験を、帰国後に手記にまとめ、高校の恩師に近況報告を兼ねて送ると、「君!これ、もう少し詳しいレポートとしてまとめてくれ!」とお電話があり、「ソウル見聞録」として文章化したら…
雑誌に出て、テレビにも出てしまったわけです。
そして、それを見た岐阜県の建材商社の社長さんが、「面白い意見だ」と興味を持たれ、それを契機に、その会社のマレーシア支社に勤務することになったわけです。
「皆さんは、もっと正当な手段で海外勤務を考えた方がいいですよ」と毎回言うのは、こういう複雑な、自分の力ではどうしようもないプロセスを経て、海外勤務が決まったからです。
日本人がアメリカ人に複雑な感情を持つように、韓国人も日本人に複雑な感情を持ちます。
インド人も、イギリス人に対しては、一言では言えない感情を持っています。
世界中の「隣国」で仲がいいのは、歴史がないアメリカとカナダくらいで、あとは必ず、一度は争った経験があります。
世界の歴史は複雑で、到底「善悪」で割り切れるような単純なものではないということが、当時の僕なりに、少しだけ感じられました。
戦後の比較文化研究の先駆けとなった「アーロン収容所」(会田雄次・中公新書)は、著者のビルマでの捕虜体験を綴った、戦後日本の不朽の名作として有名です。
どれだけ多くのことを考えさせてくれる本なのか、これはもう、読んでもらうしかない内容なのですが、とにかく、「白人は黄色人種を人間と思っていない」という事実を体験的に書いた本です。
・日本人相手には、犬以下の「エサ」を食わせておけばいい、という発想
・イギリス女性が、「家畜同等の日本人」の前で、恥ずかしげもなく平気で裸になり、着替えをした話
などが紹介されています。
その中で、辛く単調な捕虜生活に疲れ、集団サボタージュを始め、プライドを失いつつあった日本兵に、あるイギリス人将校が怒りを込めて呼びかける場面が出てきます。
「お前ら日本人はスレイブ(奴隷)か?
オレたちの仲間は、お前らのようなスレイブと戦って死んだんじゃない!
仲間は日本のサムライと戦って死んだんだ。オレたちはそれを誇りに思っている」と。
この場面は、浅はかな「比較文化」がもてはやされ、歴史をよく勉強せずに「未来志向で国際交流」という風潮に流されつつあった僕に、強烈なショックを与えてくれました。
岡崎久彦さんや渡部昇一さん、山本七平さんの著作を読み始めたのも、本書や韓国旅行での体験がきっかけと言えばきっかけです。
のち、20歳の夏にマレーシアに赴任しても、「日本人としての誇りとは何か?」を考える習慣が付き、今でもそれは、よく考えます。
そしてこれはまた、就職や人生設計においても、当てはまることだと思うのです。
僕のお客さんは、人生に希望を失い、卑屈な愚痴が口ぐせとなり、一番居心地の良かった過去の一時期を現在に再現し、ゲームやカラオケで時間を消費して悔しくない人ばかりです。
初心を忘れ、自分がどれだけ堕落してしまったかを、思い出そうともしない方もたくさんおられます。
誰しも、まともに今の自分を直視すると、悔しいことの一つや二つは、必ずあるでしょう。僕にだって、たくさんあります。
就職にしろ、仕事にしろ、「負けて悔しくない人間」になったら、人生はそこで終わりです。
後は寿命が何年残っていようが、大した意味はありません。
悔しさから他人を傷付け、自己満足に浸るのはもっと最悪ですが、健全な自己反省と課題への集中に導いてくれるなら、それは良いプライドと呼べるでしょう。
選考が思うままに進まない方もおられるでしょう。
ついつい、落ちてしまって、「実は第一志望じゃなかった」とか、「思っていたのと違った」と言って愛想笑いをしながら、心の中では「悔しい…」と耐え切れない気持ちを味わうこともあるでしょう。
その時に悔しいのは、「不採用」よりも、思いと言葉が乖離した「卑屈な自分」のはずです。
周囲に合わせる必要など、一切ありません。
周囲など、いつも気楽で、あなたに対して言ったことの責任などは、絶対に取りません。
遅れているとか、内定がないとか、業界がコロコロ変わるとか、そういうのは自分が気にすれば「基準」になるだけの話で、いずれも「誇りを持てる仕事」とは、全く関係がない条件です。
まだ内定が出ていないなら、もう内定してフラフラしている人が悔しがるくらいの内定を決めてはどうでしょうか。
別に人を悔しがらせるのが良い目標、というわけではありませんが、本気になれば、それだけで中途半端な人はあなたを恐れるでしょう。
「人自ら侮りて、然る後に人、これを侮る」という言葉が「論語」の中にあります。
「自分で自分のことをバカにする人を見て、周囲の人はその人をバカにする」という意味です。
先に周囲が侮るのではありません。人がダメになる時は、必ず「自滅」が先立ちます。
「学生だから甘えられる」とか、「学生だから遊べる」とか、「学生だから中途半端でもいい」などとは、別に世間が決めたことではなく、そう信じたい人が勝手に同意して決めただけの「学生像」に過ぎません。
「学生としての誇り」を今一度取り戻し、元気を振り絞って、未来を信じて立ち向かってみては、いかがでしょうか。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。
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