■「内定への一言」バックナンバー編


「戈を止む」(十八史略)




雨の日曜夕方、第①回営業塾が開催されました。開場前にロビーに集まったみんなの顔ぶれを見ると、さながら「ミニ同窓会」のような雰囲気で、参加者の大半が4年生と社会人…。


サークルと言うよりは、異業種交流会のような雰囲気でした。アシスタントは女子大3年の倉富さんで、しっかりと頑張ってくれて、心強い限りです。ぜひみんなで「憧れのトップ営業マン」を実現し、お客さんが行列を作る人材になりましょう。




さて、ワールドカップも決勝トーナメントが始まりました。日本でも次期監督のニュースが飛び交い、旧ユーゴを率いたオシム監督に内定したようです。



僕はマレーシア在住時にユーゴスラビアの留学生と一緒に生活したので、セルビア語が懐かしいなぁと思いながら、友達はこのニュースをどう受け止めるだろうか、と考えていました。



人口を見れば、ユーゴは800万人でベスト8、オランダは600万人でベスト4、クロアチアに至っては、内戦直後で350万人しかいないのに、ベスト4。わが日本は…。



これらの国々の人々と海外勤務時代に接した際には、「武」を尊ぶお国柄なのがよく分かりました。皆スポーツが好きだし、男は無条件に「強い」ことが魅力の第一条件です。



わが日本も見習わなければならない精神です。やっぱり、人間は「文武両道」が一番です。



かの「空手バカ一代」の主人公となったマス大山(大山倍達)さんも、「正義なき力は暴力。力なき正義は無力」と言っています。



知・仁・勇が備わった立派な人間に、僕たちもなりたいですよね。



それにしてもわが国では、「武力=人を傷つける力」と無条件に決め付けられています。



昨今のように、非人道的であまりにむごい事件が多くては、力そのものが悪とされてしまいそうです。



しかし、武力とは本来、そういう意味ではなかったのです。武力とは、確かに戦闘の際に行使するパワーではありますが、「武」の本来の意味は、人を傷付けたりいじめたりする力ではなく、むしろ逆の意味です。



これは「十八史略」に書いてあるエピソードですが、「武」という字はそもそも、「戈(ほこ)」と「止(おさ)む」の二字が合成されてできた漢字だそうです。



「戈」というのは、今でいう「槍」や「矛」のことで、突くことによって相手を傷付け、打倒する武器の一種ですよね。



これが自分に向けられた時、敢然と立ち向かって「止む」、つまり「止める」力が、本来の意味でいう「武力」(戈を止める力)です。



だから、健全な武力は持っていなければなりません。



不当な干渉や、自分が自分に対して行う悪の誘惑も、「戈」と同じです。



それを止める力がなければ、戈に突き刺されるのみ。



武力とは、自分を攻めるのではなく「守る力」なのですから、その力がなければ、自分を悪や誘惑から守ることができないのです。



では、学生にとってこの健全な武力として機能するのは、一体どのような力だろうか…と、昨日の夜、少し考えました。



そしてそれは、「素直さ」、「責任感」、「会計センス」だと感じました。



素直さがあれば、常識的な判断ができます。興奮せず、自分を欺かず、人としてやるべきことを行うことができます。



つまり、「余計な敵を生まない力」が素直さです。責任感があれば、行動に手を抜かないし、作業を先延ばしにすることもありません。



人との約束も守るので、無用の反発も招かず、人から尊敬される行動を取ることができます。



つまり、「敵をも尊敬させる力」が責任感です。会計センスがあれば、人間関係や金銭問題で、ムリや余計な借りを作らなくなります。過去のツケで無駄な時間を過ごす前に、先取りの人生を描く習慣ができます。



つまり、「合理的な判断で自分の資源を配分する力」が会計センスです。



この3つの力が「武力」として働いた時、その人の人生は逆境を弾き飛ばし、目標に向かって強力に進み始めるのでしょう。



孟子も「敵なき国は常に滅ぶ」という言葉を残しています。人や国が滅亡する時は、必ず自滅だ、という厳しい洞察です。



戦後の日本人、特に男性はもてなくなった、と言われています。海外を30回以上旅し、東南アジアや韓国には合計で2年滞在したことがある僕も、日本女性と外国人のカップルは腐るほど見ましたが、逆はあまり見ませんでした。



このことについて、「父性の復権」(中公新書)を書いた林道義さんの指摘があります。



「今の日本では、男の死に場所がない」。これは、戦争で死ねとか、死ぬようなことをしろ、という意味ではありません。



「何かあった時、自分が命をかけて家族や国を守る」という気迫なしに育った男は、ヘナヘナの弱虫になって、自ら国を滅ぼすぞという警告です。



「そのためには自分が命を投げ捨てる」という存在を意識せずに大人になっても、無脊椎動物のようなチャラ男にしかならない、という意味です。



林さんの講演は、海外勤務から帰った頃に聞きに行きました。僕はサイン入りで新刊の「父性の復権」を頂きました。



本来「戈を止む」べき男が、戈となって家族や国家に相対したら…というぞっとするような想像が現実になった事件が、毎日起こっています。



強さに裏打ちされない優しさなど、ただの「お人好し」ではないでしょうか。



厳しいのが優しいのであって、特別視したり、甘やかしたりするのが優しいというのは、どうにもおかしな教育です。



皆さんの大学生活にとって「戈」となりうること、あるいは既になりかけている要素は、何でしょうか。



そして、それを止める力として、何を持っていますか?本来の意味で強く優しい人間になりたいですね。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門41位、就職・アルバイト部門22位です。

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