■「内定への一言」バックナンバー編


「教師たる者、生徒の批判をしてはならぬ」


ピラミッドに刻まれた4,000年も昔の文字は、一体何を意味しているのか?古代史のロマンをかきたてる「難解な文字の解読」という壮大な試みは、数十年前に成功しました。そこに書かれてあった4,000年前の古代人のメッセージは、とうとう、悠久の時の流れを経て、現代人に届けられたのです。


さて、一体何が書いてあったのか?

なんと…「全く、近頃の若者はなっとらん!」と書かれてあったのです!


そう、ロマン溢れる遠大なチャレンジの結果、現代人が知ったメッセージの正体は、「老人の落書き」だったのです…。



「古代史の謎を解くメッセージ」、「歴史のカギ」、「王家の秘宝のありか」…現代人の予測と期待は、見事なまでに裏切られました。



しかし僕は、これはこれで、貴重な歴史のメッセージだと思いました。「今も昔も人間は変わらない」という事実は、すごいメッセージではないでしょうか。

若者を見て「このやろー!」と思った4,000年前のおじさん(おじいさん?)の気持ちは、古今東西、年長者が感じるものと同じ。



老化とは、「幼児退行」と同一現象だと言いますから、古き良き時代を懐かしむ反動で、ついつい若者の姿が頼りなく思え、「おまえら、もっとしっかりせい!」という気持ちを、王家の墓の落書きとして残したのかもしれませんね。


僕が学生の時に小学生だった今の大学生が、「最近の高校生の考えはよく分からない」などと言っているのを聞くと、「ああ、若者も全く変わらないなぁ」と楽しくなってきます。



僕の世代も、上の世代から「おまえらの世代は横着だ」と言われてきました。僕たち(75年生まれ)に対してそう言った世代(60年代生まれ)の人たちも、上の世代から「おまえらは飽食の時代に育って、感謝や恩義をわきまえてない」と叱られたそうです。



そして、戦中派世代も、明治の人々の文献の中では「軽佻浮薄」、「礼儀知らず」、「西洋かぶれ」、「皇国の恥」、「明治はいずこ」と、それこそ「けちょんけちょん」にこきおろされています。


天保から昭和を生きた大実業家・渋沢栄一の著書『論語と算盤』(国書刊行会)には、


「御一新(明治維新)ののち、若者を見ては、勉強が足りぬと痛切に感じるのである。未来を担う若者がこれでは、日本が未来に背負う重荷は、いかばかりであろうか。我々も修練が足りぬと反省し、いやましにも修養を積まねばならぬ」


と書いてあります。


「我々の姿がいけないのだ」と言うあたりは、さすがに産業界に幾多の巨星を輩出した人材育成の名手ですね。

少し前までは、「おじいちゃんは明治生まれだった」と言うと、その一言だけで「厳格な家庭で育てられたんだろうなぁ」と誰もが思ったものでしたが、その「明治生まれ」も、渋沢栄一先生にかかっては、「勉強が足りぬ」と説教されていたのです。



その渋沢先生も、『雄気堂々』(城山三郎・新潮文庫)の中では、尾高長七郎や平岡円四郎、徳川慶喜に「おまえの言うことは危なっかしくて、いちいち相手にしておられぬ」と切り捨てられています。



栄一はのち、人生の恩人である慶喜への感謝の気持ちをとどめるため、全8巻の「徳川慶喜公伝」を残し、慶喜の出身家の名を冠した「一橋大学」を設立したのは、有名な話ですよね。

さかのぼるのは、この辺でやめておきましょう。


人間って変わらないんですね。だから僕は、「今時の若者は」とは、絶対に言わないことにしています。



僕も学生時代は、今も毎週会って話している学生と同じように、無知で経験不足、世間知らずで、小さいことにいちいち興奮し、感情の起伏が大きい日々を過ごしていました。



「もっとしっかり考えろ」、「世間は甘くないぞ」、「おまえの考えだと失敗する」と、何度言われたか分かりません。



しかしそんな中で、「君たちの世代は素晴らしい」、「これで日本も安心だ」と言ってくださったおじいちゃん世代の方々には、どれだけ励まされたか分かりません。

若者は物理的に、生きてきた時間が少ないのです。そんなどうしようもない事実を責められても仕方ありません。



人間どんなに頑張ろうが、年だけは追い越せません。長く生きた人には、それだけの経験や知識が蓄積されていて、それはそれで尊敬すべきですが、長く生きるほど若者をバカにする、という精神の持ち方は、果たして尊敬に値するのか。



大学には「最近の学生は…」と批判する先生がいると聞きますが、「あんた、誰にカネもらってんだ?」と驚いてしまいます。客の悪口を言う社長の会社が、果たして伸びるでしょうか。

「学生が授業でやる気がない」と言うなら、それはその先生の教え方がヘタか、それとも、集中を勝ち取れるだけのカリスマ性がないだけのこと。



つまり、「教師失格」です。どうしようもない若者、やる気を失った若者、道に迷っている若者の心に火を灯し、「先生に会えてよかった!」と一生感謝してもらえるような教育を提供するのが、教育者たる者の使命というか、当たり前の前提条件でしょう。

企業と同じで、「学びたけりゃ、おまえが勉強しろ」、「頭の悪い奴はあっちに行っとけ」、「意識の高い奴だけでいい」という「天動説」的な発想で動く人のもとには、人は集まりません。



教え方がヘタな大人は、自分についてくる若者が少ないために、「最近の若者は」と言っているだけで、実際は、「私の周辺にいる若者だけは」と言い直した方が適切でしょう。

僕の周りには、物分かりが悪かったり、横着だったり、頑固だったり、押し付けがましかったり、軽々しかったり、それこそいろんな若者がいますが、僕は「最近の学生はすごい」といつも言っているので、学生もニコニコ、ハキハキ、キビキビしています。



時々怠けた時は喝を入れたりしますが、みんな素直で将来が楽しみな若者ばかり。僕のまわりは、有望で有能な若者ばかりです。だから僕は、ピラミッドに行ったら、「最近の日本の若者はすごい」と落書きしたいです。

人の前に立って、若者の貴重な時間を借りるからには、毎日毎日が真剣勝負でなければ、何も伝わりません。若者の「今日」は、確実に、「明日」に影響を与えるのです。



教育の問題の99%は、教師の問題です。教師が「地動説」の立場で、若者に合わせて変わればいいだけのこと。



僕は学校では不真面目で出来の悪い生徒だったため、教育事情はあまり分かりませんが、FUNで教師でもない、一経営者の僕が「講義」と称してやっている話の方が、大学の授業より本格的で実用的で、分かりやすくて面白いと言われたりすると、「最近の先生は、全くなってないなぁ」と感じてしまいます。



教師も会社の上司も、自分が分かっていることを人に教えられないなら、それは生徒や部下が頭が悪いのではなく、先生や上司がアホなだけ。多くはありませんが、優れた上司や教師に恵まれてきた僕は、学校の経験が少なくても、そう断言できます。



耐え、認め、許すところから、学生は心を開いてくれるなぁと、たった2年の経験から感じます。でも、「オレもまだまだだな」と感じることも。



「学生といて何か勉強になる?」、「最近の学生って横着じゃない?」と言われることもありますが、僕は毎回違う試みや新しい気持ちで臨んでいるので、FUNに飽きることはありません。


明日も来週も、今年も来年も、一歩一歩、「当たり前」を「当たり前」にやっていくのみですね。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門43位、就職・アルバイト部門27位です。

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