■「内定への一言」バックナンバー編


「知識を持つほど素直になれ」




「社長は十年先を、役員は五年先を、部長は来年を、課長は来月を、サラリーマンは来週を、新入社員は今日のことを考えて生きる」と以前、ある本で読みました。



どこに意識を合わせているかで、思考や決断、行動に大きな差が生まれてきますが、社長の立場は孤独な上、日々多くの決断を下す必要に迫られていることから、信じて間違わない判断基準が必要です。



そんな、多くの企業経営者が人生哲学や経営哲学を学ぶ時、その教師として安岡正篤さんや中村天風さんがよく選ばれます。歴史や人間の本質を見抜いた著書は政財界にも愛読者が多く、多くの話が語り伝えられてきました。



その中でも、修猷館高校出身の中村天風さんが若い頃、影響を受けたと自伝で書いているヨガの達人カリアッパの話は特に有名です。どんな話かというと…。


彼は「使い手」を自称する入門希望者に会うと、何日も何日も「おまえの準備はまだか」と待ったそうです。弟子は世界各地からヨガや人生の奥義を学びに来たのだから、「いつ教えてくれるんだろう」と待てない様子。



そのうち、「準備はできています!なぜ早く教えてくれないのですか!」と弟子の方がしびれを切らします。カリアッパは当然、そんな弟子の姿を見ても、悠然と構えたまま。



それでも「早く教えて下さい」とせかす弟子に、カリアッパは「二つの器を水で一杯にし、片方に入れよ」と命令。なぜそんなことをさせられるか分からない弟子は、「ふざけないで下さい!溢れるに決まってます!」と怒ります。


そこでカリアッパは一言。「そうじゃ。おぬしも器を空にせねば、教えられぬ」。



元々水が一杯入った器に新しい水、ここでは「ヨガの教え」を注ぎ込んでも、入りきれずにこぼれて消えてしまう、ということを、単純な作業から悟った弟子は、「私が愚かでした」と自身の不足や不明を恥じ、初めて学ぶ姿勢になったということです。


毎日マスコミでも、良い言葉がたくさん紹介されています。本の中にも、感動してやまない言葉がたくさんあります。



我々はその気であれば、また、こちら側の準備ができていれば、毎日多くの素晴らしいものを得ることができているはずですが、しかし、毎日誰かを恨み、ストレスを抱え、「こんなはずじゃなかった」と勝手に自分を否定しては、不要な苦しみに夜も眠れずに過ごしている…。



そして、現実がとうとう切羽詰まった時、ある本でシンプルな言葉を見つけて、「そうか!」と納得し、やっと現状打開の糸口を掴む…。そんな経験は、誰しもが持っていることでしょう。



つまり、古い水を捨てないまま新しく水を入れようとして、新しい水が蓄えられたように、つまり、それを学び終えたように錯覚して、「もう自分にはそれができる」と思い込んで、手痛い失敗を食らう。



しかし、一つの哲学や知識を得て、それを自分の実践で表現し、慣れることは、私たち凡人には、しかも世間知らずの二十代には、並大抵のことではありません。


新しいことを身につけたと思っていても、行動のプログラムとなっているのは、元の古い水、つまり、失敗をもたらした虚栄心や慢心、浅い理解。なのに、水を取り替えずに環境や他人を恨むのですから、どうしようもありません。



こうして、行動と結果が延々と悪循環を招き、いつしか「自分はダメ人間だ」と勝手に決め付け、挑戦も抵抗もしないようになって、単なる凡人として死んでいく…。



素直でないとは、恐ろしいことです。あなたは今、誰かを恨みたい気分ですか?環境に不満ですか?過去を悔いていますか?しかしそれは、その環境だからではなく、その人のアドバイスに従ったからでもなく、「自分だから」うまくいかないのです。



同じ環境にいて、同じ境遇にあって、同じ先生から学んで差が付くとすれば、原因は「受け止め方」しかありません。


僕も六三○社を取材し、会社やビジネスを知ったつもりになって、二十五歳で自営で独立し、ちょっと小金を手に入れた時は、「なんだ、経営なんて簡単じゃないか」と慢心し、多くの忠告を「それは頭が悪い奴の話だ」と軽視して、「オレには関係ない」と新車を現金で買い、OL仲間と遊びまくり、コツコツ頑張る人を「あいつは馬鹿だなぁ」と哀れんでいた時期がありました。



しかし、大事なことは何一つ、理解していませんでした。いざ二十六歳で会社を設立し、社員を採用してみると、思うこと全てが予想とは違う方向に失敗し、全ては借金と不信という形で僕の方にのしかかりました。



社員は去り、システムは崩れ、友達からは呆れられ、見込み客からは離れられ、屈辱と後悔の中、半年間を精神力だけで乗り切りました。

そんな時にふと読み返したのが、尊敬する渋沢栄一の「論語と算盤」(国書刊行会)でした。僕はこの本を、海外勤務から帰国した時に買って、何度か読んでいたのです。内容はもう、理解している「つもり」でした。



しかし、孤独なオフィスで、エアコン代も節約しながら寒い中に読むと、なんと心が痛むことか…。何一つ理解していない自分、知識の数に慢心して、何も伝えられなかった自分…。ただ情けなく、そして、また頑張る気力をもらいました。



それから事業が好転したのは言うまでもありませんが、大事なものもたくさん失いました。性格も随分変わりました。分かるまではバカの一つ覚えみたいに繰り返して学び、同じ行動を何度も何度も続けるよう、心掛けました。好転の時期に顧問になってくれと頼まれたFUNは、その訓練の場には最適でした。


賢明な皆さんは「知ったつもり」で有頂天になることはないと思いますが、人生というのは必ず必要な試練を与えてくれるので、全く心配はいりません。



内定したら社会が困る人は遠慮なく不採用にするし、成功したら困る人は、世間が受け入れません。素直に人の喜びを優先できる人に、道は開かれるものだと、最近はつくづく思います。



要領に頼れば要領に滅ぼされ、その場限りの態度を取る人は、その場限りの部下や仲間に、将来は裏切られます。必要なことは、今いる場所で、全て学べるのです。



全力を尽くさずに環境を変えても、同じことを続けるだけ。頭で理解したら心で受け止め、実践で焼き付け、習慣によって確認し、そうして一つずつ、賢く謙虚な人間になっていきましょう。我々凡人も、優れた先人に学ぶ時は、器をカラにして臨みたいものですね。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門43位、就職・アルバイト部門27位です。

参考になった方は応援クリックお願い致します(^^)/



人気ブログランキング