■「内定への一言」バックナンバー編
「愚かな教師は、教科書を読む。
凡庸な教師は、説明する。
優れた教師は、自らやってみせる。偉大な教師は、心に火をつける」
デューイかクラークかは忘れましたが、教師としてのあり方を端的に示した言葉です。今日の西南FUNゼミは三十人近い学生が集まり、教育や若者の可能性について、熱く語り合いました。
僕は発足二年を経ても、この「グループワーク」に参加したことがなく、いつも「学生はどんなことを考えているのかな?」と思って話を聞きながら、部屋をグルグル回っているのですが、今日はみんなの話題を観察しながら、久しぶりにこの言葉を思い出しました。
いつからか毎週、教師としての適性や使命感を欠く大人たちの不祥事が報道され、中には資質を疑うような事件も多々あります。そういう問題を論評したり、今の教育の混乱の原因はどこにあるかを指摘したりするのは、誰にでもできることです。
僕は、「学校生活」という一つの社会での体験を振り返る限り、教師に望まれるような振る舞いができた人間でもなく、むしろ先生からは煙たがられるような生徒だったため、学校教育についてあれこれ言える立場でもありませんが、企業経営という、世の中で最も多くの人間の雇用を確保している分野で生きている者として、若者の可能性には自分なりに問題意識を働かせています。
学校でも寝てばかりで、受験勉強すらまともにやったことがなく、塾も通信教育も利用経験がないため、教育技術や指導方法のこともよく知りませんが、たった一つ僕の経験を振り返って言えるのは、
「人間的に尊敬できない大人からは、たとえどのような強制を受けても、絶対に何も学びたくない」
ということでした。
「試験に出るぞ!」と怒鳴られても、「だから何?あんた、それしか言えないなんて、バカじゃねぇの?」ってことです。
「そんなの知るか。同じ知識でも、てめえからは学びたくない」…何度、そう思う似非教師に出会ってきたか分かりません。
しかし、そんな僕にも、最大限の予習をして臨み、一言一句を聞き逃さず、その先生に褒められたいと頑張った経験もあります。それは、冒頭の言葉で上げた四番目の「心に火をつける先生」の授業です。
そういう先生に共通していることは、くだらない説教などは一切せず、時代や社会、生き方を熱く語ってくれ、子供といえども手抜きをせず、一人一人の個性を尊重し、「君たちはすごいんだ」と繰り返し繰り返し、力説してくれた、という姿勢です。
そういう真剣な姿勢に接すると、試験も良い点数が取れるのが不思議です。もちろん大半は、「そんな点数だと受からんぞ」と言うしか生徒を服従させる言葉を持たず、受験を控えておとなしくしているのを、自分を尊敬しているのだと思いこんで調子に乗っているアホ教師ばかりでしたが、素晴らしい先生との出会いは、そういう劣等教師の存在を忘れるほど、得がたいものでした。
経営者もまた、社員にとっては教師です。社員に経営マニュアルを読む社長、社員に説明するだけの社長、社員に自らやってみせるだけの社長では、いつまでたっても尊敬は得られず、社長も現場を離れることができず、会社はうまくいきません。
しかし、会社の使命や商品の可能性、仕事の崇高さ、今という時間のありがたさを語り、自らが強力なリーダーシップを発揮してリスクを引き受け、何があっても心から社員を信じ続ける社長に出会うと、「頑張るのがきつい」と言っていた社員も、「サボるのがきつい」と燃え始め、見事、会社の目的も達成されるものです。
小中学校や高校、大学の種別を問わず、学校教育において何か問題がある時、全ての責任は教師にあります。
生徒を批判する教師など、教師の資格はありません。それは、教師は教育指導において生計を立てている者だから。「近頃の学生は○○だ」と言う教授は、自分が何の仕事をしているか理解できていないか、それとも自分に頑張った経験がないため、実践の達人ではなく評論の達人になったのでしょう。
カネをもらっている限りは、「うちの客はバカだ」とは、絶対に言ってはいけません。どんな生徒が来ようと、「私に任せてくれれば、絶対に立派に育ててみせる」と言い切れる教師でなければ、税金で雇用すべきではありません。
だから僕は、自分の意見ですが、学校の先生には給料を一○○万円くらい払ってもよいと考えています。学校は未来を作る工場なので、税金は思い切って投入すべき。そして、ダメ教師を即刻クビにすればいいのです。
多くの若者の心に火をつけることができる教師が、責任を持って子供の育成に当たれば、日本は必ず復活します。そうすれば、教科書を学んだり、説明を聞いたりといった作業は、もっと手軽なものになるはずです。
今、「おまえら、どうして勉強しないんだ!」と怒鳴っている先生は、「おまえら、どうして休まないんだ!」と言うようになるでしょう。
FUNで企業取材を活動の中心に据えているのは、ひとえに、世の中でトップの責任を担って活躍している人に会うと、心に火がついて学びをやめられなくなるからです。感動ほど強烈なインパクトを持つきっかけはありません。
社長取材に行った学生を見てみて下さい。自分の専攻が何であったかも忘れ、毎週ブックオフで経営や人生に関する本を買い、「自分の憧れる○○社長みたいになりたい!」と、日夜勉強に励むようになります。
そういう学生に「おい、少しは休みを取ったらどうだ」と言っても、「でも、勉強や取材が楽しすぎるんです…」と真剣な悩みを抱えていることに気付きます。もう、治療不可能です。感動したら、もはや手遅れ。自分のすごさを知ってしまったら、もう後戻りはできません。
そして、「もう後戻りはしない」と決意できる勉強こそが、本当の実力になるのです。そうやって未来の自分の姿を描き、心から同意して行動を起こし、日々少しずつ成長していく多くの学生の姿を見ることが、今となっては僕の大きな生きがいです。
今日は五人も新しい仲間が入部し、今年の展開は一体どうなってしまうのか、楽しすぎてやばいんじゃないかと、またまた心配になってきました。
身近にいる友達、後輩に対し、「心に火をつけてくれた恩人」と言われるよう、些細な行動にも大きな意義を込めて語り、友達の言葉に耳を傾け、思いを認め、夢で自己表現をしていきましょう。別に学校だけじゃなくても、人は皆、関わる人に対して、何かの分野で教師になれるものです。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
ただ今、教育・学校部門43位、就職・アルバイト部門27位です。
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