■「内定への一言」バックナンバー編


「社会科学が自然科学と違う最大の点は、実験ができないことである」



昨日の女子大FUNゼミでは、言い古されたこの言葉を引用して、社会主義と資本主義の根本的な差についてお話ししました。


法学、経済学、政治学、商学など、いわゆる「社会科学」と呼ばれる学問は、医学や物理学のように、直接人間や生命を扱うのではなく、理念や制度、あるいは政策における活用といった手法で人間や社会を相手にします。


現代はどんな人にも権利が与えられている時代ですから、人間を動物やモノのように扱い、恣意的にあるシステムの下に強制的に置くことは、厳しく戒められます。

というのは、誰でも考えれば分かることですが、この「実験がきかない」という社会科学の前提を無視し、国家や地域という巨大な人間集団に対して実験を行った国家が、旧社会主義国だとお話ししました。



持ちたいものを持ちたい、生きたいように生きたい、望むことを話したい、意欲を感じる職業に就きたい…。など、人間には基本的な欲求がありますが、それを否定し、あるいは認めず、国家や政府が勝手に法律や制度を作って、違反する人を罰しながら国家運営をすることは、どんなキレイ事で飾られようが、やはりおかしい実験です。


僕が中学~高校生の頃は、まだ社会主義思想丸出しの社会科教師などがいたものですが、それでも六十~七十年代に教育を受けた人たちに比べるとまだマシだったようです。



これらの人は、今は大抵失業し、あとは国公立大学の教職員として残るだけで、今では貴重な化石となりました。思い出せば、僕たちの世代が習った地理や歴史の教科書は、旧ソ連や中国の社会制度ばかりを紹介し、抑圧された庶民がさらにいじめられ、体制転覆を試みた人ばかりが紹介され、どこの国の教科書だ、と言いたいくらい卑屈さと無機質さに満ち溢れていました。



そんな授業が面白くない、と先生に逆らい、授業中に居眠りして、成績も悪かったというのは、良いことです。あんな授業が面白いと思えるのは頭がおかしいのであって、子供は英雄の話や感動のエピソード、なるほどと思うような話を紹介すれば、誰も寝たりしないものです。



退屈なものに対して眠たくなるのは健全です。僕は「大学の授業、眠くて死にそうだった」と言う学生を見て、「日本の未来は明るい」と希望を感じます。


本当に素晴らしい教師の授業や、尊敬する先生の授業では、「いつの間にか時間がたっていた」、「あの授業だけは絶対出る」と思うものです。そういう力量がない教師が、制度を逆手にとって、自分たちだけはハンディを負わずに、子供たちだけを一方的に処罰できる、というのが社会主義ですが、最近は教職員にもテストが導入されたそうで、どんどんやるべきだと思います。



教師は忙しい仕事ですから、立派な先生には、月一○○万円くらいの税金を払っても惜しくありません。学校は本来、日本国の未来を作る大切な場所ですから、子供たちの夢をガンガン製造して、日本の未来を担う、強く温かく優しい子供をいっぱい育てるべきですよね。多少悪さをしたり、わんぱく、やんちゃな方が将来性があるというものです。

僕は日本の学校は、きわめて社会主義的な制度で子供に対して実験を行う監獄だと感じることがあります。


「教育」という名の拷問が日々行われ、生き生きとしていた子供たちの目は荒んでいき、十年以上もサラリーマン並みの時間を学校に捧げたのに生きる希望も育たず、「自分は人にどう見られているか」、「試験で成績が悪かったら叱られる」といった、人生からすればどうでもいいようなミクロな問題が気になるような神経質な子供になり、徹底して「勉強は楽しくないものだ」と洗脳されていく…。


大学に入ったら、巨大な反動で遊びまくり、就職の時期を迎えて「あんたたちは月十八万円くらいだ」と言われれば、疑おうともしない。毛沢東やスターリンが生きていたら、なんと従順で扱いやすい国民かと、泣いて喜びそうな態度です。

ゆとり教育とか、総合学習とか、そういうのは非常に美しい言葉で語られ、「子供の意欲がみなぎり、家庭にも平和が訪れる」はずでしたが、結果はどうでしょうか。



七月頃、ゆとり教育の見直しが決まって文部科学大臣が東北のある中学を視察した際、「僕たちだけ理科や数学の難しいところを習わなくて、その上と下だけは学んでいるそうですが、一生勉強できないんですか」と中学生が質問したそうです。



大臣は返答に窮したようですが、「塾に行きなさい」とでも思ったのかもしれませんね。塾は気に行ってもらえなければ捨てられるだけの「完全私製学校」なので、今や塾の方が、よっぽど人間的な教育をしているのでしょう。僕は入塾テストで落ちたので、行ったことはありませんが。



人間に対して実験を行うと、「話が違う」、「あれは何だったんだ」、「もっと自由にやらせてくれ」と反発を食うものです。人間の知力とは所詮その程度で、経済現象や教育制度について万能の予想をめぐらすことなど、どんなエリートにも不可能なことです。(「ハイエク~マルクス主義を殺した哲人~」渡部昇一・PHP研究所)



失敗したら、やり直せばいいのです。失敗しそうだったら、批判すればいいのです。上に立つものも、批判や忠告に謙虚であればいいのです。そうして少しずつ、人も社会も賢くなるものです。



しかし、社会主義では失敗を許しません。そういうのは、理論上「ないことになっている」からです。「例外」は強制収容所にぶち込み、処刑すればいいからです。社会主義なら、農業は豊作で、工業は効率的に発展し、教育は幸せをもたらす…「はず」でしたが、そうはなりませんでした。



そういう理想を叫んだ政党は、今では絶滅寸前の議席数にまで支持を減らしており、選挙のたびに発表する無理な現実解釈のコメントは、その辺のお笑い番組よりよっぽど笑えます。「すごいレトリックだなぁ」と感心しますよ、ほんと。もう日本の政治や教育にとって、こういう政党は何の存在意義も持たなくなってきているので、一議席くらい残しておいて、二十世紀を懐かしむのもいいかもしれません。

失敗を怖がる日本の子供たち、受け入れたくない現実に遭遇したら、すぐに現実をリセットしてしまう子供たち、嫌なことがあったら一方的にメールで片付けようとする臆病な子供たち…。全て実験教育の成果です。本当は持たなくて良かった性格、感じなくてよかったストレスや恐怖と、これから一生同伴するなんて、本当にかわいそうです。


経済思想や社会通念は、実態がつかみにくい分、排気ガスや水質汚染並に恐ろしいものです。皆さんもしっかり社会や経済を勉強しましょう。人生を実験で終わらせるのはいやですよね。


今日もお読みいただき、ありがとうございます。

ただ今、教育・学校部門43位、就職・アルバイト部門27位です。

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