■「内定への一言」バックナンバー編
「我々は自分の持てるものの価値や恩恵を忘れて、
それより劣ったものに飛びつくことがよくある」
(渡部昇一)
今日は大濠公園でボートに乗って、ちょっと筋肉痛です。家から近いので、もう何回乗ったか分かりません。亀やカモを近くで見ると、すごくかわいいですよ。30分500円なので、大学の授業の半額以下です。ぜひ乗ってみてはいかがでしょう。
さて、ご存知かもしれませんが、FUNは「酒なし、コンパなし」のサークルです。別に禁じているわけではありませんが、そういう内容が話題に上ることは滅多にありません。
みんな、夢の方が酒よりアルコール度が強いのを知っているのでしょう。あるいは、コンパなどで出会う人よりも、輝いている社会人の方が数倍カッコいいのを、知ってしまったのでしょう。
そのためか、「実家に帰って同級生と話すと、友達がえらく幼く感じた」とか、「親から、そういう勉強をしてほしかったと喜ばれた」といったコメントを、毎年のお盆明けに聞きます。
そんなFUNで、学生の皆さんが特に興味があることを挙げてみると、①語学、②教育、③会計の3つに集約されるでしょう。とにかく、この3つのどれかに関心を持つ学生さんが多くいます。
その中で、特に語学に興味を持つ学生さんにいつも紹介しているのが、「英語教育大論争」(平泉渉・渡部昇一/文春文庫)です。この本を読み終わった学生さんからは、まるでお盆に帰省した後のように、「社会人との英語教育の議論で負けなかった」とか、「友達の話が幼く感じた」といった感想を聞きます。
英会話学校の営業を論破するくらい、わけなくできるでしょう。逆に、この本を読めば、大抵の人を生徒にできるでしょう。語学教室系の会社に内定をもらった方は、読まれてはいかがでしょうか。鹿児島にいるOさん、高知大学のEさん、おすすめの一冊ですよ。
本書は、自民党の政務調査委員だった平泉さんと、上智大学教授の渡部さんとが、「話す英語vs読む英語」について行った大激論の成果を、時系列に従って詳細に収録した作品です。
今から30年も前に行われ、参議院での参考人招致まで進むほどの国民的ディベートとなり、英語教育に関するあらゆる論点が網羅された一冊として、語学に携わる人には必読の書と言えます。
朝日や毎日が送り出す論客を次々と論破し、生涯、議論において負けなかった山本七平さんも、二人の議論を「近年まれに見る好論戦」と評し、英語教育でそれなりの評判を得ている学者や教育者の本にも、時々引用されています。
今、フィンランドに研修旅行に行っている福岡女子大・英文3年のTさんにも、1年生の時に紹介したのですが、「めちゃめちゃ面白かったです!」という感想でした。現在、鉄鋼商社で働いている西南商卒のK君も、「お互いの議論が深くて勉強になりました」という感想でした。
西南4年のI君、この前のブックオフツアーで探しまくった絶版の本書が、探したらうちに2冊あったので、今度差し上げますね。
平泉渉(わたる)さんと言えば、Business Cafeで紹介した「物語日本史」(講談社学術文庫)の著者である平泉澄(きよし)さんの息子です。福井の名門・平泉家は、ゼネコン大手・鹿島建設の創業家とも姻戚関係にあります(「閨閥」神一行/講談社文庫)。
そんなわけで息子の渉さんは、東大法卒、在学中に外交官試験合格、背が高い、ハンサム、スポーツ万能、社交的、超お金持ち、名門大学留学、政府与党のホープと、日本社会で羨まれる全ての要素を備えて論壇に登場し…。
「日本人は中学校から何年も英語を学んでいるのに、全く話せないではないか。このような英語教育は間違っている。会話重視の教育方針に切り替えるべきだ」という持論を展開しました。
この「平泉試案」については、本の中で確認していただくと分かりますが、日本人が英語教育や受験に対して感じる複雑な思いを、ほぼ全て代弁した企画書だと言えます。これを、受験に敗れた学生や、英語が苦手だったおじさんが言っても、誰も聞かないでしょう。
しかし、誰もが感じていた「恨み」と「疑問」を、自民党の若手エリートが取り上げたのですから、その反響や効果は大きなものでした。「そうだそうだ、会話を重視しろ」という声が、あちこちから上がり始めました。
それに対して、「平泉試案は、始めから終わりまでことごとく間違っている」と反論したのが、ノーベル経済学賞を受賞した学者の通訳をこなすほど英語ができ、英語教育に関しても膨大な著作がある、上智大学の渡部教授でした。
この、アメリカ人よりも英語が出来る二人の日本人が、英語教育の未来について語ったわけですから、面白くないはずがありません。「議論は明解、論点は単純、誰でも実感と経験がある話題」という条件を備えた一大ディベートの結果は、ここでは書きません。ぜひ本で実際に味わって下さい。
今回のメルマガでは、「読み書き重視の英語教育」を主張する渡部教授の意見を紹介するにとどめておきます。
①会話ができなければ「学習成果」とは呼べないと言うが、それでは英会話に全く不自由しない東南アジアやアフリカ諸国は、なぜあんなに教育レベルが低く貧しいのか。
②旅先の会話や留学の用を足すことなど、語学の目的からすれば微々たる部分を占めるに過ぎない。いっぱしの内容がある小説や論文を母国語に翻訳できる語学力の方が、学校での語学教育では優先すべき目標である。
…なるほど。言われてみれば、ペラペラと英語を話すのが巧みで、ハリウッドスターのようなあいさつをこなせても、話の内容は全然面白くないという外人には、僕も海外勤務時代に何度も会いました。
でも、学校でそこまでのレベルを要求するのはやや厳しいので、会話を取り入れてみてもいいのでは…と思いながら、次へ。
③英語に対する劣等感を克服しようと、幼児期から英語ばかりを学んだ人間ほど、成長するにつれて英語同様、日本語まで駄目になる。国語や漢文の素養なしに外国語に習熟した大学者は一人もいない。
読み応えのある国語論や文学作品を発表した人は、「英文学科」の出身であって、「英語学科」の出身はいない。
…確かに、卓抜な日本論を展開した山本七平は英語とヘブライ語、戦後日本の世論をリードした清水幾太郎は独・仏・露・英語、著書600冊を超える竹村健一は英語、仏教戯曲を残した倉田百三は英語…などなど、戦前も戦後も、外国語を極めた人ほど、日本語に精通しているようです。
④植民地の語学教育の目的は「進駐軍や欧米人から仕事をもらうこと」だが、独立国家の語学教育は「原典を正確に理解し、母国語に吸収すること」である。
日本では聖徳太子以来、「原典精読」こそが語学学習の王道であり、西欧で強国となったイギリス、ドイツ、フランスも全て、ラテン語かギリシャ語の原典精読の経験を伝統として持っている。
文化吸収や国民教育の視点から考えれば、文化や思想の精髄である文学作品、学術書を母国語で国民に普及させる方がよっぽど貢献度は大きく、英会話など補足的な目的に過ぎない。
「長い間勉強したのに話せない」という悔しさは分かるが、わが国の外国語教育はそもそも、「話す」などという低い目標のために行われているのではないので、大衆に迎合して英語教育の主眼を見失わないことだ。
…アフリカや東南アジア、南アジアの国々は、母国語に優先させて英語を公用語にしましたが、その結果は見るも無残な母国語の衰退でした。
確かに、「会話」は顕在的な能力の発露で、視覚的にも体験的にも「成長」が確認しやすい目的ですが、会話で得られるものは「個人的体験」の域を出ず、訳読や精読とは区別するべき、というのもよく分かります。
これはつまり、「日本人ほど外国語ができる国民はいない」ということにもなり、面白い意見です。
渡部教授のこのような、歴史や語学教育史を踏まえた詳細な議論に、平泉さんは再度、詳細な反駁を加えます。それもまた、見所満載です。そして、渡部さんがその反論に対し、また応えます。
大論戦は双方譲らず、日本古来の教育や文化史、世論、エピソードを交え、とめどなく広いものに展開していきます。最後は、英文学者の鈴木孝夫氏が司会者となって「公開討論」が行われ、その成果を振り返って、平泉さんと渡部さんが「後日談」を寄せる形で、本書は終了します。
結果は本で確認してもらうほかないのですが、僕は本書の意義は、日本古来の語学学習法を現代に紹介した点にもあるのではないか、と感じました。
僕は訳読も会話も好きで、双方の議論のいちいちに「なるほどなぁ」と納得しながら、だいぶ前に読んだのですが、どちらかというと20歳で海外勤務を経験しただけに、若干「会話主義者」でした。でも本書を読んで、「英会話だけが英語の目的じゃないんだ」と、はっきりと分かりました。
特に印象的だったのが、「我々は自分の持てるものの価値や恩恵を忘れて、それより劣ったものに飛びつくことがよくある」という渡部教授の言葉でした。
内定をもらった後にFUNを無言でやめ、時を惜しんでくだらない遊びに熱中する学生も、その例の一つだと感じました。まるで「新車のベンツを捨てて、ポンコツカローラに乗り換える」みたいなことを、実際にやる学生がいるのです。本人の目には、ボロ車の方がカッコよく見えるなら、それでいいんでしょうが…。
転職や結婚で同じパターンを繰り返さないよう、祈るばかりです。
さて、その「価値や恩恵」とは、どういうものに込められていたのか?聖徳太子、菅原道真、法然、親鸞、荻生徂徠、伊藤仁斎、山崎闇斎…などなど、日本の行く末を決定した政治家や思想家、学者は、並々ならぬ苦労を経て中国文化を吸収し、中には本家の中国に逆輸入されるほどの作品を残した人物もいます。
そのような人たちは、会話は達者でなかったかもしれませんが、中国人より深く中国文化の本質を見極め、そのエッセンスを日本語に結晶させているのです。
このような学問的伝統があったからこそ、明治維新ではそれと同じ態度を西洋に対して発揮し、開国後数十年で、名だたる大国の学術書や文学作品の全集をことごとく揃えるまでになったのでしょう。
これは、考えてみれば、なんと巨大な文化的遺産でしょうか。日本以外の国で、どこかこういう偉業を達成できた途上国があったでしょうか。他国は留学生は送り込んだものの、期待のエリートたちは特権階級となって無国籍化しただけです。
二人とも、議論の立場は違えど、このような文化的背景を踏まえ、敬意を表して議論を進めているのは、立派な態度だと敬服しました。そのような二人が行った論争だったからこそ、国民的関心を集めたのでしょう。
春からFUNに入部した西南法4・I君は、マネー塾で得たヒントを生かして、この夏からミニ事業を始めました。英会話に関するプチ・ビジネスです。まだI君も事業案を模索中のようで、詳細は今後詰めていくのでしょうが、心がけと熱意が立派なので、「そうだ、あの本を紹介してみよう」と思ったことから、最近また読んでみました。
読み進めるうちに、その雑感を今日のメルマガで書いてみたわけですが、僕はちょっと、ある案を思いつきました。
それは「語学(教育)に関する名文の読み合わせ&語り合い」です。僕も4ヶ国語が話せて、今はサークル内で「韓国語塾」をやっています。語学に関する本も、趣味ながら割合多く読んできました。
その中で特に深い洞察を得た本や論文を選んで、ぜひ学生の皆さんと読み合わせてみたい、と思った次第です(☆=絶版)。
■『英語教育考』(『腐敗の時代』渡部昇一/PHP文庫に収録)☆
■『日本漢語と中国』(鈴木修次/中公新書)☆
■『私の國語敎室』(福田恒存/新潮文庫※改定・削減前の初版)☆
■『論文の書き方』(清水幾太郎/岩波新書)
■『読書と或る人生』(福原麟太郎/新潮選書)☆
他にもご紹介したい名著はいくつかありますが、この5冊は、語学と関わっていく上で外せない視点を与えてくれると思うので、もし「読んで語り合いたい」という学生さんがおられたら、ぜひメールにてご一報下さい。
参加費はコピー代だけで、1日かけて全部を読み込み、みんなで語り合える機会が持てたらと思います。では、長くなりましたが、今日はこのへんで。I君、事業の発展に期待していますよ!