■「内定への一言」バックナンバー編
「人が事故に遭うのではなく、事故が人を探す」(エルマー・ホイラー)
さてさて、今日から再びエッセイ形式に戻ります。ここ数日は、「営業塾」のレジュメ作成で、毎回のテーマ別に選定した本を要約し、自分の体験もまじえて下書きを作っていました。
その中でも、特に参考になるのが、全米のセールス史上最も有名な一人である、エルマー・ホイラーの著書です。特に『自分を売り込む法』(ダイヤモンド社/1947年)は、久しぶりにじっくり読んで、大変勉強になりました。
昔読んだ吉田松陰の本に、「環境は人を作るのではない。ただ、その人柄を顕在化させるだけだ」といった意味の言葉がありました。現代の私たちは、環境が人を決めると思っていて、自分がうまくいかなかったりしたら、それは環境や他人のせいだと決め付けて不満を言います。原因を特定したら、それはもう、評論家気取りです。
でもそんなのは嘘で、それは、その人は「逆境」に遭遇したら弱音を吐く人間だった、という事実が顕在化されたに過ぎない、と先人は喝破しているんですね。
「仕事が多い会社に入ったから、きつい」と言うのは、仕事の大変さを嫌がる人間だった、という事実が顕在化されただけ。「経済的に苦しい家庭に育ったから、勉強できなかった」と言うのは、経済的事情を限界にする人間だった、という事実が顕在化されただけ。
なるほど。確かに環境は人を作りません。前進、停滞、後退の理由を作るのは、いつも環境ではなく人の方にあるんですね。
…という内容は、二年半前くらいのメルマガで既に紹介しましたが、ホイラーの言葉はこれをさらに具体化していて、「人が事故に遭うのではなく、事故が人を探す」と言っています。
これは、一体、どういうことなんでしょうか。僕は、以前に仕事で接し、この言葉を紹介したある人のことを思い出しました。
その人は僕のお客さんで、28歳までに仕事を8回近くも替わった、という人でした。大卒でしたから、新卒の22歳から考えると合計6年で、毎年一回以上替わっている計算になります。僕は職務経歴書と履歴書を見て、「よく8回も就職できたものだ」と驚きました。そんな人には、会ったこともありませんでした。
しかしさらに驚いたのは、全ての退職事由に「一身上の都合により」と併記してあったことです。「一身上の都合って、そんなに毎年定期的に起こるものなのか?」と不思議に思ったので、「何があったんですか?」と聞いてみると…。一社一社、詳しく教えてくれました。
一社目…就職活動の時に描いたイメージと、実際の仕事が違っていた。
二社目…残業は少ないと聞いて入ったのに、毎日夜中まで働いた。
三社目…仲良くなったと思った同僚が、自分の悪口を言っていた。
四社目…させてもらえる予定だった仕事を、全くさせてもらえなかった。
五社目…企画で入社したのに、営業職に回された。
六社目…社長と専務の派閥争いに巻き込まれて、嫌になった。
七社目…社内に気が合う人ができなくて、孤立して働きにくくなった。
八社目…これからの人生を考えると、希望が持てなくなって辞めた。
大体、こんな感じの退職事由でした。
本人は前職の悪口を言う訳にもいかなかったので、よくある「一身上の都合」と書いていたそうですが、それにしてもすごいペースでした。そのお客さんは、間が空くたびにため息をついては、「はぁ~…私って、運が悪いみたいです」と自分の職歴を嘆いていました。
しかし、6年といえば72ヶ月です。72ヶ月で8回転職したということは、9ヶ月に1回、会社を辞めたという計算になります。期間に若干の差はあるにせよ、9ヶ月に1回とは、携帯電話の機種変更より速いペースです。
いくらなんでも、そんなに正確なペースで「災難」が降りかかってくるなんてことは、ありえません。そこから先は細かいので省きますが、要するに、このようなことが「事故が人を探す」なんだと、僕はその時感じました。このお客さんは、それから仕事を続けています。
世の中には、様々な問題があります。お金、人間関係、愛情、信頼、貸し借り、約束などを巡って、ほんのちょっとの「つもり」が誤解を招き、意地を張って認めなかったり、訂正すべき所で黙りこんだりすると、問題は拡大します。
このように、トラブルとはどこにでも潜んでいるものですが、その発生を察知して事前に手を打つ人には、起こりません。しかし、放置したり油を注ぐ人には、何倍も厄介になって襲い掛かります。
例えて言えば「アルコール」のようなもので、ほどほどに控えておけば、友達との時間を楽しく彩ってくれますが、度を越して飲みすぎる人を見つけると、アルコールは命を脅かすほどの凶暴さを持ちます。
アルコールそのものに意思や感情があるわけでもなく、それ自体は液体に過ぎませんが、その効用を過剰に利用しようとする人には、アルコールの方が意思を持って、その人を圧倒してしまうこともあります。
こういう顛末が、結果的には「事故」と呼ばれる現象を引き起こすわけですが、これは「人と仕事の出会い方」にも、十分当てはまることです。仕事そのものは、何らの性質も持たず、ただ「処理されるべき行為」として、組織内に存在しているだけです。
しかし、それを放置したり、甘く見たり、先延ばしにしたりすると、突如として仕事や組織が「意思」めいたものを備え、軽視した人にトラブルとなって襲い掛かるわけです。
例えば、僕のところに相談に来るフリーターの方で、最も多い悩みは「人間関係がうまくいかない」というものです。次は「給料が安い」、「先が見えない」、「やりがいが感じられない」といったところでしょうか。他にも、「残業が多い」というのも、よくあります。
これらの理由に共通する要因がお分かりでしょうか。それは、「外部に原因を求めた発想だ」ということです。
一つとして「自分が暗い」、「自分の働きが悪い」、「先を見ようとしない」、「やりがいを作ろうとしていない」、「仕事が遅い」という、自分に原因を求めた発想ではないのが、見事に共通しています。
世代、性別、経験を問わず。これはもう、トラブルの方がそのような人を探し、いじめるのを楽しんでいるとしか思えません。つまり、仕事を辞めたいと思っている人は、「トラブルのカモ」になってしまったわけです。
その証拠に、同じ会社で同じ仕事をしていて、「楽しくてたまらん」と言っている人もいます。別に、仕事に差別があるわけでもないのですが、ただ受け止め方が違うだけで、時間がたつとものすごい差になるものです。
昔のFUNには、入部の時だけ礼儀正しくて、就活が終わると部費も払わず、連絡も取らず、後輩を見捨ててひたすら「居留守」を決め込む学生がいました。そういう人は「急に忙しくなった」とか言っていたようですが、その人を知る他の人や、昔同級生だったという学生さんに聞いてみると、「ああ、そういうやめ方しそうですね」と言います。
つまり、どこに行こうが「去り際が下手」というパターンを繰り返し、自らトラブルに捕獲される仕掛けを作っているわけです。まず、今の自分を取り巻く環境は、何から何まで「全て正しい」と覚悟を決めるのが大事ですね。
今の大学は、第一志望じゃなかった?本当は、別の学部に行くはずだった?もっと別の業界に進むはずだった?「だけん何?」ってことです。
それは、その人の夢がその程度だったということを示すだけでしょう。あるいは、その程度で諦める人間だった、ということが早めに分かっただけです。
思い通りにいかなかったなら、また思えばいいだけのこと。また思うか、もう思わないかしか、差はありません。そこが、「トラブルに捕獲されるかどうか」の分かれ目で、「問題解決能力」と「問題複雑化能力」の分岐点でもあります。
いくら勉強しても、「中断する理由」や「できない理由」を高速検索するだけなら、偏差値が高いほど有害な頭脳です。そういうのは、頭がいいとは言わないでしょう。
賢明な学生の皆さんには、「進む理由」を考える時に頭を働かせ、あとは思い切って体でぶつかって、全ての経験を心で味わってほしいと願っています。