■「内定への一言」バックナンバー編


「八方塞がりになっても、上だけは空いている」



最近は、春から開催予定の「FUNマネー塾」の準備のため、2ヶ月先取りで、レジュメの下書きに熱中する日々を過ごしています。経済、金融、経済学、経営思想、創業史、財政、税金、投資、ビジネスに関する私的蔵書(この分野はおよそ320冊)の中から47を厳選し、その要点と僕の事業経験から「全12回のテーマ」に分けてお届けするので、どうぞお楽しみに。


財務・会計プログラムやスピーチ塾、作文塾、面接塾などを受けられた方はご存知かもしれませんが、僕はだいたい、2~4ヶ月先の予定のために毎日を過ごしています。


学生さんに「エントリーシートはお早めに」とアドバイスしておきながら、自分がやらないのでは、学生の価値ある時間を借用して話す資格などありません。



さて、いきなりですが、皆さんは「鉄砲伝来」を知っていますか?日本最初の鉄砲は、種子島に漂着したポルトガル人が運んできたんですよね。この偶然がどれだけ日本史を変えたかと思うと、歴史の不思議を感じます。


で、その「鉄砲」をいち早く手に入れた種子島の人は、その威力にびっくりしたそうです。ものすごい爆音がしたかと思うと、銃口の先にあった丸太は真っ二つ。鉄砲は、恐ろしい力を持った新兵器でした。


種子島の人々は、その軍事的有用性と希少性に着目し、鉄砲の破壊力の秘密が、「火薬の点火装置」にあると見抜きました。


そのため、なんとかその部分を分解して、自分で試作品を作ってみようと、あれこれ工夫してみます。しかし、相手は「鉄」


切り株に思い切り叩きつけてもびくともしません。

ひもで先端部分を縛り、思い切り引っ張っても全く動きません。

鉄の棒でいろんな方向に力を加えても効果なし。


「おかしい!点火装置の部分が開かないのに、どうして火薬が込められるんだ!」という疑問が村中に広がっていきました。「南蛮人め、おれたちをだましたな!」と思うも、悔しくて聞くこともできません(言葉が通じなかったでしょうが)。


そこで、村中の知恵者や力自慢が集まり、点火装置の突起部分を分解しようと挑戦しますが


考えることはみんな一緒。

従って、結果もみんな一緒。


はて、どうしたものか。みんなが途方に暮れます。そんな時、ある村人が「もしや!?」と閃きました。彼が鉄砲を取り、自分が想像した動作を点火装置に加えてみると


「スルッ」と、多くの人を悩ませた機械は、いとも簡単に開きました。


彼が試みたのは、「ねじる」という動作。それまでの日本の建物、住宅、機械、道具で、「接着」という状態を実現させるために人々が知っていた動作と言えば、「糊による接着」と、「釘による打ちつけ」のみ。


つまり、作るにしろ壊すにしろ、そのための動作として考えられるのは、「ガンガン叩く」とか、「力任せに引っ張る」というのが当たり前でした。それが常識。それ以外のやり方など、日本には存在しませんでした。


しかし、西洋には新たな接着方法があったのです。その技術を駆使した道具は、「ねじる」という動詞から派生したのか、「ねじ」と呼ばれています。左方向に回して開けるなど、当時の日本人には、思いもよらない方法だったのでしょう。


「ねじ」による接着は、きわめて強力でした。この縫合・接着技術があったからこそ、火薬の爆発という強い衝撃にも耐えられた、というわけでした。


さて、毎度のようにここから無理矢理(これこそ僕の発想力)、就活にこの話題をつなげてみるわけですが、このエピソードは、人生のあらゆる場面に応用できる考え方を含んでいるとは思いませんか?


就活でも仕事でも、勉強でも事業でも、人は往々にして「打つ手なし」という「八方塞がり」の状態に直面します。八方というのは、別に八つという意味ではなく、「色々と考えてみて、尽くせる全ての手段」というほどの意味でしょうが、とにかく、やれることを全てやってみて、それでもまだ不安が取れない状態が好転しないとなると、誰もがストレスを感じます。


しかし、それは「今までの当たり前」に頼ったから、必然的に生じた結果、とも言えます。前後左右、斜めの方向も、全て通路が塞がっている、さて、どうしたらいいのか


ご心配なく。焦らず急がず、冷静になって見てみましょう。よくよく考えてみればなんと、「上」だけはすっぽり空いていることに気付くでしょう。


「八方塞がり」とは、「発想のレベルを変えなさい」というサインのことだったのです。今までの考え方で行き詰まったら、もう一段高いレベルで自分を見つめ、今までとは全く違ったアプローチで、「答え(対策)」よりは「問い方(見方や考え方)を変えてみなさい、という「有り難い崖っぷち」です。


・あの人も駄目、この人にも断られた、彼も忙しい、彼女も時間がないなら、「自分でやろう!」

・数学にかけるか、英語に運を託すか、国語で山をかけるかいや、「全部100点を目指そう!」

・電通もだめ、博報堂も落ちた、ADKも筆記で落ちたじゃあ、「代理店と取引するデザイン事務所に入ろう!」


というふうに、人生では「落ち込んでしまいそうな状態」こそが、実は「一番チャンスに近い」ということが、よくあります。なのに、勝手に自分で八方塞がりを認めながら、悲劇を楽しんで、「忙しい」、「自分は駄目だ」と、勝手な自己満足に浸ったりはしていませんか?


愚痴や不満は自己満足に過ぎません。「自分はやれるだけのことはやっている。悪いのは自分以外の要素だ」と言っているにほかならないのですから。そんなことを言うヒマが、自分でやれることを何もやっていない証拠。


適度なストレス発散は健全ですが、あまり八方塞がりの状態が長引くと、精神に破綻を来たします。そうなる前に、思い切って「別の発想」を試みてはどうでしょうか。


進路を塞ぐのは、相手ではありません。社会でもありません。自分を邪魔するのは、いつも自分しかいません。松下幸之助さんも、「世間は決して邪魔をしない」と著書(「松翁論語」江口克彦・PHP文庫)の中で言っているのは、有名ですよね。


「ウチの商品が売れへんのは、ウチらの発想の限界や。お客さんや社会、時代、景気、販売店のせいにするな。今こそ、大きく脱皮する時やで。あんたがでっかくなる時やで」ということです。


有り難いですね、八方塞がり。自らの可能性を歓迎し、大きな飛躍を信じて、新たな発想がもたらす成果に、自分から果敢に立ち向かいましょう!