■「内定への一言」バックナンバー編
「人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。
人は自信とともに若く、恐怖とともに朽ちる。
青年は希望とともに若く、失望とともに朽ち果てる」
(サミュエル・ウルマン)
今日は面接塾で、「順番と言い回しの威力」を勉強しました。西南、女子大、九産、福大から集まった皆さんが、早速ノウハウを応用して「模擬営業」をしている様子が、見ていてとても頼もしかったです。受講してみて、いかがでしたか?
相手の心理に合わせて語句を入れ替えるだけで、あれほど印象が変わるのかと思うと、全てのコミュニケーションが貴重な修行のように思えてきますよね。しかし、頭で分かっても、実際に使うのは訓練が必要です。だから仲間がいます。みんなで楽しく学び、一生使えるコミュニケーションテクニックを身につけましょう。
明日は西南、福大、筑女からも新しい学生さんが来られるそうで、ますますにぎやかになりそうですね。
それから、夕方は赤坂で「ミニ対談」。「語学学習」について、大月さんと話してきました。「効率の良い勉強の仕方」について語り合った内容は、大月さんが編集し、シリーズ企画として学生さんに還元していくそうです。いつもながら、学生思いの優しい先輩ですね。
さて、今日は冒頭にサミュエル・ウルマン(1840~1924)の「青春という名の詩」の有名な一節をご紹介しました。
ウルマン自身は名声欲もなく、ドイツで生まれ、アメリカの田舎で生涯を終えた詩人・教育者でしたが、その高潔で誠実な人格が多くの人の尊敬を集め、デール・カーネギー(「人を動かす」、「道は開ける」が世界でベストセラーになった教育者)がその詩に大変感動して、多くの人に紹介したそうです。
若い頃のダグラス・マッカーサーも、ウルマンの詩にあった「年を重ねただけでは、人は老いない。理想を失う時、初めて老いる」という言葉に触発され、人生への大きな希望をもらったと伝えられています。
このウルマンの詩を日本語に訳したのは、東京電力や九州電力を創業し、「電力の鬼」と呼ばれた長崎出身の事業家・松永安左エ門です。
彼が創業した九州電灯株式会社からは、「福博電気軌道(現在の西鉄)」が生まれました。彼に感化され、私財を捧げて箱崎から天神、太宰府へと鉄道拡張に邁進しながら、志半ばにして亡くなった福岡出身の実業家・渡辺與八郎の名は、現在「渡辺通り」として、彼が世を去った時に鉄道が敷設された九州最大の繁華街・天神の目抜き通りに残されています。
その松永さんが訳した詩を読んで大変感動したのが、松下電器創業者の松下幸之助さんです。松下さんは、この感動をどうにかして若者に伝えようと、「若さに贈る」(講談社現代新書)という本を書いています(なんと、博多のブックオフに\100で売ってますよ…2/7確認)。
アメリカの田舎で青年の教育に人生を捧げた詩人・ウルマンも、こういうエピソードを知ると、なんだか身近に思えてきますね。
ウルマンは84歳で生涯を閉じましたが、「若さとは精神のあり方で、肉体的な年齢ではない」と説いた自分の詩を自ら体現したような、信念と情熱の人だったそうです(「青春という名の詩~幻の詩人サムエル・ウルマン~」宇野収・産能大出版部)。
彼は、若さと老いについて…
人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。
人は自信とともに若く、恐怖とともに朽ちる。
青年は希望とともに若く、失望とともに朽ち果てる。
と語っています。
信念、自信、希望を持つ限り、その人は永遠に若い。
疑惑、恐怖、失望が生まれたら、年齢によらず人は老いる。
彼の詩を読むと、人は「まだできる!」と思っている限り若く、「もうだめだ」と思ったら老ける、ということが分かりますね。
世の中には、「年を取るのが嫌だ」という人がいます。本来、年齢を重ねていくのは、経験を積み重ね、より豊かな精神が鍛えられていくことなので、老いに逆らおうとし、加齢を嫌がるのは、「自分に自信がない」という証拠でもあるのではないのでしょうか。
つまり、「自分が大人になることを認めようとしない」ということです。それは、「自分は子供として、青年としてやるべきことをやったという自覚がない」という不安の裏返しであり、「自分はまだ、大人になる準備ができていない」との錯覚を招きます。
その反動で、迫ってくる「社会人生活」、つまり未来が妥協と汚濁に満ちたものに映り、ついには「いつまでも子供でいたい」と、未来も現在も受け入れられなくなります。
しかし、放っておいても訪れる未来に対して希望を持てないということは、取りも直さず、「私の過去は失敗だった」ということを意味します。社会の汚れを嘆き、少年時代を美化したところで、何も解決されないわけです。
「いつまでも学生でいたい」と言う学生の大学生活は、「早く社会人になりたい」と言う学生の大学生活ほど、充実していないでしょう。
別にそれは、大学が楽しいからそう言うのではなく、人生の方向を「決めない」ことを「決まらない」と言い、大人としての責任を忌避し、不完全な準備のまま社会に出て、自分が同意していない損失を蒙るのは嫌だ、と言っているに過ぎません。
そもそも、「完全な準備」などありえないのに。私たちにはただ、一生を通じて、改善できる時間とチャンスが与えられるだけです。
つまり、行動によって新たに見つけた「理想と現実の差」に対して、信念、自信、希望をもって挑戦することを、「成長」と呼ぶのではないでしょうか。その落差に「疑惑、恐怖、失望」を見出す人が、老人だと言うわけです。失敗しないことより、成長しないことの方が、本来はずっと恐ろしいことのはずです。精神の若さがなければ、見た目や年齢面での「老い」が恐怖の対象になります。
つまり、時間がたつだけで自動的に、自分に対する「疑惑、恐怖、失望」の思いが強くなっていくわけです。ウルマンは、人間の持つこのような都合の良い自己錯覚を「老いの始まり」と説き、アメリカの若者たちに、精神の若さの大切さを教えていった教育者でした。
さて、今の就職活動の時期、学生の持つ不安は「行きたい業界が決まらない」とか、「ここだと思える会社がない」という言葉で表現されます。
しかしそれは、元をたどれば、根本的に「仕事は楽しい」と思っていないことが原因ではないのでしょうか。要するに、将来の自分や人間の可能性に対する「疑惑」です。さらに突き詰めれば、「社会に出て失敗したら、取り返せない」と思っているからではないでしょうか。
つまり、「自分には失敗を克服し、チャンスを取り戻すような力はない」という、恐怖です。自分がみじめに失敗して味わう「失望」を先取りして想像し、何もせずにやり過ごしてしまうという最大の失敗「無為」は、こうして自動的に用意されるわけです。
まさに、少年の心を持って84年の人生を生き抜いた詩人が洞察した通り、人は疑惑、恐怖、失望によって、自らを老人にしていくんですね。
ですから、学生の皆さんは、表面的な加齢に心を惑わされず、それをごまかそうと無駄な時間を使うのではなく、各年代に合わせて最高の若さを体現できるような夢と自信こそ、今のうちに育てましょう。
30代にも、40代、50代、60代、70代、80代にも、それぞれの年齢に応じた若さがあります。若いとは、別に「若者の話題に通じている」ということではありません。他人やマスメディアから話題を借りないと時間を潰せないのでは、「私の人生には話題がありません」と言っているも同然です。
「自分は、今からやろうとしていることに間に合っている人間だ」と自分を信じている人が、若い人です。何歳であれ、未来に信念、自信、希望を同伴して挑戦する人が、若い人です。