■「内定への一言」バックナンバー編


「一つの行動は、二つの記憶で終わる。やめれば失敗、続ければ伝説だ



そろそろ「大寒」ということで、一月末から二月は本当に寒いですよね。寒くなった二月よりも、寒さが強まっていくこの時期の方が、なぜか余計寒く感じます。一年で最も寒い時期に、入試や就職活動といった将来設計の試練が課されるのは、頭脳と同時に精神力や計画性も審査するためでしょうか。


寒さはそれほど苦手ではない僕も、忘れられない寒さを味わった冬がありました。それは2003年、ちょうど三年前の冬です。創業で商品企画や集客が遅れに遅れ、とうとう用意した資本金が四ヶ月で尽きてしまいました


交通費を節約するため、室見から荒戸まで徒歩で往復し、電気代を節約するため、冬の夜に暖房なしで事務所にこもり、食費を節約するため、一日二食で済ませて印刷代を捻出しくらいのことは楽勝で、本当に大変だったのはお金の作り方です。


給料を払えない経営者というのは本当にみじめで、社員が去り、仲間とは険悪な雰囲気になって見放され、何を言っても信用されず、取引先からは監視&督促の連発で、電話代が払えず裁判所に行ったりこれも、耐え抜きました。


僕にはたった一人の仲間がいたからです。このFUNを作った、当時西南大法学部三年の安田君です。


冬の深夜に、広大な住宅街を歩き回って、一晩で2,500枚のビラを一緒に投函したり、若者が住むと思われる地域を一箇所ずつ、希望を込めて訪問したり、配布するにはあまりに劣悪なデザインのチラシ一枚一枚に、それこそ「魂」を込めて配ったり…。



配り終えても、寄る場所も余裕もなく、夜の公園で眠り込んだり、一晩で15キロ歩いて告知を行ったのに、全く反響がなかったり、冷やかしの問い合わせがあったり…。



創業に比べれば、トップ営業マンになる程度のことはなんて楽勝なのか、と自分の甘さを痛感した時期でもありました。


そんな中、安田君だけはどんなにきつくても弱音を吐かず、耐えるほどに強くなり、窮地に陥るほど、斬新なアイデアをどんどん出してくれました。息抜きと休憩が下手な僕に、映画や音楽ビデオを見せてくれたり、物心両面でどれだけ世話になったか分かりません。


それから春を迎え、なんとか状況は持ち直してきたのですが、ここで安田君が大学時代の集大成として発案した「学生が実社会に直接挑戦できるサークル(つまり今のFUN)」のアイデアを、僕も顧問として応援、というか恩返しさせてもらうことになりました。


「学生が企業を取材し、本格的にビジネスを勉強するサークル」といっても、当時はどの大学にもそんな集まりはないし、学生はサークルと聞けば、「名前だけで、中身は宴会、コンパ、試験情報の交換やろ」と決め付けている状態。


「今から頑張れば間に合う!」と呼びかけても、「それは自分のことじゃない」

「就活でチャンスを作ろう!」と呼びかけても、「どうせ無理だって」

「内定に学部は関係ない!」と呼びかけても、「それは私には当てはまらない」


等々、大学生という人種には、「プラスの情報は怪しくて、ネガティブな情報の方が自分に当てはまる」とする文化が存在しているのか、安田君が熱意を持って呼びかけるほど、懐疑的で、冷笑的で、様子見的な態度が続々と立ちはだかりました。


当時の安田君は内定も決まり、あとは卒業するだけの四年生です。それが、「後輩たちが本気で勉強でき、この大学に来てよかったと言える学びの場を作ってみせる!」と、誰もいない各大学の朝の正門で、何百枚というビラを持って、まるで選挙のように立っているのです。


ある人は、「卒業まで遊ばないともったいないですよ」とアドバイスし、

ある人は、「何、FUNって?」と笑ってビラを捨て、

ある人は、「取材?学生ができるわけなかろ」と聞こえるように言い、


何千枚ものビラが捨てられました。一日に数十名から問い合わせがあり、サークルの母体ができかけるも、集まっては去り、語っては白け、続いては中断し、発足後の九月に、部員25名中、23名が退部しました。


「オレたちはもっと遊びたい」、「私は自分の勉強が忙しい」、「酒がある方が学生らしい」と、理由は様々でしたが、とにかく、二人以外は誰も安田君を助けようとはしませんでした。


何百時間もの努力、何十万円もの個人的投資、そして作り上げてきた六ヶ月そして味わった「崩壊」に近い結果。それでも、安田君は諦めませんでした。「絶対やり抜いてみせる!」と。


もし安田君がそこで諦めていれば、この半年における取り組み、挑戦の全ては「失敗」として記録、記憶されていたでしょう。しかし、FUNには続きがあります。


2003年の十月、その後のFUNを大きく支える大月さん、牛尾さんが入部しました。この二人は最初から迫力というか覚悟が違い、FUNの全ての活動に、遅刻も欠席もせず、参加し続けました。


半年の苦節を乗り越えたFUNには、部員が続々訪れました。西新のミスド、香椎のロイヤルは毎週占有エリアを広げ、増えすぎて、とうとうお店から追い出されてしまいました。


そして2003年の十二月。安田君が「この感動のためにサークルを作る」と、部員が一人もいなかった春から構想してきた「合宿」が開催されました。感動の涙、決意の言葉が溢れ、初回から大成功に終わったこの合宿の勢いを得て、初代の先輩たちは、入部時に宣言した通り、全員が志望業界に内定をもらいました


明けて2004年。わずかながら実績があり、媒体を持ち、積極的な女子大生が多数活躍するサークルとなったFUNに、春先からたくさんの学生が「入部させて下さい」と訪れました。学生、特に女子大生の口コミはすごいです。


創設の際の苦労、発足時の失敗、取材の恥ずかしいエピソード、編集や印刷の苦労、企画の大変さ。そして、学生サークルの多くがこれによって潰れるという「マンネリ化」への挑戦


2003年なら、「そんなにきついなら入りません」と言われていた内容と「全く同じこと」を話しているのに、訪れる学生たちはしきりに「すごい!」、「かっこいい!」、「自分もやりたい!」、「役に立たせて下さい!」と、まるで「伝説」を聞いたように感動して、入部を願うではありませんか


別に成功したとか、華々しい成果をもってスタートしたとか、栄光の時があったとか、そんなことを話しているわけでもないんです。しかし、今学生の前にあるのは、「普通の学生ならやめて当たり前の努力を経て、学生には不可能なことを当たり前に続けられるサークル」でした。


何があっても諦めずに続けた結果、当初の苦労や失敗、思い出したくもない屈辱の全ては、「伝説」になったのでした。「失敗」も、その先を続けるだけで、「伝説」にすることができます。同じ結果にも、二つの名前があるわけです。


今は誰もが知るアーティストも、デビュー前は曲が売れず、ライブの場所もなく、お金に困って肉体労働をしたり、方向性の違いからケンカをしたりといった経験をしています。


一方では、似たような現実に直面して、「これじゃ無理だ。諦めよう」と夢を捨てたアーティストもいます。このアーティストにとっては、販売不振や場所の問題、お金の不足、メンバーとの不仲は、「失敗」として記憶されるでしょう


だって、「そこでやめてしまった」んですから


成功したアーティストは、それでも続けました。だから、その人が売れない頃に気分休めに使ったお店や、縁起担ぎで使ったブランドや、練習に使った楽器まで、「伝説」になります。


僕がみじめな失敗を味わい、極貧の中で明日への決意を引き締め、屈辱と苦難に耐えていた頃は、はたから見ても本当に「かわいそう」と言われました。もっとも、そんな声を聞いても、僕にはスワヒリ語みたいにしか聞こえませんでしたが。


しかし今、その頃の話をして、「その頃は、この本を読んで耐え抜いたよ」とか口をすべらすとなんと!次の週、学生はその本を買っているじゃありませんか。


「計画ミスで起こった、恥ずかしい失敗だった」とあれほど言ったのに。


今、四ヶ国語が話せるようになった僕が、「最初は誤訳の連発で苦労したねぇ。この単語帳が懐かしいよ。あんまり役に立ったかは分からないけど、まぁ、当時は助かったよ」と口を滑らせると


なんと!またその単語帳を買っているではありませんか。学生さんとブックオフに行って、「安田君がよくFUNを作った頃に読んでた本だよ」と言うとカゴの中にはしっかりとその本が。僕は、そうやって今の不安や決意の先に「達成」を見つめ、自分の伝説を作ろうと頑張る学生さんが、大好きです。


ということで、今日は長々とFUN発足時のことや、僕の起業体験を振り返ってみましたが、なぜこんなことを書いたかと言えば、それはもちろん、就活でも同じようなことがあるからです。予想と違う結果に遭遇し、努力が正当に評価されなかった悔しさを味わい、日付を忘れるほどのスケジュールに忙殺され、一日で将来の決断を迫られたり


そういうことを事前に先輩から聞いて知っておきながら、いざ自分がそういう立場になると、「私だけついてない」などと言うのは、見当違いです


そのようなことは、創業社長の生みの苦しみ、アーティストの不遇時代、プロスポーツ選手の修行時代と同じで、「誰にでも起こりうること」なのです。ただ、そこでやめた行動を「失敗」と、続ければ「伝説」と、後から自分で振り返るだけのことです。


「起こったこと」ではなく、「それにどう対処するか」が自分です。だから、困難に直面したら、自分は「失敗を刻みたいのか?」、あるいは「伝説を作りたいのか?」と自問してみてはいかがでしょうか。


伝説は、何も人にチヤホヤされるから良いというのではありません。自分が思い出した時、いつでも勇気と謙虚さを与えてくれるから、誰もが持つべきだと僕は思います。


そして、ただ失敗して逃げた人の苦労話なら、暗くてみじめで無意味ですが、やり抜いた人は、失敗や苦労を語るほど、優しく強く見えるものです。何より、続けた人はかっこいいですよね。ある程度の忍耐力と継続力がなければ、人から信用してもらうこともできません。


ということで、今日は「誰でもできる伝説の作り方」をお話しました。答えは「続けること」だけ。放っておくと人間は「できない理由」をヤフー並みの速度で大量に検索し始めるので、全ての言い訳を排除し、断固としてやり抜きましょう。


そしたら春には、あなたが伝説になっています。