■「内定への一言」バックナンバー編
「魚は与えず、釣り方を教えよ」(ロシアのことわざ)
昨日の就活コース第13回は、西南、女子大、九産、久留米大、筑女から学生さんが集まり、みんな選考や志望業界のことを楽しそうに話していました。毎週水曜の就活コースは「内定」だけを目標にした勉強会ではありませんが、内定が取れないと話になりません。
昨今は色々な就職支援団体があるそうですが、「内定だけを目指しているわけじゃない」と言いながら人集めに苦労しているのは、やはり肝心の焦点をぼかしているからではないか、と思います。
やるからには、絶対に納得のいく結果を出すまで諦めない。そして、納得のいく結果が出る考え方を学び、納得のいく仕事を未来に見出す…それがFUNの方針です。
そして、そういう境地を表すのに適切な言葉が、今日の一言「魚は与えず、釣り方を教えよ」です。
「魚」とは、もちろん目標とする成果の象徴。受験なら「合格」、経営難の会社なら「お金」、出会いを求めている人には「恋人」、そして就職なら「内定」が、さしずめ「お魚くん」に当たるでしょう。
実際、人は焦れば焦るほど、性急に成果を求めます。そして、土壇場で踏ん張って集中し、さし当たっては満足できるものを得たと思ったら、状況はもっと悪くなる…というのは、社会や人生において、よくある話です。
例えば、「アフリカのある国の子供たちが、食べる物もなく、飢えに苦しみ、1分に1人のペースで5歳以下の子供が亡くなっている」…というニュースを聞けば、誰もが「かわいそうだ、すぐに助けないと」と思うでしょう。
それはそれで、たいへん人道的な発想です。しかし、動機が人道的だからといって、結果もそうなるとは限りません。
まず、なぜこの国は「幼い子供」という、社会において一番保護されないといけない立場の世代層が、真っ先に死んでしまうというような状態に陥っているのか、を考えなければ、さらに大きな悲劇を招いてしまうということです。
ある欧米の国に拠点を置く人道支援団体は、見るに見かねて、食糧や資金の無償援助を行いました。
すると…力の強い者が弱い者から食べ物やお金を奪い取り、もっと多くの子供たちが餓死しました。それを見て、「監視しないとダメだ」と思った団体職員が現地に赴き、食糧や資金が適切に配分されるよう、チェックしました。そして、渡すべき人に食糧と資金が行き渡りました。
すると…人々は一時の飢えをしのいだものの、「種」はゴミ箱に捨ててしまいました。お金に至っては、久しぶりに買い物をできるのが嬉しくて、お父さんがわずか数日で使い果たしてしまいました。それも、酒や賭博に。
そう、問題は食糧やお金がないことではなく、ましてや気候や風土条件でもなく、「人々の考え方や生活習慣」にあったのです。
種を捨ててしまうなんて、置かれた状況を考えれば信じられない行為です。酒や賭博に使うとは、親にあるまじき行為です。
彼らは政治や風土の条件もあるでしょうが、まさに「誤った教育」のために、必要以上に自分たちを苦しめていたのでした。宝くじで大金を当てた人が、その年のうちに自己破産してしまうように。
ちょっと話は飛びますが、デンマークに、ある笑い話があるそうです。
ある夫婦が、普段のように過ごしていた夜、突然「神様の使い」が現れました。その使いが言うには、「汝らが願うことを3つ、何でも叶えてやろう。ただし、1分以内に言わなければならない」とのこと。
妻は喜びと驚きで、「あなた、1分なんだって!何か欲しい物を言ってよ!」と言い、夫は焦って、「…そうだな、そういえば、おまえはフライパンが欲しいって言ってたな。よし、フライパンをくれ!」と言いました。
神様の使いは、望み通り、フライパンをくれました。
妻は「あなた、何よ!せっかく望みのものをくれるっていってるのに、フライパンなんかをお願いするなんて、バカじゃないの!あんたなんて、鼻にキュウリがくっついてしまえばいいのよ!」と怒りました。
神様の使いは、望み通り、主人の鼻をキュウリに変えてしまいました。
鼻をキュウリに変えられてしまった夫は怒り、「おまえ、何てことをしてくれたんだ!おい、使いとやら、この鼻を元に戻しておくれ!」と嘆願しました。
神様の使いは、望み通り、主人の鼻をキュウリから元に戻しました。そして、「汝らの願いは、3つとも叶えた。では、さらばじゃ」と姿を消しました。
夫婦の元には、欲しかったフライパンが一つ、プレゼントされました…という話です。
日頃から何も考えず、将来のことも想像していない人間に、いきなり願ってもいないようなチャンスやプレゼントが転がり込んできたところで、幸せになることは不可能だ、という戒めを込めた話として、デンマークではよく知られているそうです。
先に挙げたあるアフリカの人々にも、これと同じことが起こったのでしょう。
欧米が援助すればするほど内戦が激化し、餓死者が増え、悲劇の連鎖が加速する様子を見かねて、欧米諸国は支援をストップしました。そして日本に役割を押し付けました。
日本政府はODA(Official Development Aid:政府開発援助)を通じて、最初は欧米と同じように多額の資金を供与しました。日本の援助は多額だったため、政府はたくさんの食糧を輸入し、一時は難を逃れました。そして翌年、かの国の大使が日本政府に質問しました。
「日本は今年、いくらくれるんですか?」
ここでも、問題はかの国の資金不足や食糧不足ではありませんでした。助ければ助けるほど、相手は「くれくれ族」になっていったのでした。
…という負の連鎖が続いた後、日本政府が本格的に海外支援に力を入れ、創設した制度が「青年海外協力隊」だとは、有名な話です。
ある部隊は医療を教え、またある部隊は植林を、農業を、治水を、建築を、教育を、漁業を、裁縫を、タイピングを…教えるこの活動は、世界各国で高く評価されています。
台湾、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム、フィリピンなど、アジア各国で「搾取&愚民化」を行った欧米とは全く違った教育を提供した日本に対する評価や感謝の声は、僕も現地で何度も何度も直接耳にし、そのたびに「自分はなんと素晴らしい、有り難い国に生まれたんだ」と、日本人であることを誇りに思いました。
通貨危機によって高度経済成長が急にストップし、IMFの管理下に置かれ、青年が無気力に溺れて国の将来像を見失った韓国から、97年に訪問団が結成され、JICAを訪問し、「日韓教育セミナー」が富士山で開催されました。
僕はこの時の通訳(日⇔韓)をしたことが機縁で、青年海外協力隊の活動を詳しく知ったのですが、まさに「魚は与えず、釣り方を教えよ」の理念に則った活動で、素晴らしいものだと感動しました。
飢えた人に魚を与えれば、一時的に飢えをしのぐことはできます。しかし、魚は食べてしまえばなくなります。それでは、飢えた人を余計、不幸にしてしまいかねません。中国にも「慈母敗子」という言葉があって、その意味は「親が甘いと、子供は不幸になる」だそうです。
でも、「釣り方」を知っていればどうでしょう?魚というものは、どこに集まるのか?何が好きなのか?どうやったら寄ってくるのか?どうやったら陸上に連れてこられるのか?どうやったら調理できるのか…?
それを知っていれば、自らの力で「飢え」、つまり「求めるものの欠乏」を補い、要望を満たすことができます。
これは、学生の就職活動でも全く同じだと感じています。多くの学生は、FUNを訪れると、「とにかく就活が気になるんで…」とか、「とりあえず、内定が欲しいっす」と言います。
そういう学生は、取材や広告企画・作成、雑誌作り、ビジネス学習、絶版書の輪読といったFUNの活動を見て、「なんでそんなことをやるんだ?」といった顔をします。
そして、「それより、今は就活が大事なんだから、就活に直結する書類の書き方や、面接の答え方を教えてほしい」と言うこともあります。
これは、飢えたアフリカの子供が、「とにかく魚を食べさせて下さい」と言っているのと、全く同じ。もちろん僕は、「じゃ、君にはエントリーシートや面接の方法を教えてあげよう」とは言いません。
僕は別に就職指導で食べているわけではなく、本気で未来に挑戦したい学生、「自分は夢に間に合っている」と信じている学生のお手伝いをするために顧問をやっているわけで、FUNでもよく言いますが、「学生の味方」ではなく、「挑戦者の味方」に過ぎません。
釣り方はいい、とにかく魚だ、魚をくれ、と言う学生さんには、「そういうサークルもあるらしいから、そっちに行ったら?」と言うことにしています。
「おいしい魚=自分がやるべき天職」の居場所を知るため、自分の足で歩き回って「取材」をし、その仕事の本質を知るために「経営の勉強」をし、それをモノにするために広告の企画・作成を通じて「役立ち方」を学び、その結果の手応えを問うために「雑誌作り」をやる…。
つまり、「魚=企業や経営」の性質を知れば、自分からアプローチし、手に入れることができるのです。そういう「釣り方」の勉強こそ、学生時代にやるべきではないかと考えているからこそ、3年間休まず遅れず、学生さんとともに人生や経営の勉強をしています。
僕は「夢がない」とか、「やりたいことがない」といった、生きがいの飢餓状態を救うすべは、少しばかり知っています。それは、実に簡単です。僕が教えるのではなく、学生が自分で発見し、行動し、確認し、自信を深めるお手伝いをすればいいだけです。
自分で電話をかけて企業を訪問し、社長に直接質問をぶつけ、記事を書き、達成を振り返る方法を学んだ学生は、それまで「経営?別に興味ありません」とか言っていたのが、「会計とか法律って、大事なんですね!」と言い始め、自ら「金持ち父さん」や「80対20の法則」を買いに行きます。
こんなことなら、僕も筑摩書房の回し者になっておけばよかった、と後悔しています。
あなたもおそらく、最初は「魚」ではなく、「釣り方」を極めるために、あの受験勉強に耐え、今の学校に入学したはずです。
今、どちらを手に入れるために、毎日の時間を使っていますか?「釣り方」を学べば、どんな川、海でも、あらゆる魚を相手にできます。そして、川、池、海…というフィールドの違い(業界の差)や、魚の違い(職種・業務内容の差)が、楽しく思えてきます。
違うことが楽しいと思えたら、疲れは好奇心に変わります。「内定」よりは「働き方」こそ、この時期に求めるべきもの。
なぜなら、働いている自分のイメージがないところに、内定はありえないないからです。