■「内定への一言」バックナンバー編
「根無し草に花は咲かない」
二十代があと二日で終わります。二十歳の頃はマレーシアの貿易会社で働いていましたが、この十年間を振り返って感じるのは、一にも二にも「根っこを育てる時間だった」ということ。
海外勤務では貿易の基本業務の傍ら、東南アジアのイスラム文化の中で暮らす努力をし、出版社では営業と取材を学び、自営時代は資金繰りとスピーチを鍛え、そして独立では、組織運営と事業計画の立て方を学びました。
…と、こう振り返るといかにも順調だったようですが、順調だったのは僕の想像だけで、実践するといかに粗末な計画と見通ししか持っていなかったか、何度も何度も痛感してきました。
やり始めて難しさに気付くも、一度決意したからには、絶対に投げ出すつもりはない。必然的に、目的が達成された「A地点」と、始めようと思った「B地点」をつなぐのは、「忍耐と継続」になります。
そして、これを何度も続けるうちに、多少のショックでは動じない「根」が育ってきたのだと思います。
この「根」というのは、幾つかの言葉で表せます。
■日本に生まれて有り難い、日本のために頑張ろうという愛国心
■自分が役立てる分野が社会の中にあるのが有り難い、という奉仕の精神
■鍛えてきた能力を通じて人の役に立ち、喜ばれるのが幸せ、という充実感
■父の分まで二倍生き、挑戦に手を抜かず、全てを形にしてきた達成感
■来る三十代に向け、いささかの揺るぎもない決意と展望が持てる自信
ここからやっと、「芽」が出るんだなと感じます。三十代は芽を出して、それを幹に育て上げる時期だと自分では考えています。四十代から花を咲かせ、他の場所に種を蒔いていきます。
さて今日の一言は、昭和最高の文芸評論家として、文化勲章を受章した小林秀雄さんの言葉です。
戦後になって、みんなが欧米かぶれになり、揃って「日本のものはダメだ」と言い出した時、そういう風潮に動じることなく言い放った言葉です。スポーツ、勉強、仕事、趣味…全てに通じる言葉ですね。
また、渡部昇一さんも著書の中で「どっちみち人は老いるのだから、老いて暗いのは、人生が失敗だったという証拠である」と書いています。
しかるべき時、放っておいても来ると分かっていた時を迎えて、あると思っていたものがない。あるいは、ないだろうなと思っていたものがない。
例えば、老後に友達がいない、十分な蓄えがない、というその喪失感は、いかばかりでしょうか。
「花が咲いていない枯れ野の人生」を自分で確認するのは、何より辛い仕打ちでしょう。しかし、それは自分で準備した結末です。しかるべき時に暗いのは、自分の人生が失敗だったという証拠です。
大学生なら、「就職活動の時期を迎えて暗い」というのは、紛れもなく大学生活が失敗だったという証拠です。何の根も育たず、芽も出なかったということを、自分で認めているという証拠ですから。
誰でも入学したなら、卒業するのは分かっています。卒業したらどこかで自分の食い扶持を稼ぐのも分かっています。そうと分かっていて何もしなかった。あるいはやってきたことが役に立たなかった…こういうのを失敗というわけです。
そこで、根も張っていないのに花を咲かせようと焦っても、造花を買ってきてくっつけるのが精一杯でしょう。「もう、こんな自分は嫌だ!」という悲痛な叫びでFUNに入部してきた人も、数人います。
FUNはいつでも再挑戦ができるチャンスを作るサークルですから、そのような入部動機でも結構ですが、やはり、積極的な学生とそうでない学生の間には、大人と幼児ほどの差を感じてしまいます。
社会には、「仕事が楽しくない」と言う大人がいっぱいいます。ならば、なぜ彼らは働いているのでしょうか。いろいろ理由はあるでしょうが、その一つに「退職金」という存在があります。
楽しくない、叱られてばかり、手当ての付かない残業で深夜帰りばかり…でも辞めない。もはや、仕事そのものと自分の人生はわずかな接点しか持っておらず、辞めた方がその人と会社のためにもプラスなのに、それでも辞めない。だって、退職金が欲しいから。
なんというスレイブな生き方でしょう。まさに現代版・奴隷制度です。日本人は、いつから、こんなに悲しい生き方をする人種に成り下がってしまったんでしょう。
この親の態度が子供にもしっかりと伝承され、子供も「大学?楽しくないね」、「授業?出てないね」、「単位?やばいね」と言いながらも、辞めません。
そんな時間のムダを過ごすのなら、辞めた方が本人と親のためでもあるのに、それでも辞めません。だって、卒業証書が欲しいから。
親も奴隷なら、子も奴隷です。かくして、何の根も張らない失敗人生が、日本中の到るところで、今年も着々と伝承されているわけです。
子供は「就職」と言えば、毎日苦しそうな顔をしているお父さんのような生活のことだと決め付け、将来への選択を躊躇する若者も無数にいます。
僕の仕事は、そういう若者に誇りを与え、もう一回人生に積極的に挑戦する心構えと知的武装をする過程をお手伝いすることです。
言い換えれば、自分自身に、どんな風雪にも動じない根を張るサポートです。野球選手やミュージシャンだけが「プロ」というのは納得できません。確かに彼らは並々ならぬ練習に耐え、他の全てに優先させて自分の夢を追い続けた人たちだから、常人では追い付けない高い技能を持っていますが、僕は会社で働くお父さんたちも、やはり何かの能力を生かしてお金をいただいているわけだから、「プロ」としてのカッコ良さを持つべきだと思っています。
・働く父親を尊敬できる社会にしたい。
・働くことが楽しみな教育を作りたい。
・働くことが幸せな日本人を輩出したい。
この三つが、僕の創業理念です。そんな思いで日々働いていたある時、FUNの顧問になりました。
よって、FUNで学んでいることも、全ては「根」の部分です。学生はすぐに芽とか花を求めますが、どうせ倒れて枯れ果てるだけの花を与えるつもりはありません。
「魚を与えず、釣り方を教えよ」(ロシアのことわざ)のように、欲しいものは自分で手に入れられる能力と、その考え方を提供するのがFUNです。
成果自体を与えてしまうと、人は努力しなくなります。放っておいても、ギリギリで間に合わせた卒論を出せば、「卒業」という成果がもらえる学生を見て下さい。彼らの目は生きがいに輝いているでしょうか?
卒業したところで、オドオドと自信なく、会社で起こることにビクビクしながら生きていくだけが、関の山でしょう。大学時代に自信が持てなければ、それは確実に社会人生活にも影響します。
たとえ卒業できたにせよ、自信も持てない若者を社会に送り出すのが、何の教育と呼べるんでしょうか。僕はそれが大きな疑問です。
だから、二十代は自分にしっかりとした根を張りましょう。芽が出ていなくても、花が咲いていなくても、根が張れているのなら、それを素直に喜びましょう。
焦らず弛まず、力まず手を抜かず、一つの決意を自信になるまで貫きましょう。僕は器用なことは言えませんが、忍耐と継続の大切さだけは、会社の経営やFUNのお手伝いを通じて、少し分かった気がしています。
さて、来年からは「内定つかみ取り」編です。新たな一年に最高のスタートダッシュが切れるよう、メール講義を通じて応援していきますので、一緒に毎日を大切にし、なりたい自分になっていきましょう。
今年はどうも、お世話になりました。来年もどうぞ宜しくお願いします。