■「内定への一言」バックナンバー編


「自分が不幸でも、人を幸せにすることはできる



「人は何のために生きるのか」という問いを、僕はあまり考えることなく社会に出ましたが、学生の皆さんはどうですか?そういうことを、よく考えますか?


FUNで三年間学生の将来設計の様子を見てきて、今の学生さんは僕の学生時代(九四年入学)よりも、「幸せ」という言葉をよく使うような気がします。ただし、その使い方は二通りあるようです。



誰が言い始めたのか、どこから流行し始めたのか、なぜ支持されるのか全く理解できないフレーズとして、「自分が幸せじゃないと、人を幸せにすることなんてできない」という言葉があります。


僕はこの言葉は、全くの嘘っぱちだと思います。俗耳に入りやすいだけで、何の真実性も説得力もない安っぽい言葉です。



これが先に述べた「二通り」のうちの一つです。「幸せ」の使い方に二通りあるというのは、「自分が幸せになるため」と「人を幸せにするため」の二つのことです。


そして、「なぜ生きるのか」とか「なぜ働くのか」と聞かれた時、どちらを反射的に答えとして思い浮かべるかで、人生は全く違うものになると最近は考えています。


「自分が幸せじゃないと、人を幸せにすることなんてできない」は、「自分が先に幸せを手に入れてしまえ」という考え方がないと、出てこない言葉です。さらには、「幸せは自分の内にある」という思想が基盤です。


「自分の内にある幸せ」とは、一体何でしょうか。それは「おいしいものを食べる」とか、「泣ける映画を見る」とか、「お気に入りの服を着る」といった、確かに楽しいものの、一人で達成できるどうでもいいことばかりです。


もしかして、「落ち着き」と「幸せ」の区別ができていないのかもしれません。



だから、「自分が幸せじゃないと~」の言い方は、「自分が先に満足している状態になっていないと~」と全く同じ意味です。


つまり、こういう考えや言葉を正しいと信じる人たちの「幸せ」には、「相手」がおらず、要するに「自分の方が優位に立った状態でなければ、他人の状態や幸せを考える精神的余裕が持てない」という貧困な発想です。


よって、「自分が幸せじゃないと、人を幸せにすることなんてできない」を分かりやすく翻訳してみれば、「自分が志望校に受かっていないと、人の受験勉強を応援することなんてできない」と同じ意味です。世の中、そういう人が大半でしょう。


人より先に幸せになるのは、確かに快感の一つです。人が自分より先に幸せになるのを見ると辛い、嫉妬する、許せないそういう人はいっぱいいます。


そんな卑しい大衆根性を備えた人々には、「自分が幸せじゃないと~」という底の浅い言葉は、実にしっくりと来る要素を備えています。



しかし、これとは違う、誰でも分かる深い幸せがあります。それは「自分の外にある幸せ」です。

「自分が不幸でも、人を幸せにすることはできる」という幸せです。


この時の幸せはいつも「相手」の中にあり、自分が相手を幸せにするために及ぼした努力の影響や貢献度を見て、自分まで嬉しくなってくるというものです。この種類の「幸せ」には、「大切な人の幸せな姿を見るのが自分の一番の幸せ」という、自他の一致が基盤にあります。


人間の喜びとは、本来何が満たされた時に実現されるのでしょうか。確かにおいしい食べ物、好みに合う服、要望に合う地位も必要です。それがなければ、居心地がいくらか悪くなってしまうのは分かります。


しかし、それだけでは空しいのも事実。やっぱり、「大切な人に感謝された時」や、「期待以上の配慮を受けた時」以上に喜べる、幸せな瞬間はないでしょう。そして、このタイプの幸せの前に、「自分の状態」は不問です。



例えばあなたは今、多忙な就職活動に突入しようとしています。正直言って、気持ちの中には一抹の不安もあります。準備だって、十分とは言えない状態かもしれません。つまり、「幸せ」と呼べる自分ではないかもしれません


そんな時、あなたの大好きな友達や恋人の誕生日が近付いてきました。この一年、どれだけ助けられ、楽しい時間をもらったかを思えば、お祝いしないわけにはいきません。そして


「自分が幸せじゃないと、人を幸せにすることなんてできない」という思想に従った人は、「ごめん!就活で忙しくてさぁ、お祝いできないよ。また来年ね」とパーティーをキャンセルします。


一方、「自分が不幸(不安定)でも、人を幸せにできる」という思想に従った人は、「あの人が自分をどれだけ幸せにしてくれたかを思えば、今日はプレゼントを買って手紙を書き、夜は徹夜でエントリーシートを仕上げればいいじゃないか!」とパッと決断して動くことができます。


そして、あなたの大切な人は、その優しさを改めて実感させるような「就活で忙しいのに、ごめんね。でも、すごく嬉しいよ。他のみんなはエントリーシートを書いてないみたいだけど、大丈夫かなぁ。あなた、あんまり寝てないみたいだけど大丈夫?こんな素敵なプレゼントをもらって新しい一年が始まるなんて、今年はすごくいい一年になりそうで本当に幸せ。就活も絶対、一緒に明るく頑張ろうね!」という言葉で報いてくれるでしょう。


もちろん、あなたは大切な人からそんな言葉をかけられ、天にも昇る喜びです。心は天下を取ったような覇気に満ち、「就活がなんだ!自分には最高の仲間がいる!できないことなど、何一つない!」という気概を持って、また日常生活を力強く、明るく生きていくでしょう。


あなたが取った行動は、相手を幸せにしたばかりか、回り回って自分にまで幸せとやる気を与えてくれました。


一方、「自分が幸せじゃないと」派の人は、家でこたつに入り、好きなお菓子でも食べながら、「あぁ、幸せ」とでも言って、エントリーシートをまた先延ばしにしているんでしょう。



さて、あなたはどっちの「幸せ」を手に入れるため、就職活動をしようと思っていますか?「やりたいこと」なんて考えるから、一歩も進めないんじゃないですか?


「やりたいこと」なんて、どこの業者が言い出したことか知りませんが、愚かな自己満足の骨頂です。


この広い社会を見て、「してあげたいこと」がいくつかあるでしょう。身近に助けてあげたい状態の人がいるでしょう。そういう人たちに幸せを届けることを、自分の幸せにしてみてはいかがですか?



「イヤだ!自分が幸せじゃないのに、なんで見ず知らずの人たちを幸せにできるんだ」と言う人は、公務員試験や貯金など、一人で達成できる幸せを追い求めて、ひっそりと寂しく喜んでおけばいいでしょう。


「そうだ!自分は社会に必要とされている。自分の努力で幸せになれる人がたくさんいるのを考えると、業界や会社のことはまだよく分からないけど、何を知ってもワクワクしそうだ!」と思える人は、もう成功したも同然です。


一人で家にいると、どうでもいい瑣末なことまで気になってきます。そして、人に会うには精神的余裕がない、と言い出したりします。しかしこれは、全く逆といえる言動です。


人に会い、友達を勇気付けて感謝されれば、心の余裕も生まれてくるものです。一人で家でお菓子を食べてゴロゴロしていても、余裕どころか焦りと不安が増幅されるだけです。


つまり、今あなたが「自分にとっての幸せ」をどう考えるかで、就活の結果は既に決まってしまっている、ということですね。


これから始まる活動は、自分の考え方を証明してくれるだけの手続に過ぎません。打ちのめされる人は、企業や選考に打ちのめされるのではなく、自分の器の小ささと発想の貧しさに叩きのめされるだけ。


選ばれる人は、自分の考え方や日頃の精神的態度のおかげで、幸せを掴むものです。家族、恋人、友人、バイト先の仲間、先生、その他お世話になった人、そして将来出会う同僚、上司、お客様の「自慢の人」になれるよう、受かりまくり、喜びの連鎖反応が内定後までも、卒業までも続く就活を、心から楽しみましょう!


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