■「内定への一言」バックナンバー編
「目標は決まるものではなく、決めるもの」
将来を語るのに、「決まる」や「見つかる」といった自動詞を使うのは奇妙だとは思いませんか?あたかも最初から、この世のどこかに自分だけを待ってくれているような「夢」が存在し、幾多の試練を乗り越えて、それが見つかる…。そんな三流ドラマのような展開は、実際には起こりません。
そもそも、自分の選択を考えるのに「決まる」や「見つかる」という言葉を用いるのは、最初から思考に制約を課すようなものです。
例えば・・・
Aさん どの車を買うか、決まった?
Bさん いいや、まだ決まってない。
や…
Aさん どの部活に入るか、決まった?
Bさん まだ決まらない。
というような会話は、学生でもよく耳にするような種類のものでしょうが、これは「車」や「部活」が主語になっていますよね。別に文法の話をしているのではないんですが、僕は韓国語やマレー語の文法を相当勉強したので、用語や語順、シンタックスが意識に徐々に影響するのは、少しは身に覚えがあります。
上記の会話が、こうではどうでしょうか。
Aさん どの車を買うか、決めた?
Bさん いいや、まだ決めてない。
Aさん どの部活に入るか、決めた?
Bさん まだ決めてない。
随分印象が違うはずです。それは、主導権が自分と夢(対象)のどちらにあるか、全く違うから。
つまり、「夢が決まる」のではなく、「あなたが決める」のです。それに気付かず、知らず知らずのうちに周囲に影響されて、「決まらない人たち」の意識に洗脳されていませんか?心からの同意を持って将来に進みたければ、「決めた人」の話を聞き、自らの歩みを決めましょう。決めてもいつでも修正できます。
「後戻りできないんじゃ・・・」と心配する必要は、全くありません。そんなことより、心配すべきは、「優柔不断で、全てをできない理由にし、いつまでたっても進まないこと」です。