■「内定への一言」バックナンバー編


「世間なんて、たった五人




何かをやろうとする時、あるいはやめようとする時、その行動がもたらす成果がどうであるかということよりも、「人にどう思われるか」を気にしてしまうことがあります


実際、評価や「他人の目」は、強烈なモチベーションになることもあれば、決断を鈍らせる要因にもなり、やるべき時には一気にやってしまうのが重要です。


しかし、人は大抵、いつも自分のことしか考えていません。『大きく考えることの魔術』(ダビッド・J・シュワルツ 実務教育出版)は、人間心理を分かりやすく解説した心理学の名著ですが、その中に、こんな話があります。




道行く人百人に、ランダムでいきなり質問し、「今、何を考えていましたか?」と時や場所、性別、年齢を変えて何度も聞いてみた結果は。なんと、九○%以上の人が「自分のこと」を考えていたというのです


確かに、日本の朝でも、全く同じ光景が見られるでしょう。例えば…。


「髪型を変えたけど、変化に気付いてもらえるだろうか」

「今日の遅刻、叱られないだろうか」

「昨日の失敗を笑われないだろうか」

「志望校に落ちて、バカだと思われないだろうか」

「今日のあのドラマを見るべきか」


などなど、ほとんどの人が「自分のこと」ばかり考えています。


つまり、これは裏を返せば「誰も人のことなど考えていない」ということ。要は、あなたが気にしていることの大半は、他人の関心事ではない、ということです。



僕も毎週、仕事の合間に何時間もかけて講義のレジュメを作っていますが、そんなことは、学生の思考の対象でもありません。また、どの業界に学生が内定しようが、あるいは落ちようが、他の学生も、そんなことは大したことではありません。会えば慰めや祝福の声をかけたりもしますが、いつも気にしているというわけでもありません。


冷たいとかそういうことではなく、世間とはそんなものです。人は誰しも、自分のことを「気に掛けてもらいたい」と思っているほど、人のことを考えてはいないものです。



僕も十九歳で大学を辞めるとき、「何だかんだ言っても、まだ学歴社会だよ」、「せっかく入ったのにもったいないじゃないか」、「せめて卒業はしないと」、「まだやれることはあるよ」と、様々な引止めを受けました。でも、辞めるのは僕だったので、「そんなに大学が大事と思うなら、おまえが頑張ればいい」とだけ答え、さっさと中退しました。


中退時、僕は自分がどう思われるかなんて、一切気にしなかったのですが、友達は「あ~あ、もったいない」、「就職で困るよ」、「将来どうするの?」と言ってくれました。


しかし、僕にとっては、掃いて捨てるほどいる「学生時代に留学を経験」や、「○○大卒」よりも、「二十歳という日本最年少の年齢で海外勤務」の方が、何倍も挑戦しがいのあることでした。



そして、僕が海外勤務から帰国すると、当時就活でくたびれていた同級生は、「小島君は頑張ると思ってたよ」と言い、経済誌の記者になって数多くの社長相手に営業を成功させると、「やると思ってた」と言い、独立すると、「何かやると感じてた」と言うではありませんか。


僕は自分の実体験からも、改めて確信しました。周囲なんて、自分がどうなろうと「そうなると思った」としか言わないという事実を。大抵の人は、挑戦できる人や変化を受け入れられる人が羨ましいだけで、引き止めたり批評したりするのは、単なる嫉妬に過ぎません。


そんな周囲の言葉を信じて夢を諦めたり、行動を躊躇したりするのは、実にもったいないことです。



世間の誰も、僕のことなんて考えていません。あなたのことも、気にしていません。みんな、自分のことで精一杯。そういうことが分かり始めてから、ある異業種交流会に参加したとき、システム開発会社の社長さんが、「世間は五人」と言っているのを聞いて、「確かに」と納得しました。


人が自分のことをどう思っているか、も大事な時がありますが、人生において決断する時は、自分が自分のことをどう思っているかが大事です。周りが引き止めようと、チャレンジしてみましょう。


成功したり、何らかの結果を出したりすれば、その人は「そうなると思ってたよ」と言うでしょう。ということで、世間は五人です。夢を遮るものは、全て「雑音」として処理して構いません。やるのは他人ではなく、あなた本人だからです。自分のために全力を尽くせる人が、人の役にも立てます。