■「内定への一言」バックナンバー編


「貧乏人の家には、毎日、自分という泥棒が入る」


他人のお金や財産を盗む「泥棒」は、現代ではニュースにもならないくらいありふれています。大金や貴重品ではなくても、傘や自転車、辞書、本、カバンなどが盗まれたという経験は、誰しも一つくらいはあるかもしれません。


誰か分からない、あの人かもしれない、信じたくない、信じられない盗られた物が何であれ、それを失ったこと以上に悲しいのは、人を信用する勇気に動揺が生じることでしょう。

そのように、自分の家やエリアに押し入って金銭や物品を物色し、失敬する泥棒行為は、憎んでも憎みきれないものですが、不思議と誰も気付かず、恨まない泥棒がいるのは、ご存知ですか?


特に、貧乏な人の家に、頻繁に出入りしているそうです。さらには、財布や銀行口座にも、遠慮なく押し入るそうです。そんな泥棒がいるなんて、信じられませんよね。


いたらすぐに逮捕したいところですが、見えない泥棒なので、捕まえるのは至難の業です。「誰だ!そいつは?」と誰もが不思議に思う泥棒の正体とは?

実は「自分自身」だったのです。

この「自分」という泥棒は、自分しか知らないところに置いておいたお金の場所や金額まで知り尽くし、暗証番号やパスワードすら記憶し、財布の中や口座の中まで押し入っては、ありったけのお金を持っていきます。


手口は完璧で、犯行現場が多種多様にわたり、現行犯で目撃することは不可能なため、警察も逮捕することができません。FBIやCIAに任せても、無理でしょう。


こうして、この厄介な泥棒は、ありったけのお金を使い切った後は、さらにクレジットカードやローンを使わせ、未来のお金まで確実に搾り取っていきます。あなたが防御しても、「だってさ、最近、自分にご褒美あげてないよね?」と言いがかりを付け、あなたの財布からお札を抜き取ります。


「今は勉強しないといけないんだ」と言い返しても、「でもさ、今しか遊べないよ。いいの?」と反論してきます。決して暴力は振るわないという点で、優しい泥棒でもありますが、心理戦には強く、打ち勝つのは、並大抵の努力では不可能です。


こうして、一度も他人を入れたことがない部屋、他人に預けたことのない財布、他人に使わせたことのない口座から、確実に、着実に、お金が抜き取られていく人の、なんと多いことか


FUNマネー塾では、こういう金銭的悪習慣を「貧乏哲学」と呼び、学生時代に一掃してしまおうと勉強に励んでいます。稼ぎを考える前に、使い方と貯め方を訓練せねばなりません。


貧乏神に洗脳されたまま収入が増えても、余計貧乏になっていくだけです。何かと怠慢を正当化し、浪費の誘惑も増えるこの時期、会計センスを鍛え、ドイツ代表チームのような「鉄壁の守備」を固めたいところですね。それができれば、お金持ちにグッと近づけます。



今日の一冊 「新編 言志四録」(井原隆一/PHP)

幕末の儒者・佐藤一斎の言行を記録した古典。古来、政財界のリーダーが愛読し、出処進退の判断を求めた書物としても有名です。


本書はその『言志四録』から500の名言を抜粋し、訳文を付けた解説書です。僕も好きな論語孟子春秋左氏伝十八史略菜根譚などの中国古典の思想をベースに、日本ならではの武士道の考えも合わさり、学生の精神を鍛える鏡となるような、簡潔で力強い言葉が豊富に紹介されています。


言志四録」は小泉総理が就任演説でも引用したことで、ここ数年は関連図書も充実してきました。本書でなくても入門書や解説書は多々あるので、一冊お手元に置いておくといいですよ。



今日の質問 「学生と社会人の違いって?」(西南3年Nさん・女)

「学生と社会人の違い」について、社会人は「学生はいいね」と違いを示したがりますが、それは「稼いでいる(お金)」、「働いている(時間)」という二つの事実を根拠に、そう言っているだけでしょう。


そんなのは、「唯物論」的な区分けに過ぎません。「いいね」と羨ましがりながらも、実は優越感を持っているからこそ、そういう言い方をするのだと思うし、学生もまた、それを真に受けて「社会人はすごい」と思い込んでいるのではないでしょうか。


つまり、多くの社会人と学生は「仕事は勉強より尊い」と思っているのです。

僕はこの意見に反対です。勉強すべき時に勉強するのは、仕事と比べるのは筋違いの「尊い行動」です。そういう勉強ができてこそ、尊い働き方ができます。


元来、両者は比べるものではありません。「嫌だ」と言われる仕事は「強制された行動」です。働かないと食えない、サボると評価に響く、評価が下がると転職で不利になるいずれも外付けの動機ばかりで、「おまえは奴隷か?」と思ってしまいます。


そんな動機でダラダラ働いていても、外見だけはスーツを着ていれば、一応「社会人」には見えます。特に経験がない学生は、スーツだけで大人だと考えます。

しかし、学生の方が、どう考えても社会人より大変でしょう。だって、サボっても誰も止めてくれず、下を求めれば限りなく下の人間が無数にいて、何を言おうと、諦めようと、自分の無為や怠慢を正当化してくれる人もゴマンといます。


自分の意志で自分を動かさない限り、際限なく人間が腐っていく大学とは、恐ろしい場所です。給料や解雇といった外的要因が作用せず、強制されずに自由意志で行動を律するのは、仕事よりよっぽど大変です。


単位を落としたって、損するのは自分だけ。別に顧客や上司が困るわけでもありません。そんな存在は、学生生活にはいません。いわば、「連帯保証人」がいない生活です。

だから僕は、強制されずに学問の課題を選び、空いた時間を勉学に投資し、少ない収入でも節約してやりくりし、誰が評価するともしれない知的好奇心を保ち、知的達成へと努力する学生は、そこらへんの「ニセ社会人」より、よっぽど立派だと思います。


その点、社会人はサボれば会社がクビにしてくれるし、成績が悪ければ「役不足だ」と外してくれるし、失敗すれば収入か地位の減少・低下といった反応があります。つまり、「明確に見える形でのリアクションの中で努力できる」。社会人とは、なんと楽な環境でしょうか。

学生は夢を発信しても、まともに応えてくれる友達は少ないでしょう。どれだけ一生懸命レポートを作っても、感激して評価してくれる教授も少ないでしょう。均質化された人間環境の中で、反応を求めて苦しみ、反応がないだけで、自分を否定してしまうことすら、多々あると思います。


学生とは、なんと辛く、本質的な努力が求められる身分でしょうか。

ということで、「学生も社会人も、別に変わらない」というのが僕の意見です。本当に努力した経験のある社会人は、学生の可能性を尊敬し、その開花をじっと待つ忍耐力があるものです。やっていることは「勉強」と「仕事」で違うように見えます。


しかし、双方が二つの立場において「やるべきこと」である点では、全く同じです。

「違う」と思うと、怠慢や欠落を正当化してしまいかねません。「違い」を求めるなら、それは尊敬と建設的好奇心からなされるべきです。「これが普通なんだ。だから自分も頑張らないと」と考えることから、報われる努力が始まります。Nさん、答えになっているでしょうか?