◆「内定への一言」バックナンバー編
「己の善をなさんが為に、人を損なうことなかれ」
おはようございます。水曜の「合格エントリーシート講座」で、「良い志望動機」を説明した際に「うまい棒」を例え話に使ったせいか、昨日は一日中、何度かうまい棒を食べたくなった小島です。
「うまい棒」の卓抜なマーケティングについては、業界ゼミでも引用しました。
流通競争激化で「昔ながらの駄菓子屋さん」が続々と廃業し、うまい棒の販売店が減った結果、味を懐かしむ人からの注文が増えて、結局は全国のスーパー、コンビニに並ぶようになり、知名度と販売量が激増…。
すごいぞ、「やおきん」。
http://www.yaokin.com/top/top.html
(なんだ、このHPは?ちなみに、新卒採用もやってます)
こういう「単品で全国制覇」の商品を持っている会社は、経済誌記者をやってきた僕もすごく好きです。
ちなみに、うまい棒の袋に印刷されているキャラクターは、「うまえもん」という名前だそうですよ。どこかで、似たような名前を聞いた気が…。
というか、FUNにも1字違いのハンドルネームを持った学生さんがいたような…。
さて、福岡都市圏に在住の読者の皆様は、月刊誌『forFUN』の最新号はもうご覧になりましたか?今月は、阿蘇山の風景を撮影する西南4年・D君の姿がかっこいい雄大な表紙です。
今月号の特集は、表紙にも書いてある通り「偉人たちの言葉」で、FUNの学生さんたちが指針にしている言葉がたくさん紹介されています。まだ持っていない方は、就職課でどうぞ。
中には、本メルマガでご紹介した言葉もチラホラ見つかり、間接的ながらちょっと幸せを感じてしまいました。
その中で、7ページに福岡女子大3年・T地さんが紹介している「己の善をなさんが為に、人を損なうことなかれ」という言葉があります。
これは、去年の「FUN Business Cafe(毎週土曜朝の読書会)」で読んだ『青年の思索のために』(下村湖人/新潮文庫※絶版)の中で登場する言葉です。
その当時も今も、参加者からは非常に共感を集め、皆さん色々と思い返すことがあったようで、特にT地さんは強く思うところがあったようでした。
「己の善をなさんが為に、人を損なうことなかれ」。
「自分が良いと思うことをなそうとして、人を損なう悪を犯してはいけない」というほどの意味です。
あるいは、「自分がやりたいことを優先して、人を蹴落としてはいけない」とも取れます。
著者の下村湖人さんは、東京大学の英文科の学生だった頃から東洋哲学や古典に親しみ、同人誌では「内田夕闇」というペンネームで、既に高い評価を得ていた方です。
戦前は古典や教育の研究に打ち込み、戦後は教育現場があまりにひどい荒廃を見せるようになったので、友人と一緒に私塾を作り、若者の教育に人生を捧げた教育者でもあります。
もっとも、今の学生さんには「次郎物語」の著者だと言ったほうが幾分分かりやすいかもしれません。FUNでは『論語物語』の著者として誰もが知っている教育者ですが…。
その下村さんは、戦後になって人々が「自分のやりたいこと」、「自分の成功」、「自分の幸せ」ばかりを最上の価値と見なすようになり、他者への思いやりがなくなったことを深く憂えていました。
「自分がいいと思うことをやる」。
確かに一理ありそうです。場合によっては、もちろん社会へ及ぼす影響も良いものだろうし、さして問題がありそうには思えません。
しかし、皆が「自分が善いと思うこと」ばかりにこだわり、そのために周囲を蹴落とすような生き方をすれば、却って全体を後退させることになる点に注意せよ、というのが『青年の思索のために』のメッセージです。
「自分が自分が、と出しゃばり、人の活躍の機会を奪い、人に先んじて自分の手柄ばかりを立てようと躍起になる人」は、その人の視野においては「前進」をしていると思えたとしても、全体から見れば悪の元凶でしかありません。
また逆に、広く長く全体の利益や幸福を見通し、自分が引くべきところは潔く引き、仲間や後進に優しく道を譲ってあげられる人であれば、自分は「後退」していても、全体は「前進」を遂げることができます。
そうして社会全体を見渡してみれば…
「人を退けても自分が進みたい」、「人を不幸にしても自分は幸せになりたい」とあさましい執念で頑張る人がよしとされ、全体を前進させる余裕が不足しているのではないか…
というのが、本書における下村さんの洞察です。
野球では巨人が、サッカーではレアル・マドリードが、他チームには到底捻出できないほどの巨額の補強費や年俸を投じても、その戦力に見合った圧倒的な勝利を収められないばかりか、失望されるほどの結果に終わったのはどうしてでしょうか。
補強が発表された時は、誰もが「優勝間違いなし」と騒いだのにもかかわらず。
それは、「スター選手」ばかりを集めて、全体の調和を考えていなかったためかもしれません。
スター選手は、他チームにいる時こそ、「よく走る人」や「よく守る人」、「チャンスを譲ってくれる人」、「自分のために犠牲になってくれる人」に支えられ、スターたる実績を出せてきたわけです。
つまり、「自分一人でスターになった」というわけではないのです。
してみれば、全チームから高額でスター選手を引き抜き、人も羨むばかりの強力打線、強力フォワード陣を揃えたチームは、意に反して弱体化するのは、当然というほかありません。
だって、そこには「俺が主役だ」、「目立つのはオレだ」と考える人ばかりが集まる傾向が強くなり、スターのために道を譲る人はいなくなって、逆にチャンスを奪い合う人ばかりがひしめくことになるからです。
みんながホームランを狙おうとすれば、確実にランナーは減るでしょう。つまり、「打点も減る」ということです。打点が減れば、前のチームでスターだった選手も、そのチームではお寒い成績しか残せないのは自明の理です。
「強い個人」を集めた組織が予想外に弱くなり、素直で謙譲の美徳を備えた個人を集めた組織が強くなるのは、こう考えれば実に道理に適っています。
FUNもまた、無名の学生たちが地道に企業取材やビジネス勉強会を続けているだけの一サークルに過ぎませんが、多くのサークルがマンネリ化して自浄作用をなくす中、年々質と規模を同時並行で増強させているのは、ひとえに「譲り合い、認め合う」という組織の習慣があるからでしょう。
チームはこのように、「チャンスを作る人」と「チャンスを生かす人」の相乗効果があってこそ始めて勝てるわけで、いくらチャンスを作るのがうまくても、生かす人がいなければ意味がなく、生かすのがうまくても、作れなければ同様に無意味です。
「己の善をなさんが為に、人を損なうことなかれ」は、何も巨大な社会や国家で考えるまでもなく、学生のサークルやバイト先の居酒屋などで考えても十分適用できる、深くてシンプルな真理ですね。
さて3年生の皆さんは、これから就活で自己PRなどを行うでしょうが、「己の善」をアピールしたりはしていないでしょうか。
もちろん、常識的な範囲での自己成長をもたらした「独善」であれば、堂々と表明すべきです。一人で強い意志を持ち、何事かをやり遂げるのは、それはそれで非常に価値があることです。
しかしそれ以上に価値があるのは、目立たなくてもいいから、自分が属するゼミやサークル、バイト先などの発展と幸福のため、進んで目立たない役割を引き受けて頑張った、という経験ではないでしょうか。
もちろん、謙虚に心にとどめておけばいい経験を自慢の種にするのがいつも良いわけではありませんが、しかし、そういう「脇役」的な役割の方が、目立ちたがりの主役タイプよりも、実はずっと高く評価されるものです。
企業経営は言うまでもなく団体戦なので、当然ながら、採用の際は個人プレー以上に「組織の中での振舞い」を注意して観察します。
ですから、「全体の中で目立った経験がない」とか、「人に自慢するような華々しい経歴がない」などということを不安視する必要は全くありません。
目立たなくても、「全体の前進」を重視でき、そのためには必要とあらば「自分の後退」も笑顔で引き受けられるような学生であれば、「TOEIC900点の自己中心主義者」よりよっぽど採用したいものです。
いくらTOEICが高得点であろうと、そんな利己主義をいちいち英語で拡散されては、点数の高さだけ迷惑が広がるだけなので、そういう「愚かなる智者」は採用しないのが普通です。
能力など、性格に比べれば大した意味はありません。人の成長や成功は能力が1割、あとの9割は性格で決まるわけですから、企業は能力よりも当然性格を重視し、その「伸びしろ」を測定したがるわけです。
ということで、大事なのは、①関わる人々の幸せを大きく広く描ける視野、②全体の前進・発展のためには今何が必要かを考える健全な客観性、③必要とあらば他人に成功を譲れる器の大きさ、だということです。
「自分の幸せ」、「自分の成功」、「自分への注目」ばかりを考えている人は器が小さく猜疑心に富み、とても採用できたものではありません。
そういう人は権力や名誉、ブランドに弱く、ポリシーは「自分にとって得かどうか」しかないので、到底責任ある仕事を任せられる人材ではありません。
それよりも、「相手の幸せ」、「仲間の成功」、「他者への承諾」を優先できる人こそ、同じ反応を一身に集め、組織の中で成長していくことができます。
読者の皆さんの中には賢明で謙虚な方が多いでしょうから、小さなことでも、珍しくないことでも、自分が平素大事にしている「人間関係における心構え」を堂々と、素直に伝えましょう。
疑り深い学生にとっては、全ての面接が「圧迫面接」になるでしょうが、それは自分で自分を圧迫しているだけです。平常心で臨めば、どの質問も「自分の可能性を引き出してくれるもの」として感謝できます。
「己の善をなさんが為に、人を損なうことなかれ」。
本当に奥が深く、素晴らしい言葉ですね。