◆「内定への一言」バックナンバー編

「人は気に入った情報しか信用しない」(ヒトラー)




こんばんは。今日の「業界ゼミ」では、僕の出身業界である「出版業界」を扱ったせいか、いつもより熱が入った気がして帰ってきた小島です。

地味そうな業界ですが、社会的インパクトの大きさと深さが分かり、シンプルな業務の中で広告、証券、VC、ライセンスビジネスなど様々な業種の要素が存在していることが分かったことでしょう。

行くも行かぬも、情報の流れ方や広がり方を知らなくては、営業やマーケティングに大きな損失となるので、ぜひ「出版」の視点も就活に加えたいところですね。



さて今日は、その「情報」について、20世紀が生んだスターリン、毛沢東と並ぶ独裁者・ヒトラーの言葉を紹介しました。

といっても、別に政治的な話題というわけではありません。

19~20世紀のドイツといえば、世界に冠たる「学問・芸術大国」で、哲学、化学、物理学、音楽、文学、経済思想、政治学など、合理性と勤勉さを誇るドイツ人が世界に与えた功績は計り知れません。

ドイツのジョーク、というかことわざには、「靴が小さいのなら、足が大きいに決まっている」というものがあるそうです。

なるほど…確かにその通りです。

あまりに当たり前の「原因と結果」を結晶化していて、「これがことわざなのか?」と思ってしまいそうなくらい地味ですが、ドイツ人は他国から「理屈っぽい」、「固い」、「頑固だ」などと言われながらも、健全な懐疑と合理的な思考を貫いたからこそ、あれほどの偉業を残せたのでしょう。

その「理屈と証拠」を何より優先するドイツ人が、名も知れぬ美術学校の落第生で、経歴は伍長上がり、外見はちょびヒゲのオーストリア人が作った政党に、なぜあれほどまで煽動されたのか?

これは20世紀、最も多くの人の興味を惹いたテーマの一つでしょう。

「フランス人がワインをやめて、ビールしか飲まなくなった」
「アメリカ人が借金をやめて、貯金に邁進し始めた」
「イギリス人が作った料理が、他国で売れ始めた」

というのと同じくらい、「理屈っぽいドイツ人がアジテーション(煽動)に振り回された」というのは、ありえないことだったのですから。

世界の広告代理店が、キリスト教やイスラム教、仏教などの宗教の開祖や偉人、歴史上の英雄などを研究し、群集心理の把握と誘導のためのテキストとしているのは、よく知られた話です。

その中でも、ヒトラーの演説と考え方は、よく研究されているテーマのようです。

なぜかといえば、「カネをかけずに一国を操った」から。政治的、歴史的評価は最悪の部類に位置する人物ですが、その煽動テクニックと考え方は、恐るべきものがあります。

彼の「大衆煽動」に対する考え方の基本は、彼が重視した「人は気に入った情報しか信用しない」という言葉に集約されています。

「気に入った情報しか信用しない」とは、当たり前ですが、「気に入ったことだけを情報だと認める」ということです。

しかし、本当の情報とは気に入るかどうかを別にして、それ固有の価値を持っているもの。「気に入らん!」と無視したからといって、自分の欠点が消えるわけでも、問題がなくなるわけでもありません。

でも、多くの人は、逃げたり思考をやめたりすれば、「問題そのものも消えた」と勘違いして、何度も愚かな過ちを繰り返し続けるもの。

人間は「自分の願望に合致する情報」を前にしては、途端にふにゃふにゃになってしまう弱さを備えているものです。

この話は、FUNでは発足当初からしているので、部員の皆さんはご存知でしょうが、分かりやすい例え話で置き換えれば、次のような感じです。


例えば、「久しぶりの体重計」に乗ったAさんが、「やせてるかな~」とかすかな期待を持って針を見つめると、以前は「45キロ」だった体重が、「50キロ」になっていたとします。

Aさんはもちろん、驚くでしょう。当然、そこに示された数値が「自分の重さ」だとは、認めたくないでしょう。

そういう葛藤が一瞬のうちに情報処理され、Aさんは一言、言いました。

「この体重計、壊れてる!」

本当に壊れているのは「自分の認識」の方なのですが、事実が「私は太っていない」という願望に合致しない時は、事実のままに受け止められないことがあるもの。

もし、この体重計が「40キロ」と、同様に「5キロ」の誤差を示したとしても、それが「太っていない願望」に合致しているのであれば、「案外頑張り過ぎたかな?」などと考えて喜ぶかもしれません。

しかし、「50キロ」なら、事実は「5キロ増えた」でしかありません。

問題はそれを認めるかどうか。もし認めないなら、どうするか?それは…

「体重計を買い換える」しかありません。

どこぞのホームセンターで、自分の意のままの数値を示す体重計でも探すか、あるいは針に細工を施して、自分の感情を害しない体重計に作り変えるほかないでしょう。

現実を認めないなら、環境や道具を変えるしかなく、そうし続ける限り、「本当の問題」は丁寧にそのまま、保存され続けるのです。または「悪化」することもあり、この場合なら「太り続ける」のです。

ヒトラーはこのように、「この体重計、おかしい!」と叫びたくなる大衆の一瞬のスキをついて、「そうだ!おかしい!これに乗れ!」と言って別の体重計を差し出し、その人が望む数値を示してあげた、というわけです。なんと優しく、恐ろしい指導者でしょうか。

そして、善良なドイツ人を甘い願望とありえない仮想の世界に誘い込み、架空の設定や無理な説明で何年間も誘導した後、自分だけ自殺したわけです。

後になれば、ドイツの人たちがどれだけ苦しい思いをしたか、ヒトラーをどれほど恨んでいるか、その話題をどれだけ他国から「なめくじの塩」のように使われているかは、誰もが知る通りです。

ドイツ人は優秀な民族ですが、別に「神から選ばれ、世界制覇を義務付けられたアーリア民族の子孫」でもなく、「地球上からユダヤ人を消滅させる高貴なる役割を与えられた名誉ある民族」でもありませんでした。

でも、何度も何度も宣伝を受け入れるうちに、遂には集団的な暴行も起こってしまった、というわけです。

学歴や仕事でコンプレックスを抱えた人は、「自分は優秀だ」と思わせてくれる人の言葉を歓迎するでしょう。自分が受け入れたくない現実を忘れさせてくれる人を、そばに置きたがるでしょう。

ヒトラーは、「みんなが気に入ること」を繰り返し、「みんなが望んでいる」ように演出し、「みんなが喜んでいる」と宣伝し、その総監督を担当したわけです。

さて、ドイツ人の事例を「他人の問題」と笑えるような賢明な民族は、地球上のどこを探しても見つかりません。それどころか、現在は大規模戦争こそないものの、似通った例はいくらでも見受けられます。

特に若者を相手にしたジャーナリズムでは、若者に気に入ってもらおうと、「ご機嫌取りの有害情報」がいたるところに溢れています。

若者を取り巻く世論の本質を知りたければ、『私の幸福論』(福田恒存/ちくま文庫)を、ぜひお奨めします。無愛想で不親切ながら、人生の本質を説く著者の考え方に、深い愛情と優しさを感じることでしょう。

僕もFUNでは、耳障りのいいことを言ったりはしません。というより、どっちかと言えば、「小島さんは厳しい人だ」と感じている学生さんの方が多いかと思います。

でも、「今」において気に入られるようなことを言ったら、僕は皆さんを冒涜し、自分の快感の道具にしているだけの侮辱行為を働いていることになります。

僕はそういうのは嫌です。将来本気で仕事と向き合った時、「FUNで勉強してきて本当に良かった!」と心の底から実感できるのは確実なので、僕はその、いつか分からないけど確実に訪れる「過去に感謝できる瞬間」のため、若者に必要な知識、考え方を提供し続けるだけです。

「今頑張って将来楽なのと、今楽して将来苦しいのと、どっちがいい?」と聞いて、「今頑張りたい」と言う学生さんと勉強しているだけです。

大事なのは「必要」なことであって、「気に入られる」ことではありません。

僕は機嫌取りなど考えておらず、「若者には素晴らしい可能性がある」なんてことも絶対に言いません。

学生時代という、勉強のためには最も優遇されている時期に努力できない人間に、可能性などあるはずがありません。あるとすれば、「ますますバカが加速する可能性だけ」です。


「君たちは、友達同士で話しているうちは、そういう現実から目を背けて笑ったりしているが、一人の時に同じ気持ちではいられないだろう。本心に問いかけて、自分に可能性があるかどうか、考えてみればいい」

このような、学生なら「何を!」、「うるせえ!」、「いちいち余計なこと言うな!」と思われかねないことも、遠慮せず言います。

信じたくないでしょう。受け入れたくもないでしょう。休日の朝からそういう言葉も聞きたくないでしょう。だって、全部か一部は「事実」であるからには。

ですが、僕は何も、学生さんと「居心地の良い時間」を共有したり、うら若い女子大生とおしゃべりをするために、4年間も毎週「顧問」をしているわけではありません。

はっきり言って、僕は「機嫌取り」などしなくても、実力と行動で皆さんの信頼と期待を勝ち取る自信があります。僕は言動が一致している自信があるので、人気取りなどしなくていいと考えています。

今だけ楽しい、小手先の策を弄して若者に媚びるなど、そんな失礼で申し訳ないことは、僕には絶対にできません。「若者の本当の可能性」を信じているからには。


「てかさぁ、この体重計、おかしくね?」
「おかしい、おかしい!私もそう思う!」
「最近の体重計って、やんなっちゃうよね~!」
「同感。まったく、やってらんないよね」

実に「心地良さそう」な会話です。そして、なんとバカバカしい現実逃避でしょ
うか。

「この愚か者。おまえが太ったんだろ。痩せ方教えるから、一緒に痩せよう」と言い、引き受けたからには結果を出すのが僕の役割です。

気に入った情報を信じているうちに、人は不幸を加速させていくもの。誰だって、それくらいは分かっているんです。

しかし、「分かっている」からといって、それが何だと言うんでしょうか。

「分かっている」と「やれている」は全く別のことで、問題は「やれているか」であることは、言うまでもありません。

だからこそ、気に入らなくても、必要だと思うことに取り組み、やるべきことを見つめ、現実と理想の落差を積極的に埋め、そうして到達した自分を「気に入る」。

こっちの方がどれだけいいか、そうできたらどれだけスッキリして自信が付くか、そんなことは、学生なら誰もが「頭の中」では分かっていることでしょう。

しかし、「頭の中で分かっている」など、大人の評価基準からすれば、「何も分かっていない」も同然なので、僕は「分かってるんだけどさぁ」などと自分にウソをついて、時間を浪費する学生さんが惜しくてたまらず、毎週何がしかお役に立てないだろうかと思って、あえて憎まれ役も引き受けるわけです。

結果が出た時は、必ず喜んでもらえると確信しているからです。


ちなみに、最近「発掘!捏造大事典」なる番組の疑惑が続々掘り出されているようですが、うちに7年間もテレビがない僕は、この番組自体見たことがないので、詳しい背景はよく分かりません。

しかし、マスコミが煽る「騒動」なるものをネットなどで見るたび、山本七平さんの『常識の落とし穴』(文春文庫)にあった言葉を思い出します。

「人は詐欺師には騙されない。人は自分の欲望に騙されるのだ」

今、「あるある」を批判している人は、よく検証されていない素材で安易に「やせる」と思って騙された自分を受け入れることができず、自分の愚かさを呪う代わりに、番組を責めて快哉を叫んでいるだけではないでしょうか。

テレビ局だって、「視聴者はバカだ」、「これも売れるはずだ」という自分の願望に騙されて信用が失墜した点では、詐欺の当事者として大きな責任があります。

でも、「マスコミが言うなら」と安易に信じ、何でも盲目的、従順に従う大衆だって、似たり寄ったりではありませんか。

それは、詐欺師に騙される以前に、自分の欲望、つまり自分に騙されているだけです。詐欺師は欲望があるところ、どこにだって顔を出します。だって、それは「自分」だから。

「気に入った情報」を待ち望み、それが「苦労せずやせられる」という願望に合致したならすぐ買いに行き、「脂肪着脱作業」を延々と繰り返しているくせに、何の文句を言う資格があるのか。

「耳障りがいいこと」だけを情報だと思い込んでいる人は、ほんと、救いようもない哀れな人たちだと思います。

山本さんは、帝国陸軍の性質を分析することで、日本人が自分にだまされていく悲劇的な過程を描写していますが、これも読んでみるといいでしょう。『常識の非常識』(文春文庫)と並び、「情報」のすごさと恐ろしさが分かる本です。

わが国のマスコミは、「豆一粒」という日本の伝統の前に完膚なきまでに叩きのめされてしまうほど、弱かったのでしょう。

これで視聴者が今まで以上に「自分の頭」で考えるようになれば、納豆さまさまではないでしょうか。

我々もまた、納豆のように粘り強く考えていきたいものです。


さて、本メルマガも、「励ます号」、「感動する号」、「グサッと来る号」、「むかつくけど分かる号」などを循環させているのは、長年の読者の方であればお気付きのことでしょう。

それは、「気に入られること」など、僕にとってはどうでもいいことだからです。

ありのままの学生を見つめ、ありのままの自分で付き合う。そうして課題と向き合い、目標に挑戦し、毎日に小さな達成感を積み上げていけば、誰だって「自分のすごさ」にビックリして、自分が今、自分であることがたまらなく嬉しくなってくるのです。

だからこそ、「体重計おかしい!」と言う自分がおかしいのだと受け入れ、謙虚に事実を見つめて行動していかねばなりません。

もし自分をごまかして、低いハードルで自分を満足させつつも、煮え切らない気持ちで毎日を過ごしている方がおられるなら、体重計の針をしっかり見つめましょう。

そして、「そうだそうだ」と言う「優しい拷問者」の声をシャットアウトしまし
ょう。時が来れば、どちらが賢明な判断だったかは、誰に聞かなくてもよく分かるでしょう。

「ヒトラー」は、心が弱い人の側には、いつだって寄り添っているわけですから。

情報の判断基準は「気に入るかどうか」ではなく、「必要かどうか」です。

たとえそれが心に逆らうものだとしても、内心では分かるもの。

そういう決意に向き合う勇気と仲間、環境が欲しい方は、FUNに一度来られるといいですよ。ここは「居心地の良さ」で終わるサークルではないのですから。