◆「内定への一言」バックナンバー編
「兵ハ送ルナリ」(孫子)
こんばんは。今日は強風と雨の中、業界ゼミ「広告編」に8人も集まってくれ、満たされた気持ちで帰ってきた小島です。
終わった後は、「世の中はみんな広告でできている!」みたいな声も聞こえて、金融編を終えた昨日までは「世の中はカネだ!」と言っていたのに、学生さんの吸収力には驚きます。
相変わらず、「第一志望だから」という理由で来る方より、「いろんな仕事を知りたい」という理由の参加者の方が多いですが、やる気がある学生さんと学ぶのは至福のひと時で、「記者経験のこれほど素晴らしい使い道があるだろうか」と僕自身も感謝しています。
毎回の業界ゼミでは、「会計的視点」にとことんこだわっています。業界のあらゆる商品、業務内容を毎回「貸借対照表」の中の言葉に置き換え、この業種はどこの資産や負債をどう扱うのか、を見つめていきます。
理由は、会計が分からない人にまともな仕事は不可能だから。会計を知らずに仕事で喜びを得ることは不可能であり、仕事で成功してお金持ちになることもまた、それ以上に不可能です。
しかし、大学で教えている簿記論や財務諸表論は、経営の現場から見れば現実離れした「計算技術」に過ぎず、簿記を知らない人の志望動機は「消費者そのもの」で、毎年驚きを隠せません。
ということで、今年はどの学部、どの学年の学生さんでも、簿記検定2級に受かるくらいの基礎的知識が身に付くようなプログラムを組みながら、全ての業種を「会計的視点」から学べる『仕事事典』を作ろうと決意したわけです。
ということで、昨日の追加分を含め、現在、120講義のうち20講義が終了しました。
その中で「職種編」のうち、「企画」について扱った時に紹介した言葉が、「兵ハ送ルナリ」という中国の兵法家・孫子の言葉でした。
これは「戦争とは輸送である」という意味です。
では、一体何を言わんとしているかと言えば、これがまた2,500年前と思えないほど奥が深いのです。
古代から、というより今でもそうだと思いますが、多くの人は「戦争とは銃撃戦や爆撃、つまり軍事力が結果を決める」と思い込んでおり、「戦争」と聞けば「ドンパチ」ばかりやっていると考えます。
しかし驚くなかれ、なんと実際の戦争において「戦闘行為」が全体に占める時間は、「1,000分の1」もないのです。
ということは、「残りの99.9%」とは何なのか?
それは、「輸送・待機・移動」です。
戦争においては、確かに「ドンパチ」のニュースは大きく報道され、それが戦況に少なからぬ影響を与えることも事実です。
ですがそれは、「0.1%」でしかない、と孫子は指摘しています。
実際、戦争では大量の物資輸送を必要とし、激しい消耗が行われるため、交戦国では資源産業や軍需産業が莫大な収益を生み出します。
これは『孫子の読み方』(山本七平/日経ビジネス人文庫)に詳しく書いてあることですが、例えば「戦車の輸送」のためにも「船の燃料」が必要です。
そして、戦車は不整地(舗装されていない道路)向けの大型車両であり、港湾からそのまま走らせては燃料がもったいないので、その戦車を輸送するためにも、「輸送車両の燃料」が必要です。
それからやっと前線に行けば、そこからは「戦車の燃料」が必要です。もちろん、ここまでの経路で使用された全ての「燃料=石油」には、きっちりコストがかかっています。
ということで、一台の戦車がその本来の用途である「砲撃」をする前の段階で、既に莫大な消耗が発生しているわけです。
もちろん、本当の戦争が戦車一台で行えるわけはなく、このような海上輸送、陸上輸送が広域にわたって数百隻、数千台、数万人の規模で、さらに数年の期間にわたって行われれば、その国は戦う前に負担に耐え切れず、潰れてしまうでしょう。
孫子の時代は燃料などなく、人力や馬力に頼って戦争をしていた時代なのに、2,500年も前に「戦争とは、つまるところ輸送である」と喝破しているのは、実に恐ろしい見識と言わねばなりません。
だからこそ孫子は、「戦わずして勝つ」と言ったのでしょう。戦争は「しないのが上策」、次いで「やるなら短期間で終わらせるのが良い策」、それもできなければ「局地戦で勝つのが良い策」ということです。
なのに、当時から多くの将軍や軍人は「軍事力」だけに目を奪われ、戦闘能力を高めて武器を近代化することだけが「戦争に勝つ方法」だと思い込んでいました。
戦前のわが国では、「経済力が軍事力に転化する」と言った政治家が笑われたと『孫子の読み方』には書いてありますが、「戦争とは輸送だ」の定義に従えば、これは正論です。
全行程の中で「0.1%」の作業を基準にするか、それとも「99.9%」の作業を基準にするかは、行動と結果に信じられないほどの格差をもたらすでしょう。
ということで、言葉が珍しいだけに少々説明が長くなりましたが、なぜこれを「業界ゼミ」で引用したのか。
それは、学生さんの業界・企業研究もまた、「兵ハ送ルナリ」の言葉が当てはまるほど、「目に見えるもの」だけしか見ていないからです。
例えば、「企画」という仕事は、営業のマイナスイメージの反動からか、とかく「カッコいい」、「先進的」、「おしゃれ」などという偏見が持たれています。
「どうしてかっこいいの?」と聞くと…
「だって、自分が考えた新商品がヒットしたら嬉しいじゃないっすか」
「社員の反対を押し切って企画を成功させたなんて、感動します」
「人にモノを売る自信はないけど、新しいモノを考えるのはしてみたい」
などといった答え。まさしく、「企画の0.1%」しか見ていない答えで、そんな仕事は社会には存在しません。
「新しい商品を考える」。
なるほど、それは「企画に似た仕事」ではあります。そして、「考える」だけなら、その辺でボーッとしている中学生にだってできます。
考えるだけなんて、簡単すぎて仕事にもなりません。
「新しい商品」を一つ考えるには、最低でも…
その商品の製造過程をクリアするための技術的課題、提携先の要望、資金調達策、部門別の協力体制、市場環境、競合他社の動向、失敗時の撤退策、職務分掌規定、責任と権限の決定…
などを知り尽くし、それを踏まえて合理的な説得ができなければなりません。
そして、その企画は「企画だけ」で行える仕事ではなく、社内のいくらかの資金と人材を動員して行うわけですから、失敗した時は責任を取らねばなりません。
「新商品」はコンビニにでも行けば、いくらでも売っています。あるいは、テレビでも見れば、年がら年中CMが流れています。
そういうのは、「企画の0.1%」に過ぎない、ということです。
本当の企画とは、地道な研究と観察を何年も繰り返し、営業の現場でお客さんに叱り飛ばされて、原価計算とシミュレーションを繰り返し、損益分岐点を何度も引き直し、関わる業者さんと何度も綿密な打ち合わせを繰り返す…
といった、戦争で言うところの「輸送」に相当する仕事が大半を占めています。
「新商品」というのは、協力体制や販売体制、価格戦略、債権回収手段、損切り策、代替策など、全てを含めて「新商品」と呼ぶのが常識です。
現実的な具体例や数値計算に裏付けられない「新しいアイデア」など、小学生が夢見る「お菓子のおうち」と変わらず、そういうのは「企画」とは呼ばないのです。
ドラマなどでやっている「企画」は、現実には存在しない脚色と演出の成果に過ぎず、「サラリーマン金太郎」は面白いかもしれませんが、実際にあんなトラブルを呼び込み、ピンチばかり作る仕事をされちゃ、会社はたまりません。
ということで、「ドラマの仕事はウソばかり」だと知っておきましょう。
もちろん、見て楽しむには最適です。実際には存在しない世界を想像するなら、それはそれで楽しいものです。
ですが、ドラマになる仕事は、給料が安くて人が集まらず、イメージに反して人材の定着が悪い仕事ばかりだというのはよく知られた話ですから、テレビの憧れで就活をやるのは、くれぐれもやめた方がいいですよ。
他にも…
「銀行=窓口で預金などの手続をやる」
「証券=株とか買わせて怪しそう」
「先物=よく分からないけど危ないって聞く」
「リース=えっと…レンタカー?」
「メーカー=モノを作っている業界のこと」
「広告=先進的でかっこいい」
「マスコミ=有名人に会えて楽しそう」
など、ウソと虚飾で塗り固められた「虚構の仕事像」は多々あります。そういうイメージも、抱いている間は楽しいでしょう。しかし、会計的に仕事を理解すれば、そのようなイメージを含んでさらに超える「本当の楽しさ」が見えてくるのです。
例えば「運動部」の皆さんは、「試合での活躍」だけを見た観客から、例えば「ラクロスって楽しそうでいいね。誰でもできそうだし」などと言われたら、どんな気持ちになりますか?
「アイスホッケーって気持ち良さそう」、「演劇って誰にでもできる役がありそう」、「バスケって運動になりそう」、「サッカーって痩せそう」、「野球って目立てそう」…
このようなことを言われたら、そのスポーツをやっている人であれば、「褒めてくれるのは有り難いけど、オレたちのスポーツの99.9%は遊びや宴会の誘惑を振り切って続ける、地道で汗臭い練習ばかりだ」と答えたくなるでしょう。
まさに、「兵ハ送ルナリ」と答えずにはいられなくなる、というわけです。
とかく、人は「目に見えるもの」だけを見れば、その全体を知ったように錯覚しやすいものです。
しかし、「分かった」と思った時こそ、実は「何も分かっていない時」で、そもそも何かがすぐに理解できるなどということは、この世には存在しません。
こう考えてくれば、皆さんが「会社」や「仕事」を見る時はいかがでしょうか。自分がされたら「おいおい」と言いたくなるようなことを、案外就活の時になると忘れてしまい、「カッコ良さそう」、「楽しそう」などとは言っていないでしょうか。
確かに「直感的な魅力」を信じるのも大事です。それは、大濠公園のアヒルを見て、その優雅に泳ぐ姿を「かわいいなあ」と思っても、実は水面下ではすごい勢いで「水かき」が行われているのを見落とすのと同じです。
アヒルだって、優雅に泳ぐ姿を褒められれば悪い気はしないでしょうが、「水面下の努力」を認めてもらえれば、一層喜ぶでしょう。
そういう、あらゆる業種・職種で不可欠な「水面下の努力」を見抜く武器は、会計的視点をおいて他には存在しません。数字の仕組みと人の喜びがつながってこそ、初めて「兵ハ送ルナリ」と同様、「広告代理店の本質は棚卸資産の回転率を向上させることだ」と理解できるのです。
「クリエーター」とか「プランナー」というイメージは、そのような会計的視点を踏まえてこそ、初めて本当のカッコ良さが見える仕事です。
ということで、これから始まる合同説明会では、ぜひ一枚の「貸借対照表」を手に、いろんな会社の人に、「御社はどの部分をどうする仕事ですか?」と聞いてみるといいでしょう。
たった「0.1%」の氷山の一角に憧れるだけで働くなんて、もったいない。学生はもっともっと未来に対して欲張りになるべきです。そのためにも、会計的視点の学習は絶対不可欠です。
SPIがひと段落ついたら、ぜひ書店で会計の本を一冊買って、勉強してみてはいかがでしょうか。「難しそう」と思う方は、『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ/筑摩書店)などの簡単な本から始めてみてもよいでしょう。
「兵ハ送ルナリ」(孫子)
こんばんは。今日は強風と雨の中、業界ゼミ「広告編」に8人も集まってくれ、満たされた気持ちで帰ってきた小島です。
終わった後は、「世の中はみんな広告でできている!」みたいな声も聞こえて、金融編を終えた昨日までは「世の中はカネだ!」と言っていたのに、学生さんの吸収力には驚きます。
相変わらず、「第一志望だから」という理由で来る方より、「いろんな仕事を知りたい」という理由の参加者の方が多いですが、やる気がある学生さんと学ぶのは至福のひと時で、「記者経験のこれほど素晴らしい使い道があるだろうか」と僕自身も感謝しています。
毎回の業界ゼミでは、「会計的視点」にとことんこだわっています。業界のあらゆる商品、業務内容を毎回「貸借対照表」の中の言葉に置き換え、この業種はどこの資産や負債をどう扱うのか、を見つめていきます。
理由は、会計が分からない人にまともな仕事は不可能だから。会計を知らずに仕事で喜びを得ることは不可能であり、仕事で成功してお金持ちになることもまた、それ以上に不可能です。
しかし、大学で教えている簿記論や財務諸表論は、経営の現場から見れば現実離れした「計算技術」に過ぎず、簿記を知らない人の志望動機は「消費者そのもの」で、毎年驚きを隠せません。
ということで、今年はどの学部、どの学年の学生さんでも、簿記検定2級に受かるくらいの基礎的知識が身に付くようなプログラムを組みながら、全ての業種を「会計的視点」から学べる『仕事事典』を作ろうと決意したわけです。
ということで、昨日の追加分を含め、現在、120講義のうち20講義が終了しました。
その中で「職種編」のうち、「企画」について扱った時に紹介した言葉が、「兵ハ送ルナリ」という中国の兵法家・孫子の言葉でした。
これは「戦争とは輸送である」という意味です。
では、一体何を言わんとしているかと言えば、これがまた2,500年前と思えないほど奥が深いのです。
古代から、というより今でもそうだと思いますが、多くの人は「戦争とは銃撃戦や爆撃、つまり軍事力が結果を決める」と思い込んでおり、「戦争」と聞けば「ドンパチ」ばかりやっていると考えます。
しかし驚くなかれ、なんと実際の戦争において「戦闘行為」が全体に占める時間は、「1,000分の1」もないのです。
ということは、「残りの99.9%」とは何なのか?
それは、「輸送・待機・移動」です。
戦争においては、確かに「ドンパチ」のニュースは大きく報道され、それが戦況に少なからぬ影響を与えることも事実です。
ですがそれは、「0.1%」でしかない、と孫子は指摘しています。
実際、戦争では大量の物資輸送を必要とし、激しい消耗が行われるため、交戦国では資源産業や軍需産業が莫大な収益を生み出します。
これは『孫子の読み方』(山本七平/日経ビジネス人文庫)に詳しく書いてあることですが、例えば「戦車の輸送」のためにも「船の燃料」が必要です。
そして、戦車は不整地(舗装されていない道路)向けの大型車両であり、港湾からそのまま走らせては燃料がもったいないので、その戦車を輸送するためにも、「輸送車両の燃料」が必要です。
それからやっと前線に行けば、そこからは「戦車の燃料」が必要です。もちろん、ここまでの経路で使用された全ての「燃料=石油」には、きっちりコストがかかっています。
ということで、一台の戦車がその本来の用途である「砲撃」をする前の段階で、既に莫大な消耗が発生しているわけです。
もちろん、本当の戦争が戦車一台で行えるわけはなく、このような海上輸送、陸上輸送が広域にわたって数百隻、数千台、数万人の規模で、さらに数年の期間にわたって行われれば、その国は戦う前に負担に耐え切れず、潰れてしまうでしょう。
孫子の時代は燃料などなく、人力や馬力に頼って戦争をしていた時代なのに、2,500年も前に「戦争とは、つまるところ輸送である」と喝破しているのは、実に恐ろしい見識と言わねばなりません。
だからこそ孫子は、「戦わずして勝つ」と言ったのでしょう。戦争は「しないのが上策」、次いで「やるなら短期間で終わらせるのが良い策」、それもできなければ「局地戦で勝つのが良い策」ということです。
なのに、当時から多くの将軍や軍人は「軍事力」だけに目を奪われ、戦闘能力を高めて武器を近代化することだけが「戦争に勝つ方法」だと思い込んでいました。
戦前のわが国では、「経済力が軍事力に転化する」と言った政治家が笑われたと『孫子の読み方』には書いてありますが、「戦争とは輸送だ」の定義に従えば、これは正論です。
全行程の中で「0.1%」の作業を基準にするか、それとも「99.9%」の作業を基準にするかは、行動と結果に信じられないほどの格差をもたらすでしょう。
ということで、言葉が珍しいだけに少々説明が長くなりましたが、なぜこれを「業界ゼミ」で引用したのか。
それは、学生さんの業界・企業研究もまた、「兵ハ送ルナリ」の言葉が当てはまるほど、「目に見えるもの」だけしか見ていないからです。
例えば、「企画」という仕事は、営業のマイナスイメージの反動からか、とかく「カッコいい」、「先進的」、「おしゃれ」などという偏見が持たれています。
「どうしてかっこいいの?」と聞くと…
「だって、自分が考えた新商品がヒットしたら嬉しいじゃないっすか」
「社員の反対を押し切って企画を成功させたなんて、感動します」
「人にモノを売る自信はないけど、新しいモノを考えるのはしてみたい」
などといった答え。まさしく、「企画の0.1%」しか見ていない答えで、そんな仕事は社会には存在しません。
「新しい商品を考える」。
なるほど、それは「企画に似た仕事」ではあります。そして、「考える」だけなら、その辺でボーッとしている中学生にだってできます。
考えるだけなんて、簡単すぎて仕事にもなりません。
「新しい商品」を一つ考えるには、最低でも…
その商品の製造過程をクリアするための技術的課題、提携先の要望、資金調達策、部門別の協力体制、市場環境、競合他社の動向、失敗時の撤退策、職務分掌規定、責任と権限の決定…
などを知り尽くし、それを踏まえて合理的な説得ができなければなりません。
そして、その企画は「企画だけ」で行える仕事ではなく、社内のいくらかの資金と人材を動員して行うわけですから、失敗した時は責任を取らねばなりません。
「新商品」はコンビニにでも行けば、いくらでも売っています。あるいは、テレビでも見れば、年がら年中CMが流れています。
そういうのは、「企画の0.1%」に過ぎない、ということです。
本当の企画とは、地道な研究と観察を何年も繰り返し、営業の現場でお客さんに叱り飛ばされて、原価計算とシミュレーションを繰り返し、損益分岐点を何度も引き直し、関わる業者さんと何度も綿密な打ち合わせを繰り返す…
といった、戦争で言うところの「輸送」に相当する仕事が大半を占めています。
「新商品」というのは、協力体制や販売体制、価格戦略、債権回収手段、損切り策、代替策など、全てを含めて「新商品」と呼ぶのが常識です。
現実的な具体例や数値計算に裏付けられない「新しいアイデア」など、小学生が夢見る「お菓子のおうち」と変わらず、そういうのは「企画」とは呼ばないのです。
ドラマなどでやっている「企画」は、現実には存在しない脚色と演出の成果に過ぎず、「サラリーマン金太郎」は面白いかもしれませんが、実際にあんなトラブルを呼び込み、ピンチばかり作る仕事をされちゃ、会社はたまりません。
ということで、「ドラマの仕事はウソばかり」だと知っておきましょう。
もちろん、見て楽しむには最適です。実際には存在しない世界を想像するなら、それはそれで楽しいものです。
ですが、ドラマになる仕事は、給料が安くて人が集まらず、イメージに反して人材の定着が悪い仕事ばかりだというのはよく知られた話ですから、テレビの憧れで就活をやるのは、くれぐれもやめた方がいいですよ。
他にも…
「銀行=窓口で預金などの手続をやる」
「証券=株とか買わせて怪しそう」
「先物=よく分からないけど危ないって聞く」
「リース=えっと…レンタカー?」
「メーカー=モノを作っている業界のこと」
「広告=先進的でかっこいい」
「マスコミ=有名人に会えて楽しそう」
など、ウソと虚飾で塗り固められた「虚構の仕事像」は多々あります。そういうイメージも、抱いている間は楽しいでしょう。しかし、会計的に仕事を理解すれば、そのようなイメージを含んでさらに超える「本当の楽しさ」が見えてくるのです。
例えば「運動部」の皆さんは、「試合での活躍」だけを見た観客から、例えば「ラクロスって楽しそうでいいね。誰でもできそうだし」などと言われたら、どんな気持ちになりますか?
「アイスホッケーって気持ち良さそう」、「演劇って誰にでもできる役がありそう」、「バスケって運動になりそう」、「サッカーって痩せそう」、「野球って目立てそう」…
このようなことを言われたら、そのスポーツをやっている人であれば、「褒めてくれるのは有り難いけど、オレたちのスポーツの99.9%は遊びや宴会の誘惑を振り切って続ける、地道で汗臭い練習ばかりだ」と答えたくなるでしょう。
まさに、「兵ハ送ルナリ」と答えずにはいられなくなる、というわけです。
とかく、人は「目に見えるもの」だけを見れば、その全体を知ったように錯覚しやすいものです。
しかし、「分かった」と思った時こそ、実は「何も分かっていない時」で、そもそも何かがすぐに理解できるなどということは、この世には存在しません。
こう考えてくれば、皆さんが「会社」や「仕事」を見る時はいかがでしょうか。自分がされたら「おいおい」と言いたくなるようなことを、案外就活の時になると忘れてしまい、「カッコ良さそう」、「楽しそう」などとは言っていないでしょうか。
確かに「直感的な魅力」を信じるのも大事です。それは、大濠公園のアヒルを見て、その優雅に泳ぐ姿を「かわいいなあ」と思っても、実は水面下ではすごい勢いで「水かき」が行われているのを見落とすのと同じです。
アヒルだって、優雅に泳ぐ姿を褒められれば悪い気はしないでしょうが、「水面下の努力」を認めてもらえれば、一層喜ぶでしょう。
そういう、あらゆる業種・職種で不可欠な「水面下の努力」を見抜く武器は、会計的視点をおいて他には存在しません。数字の仕組みと人の喜びがつながってこそ、初めて「兵ハ送ルナリ」と同様、「広告代理店の本質は棚卸資産の回転率を向上させることだ」と理解できるのです。
「クリエーター」とか「プランナー」というイメージは、そのような会計的視点を踏まえてこそ、初めて本当のカッコ良さが見える仕事です。
ということで、これから始まる合同説明会では、ぜひ一枚の「貸借対照表」を手に、いろんな会社の人に、「御社はどの部分をどうする仕事ですか?」と聞いてみるといいでしょう。
たった「0.1%」の氷山の一角に憧れるだけで働くなんて、もったいない。学生はもっともっと未来に対して欲張りになるべきです。そのためにも、会計的視点の学習は絶対不可欠です。
SPIがひと段落ついたら、ぜひ書店で会計の本を一冊買って、勉強してみてはいかがでしょうか。「難しそう」と思う方は、『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート・キヨサキ/筑摩書店)などの簡単な本から始めてみてもよいでしょう。