◆「内定への一言」バックナンバー編
「おごらずとても久しからず」(豊臣秀吉)
こんばんは。今日は久留米大1年のIさんの「インタビュー」にお付き合いし、世代の差を感じて帰ってきた小島です。
テーマは「バブル経済」。僕はバブル膨張時は中学生で、破裂とその後始末の頃に高校・大学に行ったので、話は主にエピソードや経済現象の説明みたいな雑談になってしまいました。
インタビューでは、熱心に聞く姿勢はもちろんのこと、Iさんが同じ大学の先輩・M利さんを心から慕う気持ちに、とても感動しました。
これは、FUNを作った安田君も昨日「福重の湯」で語っていましたが、後輩たちはきっと、先輩を自慢したいんです。
「他の社会人はどうだか知らないけど、私が尊敬する○○先輩はすごいんだ」と、確信と安心を持ちたいはずです。
サークルの中だけで目立つのではなく、社会に出てからも、やっぱりすごい。さすが、私の○○先輩だ…そう思える出会いがあるだけで、その学生さんの大学生活は、どれだけ実り多いものになるでしょうか。
自分のために頑張って内定をもらうなんて、当たり前のことです。
大事なのは「人のために頑張ること」で、誰かのために努力してこそ、初めて+αの力が生まれ、本当の意味で成長できます。
僕も、「やっぱり小島さんは、言ったことに必ず結果を出す人だ」と信頼してほしい、という思いで頑張っています。4年生の皆さん、残りの日々は後輩の「自慢の先輩」として大学生活を悔いなく過ごしたいものですね。
さて、社会における「成功」というと、その尺度は様々ですが、「経済的成功」の大切さを否定する人はいないでしょう。それを目指す強さには差はあっても、「私の収入を減らして下さい」と本気で考える人はいません。
別に年収数億とか月収数百万でなくても、やはり「稼げるなら稼ぎたい」とは、多くの人、とりわけ若者であれば一度ならず考えることでしょう。
「義務教育=社会主義思想注入」のわが国では、人前で「稼ぎたい」、「金持ちになりたい」と言うのは気が引ける「空気」がありますが、言いにくいためか、逆にお金儲けの本はよく売れます。
今日は、数年ぶりといっていいほど「満員電車」に乗ったのですが、カバーをかけた本の文字を見てみると、明らかに「お金儲けの本」と思える内容の本を読んでいる若者も見かけました。
いい本ならカバーなんて外して、堂々と読めばいいのに…とも思いました。
経済的成功の大切さと方法を学校で教えるようにならなければ、学校で教える知識の吸収度は永遠に「砂に水を蒔く作業」を脱しないでしょうが、わが国の先生にそれを求めるのは、あまりに酷というものです。
それにしても、なぜ日本では「お金持ち」に対する嫉妬と憧れが、これほど複雑怪奇に入り乱れているのでしょうか。
いつだったか忘れましたが、ある国政選挙で「減税」を公約に掲げた候補者が、なんと「落選」してしまいました。数ある政策の中でも、減税ほど有権者の支持を集める直接的材料は少ないのに…。
その理由はなんと、「金持ちが得をするのは許せない!自分たちが損してもいいから、金持ちにはもっと損してほしい」という群集心理のためでした。
このような「あいつが両足をなくすなら、オレは片足をなくしてもいい」というような異常な憎悪の発生事例は、『繁栄と衰退と』(岡崎久彦/文春文庫)で、イギリスとオランダの「航海条例」を巡る争いを通じて描かれています。
わが国でもこれと同じように、「自分がちょっと損しても、金持ちがもっと損するならそれでいい」という屈折した心理が存在しているため、政治家や役人にとっては、わが国は「増税しやすい」という非常にお得な国となっています。
テレビでも、金持ちが損した、失敗した、没落した…という構造を持つニュースや物語は、軒並み高視聴率を得ます。夢がない人間が見る番組に登場する「社長」は、強欲で好色な「悪人」でなければならない、という暗黙のルールがあります。
しかし、欲張りでケチで好色で意志が弱くて犯罪が多くて、「金さえあれば何でもできる」と考えているのは、実は貧乏人の方だ、とは、『マネー塾』で手を尽くして説明したことです。
FUNの皆さんなら、取材を通じて何度も経営者に会ったことがあるでしょうが、ドラマで見るような「愛人を連れて昼から出勤し、会社の経費でマンションや宝石を買って、金ぴかの飾り物を付けてベンツに乗っている」というような社長に、一度でも会ったことがあるでしょうか。
いないでしょう。そういう社長は、貧乏人の想像の世界の中にしか存在しないのです。
貧乏な人ほど「社長=腹黒い、金の亡者、欲丸出し」と思っており、それは「私は高潔な人間なのだ」という満足感を与えるテレビ局の心理操作です。
「存在しない架空の悪」を見て、「実現していない架空の善」に自己満足…まったく、馬鹿馬鹿しい限りです。数少ない名番組は別として、テレビほどの時間のムダ使いは、この世にほとんど存在しません。
皆さんが会った「実際の社長」は、質素で謙虚で、若者を心から応援してくれる立派な大人だったはずです。
世の中には「ヒマ人」が多いので、テレビ局はそういうヒマ人向けに、ヒマ人が好きそうな番組を創作するわけですが、そこでは極度にキャラクターをデフォルメ化しているのは、ご存知の通りです。
主人公は「凡人」であることが望まれ、ヒロインといじめっ子がいて、ちょっと羨ましい憎まれ役がいる…という構図は、マンガや時代劇、戦隊モノ、映画、ドラマなど全てに共通しています。
そうしなければ、視聴者の大半を占めるヒマ人が感情移入できないからです。感情移入できなければ、番組としての存続が危なくなるのです。
ですから、「ドラえもん」の主人公がジャイアンや出来杉君であってはならない、というのがこの国の掟です。
大人から子供まで、こうも「金持ち」や「優等生」を憎んで、架空の世界であれ叩き潰し、架空の快哉を叫んで憂さ晴らしをするために帰宅後の時間を浪費しているとは、不思議な社会心理です。
ということで去年、僕は社会主義関係の文献を買い漁り、「赤い十年」と呼ばれた1930~40年に学校教育や世論がどう社会主義化したか、色々と調べてみました。
しかし、その「赤い十年」は日本に根付く社会主義が市民権を得た「仕上げ」の時期で、原因はさらに遡らなければ見えない、ということが分かりました。
「一体いつから、わが日本では、経済的成功が蔑まれるようになったのか?」
その兆候は既に、大正時代や明治時代にもいくらか確認できます。さらに遡れば、江戸時代にも同様の風潮があり、寛政、享保、天保の三大改革は、全て「金持ち潰し」の社会主義政策と言ってよいでしょう(「江戸の改革について」『正義の時代』渡部昇一/PHP文庫所収)。
現代の公立高校は全て、江戸時代そのままの「士農工商」で、士=普通高校、農=農業高校、工=工業高校、商=商業高校なのは、学校名が変わったとは言え、大学生なら誰でも知っていることでしょう。
昭和に入って破壊的な影響力を誇り、わが国に軍国主義旋風を巻き起こした社会主義がどう受け入れられ、どう発展したか…近年の僕のこのテーマにしばらく満足な回答は得られないでしょうが、今日、ある面白い本を見つけて読みました。
それは、『カネが邪魔でしょうがない』(紀田順一郎/新潮選書)という、タイトルからして怪しい本です。
あまりに儲かりすぎて湯水のようにお金が貯まり、毎日道楽や余興のために数千万円使い続け、最後は破綻していった男たちの物語を集めた本です。
本書の面白いところは、お堅い「新潮選書」だけに、成功法や教訓などに重みをおかず、あくまで「栄枯盛衰」に的を絞り、現代では考えられないような非常識な放蕩ぶりを許容した社会心理や、没落者の共通点などを探っている点です。
ですから、お金持ちになりたいと思う人は、あまり読まなくてよい本です。それよりは、「金持ち父さん貧乏父さん」か「ユダヤ人大富豪の教え」などを読んでおけばいいでしょう。
しかし、金持ちを妬む不思議な群集心理や、妬まれても同時に尊敬や憧れを喚起する成功者の不思議な個性に興味がある方は、読まれたらよいでしょう。
本書のあとがきには、興味深いエピソードが紹介されています。著者があくまで「当時の伝説だろうが」と断った上での引用ですが…。
太閤となり、栄耀栄華を極めた豊臣秀吉が建造した広壮な「聚楽第」の門に、ある日、誰がやったのか、「おごれる者は久しからず」という貼り紙がくっつけられていました。
「なんだ、一農民が、ちょっと主君に気に入られたからと調子に乗って戦争を繰り返し、太閤になったからと、威張るなよ」。秀吉に対するそういうやっかみを持つ人がやったのでしょう。
しかし、幼い頃から苦労に耐えてきた秀吉は、その程度の貼り紙に怒るような人物ではありませんでした。秀吉は代わりに…
「おごらずとても久しからず」という貼り紙を、その場所にくっつけたそうです。
「おごらないといっても、それも久しくないよ」。つまり、「成功できないことを慎ましさとか清貧とか言い換える奴こそ、長続きしないだろ?」という強烈な皮肉でした。
その後どういうやり取りがあったのかについては、著者は触れていませんが、この貼り紙を見た当事者は、悔しさと情けなさで火が出るような思いになったのではないでしょうか。
おごれる者も長続きはしない…秀吉は、そんなことくらい知っていました。しかしそれは、貧しい人間には言う資格がないことです。
ただ勇気がなく、経済的成功の必要性を認めないなら、いちいち人の懐具合に文句を言ったり嫉妬したりするのではなく、大好きな清貧に甘んじておけばいいのです。
しかし、富を逃し、富を得る才能がないと自覚した人間ほど、心の中では憧れがいびつな形に増幅し、金持ちや成功者の失敗を願わずにはいられなくなる…なんと屈折した心理でしょうか。
わが国は昔から農村集落で稲作をやってきたためか、誰が何をやっているか、何を持っているかということに、極度に神経を尖らせる国民性も強いのかもしれません。
「人は人、我は我」と口では言っても、実際はなかなかそう割り切れるものではなく、逆に、そういう言い回しが多用されるほど、誰もがいつも誰かのことを気にしている、という証拠でもあるでしょう。
克己心と努力、才覚で富を築いたベンジャミン・フランクリンが、「金なんていつでも作れるさ」と言った友人に、「ならば、今こしらえてみたまえ」と言ったエピソードは、去年ご紹介しました。
「金が全てじゃない」などという言葉は、稼いで初めて言える言葉です。ない人は口にする資格もなく、言っても誰もまともに相手をしないでしょう。
そんなやせ我慢に無駄な時間を使い、架空の世界で金持ちを痛めつけて喜ぶくらいなら、お金を生かして使う道を学んでみたらどうなのか…。
仮に、あらゆる業界を受けて全ての選考に落ちた人が、「就職だけが全てじゃない」と言ってみたところで、負け惜しみか妬み、でなければ強がりか屁理屈にしか聞こえないでしょう。
まともに勉強せず、学校の成績も悪い人が、「偏差値で人は測れない」といっても、同じです。偏差値で人は「測れる」に決まっています。少なくとも、勉強を頑張れる人は、他の人より成功の確率は断然高いものです。
偏差値38だった僕は、到底、70以上の友達には勝てませんでした。勉強の量も質も負けていました。同様に、語学や会計、営業については大卒以上に学んだ僕が、大卒以上の結果を出せるのも、当然のことです。
世の中には、結果を出した人にして初めて言える言葉がたくさんありますが、発言だけは背伸びしようという大衆が多いのも事実です。
ということで、将来を決める大切な時期である今は、「人が何を言っているか」などは、いくら聞いても無視するようにしましょう。臆病者がどれだけまともなことを言おうと、それは所詮雑音に過ぎません。
聞くならやはり、自らの責任で行動し、実感を持って結果を受け入れている人の言葉に絞るべきです。
あなたがひとかどの人間になりたいなら、「単位さえ取れりゃーいーよ」と言っている100人の先輩が言う勉強法より、数百年前の偉人が古い本の中で書き残している勉強法を信じるべきです。
あなたが大学の浮ついた雰囲気に呑まれたくないなら、「学生ならカラオケっしょ」という100人の学生は無視して、「孤独は天才が通う学校である」といったエドワード・ギボンの信念を支えにしてもよいでしょう。
あなたが感動の内定を得たいなら、同じ業界を数十社回って「この業界面白くないよ」という先輩の言葉よりも、「この業界は最高に面白い」と断言するたった一人の社会人を信用したほうが、間違いありません。
大事なのはいつも、「誰が言っているか」です。人は「何を言っているか」では動かず、「誰が言っているか」で判断します。
ですから、信用してほしいと思ったら、カッコいい言葉を言ったり、もっともらしい知識をちりばめたりする前に、ありきたりの普通の言葉がカッコよく響く人間を目指すべきです。
普通の言葉で人の信頼を得られる人が、一番かっこいいのです。
フリーターは自己の現状を正当化するため、よく、民間企業に就職した同級生を引き合いに出して批判します。僕はその人が誰だか分からないので、一応聞くには聞きますが、同時に「かわいそうに」と思います。
「オレは、あんなふうには就職したくないっスね」
(安心しろ。おまえには無理だ)
「内定したって、別にそれが幸せってわけでもないっスよね」
(内定しなくても、それが幸せでないのは確実だ)
「私は、あんな会社で働くのは嫌ですね」
(喜べ。誰もおまえなど採用しない)
黙っておけば、ほんとよくしゃべる…。
「ベンチャーの経営者って、腹黒そうじゃないっスか」
(おまえが経営者に上り詰めるのは絶対に無理だ)
「就職したって、別に給料変わらないじゃないっスか」
(だが、プー太郎のおまえよりは確実に高いぞ)
「どこに内定したかで人の価値が決まるわけじゃないっスよね」
(どこにも内定できなかったことでも、人の価値は決まるぞ)
「本当の自分探しに妥協したくなかったんスよ」
(その、決断を引き伸ばして甘えるおまえが本当の自分だ)
何なんでしょう、この「相手不在」の異常な心理は。そこまで他人を否定すれば、自分の存在が正当化されるのでしょうか。
こういう若者と向き合うのは非常な根気が必要ですが、学校教育やマスコミがもたらした有害情報の深刻な影響に、この国の未来が心配になってきます。
秀吉が一発、強烈な皮肉を見舞った心理が、少しは分かるようです。
就職するまでもしてからも、経済センスが人生の判断にもたらす影響は大きなものです。
強がらず他人に合わせず、自分が本心から正しいと信じるのであれば、経済的成功を人格、教養、家庭の成功と同列に扱い、しかるべき準備をしていきましょう。
志望業界や志望職種を考えるのも大事ですが、収入をどう生み出すか、収入をどう維持して増やすか、それを考えるのはその何倍も大事です。
お金も仕事も、苦労も喜びも、素直な気持ちで見つめられる就活を楽しみたいものですね。