◆「内定への一言」バックナンバー編
「扁界、かつて蔵さず」(道元)
こんばんは。今日は愛媛から帰省した西南卒のSさんとお会いし、四国名物のカステラをいただいて、夜が楽しみな小島です。
ここ数日、部屋の中は、多くの方々から頂いたおみやげや食べ物でいっぱいです。今月は、贈り物だけで食べていけるのではないでしょうか…。
誕生日と創業記念日以外は酒を飲まない僕は、アサヒスーパードライはY君に全部あげることにしましたが、珍しいお菓子は全部自分でいただこうとワクワクしています。
ここ数日は、来週から始まる「業界ゼミ」の準備に加え、「タイムマネジメント塾」の下書きや就活コースのレジュメ作りに没頭しています。今年は皆さんとどんな勉強ができるのか、今から楽しみです。
それで、時間が空いた時はいつものように本を持ち歩いているので、のんびりと読みふけるわけです。誰にも邪魔されない読書ほどの快感はありませんね。
今日じっくり読んだのは、去年読んで非常に心が落ち着いた『道元入門』(秋月龍民/講談社現代新書)です。残念ながら、既に絶版の名作です。
毎年、1月は歴史大作や思想的な本を特に読みたくなりますが、それも長期的展望を再確認し、来し方や行く先をじっくり見つめなおしたいからでしょう。
数千年、数百年も前の名作や言葉に触れると、人間が真の意味で成長するのは、なんと難しいことかと思いやられることも多く、気持ちを謙虚に保ち、今をしっかりと生きるには、やはり古典が最適です。
その中で、今日皆さんにご紹介したい言葉は、「扁界、かつて蔵さず」というものです。
「扁」の字は本当は「ぎょうにんべん」が付く「扁」なんですが、PCでは出ないので、「扁」の字を当てています。
「扁界、かつて蔵さず」は、「へんかい、かつてかくさず」と読み、「この世界は、未だかつて何かを隠したことなど一度もない」という意味です。
皇族の血筋を引いて生まれ、絶世の美女を母に持つも、悲しい生い立ちから7歳で出家を決意した道元が、12歳で比叡山にこもり、17歳で下山して以来、深い悟りを求めようと23歳で宋の国の地を踏んだ時の言葉です。
道元は才知と容貌を兼ね備えた天才少年で、4歳で読み書きをこなし、7歳で多くの古典を読みました。しかし、あまりに優れた才能と恵まれすぎた家柄から、道元を利用して家運を盛り上げようとする人々が近付いてきます。
道元が敬愛した母は、権力争いの道具にされて非業の死を遂げ、道元はわずか7歳で人の世のはかなさを嘆き、出家を決意します。
そして、当代第一の総合大学であった比叡山に入山するも、政治的利益や派閥の主導権を巡って争っていた当時の天台宗に愛想を尽かし、17歳の時、世界に真の幸福をもたらす教えを求めて下山します。
人生を捧げる教えを授けてくれる師を求めて修行を開始した道元が出会ったのは、当時もう70歳を過ぎていた臨済宗の開祖・栄西(ようさい)でした。
道元は栄西から禅の本質を教わり、本当の悟りを得たいなら、大宋国に留学して研鑽を積むが良かろう、と助言を受けます。
22歳まで栄西の下で修行した道元は、23歳の時、憧れの宋に留学し、そこで生涯の師となる如浄禅師と出会うのです。
道元は宋に着いた後、すぐには入国せず、30日間ほどは船の中で黙々と思索に耽っていました。そこに、「日本産のまつたけ」を買いに来た宋の老人が登場し、そこでいくらかの禅問答めいた話がなされます。
老人でありながら港まで買い物に来た様子を見て、道元は青年らしい正義感から、「買い物などは、若者に任せたらよいではありませんか」と老人を気遣います。
しかし老人は、「若い日本のお方。私は有り難い修行の一環でまつたけを買いに来たのです。私は自分のつとめを果たせていることが嬉しくてたまらないのです」と答えます。
その頃の道元は、猛烈な修行に耐えた日本の超エリートとして宋に留学していたわけですから、「修行」と聞くと「座禅」だけだと思っていました。
しかし、禅の道に修行の区別はなく、「生活の中のあらゆる行い(作務=さむ)が修行なのだ」と聞かされ、道元は驚きます。
老人はあるお祭りのお供え物を担当することになり、その料理のためには日本産のまつたけが良いと聞いて、はるばる買いに来たわけですが、道元はそれまでも修行だとは考えなかったため、そういう「雑用」めいた作業は若者にやらせてはどうか、と言ったわけです。
老人は、裏方の裏方とも呼べる役割を担当しており、切り刻んで皿に並べれば、もとが何なのか分からなくなるような素材にさえ、最大限の気持ちを込めて臨んでいたのでした。
老人は「一瞬の作業でも、小さな料理でも、心を込めて最初から最後まで行えば、そこには大きな悟りの道が開けているのじゃ。修行とは、まさに自分の務めを日々黙々とこなすことにほかならないのじゃ」と言いました。
若い道元は、何か偉大な悟りの道に到達したり、世の中で貴重とされるものを学んだりするのなら、それ相当の修行や珍しい行い、あるいは煩雑な手続を踏まねばならない、と考えていました。
ちょうど、英語力をつけようと思えば、それなりに名の知れた外国の大学に留学するか、大金を払って英会話学校の所定のコースを受講しなければならない、と考える現代の学生のように。
しかし、老体でありながら修行を楽しみ、小さなことに喜びを見出していた老人の意見はそれとは逆で、「平素の生活の中で学べない者が、修行したとて、いかほど成長できようか」というものでした。
なるほど、学習のための最高の環境が用意され、それなりの覚悟を経て参加できる場所であれば、確かに普段生活や勉強をしている場所よりは、幾分すごい学びもできるだろう。
しかし、そこまでの決意や覚悟、資金や時間的犠牲を払わねば本気になれないおまえとは、一体何なのだ。
留学したり、大金を払ったりした人間が頑張るのは当然だ。本当に難しいのは、平素の生活を修行に変え、誰も見ていないところ、誰も強制しないところであれ、本気で生きられるようになることなのだ。
おまえがどこでどんな貴重な学びをしようが、平素の生活で禅の思想を実行できないようなら、そんな学びには何の意味もないのじゃ…。
今の大学生のように、「良い大学に行けば良い教えが得られる」、「留学すれば自分の価値も上がる」と半ば盲目的に考えていた道元は、「一本取られた」と素直に自分の未熟さを認めました。
そして、「扁界、かつて蔵さず」という言葉を記録したのです。
大自然が、今まで何かを隠したことがあろうか。天地の営みが間違ったことがあろうか。間違っているのはいつも人間の行いだけだ。
強欲で傲慢な人間が「今、目の前にある自然」から学ぼうとしないから、いつまでも悲しみや過ちを繰り返しているだけなのだ…。
23歳の道元は、そう悟ったのでした。
これは、『マネー塾⑩』で紹介したライト兄弟の話とも似通っています。
ライト兄弟以前にも、「空」に憧れ、「征服」しようとした男たちは大勢いました。
ある者は腕力を頼んで崖から飛び降りて死に、ある者は走力を頼んで草原を走って骨折し、ある者は筋力を頼んで羽ばたいて力尽き、ある者は「人間凧揚げ」に失敗して墜落死しました。
皆、人間より前に空を飛んでいた「鳥」のマネをして、あのように風の強い場所で翼をバタバタさせれば飛べるのだ、と考え、走力や気圧、腕力によって擬似的な条件を作り出そうと悪戦苦闘した結果でした。
その期間、実に300年。
300年間、人間は空に挑戦し、そして、その数だけ失敗や悲劇が繰り返されてきました。
数々の事例を研究したライト兄弟は、「有人継続飛行」という目標を絶対に見失わなかったため、腕力や自走力、引力や風力に頼るようなことは考えず、黙々と研究に励みました。
そして、空には「空気」が存在しており、その働きに合わせれば、「揚力」という力が生まれることを「発見」したのでした。
初飛行に成功した兄弟に駆け寄った新聞記者が「おい、よく空を征服したな!」と言った時、兄弟が「冗談じゃない。我々が空に合わせて変わったんだ」と言ったエピソードは、2年ほど前の本メルマガでもご紹介した通りです。
300年前、それどころか数百年、数千年前だって、大気中にはちゃんと「空気」が存在していました。多くの男たちが空に挑戦し、死んでいった時にも、もちろん空気は存在していました。
しかし、「オレには腕力がある」、「自分の走る速さは人には負けない」などと過信していた人間には、「その時も、ちゃんと目の前にあった」という空気が見えなかったのです。
無色透明だったから見えなかった、というのではありません。慢心して自然の働きを捨象し、「そんなものは関係ない」と最初から考慮に入れなかったからこそ、人類は300年も飛べなかったのです。
素直な気持ちで自然の営みを観察し、そこに公平に働いてきた力を信じて自らを合わせれば、もっと前にも飛べていたかもしれないのに、ライト兄弟以前に「空に合わせよう」と考えた人は、いなかったのでした。
ライト兄弟の時だけ空気が発生したのではありません。「非力な我々人間は、空に飛ばせてもらうほかないのだ」と謙虚な気持ちを持てなかった人には、空気はあっても見えなかったのだ、ということです。
大自然は、それまで一度も、人間に対して「空気があるよ」ということを隠したりはしなかったのに、自らの力を盲信した人間は、自らの暗さによって大事な要素を隠してしまっていたのでした。
若い道元が「修行における悟りのきっかけ」は、生活や仕事の全ての場に用意されており、それに気付くか気付かないかは、ひとえに修行を行う者の謙虚さや素直さによる、と悟ったのも、これと同じとはいえないでしょうか。
ニュートンがリンゴが落ちる様子を見て「万有引力」の存在を想像したのも、彼が謙虚だったからです。
彼は何も大掛かりな研究施設を作ったり、複雑多岐な学説を解明したりして引力を証明したのではなく、至って静かな瞑想中に、ふと「気付いた」のでした。
湯川秀樹博士の発見も、岡潔博士の発見も、さかのぼってはアルキメデスの発見も、全てそのきっかけは「研究室の外」、つまり「修行外の場」で達成されているのは、誰しもよく知っている通りです。
人は案外、対象そのものに没頭している間は、本質から遠ざかってしまうこともあるものなのです。
だからといって没頭を遠慮し、万事適当に済ませるのが良いかというと、そうではありません。平素の集中が潜在意識にまで影響を与えた時、ふとしたきっかけで大きな発見や悟りを得られることもある、ということです。
風呂から溢れる水、昆虫の営み、竹の仕組み、木から落ちるリンゴなどは、相手を選んでそうなる、という類のイベントではありません。
なんとなれば、地球が誕生して以来、世界中のあちこちで、何億回と無限に繰り返されてきた、ありきたりの出来事です。
それは「隠す」どころか「ありふれている」と言った方がよいくらいの出来事で、それにいちいち何かの真理が秘められているかなど、考える人の方がおかしい、と言われそうなくらい、普通の出来事です。
しかし、こちらがその気になれば、そのようなありふれた自然現象や生物の営みの中に、不易の真理が蔵されているのだ。だから人間がどれだけ素直に自然や歴史と接するかが大事なのだ…
というのが、「扁界、かつて蔵さず」の意味です。
世界や自然は何も隠していたりはしない。隠れているのは、自分の心や目が曇っているからなのだ、という23歳の道元の偉大な悟りです。
さて、毎年面接でもライト兄弟の話はご説明しています。営業塾でも少し紹介しました。
企業が選考、採用を行うのは、なぜでしょうか。それは「良い人材を採用して一緒に働き、より多くのお客様の喜びのために事業を成長させたい」と望んでいるからです。
この企業の「採りたい」という気持ちは、大空を飛ぶのに欠かせない「揚力」と同質の存在だといえるでしょう。
なのに多くの学生さんは、「自己分析が勝負!」、「メイクが大事らしいよ」、「やっぱりマナーだって」、「資格もあった方がアピールするらしい」…
などと、「君と一緒に働きたい!」という企業の最も根本的な気持ちだけは無視して、どうでもいいような小手先の努力を「情報」と称して重宝し、腕力や自走力、風力を頼んで死んでいった人と同じようなことをしたがります。
一度、無責任な大衆から「留学が大事」、「TOEICは使える」、「バイトは半年以上なら言え」などと有害な情報を仕入れると、その瞬間から「本来の仕事」に対する興味や愛情はどこへやら…。
「とにかく内定しさえすりゃいい」と愚かな努力が始まり、小手先のテクニックや見せ方で競う、醜悪な自己PRが始まります。
本メルマガの読者にもおられる企業の皆さんも、こういう学生は一皮むけば、業務への愛情やお客さんへの当事者意識などはゼロに等しいですから、問答無用で不採用にしてあげた方が身のためですよ。
格好だけ付けていっちょ前のことを口走る学生には、「わが社が根本的に提供している問題解決を、会計的視点から1分以内で説明せよ」とでも聞けば、あっちから撃沈してくれるものです。
こういうミーハー受験者は選考するだけ時間のムダですから、さっさと不採用にした方が会社のためです。あんまり簡単に受からせると、調子に乗って雑務を軽視しますから、おとなしくても実直で言葉を大事にする学生を採用するようご提案します。
「扁界、かつて蔵さず」。
我々経営者は、ともに働く同士を得たいから、採用活動をするのです。
裏側から見れば「就職活動」とも呼ばれるこの活動は、大気の力と翼の仕組みが相乗効果を発揮せねば、成功しないのです。
翼の可能性を無視する採用担当者にもなりたくないし、大気の力を無視して自分のことばかりしゃべる求職者にもなりたくないものです。
内定は「共同作業」なのですから、そこに働く「企業側の思い」を汲み取り、今まで積み上げてきた財産を資産・負債の別なく尊重し、その上に新たな歴史を築く仲間になりたい、という気持ちこそ、学生さんの中に確認したいものです。
内定のために必要なものもまた、既に、皆さんの生活や勉強の中に全て用意されています。
それに気付くためにこそ、集中や継続が大事なのです。内定をもらうまでは熱意を、もらってからは感謝を持てる活動こそ、未来に生きる良き財産だと言えるでしょう。