■「内定への一言」バックナンバー編

「船が大きければ、波も高くなる」(マレーシアのことわざ)





こんばんは。今日は緊張感が途切れたのか、帰りのバスを降りる時、料金箱の中に危うく自宅のカギを放り込みそうになった小島です。

ふ~、危なかった…。

もし気付かずにバスから降りていたら、今頃僕は、この寒い中、大濠公園の休憩所で、おでんでも食べていたかもしれません。

…なんてことはせず、多分、香椎のM迫さんの家で今夜も仲間のために行われる「HP編集作業」を手伝いに行っていたでしょう。立派な先輩たちに感謝ですね。僕は今日は、おかげ様で、家でゆっくり過ごさせてもらっています。



昨日の忘年会は、FUNの結束の強さと温かさを十二分に感じられた、素晴らしい時間でした。

ずいぶん前から幹事を担当してくれた西南4年のI君、M君、N君、心のこもった企画と熱い盛り上げを、どうもありがとうございました。

また、個人的には、僕は年末が誕生日ということで、毎年この集まりの時にはお祝いをしていただいていますが、今年は筑紫女学園のAさん、Iさん、Kさんが中心となって素敵な色紙(手紙と写真のアルバム)とケーキを準備してくださったようで、これはわが家の「家宝」になりそうなくらい感動しました。


まったく…揃いも揃って、なぜみんな、こうも人の喜ばせ方ってもんが上手なんでしょうか…。

しかも、準備の隠密行動ぶりは、CIAも脱帽するくらいです。また僕をこんなに喜ばせて、またまたやる気が爆発して、来年も幸せな寝不足が続くのは確実です。

有り難いことです。部員の皆様に心より感謝します。昨日は本当にありがとうございました。そして、本当にお疲れ様でした。



さて、皆さんの2006年は、どんな一年でしたか?

僕の一年は、思ったことを思った以上にやれ、悔いなく前進できた一年でした。

まだまだ自分には余力と可能性が十分あることを知り、さらに基本の徹底と自己管理に力を入れ、40代から計画しているミニ財閥経営の予想図がより鮮明に描けてきた一年でもありました。

それもこれも、ご協力を頂いた皆様のお陰様で、感謝と希望で31回目の誕生日を迎えられることを嬉しく思っています。



さて、水曜の就活コース「基礎編」の最終回の後、西新パレス下のミスドで、西南4年のI君と色々とお話した際、マレーシアで働いていた頃の体験談が話題に上りました。

20歳の海外勤務からもう10年。熱帯の異国で「12月の川泳ぎ」を楽しみ、21回目の誕生日をイスラム式で祝ってもらったことが、遠い遠い昔の思い出になりつつある今でも、思い出そうとすれば鮮明に蘇る思い出は、いくつもあります。

細かい話は来年の話題にでも取っておいて、今日はあることわざから、学ぶべき人生態度を考えて、一年を締めくくりたいと考えています。


マレーシアのことわざは、その熱帯の風土と産物から、果物や動物を題材にしたものが多く、外国人の僕にはよく理解できないものもたくさんあったのですが、古代から貿易の要衝であるマラッカを中心に発展してきた国であるため、一つ、気に入ったことわざがありました。

それは、「Besar kapal, besar gelombang」というもの。

kapalは「船」、gelombangは「波」で、besarは「大きい」という形容詞です。直訳すれば「船大きく波高し」で、意訳すると「船が大きければ、波も高くなる」といったところでしょうか。

奇妙な綴りに興味を持った方のために、ちょっと寄り道…。

マレー語は修飾が全て「後置」形式で行われ、その徹底ぶりはフランス語以上で、例えば「私の黒い大きな猫」は、「猫大きい黒い私(kuching hitam besar Saya)」となります。

だから、「大きな船、大きな波」なら「Kapal besar, gelombang besar」ですが、形容詞が先に来ると、弱い「仮定」を表すことができ、貿易言語が母体だけに、実に合理的な文法で構成された言語です。

学びたい方は、こっそり「FUNマレー語塾」でもやりますから、来年また言って下さいね。僕の数ある「隠し芸」の中でも、エレキギターの速弾きとマレー語は、秘密度が特に高いものです…。

さて、本題に戻って、「船が大きければ、波も高くなる」は、マレー人の間で用いる時は、「大きな目標を持てば、大きな問題が生じる」と警句的に用いられたり、あるいは「大きな仕事をすれば、波及効果も大きくなる」というふうに、生き方を説く言葉として用いられたりします。

イスラム教国であるマレーシアには、当然ムスリムの義務である「ザカート(喜捨)」が存在します。イスラム教では、「喜んで与えること」が教義の基本中の基本として、子供の頃から徹底されており、非常に素晴らしいことだと思います。

ザカートでは、全てのイスラム教徒は年に1回、貧者や病人のために所得から一定の寄付をせねばなりませんから、後者の捉え方は宗教的でもあります。

その他、このことわざは「現実の摩擦は理想の高さで決まる」という人生哲学を語ったものであり、悩みが大きいのは、人生を大切に考えているからでもある、という真理も語っています。

もちろん「目標が小さい人には些細な出来事が気になる」という反対の真理もありますが、僕はマレー語を習得して以来、このことわざを「大きな夢には取り組みがいのある問題がついてくる」と好意的に解釈してきました。

「問題のあるところ、目標あり」と、「目標のあるところ、問題あり」では、どちらが正しいのでしょうか。

おそらく、どちらも正しい場面が人生には多々ありますが、やはり、「目標のあるところ、問題あり」と捉えた方が、より積極的に人生を生きられる気がしませんか?

なぜなら、こう捉えた方が現実を積極的に肯定でき、逃げずに直視し、初心を貫くことができるからです。

もし、「早起きするぞ」という目標を持てば、その「船」が受けることになる波は、「毎朝の睡魔」という「さざ波」でしょう。

しかし、「毎朝早起きして、友達と役立つ勉強会をするぞ」なら、波は「毎日の計画と下準備を含んだ睡魔との闘い」になるでしょう。

さらに、「毎朝早起きして、友達と役立つ勉強会を続け、その記録を発信して人々を勇気付けるぞ」なら、波は「自己管理と継続的努力を含んだ、生活の一大改革」になるでしょう。

「人は元々、全ての能力を持っている。能力は、あると思う人にだけある」とは、FUNゼミで毎月のように繰り返してきたことです。

人が発揮できる能力は「掲げた目標」の高さに比例するもので、「能力に合わせて目標を描く」が、もっともらしく見えて間違っているのは、何度も証明してきた通りです。

「さざ波」で泳ぐ練習をしても、大した力は付かないでしょう。それに、「さざ波」が「波」だと思ってそれに慣れてしまった人には、それより大きな波は全て「津波」のようになってしまいます。

だからこそ、日本語なら「器」というところの「自分」という「船」をまず大きく作り、しっかりと指針を定めて荒波を超えていかねばならないのです。

自分という船が大きければ、立てる波も大きくなりますが、より大きな波を受け止め、乗り越えることも可能になります。

ならば、プールの中でちゃぽちゃぽ遊んでいるような人生よりも、大海を前に対岸の大陸にたどり着くような遠洋航海を成し遂げたいものです。

学生時代は、自分の決意次第で、プールにも池にも、川にも海にもなる「つなぎの期間」です。泳ぐ力は、まさに今のこの時間にこそ、鍛えられているわけです。

ということで、今年自分が受けてきた波や、来年受けることになる波は、自分という船のスケールが決定しているのだと考え、明るく大胆に乗り越えていきましょう。

小さな波が大きく思える人は、船を大きくしましょう。そうすれば、波は小さくなってしまいます。

2007年は「大きく直進する船」になって周囲に良い波及効果を及ぼし、「感動の内定」や「期待の新卒即戦力」という対岸を目指して、堂々たる航海を楽しんでいきたいものですね。

2006年、本メルマガの読者は2倍以上に増え、多くの素晴らしい方々との出会いを頂きました。

感想や質問、励ましや感動の報告を送って下さった皆様、2004年、2005年から変わらず読み続けて下さっている皆様、そして、今年新しく登録して下さった皆様、本当にありがとうございました。

来年もまた、毎週休まずコツコツと、仕事と生活で得た確信や感動をお伝えしてまいりますので、どうぞご期待下さい。

読者の皆様の新たな一年が、素晴らしい感動と躍進に満ちた、実り多い年になりますよう、心より祈願申し上げます。

どうぞ、良いお年をお迎え下さい。

2006年は、本当にありがとうございました。2007年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。