■「内定への一言」バックナンバー編

「真に有為の青年は、世間が閑却しておかぬ」(渋沢栄一)






こんばんは。先ほど、188回に及んだ今年のFUNでの講義のレジュメを全部作り終え、なんとも言えない充実感に浸っている小島です。

作ったレジュメはワードで540ページ、メルマガは600ページ、収録したCDは65枚…。4年目にして、やっと学生さんとの付き合い方が少しずつ分かってきたのも、今年の嬉しい収穫でした。

来年はさらに大きな目標を描き、公私共に、来年の今頃も「この1年に悔いなし!」と言える年末を迎えたいものです。



さて、創業以来、年末になると毎年のように読み返す本といえば、僕が人生で一番読んでよかった『論語と算盤』(渋沢栄一/国書刊行会)です。

なぜこれをたびたび読み返すかと言うと、26歳の冬、事業で決定的な危機を迎え、エアコンの切れたオフィスで、深夜黙々と読みふけったからです。

身を切るような先人の言葉を直視し、ゼロどころかマイナスからの再起を図るうえで、この本がどれだけ大きな指針になったかは、言葉では言い表せないほどで、それ以来、誕生日でもある年末を迎えるたび、自然と手にとってしまいます。

渋沢栄一と言えば、FUNの学生には『雄気堂々』(城山三郎/新潮文庫)が人気で、そのスケールの大きい生き方と意志の強さ、変幻自在の対応力は、明治維新の経済的側面にも自信を持たせてくれるほどです。

渋沢栄一は自らは財閥を作らず、持てる人脈やノウハウ、時間、私財を投じて後進の育成に当たった「元祖・ベンチャーキャピタル人間」であり、彼の薫陶を受けて大成した実業家は星の数ほどいます。

来年からベンチャーキャピタルで働く西南4年のM地君も、『雄気堂々』と『論語と算盤』を気に入っていて、ぜひ、渋沢栄一のように立派に活躍してほしいものだと、今から楽しみにしています。



さて、この『論語と算盤』の中には、メルマガに引用したらそのまま100号はこのネタで書けそうなくらい、数多くの有益な言葉が詰まっています。

本書は天保、安政と幕末を生き、明治、大正時代を経て昭和を迎えようとする頃に、80歳を超えた渋沢栄一が人生を回顧した記録で、大半は「若者への提言」で構成されている点も、学生さんに勧める理由です。

その中に、「真に有為の青年は、世間が閑却しておかぬ」という言葉があります。今日は、この言葉から、大きな仕事を成し遂げる心構えについて考えてみましょう。

4年間の大学生活を終えて卒業すると、それから始まる世界では、自分は下っ端の下っ端で、「右も左も分からない」という言葉がそのまま当てはまりそうなくらい、自分がちっぽけなのを何度も感じます。

意欲はあっても知識や能力は到底先輩社会人には追いつかず、自分の要領の悪さや無力ぶりに嫌気が差し、会社や仕事を見直したいと思うことも、何度かあるでしょう。

そんな中、先輩に「小さな仕事」を頼まれると、逆上して「なんだ、こんな小さな仕事を任せて!自分を何だと思っているんだ!」と不快に感じる新人もいます。

「会社」なるものが本格的に稼動しはじめた明治の世もそうだったようで、先輩からお茶くみや雑用を任された「学士(今でいう大卒)」が憤慨し、「やってられるか!」と退社した例もあったようです。

しかし、そういう一時的、感情的な判断は「小さい人間の仕業だ」というのが、渋沢栄一が語っていることです。

「小さい仕事を小さい仕事だと思うのは、その人の器が小さいだけだ」ということで、これは、今の世にも十分通用する考え方です。

例えば、豊臣秀吉がまだ足軽の頃、主君である信長のぞうりを懐で温め、信長が外出する時に丁重に揃えた、というのは、日本人なら誰もが知る話です。

代々武家の織田家は、当初の規模は小さかったとは言え、尾張の国では大きな家で、そこの「お殿様」である信長の身辺の雑用を担当する人は、秀吉以外にも何人かいたでしょう。

しかし、「ぞうり取り」という、一見「どうでもよさそうな仕事」に精魂を込め、大きな気持ちで取り組んだ若者は、秀吉しかいなかったのです。

ぞうりを揃えた秀吉に、「これを機に信長公の歓心を買い、めでたい覚えを得るのじゃ」という成算があったかどうか、それはさほど重要な問題ではありません。

もちろん、嫌われたり叱られたりするために何かをやるというつもりはなかったでしょうが、武家の主君に対し、自分の有能さをアピールするには、「ぞうり取り」はあまりに平凡すぎる仕事です。

だから大抵の人は、そんな「雑用中の雑用」を真剣にやるなんて、馬鹿馬鹿しいだけだ、と考えたのかもしれません。

しかし、ぞうり取りに限らず、全ての仕事に偉大な情熱を傾け、まだ名も知れぬ若いうちから、人が見ていようがいまいが、陰の仕事でも全力でやっていたからこそ、その場その場で秀吉は頭角を現し、後日、誰もが知る栄耀栄華を極めるに至ったのではないでしょうか。

彼の才覚を伝える逸話は多く残っていますが、それはほとんどが「家来の一人」にも数えられないような「平社員」の頃の話です。

彼は大仕事をやろうとする前に、与えられた仕事を最高の形でこなすことをもって依頼主に応え、着実に信用と評判を築いていったのでした。

「ぞうり取り」に限らず、お茶くみや馬の世話、武器の整備、帳簿の管理など、身辺の雑用は限りなくあっただろうに、秀吉はそれをいちいち差別せず、与えられた仕事でしっかりと自分を見せたのです。

大きな仕事を任せてもらえないことを嘆かず、小さな仕事を任されたと憤慨したり落胆したりせず、どんな小さな仕事も、「大きな気持ち」でやったのでした。

そういう秀吉だから、出世するたびに直属の上司から「これもやってみないか」と次々に仕事が舞い込み、部下も収入も増えていったわけです。

渋沢栄一も秀吉の例を引いており、渋沢と並ぶ大実業家・安田善次郎も、少年時代に読んだ「太閤記」がその将来を決定しました。

二人に共通しているのは、「大きい仕事なら頑張る」、「給料を上げてもらえたら頑張る」という本末転倒な考え方ではなく、「小さい仕事で心意気を示す」、「頑張って給料を上げてもらう」という、至極まっとうな考え方です。

大きな仕事で目立つのは簡単です。仕事が大きいからです。

しかし、考えようによっては、小さな仕事で目立つ方が、もっと簡単という場合もあります。

それは、大抵の人は仕事の小ささを見て「意義も影響も小さい」と決め付け、あまり大事にしないからです。

つまり、器が小さい人は「小さい仕事」を小さく見る習慣があるため、いつまでたっても小さい仕事しかできず、いつしか、その小さい仕事が「最大限」になってしまう、というわけです。

だから渋沢栄一は、「社会に出て間もない頃、大して重要ではない仕事を任されるかもしれないが、それは先輩が自分を試しているのだと思って、どんな仕事でも誠意を尽くせ」と言っています。

今風の言葉で言えば、「最高においしいお茶をくむぞ!」、「オフィスが見違えるほどの掃除をするぞ!」、「社内の雰囲気を変えるくらいの挨拶をするぞ!」とでも置き換えればいいでしょう。

小さな仕事ほど、そこに込めた気持ちの大小は判別しやすいものです。


僕も昔、自社のパンフレットを作ってもらう際、予算が少ないからと粗末な試作品を持ってきた広告代理店はその場で「お引取り下さい」と追い返しましたが、「ここまでしてくれるのか」と感動するくらいの見本を持ってきてくれた担当者の熱意に感動し、そこにお願いしました。

その後、その担当者に任せる予算が上がったことは、言うまでもありません。「高い仕事なら頑張る」という奴隷は不要で、「頑張って取引を増やそう」という挑戦者が欲しかったからです。

もし、皆さんが起業して良い提携先を見つけたければ、市況価格よりやや低めの値段で仮発注してみれば、誰が本物か、すぐに見分けられるでしょう。


僕自身も記者時代、まだ営業成績が最下位の頃から一番に出社し、他の社員が出社する頃にはアポイントのリストを完全に作成し、灰皿を掃除して、新聞を片付けたりしたものです。

時にはお茶の葉を捨てたり、窓を拭いたり、コピー機の紙を補充したり、受話器のコードを正したり、ホワイトボードのマーカーを買いに行ったりもしました。

その気になれば、会社や社風を盛り上げるための仕掛けはいくらでも存在しているもので、僕がそういう雑務をやったからといって別に給料が上がったわけではありませんが、良い評価を得たのは事実です。

後日、7ヶ月連続でトップ営業成績を収めた時、「君は入社した頃から気迫が違っていた」と言われた時は、素直に嬉しかったものです。

それからは、社内でもう一社設立したコンサルティング会社が主催する異業種交流会の場所取りや宴会予約を任されたり、司会や連絡を担当したりして、最後は、営業社員8人の中、僕1人が最年少で4割の売上を上げるまでになりましたが、それは上司の協力があったからです。

「真に有為の青年」と自分をほめちぎるわけではありませんが、その仕事が重要であろうとなかろうと、小さいことでも楽しくてきぱきやると、やっぱり人はきちんと見てくれているのだと、渋沢栄一の言葉を何度も思い返しました。

頑張れば、「世間が閑却しておかぬ」とはその通りで、その後は異業種交流会を自分で組織し、人を集めた際、1年間で372人も参加してくれ、たった1日で165万円の出資を頂いた時は、感激したものです。

「君はいつも陰で頑張っていたから、心から信頼している。お金は返さなくていいから、事業に役立ててくれ」

あまり親しくもなく、ちょっとした立ち話しかしたことがなかった他社の方から、そう言って70万円を頂いた時は、素直に頭が下がったものです。

その時もまた、「小さい仕事が小さいのではない。それは心一つだ。大きい仕事は、小さい仕事の集まりにすぎない」と確信しました。


あれから7年。僕も週末、31歳になります。今では、オフの時間は60人近くの学生さんとともに学び、色々と顧問の作業を手伝ってもらうこともあります。

そんな中、かつては僕が誰かに対してやっていたようなコピー、会場予約、出席確認、欠席者への連絡、膨大な事務作業…を、今は学生さんが率先してやってくれます。

そういう陰の努力家を尊敬し、その目立たない地道な貢献に感謝する雰囲気を大切にしてきたからこそ、今のFUNがあるのでしょう。

特に、福岡女子大4年のM迫さんの緻密さ、丁寧さはインストラクターの大月さんがいつも感謝していて、控え目ながら積極的提案を含ませ、丁寧に相手の気持ちを汲んで取り組んでくれるM迫さんの作業ぶりは、僕も折に触れて感心してしまいます。

表に立つ人は、目立ってはいますが、だからといって一番大事なことをやっている、というわけではありません。

本当に組織全体を推し進めているのは、どんな組織であれ、平凡な雑務を投げ出さずに継続する「裏方」の人で、もし「目立ち方」ではなく「貢献度」を基準にすれば、「裏方」という言葉の意味も見直さねばなりません。

九産大4年のヤマえもん君は、2年の春に入部した時から、誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰り、時には自宅の車も借り出して道具を運んだり、他の人が敬遠したがる仕事も笑顔で引き受けてくれ、どれだけFUNの基礎を作ってくれたか、その貢献は計り知れないほどです。

西南4年のI橋君も、最年長なのに地道な場所取りや板書を毎週笑顔で引き受けてくれ、空いた時間は後輩の相談に進んで乗り、どれだけ調和をもたらしてくれたか、計り知れないほどです。

FUNには他にも、そうやって、自分たちの時よりも一層充実した環境で後輩が学べるよう、進んで集まってアイデアを出し、どんどん試しては功績を誇らない4年生がたくさんいます。

それに比べれば、毎週ワード30枚の講義レジュメを作っている僕の仕事など、雑巾がけ以下の仕事に過ぎません。

ということで、皆さんも、もし「自分は頑張っているのに注目されない」、「なぜやる気があるのに小さいことしか任されないのか」、「自分の努力を分かってくれる人なんていない」と思っていたりするのなら、その気持ちは一旦置いておいて、無言で雑務に熱中してみましょう。

早急な注目や評価は、別にここで求めるものではありません。

それより、小さい仕事が持つ大きな意義を自分の中で心得、地道に黙々とやってみることです。

いずれ、その作業を見ていた人が皆さんを引き立て、皆さんが何かを成し遂げた時には、「君は最初から違っていた」と言ってくれるに違いありません。

大きな仕事、かっこいい仕事、大事な仕事は、それを任される前の仕事をどれだけ大きな気持ちで成し遂げたか、によって決まるのです。

行動が先で評価は後であり、先に評価や報酬を求める態度では、張りのある仕事は任されません。まず、今の自分で最高の努力を見せましょう。

これは、就活でも同様です。

「40字で自分が分かるか!」と言う方。

それは分かるんですよ。



「5分の面接で何が分かるのか!」と言う方。

それもはっきりと分かりますよ。

制限字数や持ち時間が少ない、短いからと自分を飾ったり、背伸びしたり、手を抜いたりする人に、それ以上の字数や時間は与えなくてよいでしょう。

だって、「器が小さい人間」なのですから。


本気で頑張った人が、どうして他人や環境のせいにすることがあるでしょうか。結果を人のせいにするような行動は、そもそも動機や心掛けが間違っているのです。

本気で頑張ったのなら、結果がどうであれ「成功」だと思えなければおかしいし、自然に人に対しての感謝が沸き起こってくるものです。

ぜひ、自分こそは「世間が閑却しておかぬ有為の青年だ」と信じ、地道に努力を継続していきましょう。