■「内定への一言」バックナンバー編

「知力とは、新しい関係を発見する力のことである」





こんばんは。今日は数年ぶりの友人に博多駅でバッタリ再会し、感無量の気持ちで帰宅した小島です。

創業でお世話になった人々や迷惑をかけた方々にお会いし、恩返しをしていくのは今年の課題だったのですが、来年からはこの新たな課題も着実に実行していけそうで、改めて出会いの奥深さを感じます。

ほとんどの友人には、「学生サークルを応援している」というのは秘密の趣味のようなものだったので、別に誰も知らないのですが、今後はゆっくりと近況でも報告し、旧縁を温めていきたいものです。



さて、もう4年近くも学生さんと接していると、時々よく意味が分からない質問を受けたりすることも多く、時々、考えさせられる問いもあります。

初対面で…「これから、世界はどうなるんですか?」と聞いてきた人もいれば、「やっぱり、僕たちは年金をもらえないんでしょうか」と聞いてきた人もおり、そんなことは僕の答えることではなく、驚きました。

だから、「質問はちゃんと前提を説明して、よく考えてからするものだ」と言ったら、「すみません。では…エントリーシートって、どれくらい大事なんですか?」というかなり俗っぽい質問になり、二重に面食らったものです。

思いついたことを、よく考えずに次々と脈絡なく質問するのは学生さんの癖のようで、そのランダムぶりやトリッキーさは、聞いていて面白いものです。


さて先日、ある学生さんから、「知力って、どういう力ですか?」という質問を受けました。これは答えがいのある質問です。

「知力」とは「知る力」と書きますが、その本当の意味はインプットよりアウトプットに求めるべきものだと思います。もちろん吸収や消化も大切ですが、現実の生活や仕事に生きねば、あらゆる能力はないも同然です。

まさに「知って行わざる者、それを知らざるに同じ」で、知識については、「知っているかどうか」ではなく、「行っているかどうか」が判断の根拠です。

そう考えれば、知力の定義は「新しい関係を発見する力」だとは言えないでしょうか。

世の中の全ての「前進」や「成長」は、無関係と思われるものに関係を発見し、発見したその関係が実現するまで根気良く継続することにより、可能になります。

慶應義塾大学の元塾長・小泉信三博士も、『平生の心がけ』(講談社学術文庫)で、「不可能を可能にするのは、発明と練習しかない」と書いているのは、既にFUN Business Cafe
に来た方はご存知でしょう。

ということで、「無関係と思われているものに関係を発見・創造する力」がいかに目標達成に必要な能力なのか、以下、考えてみましょう。


まずは、「夢を描く(目標を持つ、あることをやりたいと思う)」ことにも、「関係を見つける力」が絶対に必要です。というより、この力によって夢は始まります。

我々の目の前には多種多様な情報が毎日大量に提示されていますが、その中から情報やチャンスを見つけるのは、ひとえにこの「関連付け」の力によります。

FUNではいつも、「何がやりたいか」よりも「どういう人間になりたいか」を考えるように言っていますが、それは、そう考えておけば、目の前の現実や現象の中から、即座に必要な情報を抽出できるからです。

「やりたいことを見つけたい」と考えれば、「やりたいか、やりたくないか」と考えますが、「こういう人間になりたい」と考えれば、「なれるかなれないか」と考えて、より積極的に課題と向き合い、夢に気付くことができるからです。

つまり、「他の人が関係ないと切り捨ててしまうかもしれない物事の中から、自分に関係ある、と思うものに反応しやすくなる」ということです。

「やりたいこと」を描く時に最も愚かな方法は、「今の自分の能力で実現が可能か?」と自問することです。こんなのは、全ての夢を捨てるための考え方です。

そもそも「夢」とは「今の自分に不可能」だからこそ描くものであり、賢い人は「今の自分にできなくても、将来の自分ができればいい」と考え、その将来像を自分と関連付けます。

多くの学生が悩む「やりたいこと」は、こういう「関連付け」の力によって、最初のスタートを得るのです。

そして、それが本当に関係あるかないかは、人に判定してもらうのではなく、自分でそう信じることによってのみ、証明されるものです。ですから、夢を持ったら、ネガティブな人とは絶対に相談しないことです。

ネガティブさ、暗さ、消極性とは、一言で言って、「関係を断ち切る思考習慣」の別の言葉です。あらゆる希望やアイデアは「関係ある」という発想に根ざすものであり、「関係ない」という思考癖は、希望や選択肢を縮め、潰す方向でしか機能しないからです。

めでたく、あることを「やりたい」と思えた人は、その日から、「自分はやりたいことがある人間なんだ」という自覚を手に入れ、それまでとは違った張り合いのある日々を過ごすことになります。

「張りのある日々」とは、言葉を変えれば、「様々な関係を発想し、実験し、改善していく日々」ということです。

本メルマガでも3年ほど前に「不安は気分に属し、希望は意思に属する」というアランの言葉を紹介したように、人は自分の頭で考えれば、絶対に不安になることはできないものです。

思考とは「関係を想像する行為」のことで、人間は考えて不安になることはありません。不安になる時は、必ずといっていいほど、対象を漠然と、気分的にしか把握していないものです。

仮に、「就活が不安だ」という人がいるのなら、その人はきっと、「何をすればよいか」、「どういう人間になりたいか」、「どういう人生を生きたいか」を全くといっていいほど考えていないでしょう。

「考えても分からない」からといって投げ出すと不安になりますが、「分からないから考える」という行為を続ければ、たとえ解決策が見えなくても、考えているうちは心を積極性で満たすことができるものです。

「考える」とは、まさに、新たな選択肢と自分を関連付ける行為であり、それが失敗したら新しい方法と自分を関連付ける行為であり、それがうまくいったら、それを自分の得意技と関連付ける行為です。

ですから、「不安な人」、「暗い人」とは、思考を放棄した人間だと言っていいでしょう。人は考え続ける限り、たとえ失敗しようが、未熟であろうが、絶対に不安や恐怖に支配されることはないからです。

要するに、「積極的ビジョン」と自分を関連付けている以上は、現在が悲観的状態や劣勢の中に置かれていようが、不安になどなれないのです。

同様に、学問やビジネスのあらゆる積極的営みも、それまでは「関係ない」とされたことに「新たな関係」を模索し、着想し、検証し、実現させることからしか、生まれません。

エジソンは京都の竹のフィラメントを使って白熱電球を完成させるまで、実に9,000回以上もの失敗をしたと言いますが、成功した際に新聞記者に「1万回近く失敗したそうですね」と言われ…

「違う。私はうまくいかない方法を見つけることに、9,999回も成功したのだ」と答えたエピソードは、3年ほど前にご紹介した通りです。

失敗とは、目の前の現実や自分の知識、経験の中から「関係」を生み出そうとせず、「もうダメだ」とそこで投げ出した行為に名付けられる名前です。

エジソンは何千回失敗しても、「だったら、○○なら電気がつくかもしれない」と考えました。要するに「関係」を想像したわけです。それが本当に正解かどうかは分からなくても、そう考えているだけで希望を持っていたのです。

そして、それでは電気がつかなかった時も、「そっか、じゃあ○○ならいいかもしれない」と経験に学んでさらに新たな関係を模索し、それを「できるまで」続けていきました。

なぜなら、彼が一番最初に発想した「関係」とは、「電気があれば、人々の生活は便利になる」という奇想天外な思いつきだったからです。

それはもしかしたら、「家の中に太陽があれば、誰でも夜に勉強が出来るのに」という、支離滅裂な「関係想像」だったかもしれません。

あるいは、「ガス灯」や「暖炉の火」では危ないので、「安全な明かりがあれば、誰もが快適に暮らせるのに」という非常識な「関係想像」だったかもしれません。

ということで、エジソンは「電気」と「生活」に勝手に関係を想像し、自分が知っている限りの「電気の原理」と、それを叶えそうな素材の結び付け(関係確認)に9,000回以上も挑戦し、「これじゃダメだ」という方法の発見に、その回数だけ成功した、というわけです。

物事は何であれ、発明されてみると、「なぜ、こんなに単純なことを今まで誰も考えなかったのか」と思うほど簡単に見えます。

しかし実際は、人々の嘲笑や同情も気にせず、ひたすら「新たな関係」を思い付き、実践し、実現させた先駆者あってこそそうなったわけで、やはり「知力とは新しい関係を発見する力」という定義は、ここでも正しく当てはまります。

ですからエジソンは、「失敗」という記者の言葉に驚き、「うまくいかない方法を見つけることに成功した」と言ったんですね。

他の誰が失敗だと思っていても、本人だけは「成功」だと思っていたからこそ、最初に思い描いた「関係」が実現されたわけです。

気分に落ち込まず、思考を続けたからこそ、希望が尽きることはなかったわけです。


「文学部だから金融業界は関係ない」

「社会福祉学科だから広告代理店は関係ない」

「英文学科だからIT業界は関係ない」



誰がそう言ったのでしょうか。誰が「関係がない」ということを証明したのでしょうか。きっと、「本人」以外にはいないでしょう。

人が「関係ない」と言おうが、自分が関係を想像すれば、目の前の選択肢は立派に「私の夢」になるのです。その関係がどれくらい本当なのかは、人に聞くことではなく、自分で耐えて実現させればいいことです。

人が「関係ない」と言う物事に新たな関係を見つけ、説得する力を手に入れれば、その人は世の中のあらゆる現実からチャンスを創造し、豊かな人生を手に入れられるでしょう。

FUNの部員の皆さんは、「自己PR」が「自分のことをアピールすること」ではない、ということを、散々聞いていると思います。

PRの原義が「Public Relation(相手と自分の関連付け)」であるということくらい、大学に行くほどの知力を持った皆さんなら常識として知っているでしょうが、自己PRとは「相手(企業)の可能性と自分の能力やビジョンを関連付ける作業」のことです。

それを知らずに、一方的に自分の経歴や長所をアピールして落ち、「やっぱり熱意が足りなかった」、「メイクが悪かった」などと苦しい努力をする学生もいますが、それは「不採用」と「メイク」を関連付けた結果です。

人間の知力とは、「現実と何を関連付けるか」を見ていれば、会話を交わさなくとも透けるように見えるものです。

ですから、関連付けを知性だと考えれば、「頭がいい人」とは、より積極的で発展的な選択肢や解決策と自分を関連付ける人のことです。

どんなに有名な大学を出ていようが、消極的で退歩的な選択肢を受け入れ、証明し、現実がどんなに自分に不利なのかを示したがる人は、頭が悪い人です。ですから、「不況」や「不可能」を証明するほど愚かな頭の使い方はありません。

さて皆さんは、自分の可能性と、どういう将来像を関連付けているでしょうか。自分の潜在能力の発揮のため、どういう作業を未来の予定として自分と関連付けているでしょうか。

「関係ない」は嫉妬深い人や人生の敗者の口ぐせです。「関係ない」と言いそうになったら、「いかん、いかん」と打ち消して、目の前の現実や頭の中の発想に、今一度、ぐっと集中する癖を付けましょう。

大学で得た全ての知識や経験は、今の自分と新たな可能性を関連付けることに役立ってこそ、学んだ価値を発揮するのです。

その意味では「関係を想像・構築・検証・実現する力」を身につける営みこそ「本当の学問」であり、そういう勉強をした人は、どう考えても、「就職が不安だ」とか「就活が嫌だ」とは思えないでしょう。

「就職が不安だ」とか「働きたくない」と考えているのなら、その人はどの大学に行っていようが、何の勉強をしていようが、まとまな勉強など全くやらなかった、という証拠です。

だって、「やりたいことがない」というのは、卒業後の自分と社会問題を一つも関連付けられていない、ということだからです。


僕は27歳で学生サークルをお手伝いすることになった時、頭は良くても、頭の使い方を間違って不幸と悲劇と貧困を量産する社会人の生まれる理由が、よく分かった気になりました。

それはひとえに「関係を描けない勉強方法」にあったのです。

ですから、FUNでは積極的に夢(自分の現実と未来の結び付け方)を発信し、反応しあう雰囲気を作るように、学生さんと一緒に頑張ってきました。関連付けの方法や着眼点こそ、「個性」だからです。

また、FUNで何度も「継続が大事」と言っているのは、継続力こそ知力だからです。

継続できない、つまり「中断」、「放棄」するというのは、「関係の想像をやめた」ということです。

ですから中断は、「意志が弱い」という問題ではなく、「頭が悪い」というべき問題です。人は考え続ける限り、やめられないものだからです。「継続力がない人間は無能」というのが、事実だと言えるでしょう。

それは「無理だ」というアイデアと自分を関連付ける行為なので、人は何かを描いて中断するほど、どんどん頭が悪くなっていくものです。

知的耐久力を萎えさせた人には、それ相応の報いがあるものです。

「中途半端」な人は意志が弱いのではなく、忙しいのでもなく、単に頭が悪いだけ。知識の有無ではなく、考えようとするかしないかによって、人生の成功は大きく左右されるものだと覚えておきましょう。

学生とは「未来からの留学生」であり、全ての学生は、自分と関連付けた何か、と同一の存在になっていくものです。

自分をニートと関連づけた人はニートになり、起業家と関連づけた人は起業家になります。何とも関連付けなかった人は、無職になります。このよように、「描いたことは全て叶う」のが人生の真実です。

ならば、自分を価値ある何かと関連付け、その過程で積極的な関係を不断に想像し、数多くの「うまくいかない方法」を見つけることに成功し、最終的には「最初に描いた夢」と自分の関係を実現させたいものですね。

年末はこの一年を振り返り、新たな可能性と自分をつなぎあわせて、来年はそれを実現できるよう、最初から良いスタートダッシュを切っていきましょう。

「夢への自己PR」は、毎日できることですよ。