■「内定への一言」バックナンバー編
「君子固より窮す。小人窮すれば濫す」(論語)
こんばんは。最近は甥っ子、姪っ子の動画があまりにもかわいくて、昼夜逆転しかけている小島です。
今日の就活コース第⑤回は、用意していたプリントが足りなくなるくらい参加者が増えて、またもや場所の心配が出てきました。学生さんの口コミって、ほんとにすごいですね。
3年生の皆さんも毎週髪が黒くなっていって、5~6月くらいまでこのままなんでしょうが、中には「友達に気付いてもらえませんでした」という方も…。う~ん、なかなかコメントが難しい言葉でした。
今日は「失敗」や「短所」の捉え方についてお話しましたが、皆さんとても素直でグループワークもどんどん進み、なんと理解が早いことかと感心しました。どのグループも「長所はすぐに出てきました」と言っていて、頼もしい限りです。
そんな中、僕は皆さんの最大の長所は「素直さ」だと感じました。素直であれば、長所は尊敬を呼び、短所は共感を呼ぶものです。素直であることは、どんな資質にも先駆けて最も根本的な長所となるものです。
そして、この素直さは、逆境にあっても自分を正しく導いてくれる資質です。
『論語』に、「君子固より窮す。小人窮すれば濫す」という言葉があるのをご存知の方も多いでしょう。FUNでは営業塾やリーダー塾で何度も説明した言葉なので、ほぼ全員が知っていると思います。
苦境に陥った孔子に対し、門人の子路が「先生でも困ることがあるのですか」と半ばやきもきしながら尋ねた時、孔子が答えた言葉として、論語の中でも特に有名な一節ですよね。
「君子固(もと)より窮す。小人窮すれば濫(らん)す」とは、「優れた人でも困ることはある。優れた人は困っても取り乱さないが、器の小さい人は取り乱す」という意味です。
就活でも仕事でも、失敗や挫折、予想外の出来事、意図とは違う結果が「問題」なのではありません。
誰しも、何かをやろうとすれば、意識しているにしろしていないにしろ、ある程度の想像や計画をもって取り組むものです。
そして、いざ行動してみると、想像や計画とは違う結果が出ることも多いもの。むしろ、正確に合致した結果が出るほうが少ないのですが、優れた人はいつも素直で落ち着いているため、その失敗を見つめることができるのです。
「想像-結果=失敗」か、「想像-失敗=結果」とでも捉えてみれば、失敗自体が失敗なのではなく、誤差や不足を埋めようとせずにごまかしたり、逃げたりすることの方が失敗だと、誰でも理解できるでしょう。
その意味では、もしその人にもう少しだけの粘り強さや長期的視点があれば、「失敗」とは「想像」と「結果」の誤差を教えてくれ、「次にやるべき努力」の方向性と程度を教えてくれる、有り難いバロメーターにもなるものです。
失敗とは、行動が「そこで終わった時」のみ、結果に対して付けられる名前であるに過ぎません。次の行動を想像できる人には、それはいつも「ミニ成功」です。
ということで、その気になれば、人生では失敗する方が難しいわけです。
しかし、人は往々にして「中断」、「挫折」、「怠慢」などで「最初の行動」と「次の行動」をつなぐことを忘れ、物事を中途半端に済ませて自己嫌悪に陥ってしまいがちです。
これは、その失敗が大きいかどうかによるのではなく、その人の器が小さいことによります。
予想外の事態が来た。望んでいない結果が出た。
こういう、誰でも経験することに対して、「よりよく予想する」、「よりよく望む」という、初心に根ざした対処を行う人は、次は一層成功に近付きます。
「窮すれど濫せず」、つまり「困っても取り乱さない」からです。困ることや悩むことと、取り乱したり逃げたりすることは「別のことだ」というのが、成功者の考え方です。
しかし、同様の事態に遭遇して、「逃げる」、「中断する」、「騒ぎ立てる」、「弁解する」という行動を取る人もいます。
失敗や挫折自体は何ら意味を持っていないのに、こういう人たちは二次的な「受け止め方」によって、体験にネガティブな意義付けを行ってしまうのです。
ですから、問題は常に「失敗」からではなく、「濫す」という態度から生まれた現実逃避、怠慢、延期、論理のすり替え、弁解…から起こります。
こういう態度は、「行動の失敗」よりさらに大きい失敗だと言えるでしょう。なぜなら、継続への熱意を奪ってしまうからです。
人より何かに熟練しよう、卓越しようと思ったら、忍耐と継続なしにそうなることは絶対にありえません。
愚かな人は「最初から成功しよう」と思ってレベルの低いことばかりを「新しい自分発見!」と言ってやりますが、要するに精神力が弱いだけの話です。
あらゆる能力は、「ある」と思って挑戦し、困難に打ち勝つか、あるいは継続的に何かに取り組んだ後で確認されるものです。
人は何かを、「できる能力」があると思うからこそ、やります。そして、「ない」と思った時にやめます。あるかないかは、科学的に証明できることでもなく、ただ「やり続けること」によって確認されます。
「ある」と思えばこそより良いアイデアを練ろうともすれば、再起への情熱を振り絞ることもできるのです。ですから、「窮すれど濫せず」の心掛けは、就活では必要不可欠です。
受験みたいに一人で点数を取ればいい努力とは違って、就職は「相手」がいます。ですから、自分だけの都合で事が運ぶことはありません。
学生意識が抜けきれないうちは、何度も何度も「不採用」になるでしょう。中には、再起不能に陥るほど自分を否定され、自分の甘さに打ちのめされることもあるでしょう。
問題は、そういうことが起こるか起こらないかではなく、起きた時にどう受け止めるか、です。
そういうことが起きないように逃げてしまえば、誰からも否定されることはない進路を選ぶこともできます。それは「フリーター」といって、似た人以外の誰からも肯定されない生き方です。
「窮すれば濫す」の人には、最後はこういう仕打ちが確実に訪れるものです。
ですから僕は、今も希望を捨てずに頑張る4年生を、全力で応援したいと思っているのです。
「窮すれど濫せず」の人は共感と尊敬を呼びます。僕はそういう人の差さえでありたいと願ったので、そういう仕事をしてきた結果、サークルのお手伝いもやっているわけです。
皆さん、そこで右腕を思いっきり力を入れて伸ばしてみて下さい。
そして、その右腕を左腕で思いっきり曲げようとしてみて下さい。
曲がらないでしょ?腕が細い女性の方であれ、力を込めて伸ばした腕は、なかなか曲げられないものです。
ですが、「もういいや」と右腕の力を解いてみたら…。
あらら、さっきまではビクともしなかった右腕が、いとも簡単に「ふにゃっ」と曲がってしまいました。
ということで、皆さんの意志は他の誰も邪魔できないわけです。「自分」以外の人には。やめるのも、ダメだと思うのも、逃げるのも、諦めるのも、全部「自分」しかできないことです。
今日の就活コースでも話したことですが、「失敗しない人」になんてならなくて結構です。失敗しないのは、動かない人か逃げる人だけです。
それよりも、「失敗に強い人」になりましょう。予想外を歓迎し、失敗によって自分の世界が広がることを喜び、逃げれば掴めない可能性をしっかりと掴み、素直な気持ちで前進していきましょう。
我々社会人、とりわけ採用側にいる僕たち経営者は、若者のそのような姿を見ると、誰をおいても「ウチに来ないか?」と思いますよ。合同説明会で確かめてみて下さいね。
「君子固より窮す。小人窮すれば濫す」(論語)
こんばんは。最近は甥っ子、姪っ子の動画があまりにもかわいくて、昼夜逆転しかけている小島です。
今日の就活コース第⑤回は、用意していたプリントが足りなくなるくらい参加者が増えて、またもや場所の心配が出てきました。学生さんの口コミって、ほんとにすごいですね。
3年生の皆さんも毎週髪が黒くなっていって、5~6月くらいまでこのままなんでしょうが、中には「友達に気付いてもらえませんでした」という方も…。う~ん、なかなかコメントが難しい言葉でした。
今日は「失敗」や「短所」の捉え方についてお話しましたが、皆さんとても素直でグループワークもどんどん進み、なんと理解が早いことかと感心しました。どのグループも「長所はすぐに出てきました」と言っていて、頼もしい限りです。
そんな中、僕は皆さんの最大の長所は「素直さ」だと感じました。素直であれば、長所は尊敬を呼び、短所は共感を呼ぶものです。素直であることは、どんな資質にも先駆けて最も根本的な長所となるものです。
そして、この素直さは、逆境にあっても自分を正しく導いてくれる資質です。
『論語』に、「君子固より窮す。小人窮すれば濫す」という言葉があるのをご存知の方も多いでしょう。FUNでは営業塾やリーダー塾で何度も説明した言葉なので、ほぼ全員が知っていると思います。
苦境に陥った孔子に対し、門人の子路が「先生でも困ることがあるのですか」と半ばやきもきしながら尋ねた時、孔子が答えた言葉として、論語の中でも特に有名な一節ですよね。
「君子固(もと)より窮す。小人窮すれば濫(らん)す」とは、「優れた人でも困ることはある。優れた人は困っても取り乱さないが、器の小さい人は取り乱す」という意味です。
就活でも仕事でも、失敗や挫折、予想外の出来事、意図とは違う結果が「問題」なのではありません。
誰しも、何かをやろうとすれば、意識しているにしろしていないにしろ、ある程度の想像や計画をもって取り組むものです。
そして、いざ行動してみると、想像や計画とは違う結果が出ることも多いもの。むしろ、正確に合致した結果が出るほうが少ないのですが、優れた人はいつも素直で落ち着いているため、その失敗を見つめることができるのです。
「想像-結果=失敗」か、「想像-失敗=結果」とでも捉えてみれば、失敗自体が失敗なのではなく、誤差や不足を埋めようとせずにごまかしたり、逃げたりすることの方が失敗だと、誰でも理解できるでしょう。
その意味では、もしその人にもう少しだけの粘り強さや長期的視点があれば、「失敗」とは「想像」と「結果」の誤差を教えてくれ、「次にやるべき努力」の方向性と程度を教えてくれる、有り難いバロメーターにもなるものです。
失敗とは、行動が「そこで終わった時」のみ、結果に対して付けられる名前であるに過ぎません。次の行動を想像できる人には、それはいつも「ミニ成功」です。
ということで、その気になれば、人生では失敗する方が難しいわけです。
しかし、人は往々にして「中断」、「挫折」、「怠慢」などで「最初の行動」と「次の行動」をつなぐことを忘れ、物事を中途半端に済ませて自己嫌悪に陥ってしまいがちです。
これは、その失敗が大きいかどうかによるのではなく、その人の器が小さいことによります。
予想外の事態が来た。望んでいない結果が出た。
こういう、誰でも経験することに対して、「よりよく予想する」、「よりよく望む」という、初心に根ざした対処を行う人は、次は一層成功に近付きます。
「窮すれど濫せず」、つまり「困っても取り乱さない」からです。困ることや悩むことと、取り乱したり逃げたりすることは「別のことだ」というのが、成功者の考え方です。
しかし、同様の事態に遭遇して、「逃げる」、「中断する」、「騒ぎ立てる」、「弁解する」という行動を取る人もいます。
失敗や挫折自体は何ら意味を持っていないのに、こういう人たちは二次的な「受け止め方」によって、体験にネガティブな意義付けを行ってしまうのです。
ですから、問題は常に「失敗」からではなく、「濫す」という態度から生まれた現実逃避、怠慢、延期、論理のすり替え、弁解…から起こります。
こういう態度は、「行動の失敗」よりさらに大きい失敗だと言えるでしょう。なぜなら、継続への熱意を奪ってしまうからです。
人より何かに熟練しよう、卓越しようと思ったら、忍耐と継続なしにそうなることは絶対にありえません。
愚かな人は「最初から成功しよう」と思ってレベルの低いことばかりを「新しい自分発見!」と言ってやりますが、要するに精神力が弱いだけの話です。
あらゆる能力は、「ある」と思って挑戦し、困難に打ち勝つか、あるいは継続的に何かに取り組んだ後で確認されるものです。
人は何かを、「できる能力」があると思うからこそ、やります。そして、「ない」と思った時にやめます。あるかないかは、科学的に証明できることでもなく、ただ「やり続けること」によって確認されます。
「ある」と思えばこそより良いアイデアを練ろうともすれば、再起への情熱を振り絞ることもできるのです。ですから、「窮すれど濫せず」の心掛けは、就活では必要不可欠です。
受験みたいに一人で点数を取ればいい努力とは違って、就職は「相手」がいます。ですから、自分だけの都合で事が運ぶことはありません。
学生意識が抜けきれないうちは、何度も何度も「不採用」になるでしょう。中には、再起不能に陥るほど自分を否定され、自分の甘さに打ちのめされることもあるでしょう。
問題は、そういうことが起こるか起こらないかではなく、起きた時にどう受け止めるか、です。
そういうことが起きないように逃げてしまえば、誰からも否定されることはない進路を選ぶこともできます。それは「フリーター」といって、似た人以外の誰からも肯定されない生き方です。
「窮すれば濫す」の人には、最後はこういう仕打ちが確実に訪れるものです。
ですから僕は、今も希望を捨てずに頑張る4年生を、全力で応援したいと思っているのです。
「窮すれど濫せず」の人は共感と尊敬を呼びます。僕はそういう人の差さえでありたいと願ったので、そういう仕事をしてきた結果、サークルのお手伝いもやっているわけです。
皆さん、そこで右腕を思いっきり力を入れて伸ばしてみて下さい。
そして、その右腕を左腕で思いっきり曲げようとしてみて下さい。
曲がらないでしょ?腕が細い女性の方であれ、力を込めて伸ばした腕は、なかなか曲げられないものです。
ですが、「もういいや」と右腕の力を解いてみたら…。
あらら、さっきまではビクともしなかった右腕が、いとも簡単に「ふにゃっ」と曲がってしまいました。
ということで、皆さんの意志は他の誰も邪魔できないわけです。「自分」以外の人には。やめるのも、ダメだと思うのも、逃げるのも、諦めるのも、全部「自分」しかできないことです。
今日の就活コースでも話したことですが、「失敗しない人」になんてならなくて結構です。失敗しないのは、動かない人か逃げる人だけです。
それよりも、「失敗に強い人」になりましょう。予想外を歓迎し、失敗によって自分の世界が広がることを喜び、逃げれば掴めない可能性をしっかりと掴み、素直な気持ちで前進していきましょう。
我々社会人、とりわけ採用側にいる僕たち経営者は、若者のそのような姿を見ると、誰をおいても「ウチに来ないか?」と思いますよ。合同説明会で確かめてみて下さいね。