■「内定への一言」バックナンバー編

「肉体労働とは、給料が後払いの仕事だ」





おはようございます。最近は読者の方からちょこちょこ感想メールを頂いて、密かに温かい気持ちになっている小島です。

昨日は数ヶ月ぶりに筑女のTさんとお会いしました。相変わらず素直な野心家で、ついつい部室が閉店するまでおしゃべりしてしまいました。良い素質を持った学生さんとお話すると、こっちまで元気になってきます。

まだまだ、「元気をもらう」なんてことを考えるほど老けてはいないつもりです
が、それでも「若者」を少し客観的に感じるようになったのは、今月また一つ年
を重ねるからかもしれません。



それにしても、今でこそ学生さんのサークルを手伝い、冬になると「就職支援」をやってはいますが、僕がいかに就職に興味がないかは、ゆっくりお話した人なら全員が知っているでしょう。

といって、別に粗末な対策をするわけではありませんが、僕は「ただ、終えて安心するだけの就職」は納得がいきません。「受かったら遊ぶだけ」の受験指導が有害無益なのと同じで、やはり終わった後にこそ責任を果たせるようなお手伝いこそ、望ましいと考えています。

M地君の「未熟のプロ」の中で描かれている社会人のような「内定して不幸になった人たち」はたくさんいます。というより、内定しか考えていなければ、誰でも「オフ」が楽しみになるでしょう。

そもそも、人生全部が「オフ」のくせに…。



ですから、昨日久しぶりに話したTさんのように、青年らしい野心を捨てず、周囲とそれなりに付き合いながらも「私は普通のOLでは終わりたくない!」と明るく話してくれる学生さんを見ると、「そうそう、チョコレートケーキごちそうしよっか?」と嬉しくなってくるものです。

「ちょっとちょっと、そーゆー話じゃないんですってば」と言われそうですが、内定した後、働き始めた後に、その人の志望動機が本物だったかどうかがよく分かるので、野心を持った若者は存在自体が貴重です。

こういう若者を大事にしない大学、学校の都合だけで就職指導を粗末にしてきた大学が「廃校寸前」ということですが、そりゃ、どんどん倒産すればいいだけのことです。あとは老人ホームになれば固定資産の有効活用というものです。



さて、仕事には「肉体労働」と「知識労働」の二つがあり、両者の違いを端的に説明している本としては、FUNでもよく紹介している『ワーク・オブ・ネーションズ』(ロバート・ライシュ/ダイヤモンド社)、『ネクスト・ソサエティ』(P・F・ドラッカー/ダイヤモンド社)があります。

特に『ワーク…』は、読んだ学生さんはほぼ全員が「自分で持っておきたい!」と言い出したため、市内のブックオフから姿を消してしまったようで、それだけ指摘が学生さんの描く将来像と合致したのかもしれません。

この本では、ドラッカーの「産業社会vs知識社会」という二分法、『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』(ロバート・キヨサキ/筑摩書房)の「ESBIの四分類法」とも違った職業分類を試みており、それが学生さんにヒットしたようです。

ライシュ教授は、世の中の全ての仕事は「①ルーチン・ワーカー、②インパースン・サービス、③シンボリック・アナリストの3種類に分類できる」と言っています。

①ルーチン・ワーカーとは、「肉体労働」で、作業が前もって決められ、誰がやっても同じで、収入は作業量や労働時間によって決められるという、社会主義的な労働形態のことです。

②インパースン・サービスとは、「接客業務」のことで、人と直接会って問題を解決する形態の作業です。「変化が速い(多い)」ということは、取りも直さず「説明が増える社会」ということであり、この分野が拡大することで、女性の特質である柔らかさ、安心感が雇用に転化してきた、と説明しています。

③シンボリック・アナリストとは、未発見の課題を社会や時代から抽出し、色々なイメージ操作を試みて最適解を見つけ、それを商品やサービス、あるいは新種のビジネスに結晶させる、真の知識労働のことです。


ドラッカーが「産業の収益構造」から雇用形態を分類し、金持ち父さんが「資産の有無と処分形態」から働き方を分類しているのと比べ、ライシュ教授は「ビジネスの生まれ方と収入の支払われ方」から分類しているのは面白い対比で、もちろん全て有益な解釈でFUNでも全て教えました。

学生さんにはいつも、「シンボリック・アナリスト」が評判がいいようです。「これが本当の企画だと思いました」、「就職課の説明には笑ってしまいました」、「OB訪問で会った先輩の頭は古かった」などといった感想を今までの数年で聞きましたが、それも無理はないでしょう。

本書は現代アメリカの政治論で、シンボリック・アナリストの説明は全体の4分の1くらいですが、それでも「頭脳労働」と「肉体労働」がいかに決定的な差を持ち、社会の格差を広げているかが、よく分かります。

かなり難解な箇所も多い本ですが、要約してみると、「その仕事が頭脳労働か肉体労働かは、給料がいつ支払われるかによって決まる」というポイントを詳細に説明した本だとも言えます。

そして、給料が「働いた後」、つまり「後払い」で支払われる形態の仕事を、「肉体労働」と呼ぶのです。

その他、肉体労働の特徴は、①業務ではなく出勤(存在)に対して給与が支払われること、②自分で結果と収入を決定できないこと、③仕事の成果によらず、給料の変動はほぼないこと、が挙げられます。

ですから、大卒の95%が「就職」と呼んでいるのは、全て「肉体労働」のことなのです。大学生は工事現場のあんちゃんを見て、「きつそーやねー。オレは肉体労働はしたくないなー」と言っています。

でも、別にスーツを着ていようが、有名企業に入社しようが、厳密に会計的視点から収入形態を見れば、大卒も「おしゃれな肉体労働者」に過ぎません。

だから、僕は「20代は先を見据えて働き、収入の重心を上に上げていけ」と言い続けているのです。


「私は公認会計士の勉強をしています!これは高度な頭脳労働です!」と言う人もいます。そりゃ、会計士が弁護士に次ぐ超難関試験なのは知っています。僕には到底あんな努力はできません。だから、月5万円で頭をレンタルする方が合理的です。

問題は「会計士の資格を保有しているかどうか」ではなく、「資格を生かしてどういう仕事をしているか」にあると言っているのです。

せっかく資格を取ったのに、他よりちょっと高度な計算をしているだけの「計算労働者」になっているのは、実にもったいないことだと思います。それより、ビジネスを生み出して、先にお金をもらえる形態の仕事をすればいいのに…。

やっている仕事が難しいから肉体労働じゃないとか、高度な専門知識を必要とするから頭脳労働だとか言うのは、詭弁に過ぎません。会計の勉強をしているのに、そんなことも分からないのかと疑ってしまいます。

ビジネスの最も中核的な能力とは「設計した収入を達成できる力」にあります。その設計・達成能力がない人間と、設計の努力を放棄する人間は、「組織」に思考を代行してもらって、「後払い」の給料を受け取るわけです。

つまり、体よくできた現代版奴隷制度で、奴隷には移動や通信の自由はありますが、収入決定権と労働計画権はないのです。要するに、「人生の結果の決定が他人によって行われる」という性質の生き方が「肉体労働」だと言えるでしょう。

わが国の学校教育では、「集団恐喝術」として、マルクス・レーニン直伝の「労働三権」を必ず教えます。世界広しといえども、「もらうこと」を優先して訴えた宗教はマルクス主義しかありません。

このマルクス教の信者になると、「給料を払ってくれるのは会社だ」、「残業手当を付けろ」、「長年働いているのだから給料を上げろ」とか愚かなことを言い始めるのです。

年功序列、終身雇用、企業内労働組合を総称して「三種の神器」と呼び、それを駆使した経営を「日本型経営」とか「日本型資本主義」と言うのは、ごまかしもいいところです。


それは、れっきとした「社会主義」のことです。資本主義というのは、収入は労働時間ではなく需給関係によって決まり、収入が上がるかどうかは「どれだけ時間を節約したか」によるのです。

「時間をかければ価値も上がる」というのは労働価値説的発想で、肉体労働者は99%、こういう発想をしています。

特に、優等生やエリート校を出た人ほど、わが国では共産主義者のような発言をします。

九産大大学院のTさん、わが日本は「資本主義」の顔をした社会主義国家なのです。

日本の学生がなぜ勉強しないか、サラリーマンがなぜ死にそうな顔をして通勤電車に乗っているのか、なぜ年末は酔っ払いたがるのか、なぜ外国人を見たら「日本語、上手ですね」しか言うことがないのかを知りたかったら、ぜひ社会主義の観点から日本の学生を観察してみて下さいね。

外見はおしゃれで、使っている言葉は現代風ですが、日本の学生の90%はマルクスと全く同じ事を考えていますから、面白い異文化交流になると思いますよ。

時々、中国に行くと「中国のパワーはすごい!社会主義的市場経済だか、改革開放政策だか知らないけど、圧倒された!」と言っていますが、Tさんの国こそ「社会主義」の顔をした資本主義国家なので、わが国の若者は「資本主義」に驚いて帰国しているわけです。


レーニンは「働こうとしない者は、食べようとすることもできません」という聖書の言葉を借用して、「働かざる者食うべからず」というスローガンを生み出し、世界中に広げました。

わが国のレーニン大好き先生たちはこぞってこの言葉を子供たちの頭脳に刷り込み、「働く=一生懸命体を動かすこと」という先入観を植え付けました。

問題は「働く」とはどういうことか、それをまず考えることです。人から命令され、既に前もって効用と結果が定められた仕事を「9時5時」でこなすことだけが「働く」ことだとしたのが社会主義です。

反面、人に雇用を提供し、先を見て大きなビジネスを生み出すことを肯定し、経済的成功を人生のモチベーションに加えて嫌がられない社会が資本主義社会です。

社会主義者は「差別とは、格差を広げることだ」と思っていますが、資本主義者は「差別とは、格差を埋めることだ」と思っています。

「人間が平等」なんて、馬鹿げた発想です。それは事実でも科学的知識でもなく、単なる願望か妄想に過ぎません。

「子供は純粋でかわいいものだ」という現代の「こども信仰」を信じた若い親が、「純粋でもなくかわいくもなく、言うことを聞かなければわがままを言って泣いてばかり」の子供を見た時、いかに無慈悲な虐待に走ることか。

「純粋無垢」という思いこみがなければ、子供の未熟さも含めて愛することができるというのに、何も学習、経験していない0歳か1歳くらいで「純粋無垢」と決め付けられた赤ちゃんが、本当にかわいそうです。

同じように、マルクス主義教師から「人間は平等だ」と聞かされて育った子供たちが、人間の能力には天地の開きがあり、受験やスポーツはそれを無残に暴露し、社会では「収入」がテストの点数の役割を果たす…と知って、受け入れるはずがありません。

「平等だ」なんて馬鹿げた小児病的信仰に走らなければ、個々人の優れた特性や能力を生かして価値ある社会貢献を描き、それに従って教育も設計できるはずなのに、わが国では馬鹿の一つ覚えみたいに「偏差値=受験校」みたいな発想で教育をやっています。

だから、本来は厳然と存在している「格差」を認めず、それを埋めると叫ぶ政治家が大量の票をもらう…。国民は「人からどう見られるか」ばかりを気にし、比べられることを恐れ、勝てるところばかり肥大化させて見栄を張る…。

選挙の存在しない中国の共産党政府が「全国人民代表大会」などと言って、国会めいた会議をやっているのも現代のパロディですが、中学生レベルの会計も分からない現代日本の労働者が「格差是正!」などと根拠なく党名と候補者名を叫ぶだけの選挙で「民主主義ごっこ」をやっているのも現代のパロディです。

『マネー塾』では、現代社会のあらゆる「建前」と「ごっこ」を打破し、普通に生活を続けるだけで経済的にも人間的にも納得できる「豊かさ」を手に入れるための全10章の知識を、分かりやすく説明していますから、ぜひお買い求めになることをオススメします。

「役に立たなかったら?」と聞く人もいます。別に全額返金しても構いませんよ。今まで誰一人として「聞いて損した」という人はいないのですから。というより、最初の月から節約と貯金がうまくいって、すぐに元を取った、という人がほとんどです。

「飲み会+カラオケ」みたいな、いずれトイレに流れるだけの時間に投じるお金の2回分で知識と考え方を買った方が、何十倍も得だというのは、会計センスを身に付けて一流企業に内定した先輩が等しく声を揃えることです。

人生の重要な判断では、くれぐれも「できない人」、「いい人」、「ただの大衆」には相談しないことが大事です。

皆さんは、

「知らないうちにお金がなくなっていた」が「知らないうちに貯金がたまってた」になり、

「いつの間にか借金がたまっていた」が「いつの間にか資産ができていた」になり、

「どんどん仕事が嫌で会社をやめたくなってきた」が「どんどん仕事が好きでビジネスに興味が出てきた」になり、

「ボーナスが出るまではやめられん」が「毎月ボーナス」になったら、

どう思いますか?



要するに、「信用されていないから後払い」の肉体労働人生と、「期待と信頼を集めて先払い」の頭脳労働人生では、どちらがいいのかと聞いているのです。

『ワーク・オブ・ネーションズ』も、100円で見つけるのは困難ですが、半額の850円でも絶対に買っておいた方がいい本です。これが難しそうだと思った方は、先に『ネクスト・ソサエティ』でもよいでしょう。

今だからこそ「見えない部分」、つまり知識や考え方に時間とお金を投資し、どんどん頭と心を耕していきましょう。そうすれば、毎日が「収穫の楽しみ」に満たされた時間になりますよ。