■「内定への一言」バックナンバー編
「群盲、象を撫でる」
こんばんは。さっきネットで新聞を見たら、紅白歌合戦の歌手の半分近くが誰なのか分からなかった小島です。
今日の就活コースには、九産大の院に通う中国からの留学生・Tさんが参加してくださり、終了後も楽しいお話を伺うことができました。
話題は中国経済や日本の採用制度、日中の人材育成の問題点、就職と退職の課題、大学教育など短時間で色々と移り変わり、スターHDのKさんも加わっての「日中人事談義」の続きが楽しみな第④回でした。
謝々。請イ尓一定再来星期六。
さて、今日のテーマは「経営分析の方法」で、会計の初歩の初歩として「資本」や「投資」、「回収」についてお話しました。
僕は会計や経営を芸術のように美しい体系だと思っているので、今後も少しずつ学生さんと勉強し、一緒に楽しさを味わったいきたいと思っています。
「社長の熱い話に感動しました!」
「社員の方の明るい話に共感しました!」
「会社説明会が分かりやすくて面白かったです!」
そりゃ…誰でも感動しますよ、それくらい。だって、「採用活動」なんだから。
だからこそ僕は、普通の人ではなかなか感動できない事実や可能性を見抜いて将来のチャンスを創造できる勉強が大事だと思うのです。
なぜ経営の仕組みや会計を学ぶのが大切かと言うと、広告宣伝では決して見えない可能性や、熱い話の裏にある事実にしっかりと気付けるようになるからです。
フィナンシャル・リテラシーとは、「大きい会社に入る要領」より、「会社を大きくする実力」につながる知識だからです。
今は昔、僕の就職の志望動機は「小さくて、無名で、不安定な会社」に入ることでした。こういう動機を話すと、友達からは「何考えてんの?」、「危ないんじゃない?」と言われたものです。
でも、絶対にマイナーで、小規模で、倒産の危険性もあるような会社で、誰も知らない商品を扱う仕事がしたかったのです。
だって、僕は当時、「社長」になることを目指していたからです。将来、ゼロから事業を起こすからには、マイナス収支の会社を再建できるくらいの実力がないと、とても無理だと考えたのです。
だから、全てが整った会社に入るよりも、ほとんどの条件が欠落した環境で自分の発想力や説明力、集中力、継続力、忍耐力を鍛え、個人の力を徹底的に高めたいと思ったわけでした。
社名を言えば…「それって会社?」。
商品を説明すれば…「ふーん、知らんね」。
契約を提案すれば…「潰れない?」
こういう状態の会社で働けば、嫌でも僕の実力と信用が痛感できるだろうと思ったので、海外勤務から帰国した後は、誰から何と言われようが、小さくて無名で危ない会社を「第一志望」にして会社を探しました。
予想通り…給料は安く、失敗の連続で転回が速く、無報酬の残業で週末は潰れ、締切り前は深夜2時、3時の帰宅も続きました。
資金繰りに苦労して事業者金融からの電話が鳴り響き、ボーナスは存在せず、福利厚生など考えることさえない最高の環境でした。
僕はここで2年頑張り、全8人の営業社員の中で最年少ながら全売上の4割を上げるようになり、コンサルティングを行う子会社の設立にも関わって、25歳で退職しました。
絶対に体験したかった「赤字会社の再建」に関わった後、大企業で働く友達の扱う商品をちょっと紹介すると…あらあら、なんと簡単に売れることでしょう。
というより、人が既に知っている商品を売るとは、なんと簡単なことか、と驚きました。また、資金繰りや原価率を気にしなくていい営業がなんと楽かにも驚きました。
まるで、「100m走」という競技は「プールの中」で行うものだと思っていたら、実は「陸上」で競ってよいという事実を知ったような感覚で、同期生の頭の回転が止まって見えるほど、スピードが遅く感じました。
小さく、無名で、不安定な会社で必死で働くことで、僕は今につながる説明能力や粘り強さ、長期的ビジョン、人を励ますリーダーシップ、全ての業務をこなす実務能力を手に入れたわけでした。
海外勤務とベンチャー出版社勤務で得た能力で生み出したお金は、東証一部上場の優良企業に就職した友人が稼いだお金の何倍もの収入をもたらしたので、「20代前半は苦労と経験に投資する」という僕の「資産運用計画」は、見事に成功したわけでした。
しかし、こういう考え方を新卒の皆さんに当てはめるわけにもいきません。それは無責任というものです。
ですから、特に独立起業を望む学生さんには、「苦労できる会社に行け」とは言いますが、そうでない方には、社員としての働き甲斐が得られる仕事をおすすめしています。
その判断の際も、やはり「会計」はとても役に立つものです。
たとえば、今日の就活コースでお話した「黒字と赤字」の件でも、僕は毎年、多くの学生さんが「赤字恐怖症」のような反応を見せることに素朴な疑問を抱いています。
あまりに早く「危ない」とか「やめた方が良さそう」と言うので、何を分かってそういう判断をするのだろうか、と興味を持ったのです。
それで、ちょっと聞いてみると、「赤字=倒産」のような安易な拡大解釈を行っているようでした。
しかし、企業財務というものは全て「総体的」に見なければ本質は見えないもので、ただ「赤字があるから」といって、それだけで悪い会社であるとは言えません。
逆に、悪い黒字もあるのです。もちろん、いい赤字もあります。
例えば、A社は満を持して新事業をスタートし、1億円をかけて工場を設立しました。財務状態もそう悪くないA社は、この1億円全てを「銀行借入」でまかないました。
A社の計画では、1億円の工場を1年かけて作り、2年目で1億円を売り上げて返済に充て、2年目で2億円を売り上げて完済する、という予定でした。
しかし、いくら広告宣伝に力を入れても売上は思うように伸びず、値下げとローラー営業を行っても売行きは悪化するばかりで、さらに悪いことには、近隣にさらに規模が大きいB社が進出してきました。
A社の社長は素早く「この投資は失敗だった」と決断し、事業縮小と撤退を決意して、ただちに損失を今年度の会計に繰り入れ、A社の帳簿には「赤字」が記録されました。
帳簿を見る限りは「赤字」です。それは「今年度」の赤字です。
もしこの年にA社の選考を受けようと思っている学生さんがいれば、この一時的、断片的な「赤字」だけを情報だと勘違いして、「危ない」と言って受けないかもしれません。
しかし、銀行から1億円も設備投資資金を調達できたA社の武器は、何よりもこの「決断の速さ」と「撤退の潔さ」にあったのです。新事業進出はロマンも伴い、最初はお金を使うばかりなので気持ちいいものです。
その反面、「撤退」の何と難しいことか。
新事業には勇ましい社長も、撤退や整理、縮小に失敗してウジウジしているうちに傷を広げ、会社自体を倒産させてしまう例は、昔から数え切れないほどあります。
「損切りできれば名社長」というのは、経営や投資の奥深さを表す言葉だと思います。
一方、A社のエリアに割り込んできたB社は、A社に近い値段で売り始めたものの、それはA社の客を奪うためで、実質的にはA社より高い原価率で販売していました。
そのため、「売れば売るほど赤字が増える」という状態になり、A社が撤退する頃には、新事業で増えた赤字がかなりの額に累積していました。
B社はプライドが高かったため、工場の端っこの「社用地」を売って赤字を埋め合わせ、「特別利益」というアクロバットで、「黒字」の帳簿を作りました。
もしこの年にB社の選考を受けようとした学生さんがいれば、「特別利益」とか「新事業で単年度黒字」という事実だけを見て、「すげー」とか言って受けるかもしれません。
しかし、これは「悪い黒字」です。だって、「特別利益」とは、本業以外の資産売却や会計上の工夫で作り出す利益のことであり、純粋な業務でもたらされたものとは言いがたいからです。
しかし、長期的、総体的、会計的に見る視点がない学生には、単に「黒か赤か」しか基準はないでしょう。
表面の「黒」を信じて入社したら、1年たつかたたないかのうちに会社が倒産し、後輩と一緒にまた就職活動をしてた…なんて例も多々ありますが、知識がない人がこういう目に遭うのは、気の毒ですが仕方ないことです。
「親の借金を肩代わりして、限られた時間で熱心にアルバイトと勉学を両立して学業に励む学生」でも、帳簿上は「赤字人間」となります。
外見も性格も良く、誠実な努力家で、勉強もできて友達が多い学生でも、奨学金をもらっていれば「赤字人間」です。
反面、「親の金で大学に行かせてもらって、遊びまくっている学生」は黒字人間です。仕送りとバイトで生活し、レポート提出はいつもギリギリで、時間が空けばパチンコに通っている学生も、黒字人間です。
しかし、もしこのような人と普段仲良く接していれば、どちらが将来的に成長する人間か、本当に赤なのはどちらか、将来友達とするにはどちらの人がいいか、誰でも分かるでしょう。
「今だけ」や「表面だけ」を見て即断する人以外には。
表面的事実や、限られた情報がもたらす先入観だけで、対象の全てを知ったように錯覚する人を「象を撫でる群盲」と呼びます。
多くの本によく引用される言葉なので、聞いたことがある人もいるかもしれません。
正しくは「群盲、象を撫でる」と言います。
盲人が数人で「象」という巨大な動物を触っているところに、あなたが「象とはどんな動物ですか?」と尋ねたとします。
ある盲人は牙を触り、「象とは硬く冷たい動物です」と答えました。
ある盲人は鼻を触り、「象とはゴツゴツ、グニャグニャ動く動物です」と答えました。
ある盲人は皮膚を触り、「象とはザラザラ、のっぺりした動物です」と答えました。
ある盲人は口を触り、「象とはネバネバとした温かい動物です」と答えました。
これらの答えは、いずれも間違っています。
しかも、これらの断片をいくら「情報」としてつなぎ合わせても、「象という本体」に対する認識や愛情がなければ、断片はいつまでも断片のままです。
さらに触るほど、次々と奇妙な情報が集まり、最後は「おそろしく奇妙な動物」を想像するしかないでしょう。
「経営」という行為の本義を知らず、「仕事」の本来の感動を知ろうともせず、ただ先輩や友人から流れてきただけの「噂」で…
「営業?きついらしいぜ」
「広告?帰り遅いってよ」
「ベンチャー?危ないって聞くね」
などと言っている学生さんを見るたび、「群盲とはこのことだ」と感じずにはいられません。
学べば学ぶほど選択肢と可能性を減らしていくなんて、それのどこが「勉強」なのでしょうか。それで仮に知識がたくさんあったとしても、そんなのは「学ぶほど頭が悪くなっている」だけのことです。
せめて「社会で自分の力を思いっきり試したい!」、「世のため人のため、立派な仕事がしたい!」という情熱でもあれば、少ない情報をもっと有効に活用できるのにと思うと、本当に惜しいと感じます。
だからこそ、僕はどの学部の学生さんであれ、どういう業界を志望している学生さんであれ、必ず会計的視点と基本的な簿記の知識を教えることにしているのです。
大学で学ぶ財務諸表論がどういうものか、僕は大学を卒業していないのでよく知りませんが、商学部や経済学部を卒業したことになっている社会人に聞いてみても、それは著しく学術的に過ぎ、とても実用の域に達している会計知識とは思えません。
これからの就活コース、特に1月以降は、「熱い話」や「面白い説明」ではなく、事実や事業履歴から沸々と感動とチャンスを手に入れられる「会計センス」を鍛えていくので、どうぞお楽しみに。
まず先に「象」を見て、その大きさや愛らしさに感動しましょう。「部分」に詳しくなるのは、それからでも十分間に合いますよ。