■「内定への一言」バックナンバー編
「遺産を積んでからそれを与えようとするより、
今一瞬を優しい気持ちで分け与えなさい」
(ゲーテ)
こんばんは。赤坂ベローチェの住人・小島です。
就活コースや他の外部講座に参加されたメルマガ読者の方から、「こわそうな人と思っていた」と聞いたので、これからはイメージ補正のため、毎号、配信の時間帯に合わせて一言「○○の小島です」というあいさつを入れていくことにします。
変なことばかり書くと思いますが、よろしくお願いします。
昨日は営業塾④の後、すぐさま韓国語塾の講師に変身して西南会館3階に向かったら…。
なんと、韓国語学習歴1年弱の福岡女子大2年・Nさんが、30曲以上のK-POP全曲を翻訳して持ってきているではありませんか。
思い返せばある夏の日、「やってみる?」と軽く聞いたことで始まった耐久戦…毎日大きなカバンに辞書やノートを詰め込んでコツコツ取り組んでいるのは知っていましたが、分厚いファイルを見て、よく頑張ったものだと感心しました。
ざっと見てみたところ、僕が手を加える箇所はほとんどないようです。あっぱれ。
作業の多さよりも苦しかったのは、案外、「いい加減にしろっ!」と言いたくなるくらい甘すぎる韓国の恋愛の世界を一人で想像して日本語に翻訳することだったかも…。
あんな言葉で言い寄られたら、日本女性はイチコロじゃないかと思うような歌ばかりで、とても日本の歌では表現できないくらいの思いが続々出てきます。Nさんは「何これ!ストーカーやん!」と言ってましたが…。
Nさん、本当にお疲れ様でした。どうもありがとうございます。
さて今日は、ある人から「日頃どんな心掛けで学生と接しているのか」と聞かれたので、平素の心掛けについて書いてみたいと思います。
といっても、それは別に珍しいことでも何でもなく、FUNの講義ではテーマを問わず、全てに共通させている僕の根本理念である「与える」ということで、今さら改めて説明する必要がある話題でもありません。
しかし、人は焦ると自分のことばかり考え、自分のことばかり考えてまた余計に焦り、悪循環の中でストレスや劣等感を増幅させていくことがあるものです。
よく考えてみれば、与えることほど多くを受け取れる行動はありません。
たとえば学生さんに何らかの知識をプレゼントすると、素晴らしいアイデアを見せてもらえます。あるいは一つの考え方を提供すると、感動や真剣な疑問をもらえます。
これは仕事でも同じで、あるアイデアやヒントを提供すると、契約や代金などをいただくことができます。些細な心掛けですが、僕は何事も相手より先にもらわず、まずは何か与えてから自分の意見や要望を表明することにしています。
もう一つは、与えるのにいちいちタイミングを選ばないことです。何か完成してから与えようというのでは、「相手が求めているタイミング」というチャンスを逃し、共感の基盤を失います。
いつでも「今与えられる最高のものを」と考えていれば、時に応じて、要望に沿って何かを与えることができ、人に喜ばれるばかりか、自分も豊かな気持ちになれます。
大きなものを小さな気持ちで受け取ってもらうより、小さなものを大きな気持ちで届け、大きな気持ちで受け取ってもらって、さらに大きな喜びに浸る…というのが理想の関係です。
「営業塾」でも毎回強調していることですが、商品や与えるものの価値は、受け取る側の興味関心、もしくは感謝が作るのです。与える側が価値を作ることはできません。
相手が求めている時に応えず、「もっといい状態になってから」、「まだ自分は与えるものはない」と考えてチャンスを逃すのは、「自分が価値を決められる」と思っていることから起こる過ちです。
しかし、そんなことはありえません。物もお金もアドバイスも励ましも、求められた時に優しい気持ちを添えてプレゼントする時、それは自分が思う「最高の状態」よりも最高の状態で相手の気持ちに響くものです。
既にFUNでは人気の『いきいきと生きよ』(手塚富雄/講談社現代新書)には、ゲーテの「遺産を積んでからそれを与えようとするより、今一瞬を優しい気持ちで分け与えなさい」という言葉があります。
人生で行われるやり取りから「疑い」、「屈辱」、「恥」、「負担」、「圧力」などの障害を取り除き、純粋に授受を喜べるようにするには、「今一瞬」に込める優しさが欠かせません。
僕はこの言葉が大好きで、ぜひ体で実感したいものだと感じたので、今まで自分の損得を抜きにして、相手がどう考えているかを基準に何かを与えたりもらったりしてきましたが、やはり「今一瞬の優しさ」の効果は絶大だ、という結論への確信を深めるばかりです。
そういう意味で、僕は学生の皆さんよりやや長く生きてきたので、自分の中に蓄積した諸々の知識や考え方を、それを求める学生さんに「講座」の形式で毎週、延べ100人近くにプレゼントしています。
営業、スピーチ、ビジネス、マネー、近現代史、作文、取材、面接、タイム・マネジメント、リーダーシップ、財務・会計、PC、ホームページ、韓国語、起業、就活対策…。
学んだ学生さんから「人生が変わった」、「未来が明るくなった」、「今知れて良かった」、「早く内定しなくてよかった」、「自分が好きになった」、「生きがいが持てた」などの感想を聞くのは、話した側としても大変嬉しいことです。
与える側の僕だって、聞いた学生さんに劣らない満足や幸せを感じているのも事実です。
僕は誰からやらされているのでもなく、ただ未来ある学生さんが「ただの可能性」に終わらないよう、何か役立つお手伝いができれば、という一社会人のささやかな願いから顧問を引き受けているだけです。
もらうのも嬉しいけど、与える側はもっと嬉しいという人生の真実を知れば、皆さんの毎日もきっと、今以上に楽しく豊かなものになるのではないでしょうか。
そもそも、就活とは「与えるため」にやる活動であってこそ正しい動機も生まれ、選考結果も望ましいものになるはずなのに、現代の学生の中には浅ましい学生もいて、「いかにもらうか」ばかりを考えている人もいます。
社会人にも、いかに契約を取るか、いかに高額をせしめるか、いかにもらい続けるかばかりを考えて営業に臨む人もいますが、そんなのは最初から嫌われに行くも同然です。
大抵の人は「自分はどれだけもらえるか」をいつもいつも、寝ても醒めても考えているものです。
だったら、それと同じ価値基準で「他人より多くもらうにはどうしたらいいか」を考えるのは浅はかというものです。
もらいたがる人が多いなら、与える側に回ればいいのです。簡単なことですよね。与える側になれば、もらいたい人が続々と集まってきます。
うまくいきたければ、大衆と逆の発想で動くことです。「~してくれ」、「~してほしい」、「~してもらいたい」という潜在的な卑しさを捨て、「~してあげたい(奉仕)」、「~しましょう(共有)」という気持ちに立脚した生活や仕事を行うことです。
皆さんは就活で、あるいは社会人生活で、これから誰に何を与えるのでしょうか。もらうことを考えるのもそれなりに必要ですが、与えない人には与えられる資格はありません。
待遇や勤務条件、給料に注文を出す前に、自分は会社や社会に何を提供できるか、今一度考えてみましょう。
受け取っているものが少ないと嘆くなら、日頃、誰に何をどれくらい与えているか、今一度振り返ってみてはいかがでしょうか。