■「内定への一言」バックナンバー編

「されど世に貴賎あり。貴賎は学問より生ず」(福沢諭吉)



毎年この時期になると、業界事情や就活対策についての質問がよく来ます。それらについては、本メルマガで近くアンケートを実施し、ご要望に沿ってお答えしていこうと考えています。

「未経験」に根ざす質問には正確な知識を。
「未熟」に根ざす質問には自信と希望を。

というのが僕の方針ですが…。

中には時々、「偏見」に根ざす質問が来たりして、「一体どういう意味なのか?」とこちらが勘ぐってしまうような問いもあります。


その代表といえば、やはり「女性は職場で不当に抑圧される」という誤解と偏見に満ちた先入観です。

ソ連が崩壊し、中国が改革開放路線に舵を切って以来、失業した共産主義者たちが「環境、人権、福祉、ジェンダー、平和」などの世界に潜伏し、運動家となって悪あがきをしている…。

というのは知っていましたが、どうやらその余波が純粋な女子大生にも及んでいるようで、僕は一経営者としても、この偏見はどうにかしないとな、と感じています。


そもそも「不当な抑圧」とは何でしょうか。育児休暇が取れないことでしょうか。結婚適齢期になると、採用が難しくなることでしょうか。男性に比べて給与が少ないことでしょうか。

ジェンダー主義者が陥っている最大の過ちは、「家庭よりカネの方が大事」という偏見です。

「子育ては労働より価値が低い」と思っていなければ、とてもこういう主張はしないだろうな、と思うような異常な発言を聞いていると、「時代遅れでマルクスに間接洗脳された哀れな女たち」という感がないでもありません。


大体、「働く女性は男性より給料が低い」という主張は、可視的要素だけに焦点を絞った「視野狭窄」の代表で、マルクスもびっくりの馬鹿馬鹿しい主張ですが、これを堂々と述べる運動家おばさんを見ていると、「これじゃ誰ももらい手がいなくて当然だ」と思ってしまいます。

単なる「区別」を、人間の劣性に呼びかけて「差別」にすり替えてしまうのは、共産主義者が古くから得意としてきた手法です。

某ちょうにち新聞のアンケートではありませんが、サラリーマンに「生活は楽になりましたか?」と聞いて、「そうでもありませんね」という当たり前の答えが返ってきたら、翌日は「景気回復実感湧かず。庶民の懐いまだ寒し」と載せるくらい、アホらしい手法です。


ジェンダー主義者は、この手法を時代遅れで活用して、「あなたは抑圧されています」、「搾取されているのです」、「権利を奪われているのです」と呼びかけ、生活や人生の「不足」が「女性であることに由来する」とうそぶきます。

こういうヒステリー女の特徴は、「男性といて幸せを味わえない」という性格的欠陥を抱えていることで、根本的な行動原理は「嫉妬」に根ざしており、要するに「幸せな家庭を許せない」というだけのことです。

「専業主婦を尊重するか否か」をシンプルに観察すれば、ジェンダー主義者の狙いはバレバレ、というのがよく分かります。


例えば、ジェンダー主義者は「女性の給料は少ない」と主張しますが、この女性が結婚して主婦になった時に適用される税制については、何の知識も持ち合わせていません。

専業主婦やパート女性には「配偶者特別控除」という形式で税制優遇措置が取られるのは、常識中の常識です。男性は「提示価格」は高いかもしれませんが、雇われ人である限り「累進課税」の適用は避けられず、全額をもらえるわけではないのです。

しかし、非課税の「育児手当」などもあります。あるいは「住宅手当」もあります。世帯を持っているなら、なんとかその補助ができればと、企業も苦しいながら、形を変えた「女性の給料」を、男性社員に向けて払っているわけです。


こういう手当ては「女性差別」でしょうか。男性がもらっているといっても、それは「家庭で働く奥さんの負担を減らしたい」という立派な動機に基づいて捻出されているのに、「男がもらえば男のもの」というのは短絡的な決めつけでしかありません。

しかし、経済に暗く「提示価格」だけ、あるいは「男性が受け取る給料袋」だけを見て「女性は抑圧されている」とヒステリックに叫ぶジェンダー主義者たちは、会計の「か」の字も知らない人がほとんど。

だから、「自分の手で受け取れるカネ」ばかりを求め、意味不明な主張を大声で叫び始めるわけです。まさしく「唯物論者」丸出しの思想で、説得するのもアホらしいほどの無知です。

最近、結婚に失敗した女性や、独身を長引かせて「運命の出会い」が訪れなかった女性たちがヤケになって、「配偶者特別控除」の撤廃を求めています。

「配偶者特別控除」とは、育児の負担がある主婦や、時間労働型の勤務形態を持っている女性には、所得税や年金で優遇措置を行おうという税制で、もし仮に男性と同じような給与・昇進形態であれば、男性と比べて一生で「1,500万~3,500万」の出費を減らせる仕組みになっています。

別に「給与」の形で支払われなくても、「免税」の形で支援するなら経済構造上は何ら変わりはないのですが、ジェンダー主義者たちは算数の初歩も分からない無知なヒステリック女が多いので、こういう説明を聞き入れません。

ですから、「ハイグーシャショトクコージョ、テッパーイ!」と意味も分からずに叫んでいるのです。

もし念願叶って、これが撤廃されたとしましょう。こんな性悪な女でも、「結婚しよう」という男性が表れるかもしれません。

二人は幸せに結ばれ、かわいい赤ちゃんを授かりました。



妻 「ねえ、あなた、もっといいミルクを買ってあげたいんだけど、育児手当はつかないの?」

夫 「しばらく前に国会で、育児手当撤廃と独身女性所得優遇法が可決されたろ?あれで育児手 当はなくなったのさ」

妻 「まあ、許せない!じゃあ、あたしが働くから」

夫 「それはやめてくれ。おれも我慢するから、節約してこの子を立派に育てよう。母の愛情を受けて今の時期を過ごせば、この子も優しい人間に育つよ」

妻 「でも、あなた。そういったって、うちの収入はあなたの給料だけじゃきついんだから」

夫 「しかし、おまえが働いて仮に月15~20万稼げたとしても、そのうち2割は税金や年金、社会保険で持っていかれるぞ」

妻 「あら、まあ。許せない!なんで働く女性をそんなに差別するの?」

夫 「それは、おまえが昔やっていたフェミニズムの運動が流行して、配偶者所得控除が撤廃されたからさ。あれ以来、日本の家庭は母親がホステスになったり肉体労働をしたりして、どんどん崩壊してるんだ」

妻 「…あたし、家庭のことを考えているようで、実は何も考えてなかったのね」

夫 「算数の初歩さえ分かれば、給料と税金の関係くらい子供でも理解できるはずなんだが、最近の女は大学を出たくせに会計が分からないようなバカも多くなったからな」

妻 「あたし、間違っていました」

夫 「いいんだよ。しっかりこの子を育てよう」



今の「数字オンチ」、「ヒステリック教育」が増長すれば、日本中の家庭で将来このような会話がなされるのは明らかですが、一度「区別」を「差別」と取り違えた人間の頭脳が、当初の純粋な心理に戻るのは困難です。

失業した共産主義者は、それこそ世の中の「格差」というものを探しに探し、あまりそれを気にしていなかった人にまで話題をぶつけ、「あなたは差別されています」、「あなたは抑圧されています」と呼びかけるので厄介です。

口先では「女性の自由」とか「家庭からの解放」と耳障りのいいことを言っていますが、そんなのは90年前にレーニンやスターリンが主張したのと全く同じ事を分野を変えて言っているだけのことです。


よく聞けば、それは「自分だけカネが欲しい」とか「幸せな家庭は特権だ」と曲解しているだけのことで、もちろん経営者側の不明や採用側の無理解は改めねばなりませんが、「育児」が「労働」の下にあるとは、絶対に認められない傲慢です。

こういう愚かで不幸な女性たちの運動は、ソ連が崩壊した後に盛んになり、夫婦別姓論議や男女共同参画社会論議が下火になったことで、もう終わったのかと思っていたら、なんと、今は「大学」で堂々と行われているというではありませんか。

大学の先生が共産主義大好き人間というのは重々承知していましたが、まさかこのような「理論以前の嫉妬」を、学生から巻き上げた授業料を投じて「授業」として提供しているとは、面白すぎて信じられませんでした。


僕は、共産主義者やジェンダー主義者ほどの差別推進者はいないと思っているのですが、会計や経済の基本、あるいは日本の伝統などを全く知らない独身OLから、かつて集中砲火を受けた経験があります。

僕が「育児は事業よりも大変で重要な使命だ」というと、「男だからそう言える」と連帯して文句を言います。

僕は、女性への敬意と家庭への愛情からそう言ったに過ぎず、あんたらのような「もらい手がいない賞味期限切れ女」に言ったんじゃないと言ったら、「ホーケン的!」と言われてしまいました。


少し前、景気が回復してきた頃に、名古屋の女性の生き方が好意的に紹介されたことがありました。

仕事より家庭に女性の幸福を求め、専業主婦としての教養と知識を優先し、母親と一緒に繁華街に買い物に行く女性たちです。

ジェンダー主義者から見れば、こういう女性たちは「目の敵」で、そういう女性たちが登場し、脚光を浴びるのはどうしても許せなかったらしいので、大きな誤算だったことでしょう。またまたマルクスに裏切られて、本当にかわいそうです。


僕が女子大生と話していても、「専業主婦」として幸せな家庭を持ちたい、という女の子はいっぱいいます。

お母さんと仲が良く、家ではいつも話し、買い物やカフェにも一緒に行く、という人もいます。お父さんはと聞くと、「あんまりしゃべらない」と言われて、僕はそのたびに「お父さん、すごい!と応援してあげよう」と言ってます。

女子大生のみんなも、結婚までの貯金や自己資金のために働くのは望むし、育児の後に社会復帰する際、年齢や家族構成が障害になるのは嫌だから、と聞いたので、僕はFUNの発足時から会計や起業を教えているのです。


家庭にいても財産を増やす知識や、勤務しなくても所得を得られる知識、資産を賢く運用して夫を側面支援し、子育てで満足な教育を提供するための会計知識。あるいは保険や税金の知識。

それがあれば、社会に確かに存在するいくらかの不都合をかいくぐり、女性としての幸せと社会人としての幸せを両立でき、もしかしたら男性以上に充実した人生を送れるかもしれないと思い、「女子大経済学部」を開いたのです。

母子家庭に生き、母の苦労を見て育った僕が身に付けた経済知識を、少しでもサークルを通じて還元できれば…。そういう願いから、コツコツやってきたのでした。


それはもう、見学に来た人が即座に入部するほどの大人気でした。僕は経済センスと事業観に優れた母の教えを元に、お金の知識を女子大生に教えたのですが、それ以来、FUNで金融業界志望者が増えたのは、誰もが知っていることです。

彼女たちに聞いてみて下さい。誰が会計を知って損したかと。

僕を「服がいつも同じ」、「修行僧みたい」という人はいても、「ホーケン的」と言う学生はいないのではないでしょうか。「信じるものは救われない」というジェンダー主義に浸る前に、絶対にFUNで勉強した方がお得です。


「ホーケン的!」…。

何が封建的なのでしょうか。賞味期限切れ女は、それが「上下関係があること」だと言います。まさしく共産主義者です。

上下関係があるなんて、当然ではないですか。地位に応じて責任や権限が変わるのは、人間社会では当たり前すぎるほどの常識です。

「封建的」というのは、その上下関係が「固定されて変わらないこと」を言うのです。それが法律や制度で決められている状態を言うのです。大卒ならそれくらい知っていると思ったのですが、ジェンダー女は頭の方も原始人並のようで、小学生よりも教育に苦労するものです。

中には、「韓国は夫婦別姓で先進的だ」とおっしゃるジェンダー女もいました。お得意の「外国はこうだ!論法」です。

しかし、僕が韓国に15回訪問し、大統領令嬢の前で韓国語でスピーチをこなすほど韓国語に堪能だという事実を知らなかったのは、かえすがえすも残念なことでした。

韓国では「本貫(ポングヮン)」という一族の出生地が古くから細かに記録されており、その系図は「族譜(チョクポ)」と呼ばれ、もし職場で運命の出会いを果たした男女でも、「本貫」が一緒であれば結婚できず、熱愛も一気に冷める…というのが通例です。


そして、「族譜」には女性は記載されません。正しくは女性を一族を構成する人間として認めず、系図から除外したきたのです。「別姓」なのは、何も女権を尊重してそうなっているのではなく、ただ単に、文化的風習から「同姓になれない」という措置を取られてきたに過ぎないのです。

韓国では別姓が当たり前で、お父さんとお母さんの苗字が違うのは当然で、別に子供がそれを不当差別だと思っていることもありません。それが文化というものでしょう。

韓国女性は、日本女性が都合よく「平等」を主張するのとは比較にならないほどの悔しさを味わっており、子供を通じた代理戦争たる「お受験」の熱は、日本がかわいく見えるほどの熾烈さです。


他にも「婚需(ホンス)」などという文化もありますが、賞味期限切れ女もようやく自分たちの頭の悪さを反省して泣き始めたので、語りませんでした。

一人、「女を泣かせるのは女の敵だ」とか言うOLもいましたが、女を泣かせたというよりは、人間として美しいものを思い出し、それを忘れて醜い権利主義に囚われていた自分を反省して泣くというのは、自然なことでしょう。

女として泣くべき時に泣かないような唯物主義者を作るような女こそ、女の敵です。うちにテレビがない僕に、そんな三流アホドラマのようなセリフを言ったって、いくらでも泣かせるだけです。


福沢諭吉はかつて言いました。

「天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず」。

「平等」と「反権力」が好きな日教組の共産主義者たちは、冒頭のこのセリフだけを引用して、純真無垢な子供たちに、福沢諭吉は「平等主義者」だったかのような誤解を注入していますが、その先を読んだことはないようです。


この後には「されど世に貴賎あり」と続きます。さらに進むと、「貴賎は学問によりて生ず」とあります。

偉大な教育者である福沢諭吉先生は、「人間は元より平等である。しかし、現実の世の中には貴賎が絶えない。それは何によって生じるかと言えば、勉強の努力による。だから自分は学問をやる意義を皆に説くのだ」と言っているのです。

だいたい、この本の表題は「学問のすすめ」であって、「平等のすすめ」ではありません。いくら財布から諭吉先生が逃げていくからといって、その腹いせに冒頭の文句しか挙げないというのは、愚かすぎます。


美しく賢い女子大生の皆さん。世の中には女性を理解できない経営者もいます。僕も全てを理解しているとは言えません。

しかし、「場外観客席」にいるだけのジェンダー主義者よりは、経営者の方がよっぽど女性と育児に理解があるというのは、断言できることです。

確かに「アジア的風習」や「日本文化」とやらのせいで、女性の皆さんが不快な思いをすることもあるでしょう。男性もストレスや不当な努力と戦っています。


しかし、だからこそ相調和し、その中で得た優れた思想や知恵を子供に伝承していく協力が、夫婦の幸せになっていくのでしょう。そうして育てたかわいいわが子が、社会で立派に活躍する姿を見送ることこそ、女性として持ちうる最も幸せな夢の一つではないでしょうか。

そして、政治的利益を厚化粧の下に隠し、きれいごとを言って近付いてくる人々に注意しましょう。そういう意見を聞く時は、本当の家庭の幸せと子供の明るい未来を考えているか、注意深く聞くことです。感情に流されてヒステリックになると、もう後戻りはできません。

さらに、社会には多くの公的助成金や補助制度があります。会計や税制を知らないだけなのに、それを「不当抑圧」と勘違いしている無知な女性も多いのです。


学生時代の今は、多くのことに悩むでしょう。しかし、それが「癒し」によって解決されることは絶対にありません。解決はいつも、「正しい知識」がもたらします。

その場限りのストレス解消や現実逃避といった愚かな対策に走らず、現実をしっかりと見つめ、正確な情報と知識を積み重ねていきましょう。

就活で「女性って、○○で不利らしい」と学生さんが噂で不安になっていることの大半は、労働市場で働く僕から見れば、最初から存在しない悩みですよ。


男女の問題もまた、経営と同じように、「対立」ではなく「調和」によってのみ、解決されるものです。

「完全な条件」とは、男女ともに、「会社に求めるもの」ではなく、「半分は自分で満たすもの」です。

この世に一人だけ、女性だけ、男性だけで味わえる幸せなどありません。全ての幸せは、「共同作業」によって人と分かち合われる時にのみ、味わえます。


学生なら男女問わず、もっと知識を得て、しっかり自分で考える習慣をつけましょう。