■「内定への一言」バックナンバー編

「人間は応対辞令一つで分かる」(伊藤肇)




本メルマガ『内定への一言』を、就活サイトでおなじみの「ダイヤモンド就活ナビ」さんが、東京の大学での就職説明会の時に、就職意識啓発資料の一つとして使って下さるそうです。

担当のS様は、もう2年近く本メルマガを読んで下さっており、東京ならもっと良い情報もあるのでしょうが、多くの媒体・ツールの中から九州の一サークルが発信している情報を選んでいただき、大変嬉しく思っています。

個人的趣味で始めたメルマガでも、3年間休まず続けると、どこで誰に広がるか予測ができないほど広がるものです。東京の学生も情報の速さばかり求めて深さがないので、時代錯誤の本メルマガが何かの役に立てば幸いです。

ダイヤモンド就活ナビさん⇒ 
http://www.shukatsu.jp/



他には、某短大から「就職課の非常勤講師になってくれ」とか、某私立大から「就職イベントの専任講師になってくれ」といった打診が来ていますが、ダイヤモンドさんや日経ナビさんのように真剣に学生を思っている人以外の提案は、「一切お断り」です。

学校の都合最優先で、「内定実績」、「合格実績」だけ作ればよいと考える今の学校教育こそ、僕が最も軽蔑しており、破壊したいと思っているものだからです。

ネットや説明ブースだけカッコつけて、中身はスカスカ。本メルマガがすごいと思うなら、真似すればいいんです。おそらく、「内容」はおろか、「継続」だけでも真似できないでしょうが。


倒産寸前の大学のご都合主義で振り回された若者が、今どれだけ悲しく、みじめな思いをしているか。彼らの悩みや後悔を、我が事として共感できる先生や職員が、一体何人いるのか。

僕は学生を相手に働いている者ではなく、ただのサークル顧問を善意で引き受けているだけの一社長に過ぎませんが、そういう詐欺まがいの就職指導の犠牲者にはいたく同情します。

FUNはそういう学生さんにも再起のチャンスを創造するサークルですから、大学などとはそもそも、実力やフォロー体制に雲泥の差があります。



本メルマガをお読みの大学関係者の皆様。

私ども経営者と違って実社会を知らない分、能力の低さと知識の古さには同情しますが、せめて熱意と根気だけは持って下さいね。若者は「自分に真剣になってくれる大人」との出会いで、一瞬にして変わるんですから。

ネットだけ充実させればよい、という「馬鹿の一つ覚え」は即刻やめて、早く二つ目を学習なさって下さい。あなたたちも一応、大学くらいは出たんでしょうから。


そして、「自分なりに頑張ってるんだ!」などという愚かで幼稚な反論はやめて下さい。面白すぎて涙が出そうです。あなたたちも、組織から食わせてもらっているとはいえ、一応「社会人」なのでしょう?

何が「自分なり」ですか。甘すぎて笑ってしまいます。「自分なり」だから、何も価値あることができないんでしょう。自らの限界突破に挑戦しようとしていない大人など、若者に軽蔑されるだけです。

あなたたちは「仕事だから」とか「担当だから」といった奴隷のような「義務感」でやっているんでしょうが、こちらは「使命感」で向き合っているんです。そのため講座や情報のレベルが違いすぎ、誠に申し訳ございません。


読者の皆様に断っておきますが、これはサークルの総意ではなく、あくまで僕個人の意見です。僕はどの組織からも何も受け取っておらず、完全に独立した経済状況・職業環境を持っているので、自由に書いています。

そして、このような精神的自由を確保できるところでのみ、本当に学生の立場に立った情報提供や就職アドバイスが可能だと確信しています。

といっても、僕は別に新卒の就職サポートが仕事じゃないので、謝礼が「たけのこの里」や「カゴメトマトジュース」というのが、唯一「それでいいんですか?」と疑われるところですが…。



さて、就活シーズンに突入すると3年生が気にし始めるのが、「学生言葉」です。

日本語の乱れが嘆かれて久しいですが、あからさまに「仲間内でしか通じない」という言葉は、誰しもすぐに矯正できるもので、さほど心配はいりません。

しかし、厄介なのは「無意識のうちに間違っている」という言葉。


僕の世代と比べてみても、今の学生さんの漢字書き取り能力の低さと敬語使用の乱脈ぶりはなかなかすごいものです。

僕の世代は「知らないから書けない、言えない」だったのが、今の世代は「間違っていて気付かない」という傾向があるように感じます。

どっちもどっちですが、自覚できない方がより深刻な問題だと思うので、今日は特に、面接などで聞いたら知性を疑ってしまいそうな表現をいくつかピックアップしてみましょう。



①「おっしゃられる」

大学、学年、男女を問わず、もれなく間違っている敬語の代表で、「おっしゃる」がどういう言葉から構成されているかを知らない人がよく使う言葉のようです。

「おっしゃる」はそもそも、「仰せ有る」が縮約された形。「仰せ」という言葉は「お言葉」に近い意味で、これに最初から敬意が含まれています。

ですから、さらに「られる」を付けると「二重敬語」になってしまい、おかしいです。



学生さんは、手っ取り早く「られる」を付ければ敬語になると勘違いしているようですが、そんなに甘いものではありません。

「こいつ、まともな本読んだことあるのか?」と見くびられないよう注意しましょう。


「ご覧になられましたか?」も同種の間違いですよ。



②「よろしかったでしょうか?」

例えば「ご注文はこちらでよろしかったでしょうか?」、「お客様、この商品でよろしかったでしょうか?」というふうに、ファミレスなどでよく聞く意味不明な接客用語の一つです。

「よい」かどうかは、現在における承諾の対象に対して考えることで、今同意することが必要なのに、それを勝手に過去に決まっていたように決め付ける「よかったでしょうか?」は、日本語が分かる人には不快です。

さらに始末が悪いことに、最初から間違っている「過去形」でありながら、形容詞だけを「丁寧語」にして「よろしい」を用い、「よろしかったでしょうか?」などと言うのは、来日間もない留学生と勘違いしてしまいそうです。



昔、僕も留学生とよく付き合っていましたが、今でも覚えている面白い日本語の間違いが2つあります。

一つは「配る」と「くたばる」を取り違え、日本語の授業で百人一首をしていた時に、「先生、早くくたばって下さい」と言ってしまった韓国人の友達の例。

もう一つは、「お」を付ければ丁寧語になることを覚えた中国人の友達が、ゴミ捨ての時、大家さんに「さっきおふくろを捨てました」と言った例。本当は「ゴミの袋」と言いたかったんでしょうが、一瞬驚いてしまう表現です。

これらは外国人だから笑って済ませるものの、もし日本人の大学生が「顔は真剣、言葉はコメディ」だと面接で失笑を買うので、注意しましょう。



③「拝見させていただきました」

これもそもそも、「拝見」の「拝」自体が謙譲の意味を含んでいるんですから、その後にわざわざ「させていただく」と付けると、二重に謙譲の意味を作ってしまって卑屈に聞こえます。

正しくは「拝見いたしました」か「拝見しました」でよく、わざわざ語尾までへりくだる必要はないんです。

さらに「ご拝見させていただきました」などとエスカレートする若者もいますから、今のうちに「ジャポニカ学習帳」を買って練習しておかないといけませんね。



④「いただいて下さい」

「いただく」は、それを受け取る側が使う謙譲語です。

それを、顔や仕草は丁寧で、相手に謙譲を強制するというのは、かなり違和感がある言葉です。

正しくは「召し上がって下さい」で、別に就活で食べ物を渡すことはないでしょうが、社会人になれば新人のうちはお茶を出すこともあるので、笑われて社長に恥をかかせないよう注意しましょう。



⑤「申された」

「はい、一次面接の時、部長さんが申されました」と笑顔でハキハキ言うと、それだけでさわやかな若者に映りそうですが…。

「申す」も元来は謙譲語で、自分より地位が高い人の動作を謙譲語で叙述しておきながら、語尾だけ「れ」を付けて敬語にするというのは、かなり難度の高いアクロバット技です。

正しくは「おっしゃいました」だけでよく、「申す」のはたいてい自分か、あるいは取引先に不在担当者の伝言を伝える時の動作表現でしかなく、それをお客様や志望企業の人に使うのは、どう考えてもおかしいです。



ということで、代表的で、かつ同種の不正表現と質的に近い原因を持つ間違いを5つ紹介してみましたが、皆さんの「正答率」はどれくらいでしたか。

日本には日本語が正しくしゃべれない若者も多く、なんと、大学生の20%は「小学校5年生程度」の読解力しかないそうです。

さらには、60%は「中1レベルの語彙」で日常のことを済ませているそうですから、選考以前にこういう所で足をすくわれないよう、注意しましょう。


筆記や面接、エントリーシートで落とされる場合、もちろん基準に満たないほどパフォーマンスが低いことや、相性が合わないことも理由になりますが、僕がこっそり聞くところでは、「日本語が話せない」という理由も案外あります。

そういう理由は、学生のショックを考慮して、ただ「今回は見送らせていただきます」とのみ結果が通知されるものですが、当の本人は国語力不足から原因に気付かず、永遠に「見送られる」ことになります。

フリーターは「あ~、敬語ってしゃーしー!」と投げ出しますが、そういう自己教育力が欠如した若者が社内外で巻き起こすトラブルの尻拭いの方が何倍も「しゃーしー」のですから、学生の皆さんはしっかり基本を学びましょう。


本メルマガでもたびたび紹介してきた『十八史略の人物学』(伊藤肇/PHP文庫)の後半には、「応対辞令の人間学」という章があります。

「応対辞令」というのは、人間が出処進退に際して発する言葉の総称で、それがサマになっていたりすると、そこから「名言」が生まれたりするものです。

いわば、「目の前の現実」や「今やっていること」、「今起こったこと」をどう捉えているかが、一言に凝縮され、時としてそれは、永遠の瞬間を切り取るフレーズになることさえあるのです。



著者の伊藤さんは、「人間は応対辞令一つで分かる」と説き、東芝の土光元会長の「わしは何十年も真剣勝負を繰り返してきたから、この男がどれくらいできるかは、ちょっと言葉を交わしてみただけですぐ分かる」と言った例を紹介しています。

人生のある舞台に来て、どういう言葉をどういう順序で選び、どう繰り出すか。それはその人の姿そのものであり、簡素ながら的を得た言葉が繰り出される人に会うと、いながらにして「名言メーカー」みたいで、かっこいいですよね。

皆さんは今、どういう「応対辞令」を持っているでしょうか。自分が日頃使っている言葉は、よほどの気力がなければ直せないので、この機会に総点検してみるのもよいかもしれませんね。