■「内定への一言」バックナンバー編

「成功の理由は単純。失敗の理由は複雑」



夏からFUNゼミで行ってきた、会計知識学習&業界研究を目的とした『ビジネス塾(全12回)』も、あと1回で終わり。先ほど、今日行う第⑪回のレジュメをプリントアウトしました。

この後はいつものように、6時から少し近所を散歩して、6時半にキンコーズにコピーに行き、7時過ぎにベローチェに行ってBusiness Cafe…という流れです。

作業を習慣化させ、偉大な目標を設定した後、コツコツ機械的に取り組むと、自分でも驚くほどの仕事量が短期間でこなせるものです。これらの講義録などは、年末に「小島尚貴・FUN講義録全集(全19分野135タイトル・ワード600ページ)」として整理しますから、またご連絡しますね。



さて、今月から就活用語をちらちら耳にする時期に入りましたが、皆さん、就活は順調ですか?FUNの方ではもうSPI対策も定着し、皆さん、順調に進めているようですね。

この時期になると、学生さんから「自分の言葉」という言葉をよく聞きます。曰く…「自分の言葉で書けない」、「もっと自分の言葉で言った方がいいよ」等々。

業界知識や企業理解がどうというより、多くの学生さんはそれ以前に、「自分の言葉」というものが一体何であるのか、そちらの方にまず戸惑うようです。



「自分の言葉」って…

「個性的な言葉」のこと?…違います。ただ奇抜なだけでは意味がないし、学力不足じゃないかと疑われるだけが関の山ですね。

「よく使う言葉」のこと?…違います。仲間内で通じる言葉を使ってみたところで、人事担当者が首をひねるのは、よくあることです。

「知的な言葉」のこと?…違います。面接の時だけ知的に振舞おうとしても、人は繰り出す言葉の組み合わせで頭のレベルも分かります。


では一体、「自分の言葉」って、何なのでしょう。答えは簡単です。それは…

「自分一人で責任が取れ、他人に確認せず、言い直さなくてよい言葉」のことです。

つまり、言葉面がどうであるかということよりも、言うに当たって完全な同意をもって繰り出し、言った後に何を言われようが言い訳せず、自己責任で議論を展開していける発端となる言葉、ということですね。


例えば、あなたが面接で「私は地場企業を応援して福岡経済を活性化させたいので、きついと言われる広告代理店の営業職で自分を磨きたいです!」と志望動機を語ったとしましょう。

それを聞いた面接官が、「ほぉ…営業ね。本当にきついよ。経済活性化どころか、クライアントさんの利益を増やすだけでも相当な経験とスキルがいるよ。それでもいいんだね?」と答えたとします。

その時に、「はい!」とすぐに言い切れれば、それは「自分の言葉」です。


反対に、「いえ…最初はきつくない仕事がいいです」と言ったり思ったり、あるいは受け終わった後に、「先輩~、あんまりいい反応じゃありませんでしたよ~」と文句を言いに言ったり、友達に「あれって圧迫じゃない?圧迫!」とか言っていたら、それは借り物の言葉です。

こういう「事後相談」を「情報交換」と勘違いしている学生さんをマックなどで見るにつけ、哀れに思えてきます。自分の言葉とは、良い意味で「他人の同意」を考慮せずに済む言葉です。

権威者の裏書がないと自信が持てなかったり、友達や先輩に判定してもらえないと感情の安定が図れなかったりするのは、とても「自分の言葉」とは呼び難いものです。


あなたが「私、コンサル会社を受けることにしたんだ」と言ったとして、友達が「けどさぁ、あれって見た目はカッコいいけど、実際の仕事はチョーきついらしいよ」と水を差したとします。

気になったあなたは、「えっ、それ誰から聞いたと?」と質問します。すると友達は、「いやさぁ、コンサル会社で働いている先輩に聞いたんだけど、面接の時の印象と全然違うって」と答えます。

それを聞いて「そっか…じゃあ、やめよう」と思ったら、それは自分の意見でも何でもありません。


こういう、自分は何も価値ある努力はしていないのに、知ったかぶりになって友達にコメントするヒマ人間がもうすぐキャンパス内に増殖してくる時期なので、影響を受けないよう気をつけておきましょう。そういうのは「情報」どころか「公害」で、無視しておけば大丈夫です。


僕が記者時代、といってももう7~8年近く前ですが、所属していた出版社で面白い会社を取材しました。

なんでも、聞くところによると、「万年ブービー賞」だった会社を商船会社から入社した社長さんが立て直し、「ネットストック」なる新サービスで、信用取引の分野だけではあるものの、なんと巨人・野村證券を追い抜いたというのです。

その会社は「松井証券」という会社で、今では随分有名ですが、当時ネットストックの取材を行ったのはまだ限られた会社しかなく、僕は随分面白い社長さんがいるもんだなぁと、テープ起こしをしながら感じました。

そのインタビューを思い出す限り再現してみると…。



編集長 しかし、限定的とはいえ、野村を抜くなんて驚異的な成長ですね。この間の約定数の伸 びは前月比250%。この数字をどうお考えですか。

松井 何の意味もありませんね、そんな数字。

編集長 他社の猛追もあると思いますが、対策は万全なのですか。

松井 野村なんて眼中にありません。松井潰しじゃなくてお客様のために競争するのがスジでしょ。連中、頭がクレージーなんじゃないの。

編集長 クレージー…。

松井 大蔵省の接待が仕事だと思って、馬鹿じゃないの。連中の無能のおかげでどれだけお客が損してるのか。松井は新サービスをやっているんじゃない。ただムダを省いているだけなんです。連中が嫌がることをやればお客は喜ぶ。こっちは失うものは何もないんです。


…と、全編、こういった調子です。



聞いていくと、この松井道夫社長は社会主義的な発想や官僚統制主義が大嫌いなようで、日教組と社会主義を心の底から忌み嫌う僕も、たくさん賛同できる意見がありました。

ということで、松井社長が出した「おやんなさいよ、でもつまんないよ」(ラジオたんぱ)や、「みんなが西向きゃ俺は東」(講談社)なども読んでみたのですが、最もインパクトが強いのは、FUNを作った安田君が3年生の時に僕の会社のオフィスで読んでいた「かねよりもだ」(KKベストセラーズ)でしょう。

現在、証券会社で働くFUN卒業生のUさんが、入部して次の週に「うっしー、これ読み!」と一方的に渡された本でもあります。対談相手の米倉誠一郎・一橋大学教授も、前職の雑誌で取材させていただきましたが、「公務員でよくここまで言うな」と聞いていて爽快でした。


この「かねよりもだ」というのは、一見すると「日本語なのか?」と感じてしまう奇妙なタイトルですが、これを分解してみると、「かね」よりも「だ」となります。

松井社長は、本書の中で人間を「かね人種」と「だ人種」に分けており、「かね人種」というのは、「これって○○じゃない?」とか「これ、○○かね?」と他人に確認しないと意見すら持てない人種のこと。

反対に「だ人種」とは、「これは○○だ」、「私は○○だ」と断言し、自分の意見に責任を持って語る人種のことです。


そういうふうに、少しでも表紙や帯に書いておけばちょっとは分かりやすいのに、帯には「かね政治家とかね経営者は地獄に堕ちろ!」と過激なキャッチが書いてあり、松井社長の本では一番有名な一冊でしょう。

本書の中では日本の税制、教育制度、産業振興策、社会制度、未来の展望などが縦横無尽に「資本主義」の視点から語られており、最後は学生に温かいメッセージを送る、という形式で終わっています。

来年から都銀で働く福大4年・I君も、一読して「面白かった」と言っていましたが、特に金融業界や商社、教育、マスコミなどで働きたい学生さんにはオススメの一冊です。


皆さんは日頃、自分の言葉で生きていますか?あるいは、誰かに判定してもらい、決めてもらいたがる人生を選んでいるでしょうか。

どちらでも好きに生きれば構いませんが、人に決めてもらった人生は成功ではありません。それは、そのように示唆した「他人の成功」です。

人のアドバイスで自信が出ることはなく、一時的に元気になることはあっても、最後は自分の責任で結果を出し、言葉を練り上げることが大事です。



学生さんが何かを言ったとして、「本当にそれでいい?」と言わないまでも、そういう表情でぐっと見つめると、大抵の学生さんは愛想笑いで「…って感じなんですけど」とか「…ぽいなぁって気もするんです」とか言って逃げます。

かわいそうに。自分の思考にすら、万全の自信が持てないのでしょう。

こうやって一生オドオドして生きていくのかと思うと残念でならないので、FUNではとにかく、自分で考えて行動し、自分の力で掴んだ成果をみんなで称えるようにしていますが、今年はそういう雰囲気に拍車をかけたいところです。


自分の意見を一旦発言したら、断固として貫く。それは、間違いを認めない頑固さなどとは無縁の信念で、そういう言葉に従って生きた時、初めて具体的で主体的な展望が開けてくるものです。

昔は、そうやって知識を積み重ね、意見を形成して自己責任で発表できるようになった「知的独立者」を「学士」と呼び、称号を与えていました。ご存知の通り、大学卒業者のことです。

しかし、今では大学教育もバーゲンセールの時代で、国立大学の学生といえども、旧制中学以下の学力しかない有様。「学士」とは名ばかりで、一生他人に判定してもらわないと買い物すらできない、「知的隷属者」ばかりになってしまいました。


「学士」がどうか、というのは末梢的な問題です。

僕はそれよりも、自分の言葉でコミュニケーションをしたがらず、深い部分に触れ合うことを忌避して、それが「いい人」の条件のように見なされる現代社会に危機を感じます。

ましてや、自分の人生よりはマスコミやアーティストなど「借り物」の話題で時間を埋め合わせ、自分の言葉よりも他人の言葉を優先して人生の岐路を泳ぎ切ろうとする態度は、精神の自立した青年の姿勢とは思えません。


成功したければ、自分の信念を貫くことです。うまくいく時は、いつもシンプルに考え、実行しているものです。なぜかと言えば、心に邪魔が入らないから。

「自分で考え、決断し、それでやってるんだ」と100%思い切れて初めて、実力というものが発揮されます。

よって、成功の理由はいつも単純です。「やろうと思って、やった」。それだけで済みます。



しかし、それとは反対に「失敗」の理由はいつも複雑です。環境や他人、あるいは自分の状態、外的要因など、何かの責任にして自分を守らねばならなくなるか
らです。

皆さんの大学生活は、「今日の時点」で、うまくいっているでしょうか。あるいはいっていないでしょうか。それはなぜですか。

すぐに「自分が本気じゃない」と素直に「思い切れた」人は、すぐに復活できるでしょう。反対にあれこれ理由を探し、挙句の果てには僕にまで「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないんだ」とか思っていたら、もう終わりですね。


あなたの周りの人だって、口にはしないまでも、どうせ「こいつ、駄目やね」と思っているに違いないのですから。

一緒にいて、その成長のすごさに自分の心が痛むことすらない「お人好しの友人」は、その場限りは楽しいものですが、人生の「いざ」という場面においては、100円ショップの商品ほどの役にも立ちません。

英語で言うところの、「Nice guys never win」で、「いい人に勝者なし」です。日本では戦後の川柳「色男 金と力は なかりけり」でしょうか。



自信が欲しければ、そんなものは今日にだってすぐ手に入ります。何かやろうと決めて、一切弁解せず、できるまでやり抜けばいいだけです。センター試験なんかと比べたら、簡単すぎるくらいですね。

そうして行動した自分を振り返って、改めて確信できた哲学が「自分の言葉」になり、他人の誘惑や中傷にさらされても、断固として自分を貫ける根拠となっていくのです。

学生時代の勉強や活動は、まさにこの「自分の言葉」を生み出すための準備だといえるでしょう。それが生み出せなければ、たとえ卒業しようが、何も学んでいないも同然です。



就職では、プロセスは人と共有できても、決断だけは自分でしないといけません。自信がないからといって、面接官に「ぽいです」とか、「てゆーか」などと言おうものなら、履歴書はすぐにゴミ箱行きです。

思う。やる。弁解しない。前を向いて大きな声で話す。うまくいくほど他人に感謝する。就活って、なんて簡単なんでしょう。

成功の理由はいつも単純だったんですね。