■「内定への一言」
「手抜きによる楽と成長による楽を区別しよう」
朝4:00に起きてPCを立ち上げ、連絡メールやその日の書類作業を7:30までに終わらせて、午前中は新事業計画の構想を練って、僕の一日の仕事はだいたい11:00くらいに終わります。
早朝にメールを確認していると、中には学生さんから夜中に届いたメールがあって、夜まで頑張っていたことや、あるいは眠れずに悶々と考えた様子が伝わってきて、ほほえましい気持ちになります。
昨日は、西南国際文化2年生のkyuさんから温かい感想をいただき、朝から元気を頂きました。読者の方から励ましのメールをいただくのは、こうしてコツコツ執筆を続けている身には、大変有り難いことです。
昼からは、個人的な予定を楽しむ時間です。学生さんから要望があれば会って個別に話すし、あるいは昔の友人と会ったりしますが、最近は学生さんやFUNの卒業生と話すのがもっぱら。
夕方からは、社会奉仕活動として、学生さんと要望別勉強会を開催しています。この秋はマネー塾、韓国語塾、営業塾、近現代史勉強会、就活コースでのミニ講演などを担当しますが、いずれもやりがいがあって面白いです。
そして、土曜はFUNゼミ。朝から学生さんと名著を読み、その後は会計の勉強をして、先週からは、午後に「取材塾」を行うことになりました。どの講座でも10~30人近く集まってくれて、有り難いやらもったいないやら…最近は「場所」が悩みの種です。責任をかみ締めつつ、準備にも気迫がこもります。
そんな僕が仕事でもサークルでもフルに生かしている能力は、「説明力」です。やっている勉強の内容はそれぞれにテーマも異なりますが、「未知の内容を説明する」という点では同じです。
実はこの「説明力」こそ、僕が学生時代は「30歳で」と描いていた起業計画を具体的に数値化し、26歳で会社を設立して、夢を4年前倒しで実現できたきっかけでした。
たった一つの能力ですが、これによって自分の仕事ぶりや夢、日常生活、趣味などを概観した時、「確かにそうだ」と全てがつながる思いがして、未来が明るく開ける実感を得ました。
今日はそのきっかけや意義について、学生さんが将来を考えるきっかけになるような話題が提供できればと思っています。
僕は子供の頃から、街中の車のナンバーや友達の誕生日、クラス全員の電話番号、ドラクエの「ふっかつのじゅもん」、あるいは江戸時代の将軍15人…など、ちょっと触れたものは全て丸暗記し、子供ながら「オレはもしかして天才ではなかろうか」という勘違いをして育ちました。
小学校などでは、教科書をもらったらすぐに全部読んでしまい、あとは授業以外は一切勉強しなくても100点ばかりで、小学校の通知表には、「記憶力がいい」、「物覚えが正確」といったことが書かれています。
小学校の時のM先生は、クラス中の生徒に何らかの「1番」を見つけて、子供に自信を与えて存在感を引き出すのが上手でした。
クラスにはいろんな「ちびっこ達人」がいたのですが、僕は「記憶・漢字テスト・暗算・マラソン」の達人でした。
個人的には「くわがた取りの達人」か「サッカーの達人」としてアピールしたいところでしたが、それは僕より上手な友達がいたので、無理でした。
手先の器用さにも自信があったのですが、これもクラスに人間業とは思えない精密作業をこなす女の子がいて、到底かないませんでした。
あとは、僕は実家がピアノ教室であることから、ひそかにピアノにも自信があったのですが、これもクラスに飛び抜けて上手な女の子がいて、無理でした。
彼女は今、ヤマハ本社の派遣教師として、世界中の都市の子供たちに楽器を普及させるべく、各国の伝統曲をその国の伝統楽器で演奏する「デモインストラクター」の仕事をやっています。
3年に1度くらい東京で会いますが、僕は友達の相変わらずの努力に、友達は僕の物覚えの良さにお互い感心しつつ、M先生の思い出を語っています。
ということで、学校では先生が説明に困ると、「小島君、なんだっけ」と先生が僕の方を向き、僕が代わりに思い出して説明する、という機会もよくありました。
自宅では両親から、「おまえは天才だ」とほめ殺しに近い長所進展教育を受け、さらに自信が深まりました。
そんな才能を自覚し、その自信の上に乗っかって将来をあれこれ描いていたのですが、中学時代の家庭の不幸や、中学・高校の荒んだ生活を経て、長らくそんな思い出とも無縁の状態が続きました。
その「記憶」という才能を、さらに発展した形で見出してもらったのが、海外勤務から帰国して始めた経済誌記者の仕事でした。
これは、知っての通り、創業者や経営者の未来のビジョンを文章化し、その文章が商業性を持つように執筆・編集して、新たなビジネスチャンスを作る仕事です。
新聞記者は「ニュースが記事になる」ですが、経済誌記者は「記事がニュースを作る」で、新商品や新サービス、新技術、特許、新たな販売方式などを簡潔に要約する練習を重ね、「文章によって人をプロデュースするとは、なんとやりがいのある仕事なのか」と実感しました。
ただし、僕は大学中退で、上司は皆、早稲田、上智、京大、明治という学校を卒業したためか過去には自信があるおじさんばかりで、23歳で記者になった頃は、随分バカにされたりもしたものです。
さらに社長さんたちはもっと勉強熱心で、その集中力や妥協なき探究心には、自分の世間の広さを思い知らされました。
シンガポールでは世界中から集まる若手ビジネスマンと出会い、同じ年とは思えないほど頭が切れる外国人にも会いましたが、彼らが舌を巻く「日本の中小企業」の技術力を支える社長さんたちとの出会いは、地元ながら驚くことばかりでした。
僕は大言壮語して入社したのに、入社した月は「ぶっちぎりの最下位」でした。それがあまりにも悔しくて、次の月は信じられないほど努力したのですが、またもや最下位でした。
ここから、今もFUNで紹介しているような本を漁り、トップ営業マンを軒並み訪問して、社長さんに売り方や考え方を聞いたり、地道な計画を継続したりと、「個人取材」と「目標設定」に力を入れ、7ヶ月でトップの座に上り詰めたわけです。
その成績といったら、月に22日、毎日5契約取れても追いつけないほどの異常な数字でした。営業社員8人の会社で、たった一人の20代の新人が、全売上の半分近くを稼いでいるのです。それは「人の力をわが力として活用する」という方式で営業したからです。
当然、えらくモテました。仕事ができると、こんなにも女性が寄ってくるのかと慢心するほどでした。ファッションセンスや女っ気は全くない僕ですが、女性客を増やしまくったことから、会社の中でも上司の評価が180度変わりました。
そこで調子に乗っていたところに、ある不動産会社から中途入社してきた先輩によって、連続トップ記録が破られました。
以来、その先輩と勝負を繰り広げながら、ついには会社全体の売上の8割をたった2人で稼ぐようになり、「知らないものを売る」という練習を十分にさせてもらいました。
FUNで教えてきたスピーチ塾、面接塾、営業塾、マネー塾、ビジネス塾などは、全部その23~25歳の頃の勉強と経験の集大成で、就職試験が楽勝になるのも、無理はありません。
あのスキルと考え方、知識は、無名出版社の商品を、月に250万円以上売る能力の結晶なのですから。
ですから、面接に生かすだけではもったいなさすぎます。大抵の学生さんは「自己成長」のために僕の講座を受講しますが、もっと良いセンスを持って、「教えるため」に学んでみてはいかがでしょうか。
つまり、「アップロードを前提としてダウンロードする」ということです。ただ「不足しているから」、「興味があるから」という動機で学ぶのは惜しいことです。
韓国語も会計も、営業も面接も、後日誰かに教えるという目標を持って学べば、会社以外からも収入をもたらす貴重なツールになるでしょう。
「自分が興味があること」では、やりたいことは探せません。「みんなが興味を持ちそうで、かつその人が一人ではやりそうにないこと」を先んじて学び、社会でばらまけば、信じられないようなお金が入ってくるものですよ。
ということで、記者時代の2年目は仕事にも余裕が生まれ、友達と会う時間もできました。僕は記者がマレーシアの貿易会社に続く2つ目の仕事でしたが、同期は新卒で最初の会社の仕事に疲れ果て、ストレス解消を酒に求める人がかなりいました。
あるいは、既にフリーターと化している人も数人おり、僕はその変わり果てた姿を見て、なんとか力になれないものか、と考えました。
ここからが、数名にはお話した「創業のきっかけ」です。
僕の仕事は、朝から夕方までは「仕事が楽しすぎる」、「休みなんていらない」、「儲かって笑いが止まらない」、「きついけどやりがいはある」という経営者(社長、専務、常務)ばかりに会う仕事でした。
反面、夜は「仕事が楽しくない」、「休みだけが楽しみ」、「借金で生活がきつい」、「きついし何も楽しくない」という同期の社会人やフリーターと語る時間でした。
同じ日のうちに、同じ人間とは思えないほど考え方の違う人とじっくり話すわけですから、その思考構造や人生観の落差に関心を持たないはずがありませんでした。
僕はそれ以降、労働観や職業教育、経済思想、マネーセンスなどに非常に興味を持ち、24歳の頃は家でそういう実務書ばかり読んでいました。
「きついのは、作業が多いとか難しいということが原因ではなく、考え方がきついからだ」という結論に至ったのは、両者のやっている仕事に大差はなく、ただ受け止め方が違う、という単純な事実を発見したからです。
以来、社長さんたちから「いい人材はいないか?」と言われると、進んで友達を紹介しました。また、友達から「いい会社ない?」と言われると、進んで僕のお客さんを紹介しました。
しかし、どれも簡単に引き会わせるというわけにもいきません。紹介は責任が伴う好意だし、簡単にできることでもありません。
ということで、事前に会って詳しく話を聞き、お互いの事情や要望を詳しく踏まえて、客観の中からイメージが掴めるような説明を心がけました。焦りに説明が邪魔されないよう、文書できっちり説明するようにもしました。
そのかいあって、本業の片手間に人助けをやっていたのですが、どの会社の社長さんからも「小島君の説明は実に分かりやすい」とほめていただき、友達からも「おまえに聞くとどんな仕事でもやりたくなる」と言ってもらえました。
一方では「何十万でも払うよ」と言ってもらえる案件を生み出し、また一方では社会の底に沈殿しかけていた若者の心に火を付ける役割を果たせて、全て無料で手伝っただけでしたが、なんと喜びの多いことをやっているのか、と改めて感じました。
「心の放火魔」。
物騒ですが、当時僕に会っていた人はよく、誰かが付けたニックネームを好んで僕の紹介に使っていました。
チャッカマンとかライターとか、もう少し無難な言い方はないものかと閉口しましたが、とにかく出会ったら必ず火を付けるスキルは、口コミが口コミを招き、知らない人からも連絡を受けるようになりました。
24歳を終えてもうすぐ25歳になろうかというその頃、僕は記者の仕事にやりがいを感じつつも、仕事と自分のギャップで苦しんでいる若者、職務とスキルのギャップに苦しんでいる経営者を応援するようなこの奉仕活動は、「仕事になる!」
と確信しました。
振り返れば昔の外国語学習、記者時代のこの経験、あるいは今のFUN…共通しているのは全て、「無償の奉仕」から始まったという事実です。
無償だから、純粋に相手の悩みやメリットに集中することができたのでしょうか。お金が介在すると卑しくなるとは思いませんが、お金をもらえなくても手伝おうと思ってやってきたことですから、その内容さえ良ければ、これは喜ばれて当たり前の貢献だったのだと思います。
それが、僕は別に記者や社長の仕事を持っていたわけですから、「お礼なんていいですよ。どうしてもとおっしゃるなら、トマトジュースで結構です」とか言っていたものだから、客が客を呼んで、広告や営業に時間をかけなくても客が集まる仕組みを作り上げてしまいました。
当時、勉強と仕事最優先で、毎日睡眠3~4時間の僕には、お金よりもリコピンの方が本当に必要で、トマトジュースは嬉しかったものです。
「ひょうたんからこま」というのは、本当だなあと思います。
近年は弟の家に赤ちゃんが立て続けに生まれたことから、絵本や昔話を読む機会が増えたのですが、子供の頃は純粋な正義感や家族愛に感動していた単純な物語の中に、驚くほど正確に社会の本質を喝破した内容が含まれているのを25年ぶりくらいに知り、童話の力に感動しています。
FUNは女子大生が多いサークルですから、あと10年もすれば幼稚園児くらいのお子さんが、FUNゼミの会場を走り回っていることでしょう。
僕はその時に備え、あと3年くらいしたら育児書や絵本、世界中の童話を買い集め、「FUN子育て塾」なるプロジェクトを発明して、ミニ教材を日本中に普及させ、「FUN幼稚園」の園長として安らかな老後を過ごす…という極秘計画(じゃあ書くな)を練っています。
しかしまあ、赤ちゃんというのは疲れを知らない方々ですから、僕は3人を相手にしただけで、もうクタクタになってしまいます。専業主婦はすごい仕事だと尊敬せずにはおれません。FUN幼稚園の先生は、毎日大濠公園を走らないとやっていけないでしょうね。
とまぁ、そういう経緯で、誰からも認めてもらった「説明力」にのみ固執して、そこに具体性や最適な知識を伴わせる営みに手を抜かなかったことから、新たな形で求職者と企業を結び付ける業態を着想できたわけです。
利益率は派遣会社の4倍くらいあるし、今もって受注が絶えない仕事で、「一つの能力を誰にも負けないくらい磨け」という「80対20の法則」に書いてあったことは真実だったんだなあと、今更ながら実感している次第です。
説明の際、僕はいつも漱石の「夢十夜」を思い出します。
懸命に木を掘る職人に、ある人が「彫り物が上手ですね」と言うと、職人は「違う。自分は仏様の周りについている余計なものをそぎ落としているに過ぎないのだ」といったような答えを返すのです。
就職相談もこれと同じ。素質や可能性は、既にその人の中にあるのです。
本人は「足りない」と頭から信じ込んでいますが、本当は余計な想像や情報が付着しすぎているだけで、それに気付くように導けば、誰しも自分で話しながら元気になっていくものです。
それに、説明の本義は「分からせること」ではなく「気付かせること」にあるのですから、「教えてもらって分かった」では、「自分は知らなかったんだ」となりかねませんが、「なんだ、自分も知ってたんだ」となると、俄然自信に溢れてきます。
説明ではこうして気前良く功績を譲り、「なんだ、分かってるじゃないですか。じゃあ僕が言うまでもなかったですね。あとはやるだけですよ。よかったですね」というまとめ方をすると、みんな元気になって燃え始めます。
「相手の知らない言葉で説明する」のは知的でも何でもありません。相手が既に保有している知識や経験を使って、未知の物事を説明するのが、一番分かりやすいのです。
僕はそれを、お互いに全く想像・共感が働かない世界の中に生きている、「経営者とフリーター」という人々の間を立ち回ることで練習させてもらいました。
だから、内閣府の調査で全企業の「3.6%」しか採用意欲を示さなかった「フリーターの採用」で、「100%喜ばれて採用」という結果を出せたのだと思います。
たった一つの能力であれ、あると信じて開花のために地道な努力を何年も続けてきて、本当に良かったです。全く異質な空間にいて、お互いに知識を共有できない人たちの間で「感動・情報商社」として活躍した経験が、今の説明力の支えになっています。
皆さんも何か一つ、友達や先輩から「うまい」と言われることに特化して、その能力を発揮せざるをえない舞台を、日常の中に強制的に作り出して、地道に続けてみてはいかがでしょうか。
努力しないのに「可能性がある」なんて言っても気休めにもなりませんから、初めは要領が悪くてもいいので、地道に続けることです。
嫌になろうが、投げ出したくなろうが、絶対にやめないことです。
凡人が投げ出したがるところが、達人が耐えるところ。そういう「今の自分と未来の自分の分岐点」こそ、将来は「思い出」という名前の経験に変わるものです。
不足に気付くのが正しい成長です。達成は最初はきつく、後になるほど楽になるもの。韓国語塾と同じです。
初めから楽しいことなら、趣味でしかありません。困難を克服していくところに、本当の楽しさと自信が生まれます。
学生時代の集中と継続で、一つのスキルから将来を突破する鍵を得られますように。