■「内定への一言」バックナンバー編
「利益が罪だと言う人には、損失こそ罪だと言いたい」(チャーチル)
昨日のFUNゼミ『ビジネス塾』では、「情報化社会とはどんな社会か」、「情報の価値は何によって生まれるか」について触れ、情報サービス産業に属する業種について研究しました。
午後の取材塾と合わせてかなり長時間の講義だったのですが、福大のM君がりんごジュースを差し入れてくれ、九大のM君が沖縄版「ぷっちょ」をお土産に持ってきてくれ、ずいぶん助かりました。本当にありがとうございます。
昨日は学生さんに人気の「コンサル」の本質や、FUNで特に内定者が多い金融業界について仕組みを勉強したので、欠席してレジュメがもらえなかった方は、改めてお知らせ下さい。
FUNでは「~塾」という形式でいくつかのテーマの講座をやってきましたが、僕は夏からICレコーダーを購入し、毎回の講義は必ず録音しています。
冬には全講座を『全集』として揃えるので、部員の方は入部前のものや欠席で受けられなかったものについても、もし興味がある内容のものがあれば、復習や補習に活用して下さい。
レジュメについても、現在スキャナのOCRソフトで過去の分をテキスト変換し、順次ワードの形式で再編集しているので、年末までには全作品を揃える予定です。
さて、今日のテーマを何にしようかと考えていたのですが、最近「近現代史勉強会」や「マネー塾」で学生さんから特に感想の多い「社会の見方」、「お金の見方」について扱おうと思います。
わが国は建前上は「資本主義国」ですが、ことお金や仕事に関しては「社会主義」的な見方が支配的で、その風潮はよほど勉強しなければ気付かないほどです。
FUNゼミの各種講義でも、「モノではなくコトを見る」というのは3年間一貫して重視してきたテーマで、学生さんに本質を見抜く観察力を養ってほしい、との思いから特に経済教育を重視してきました。
「お金は大事じゃない」という言葉は、お金に逃げられてばかりの貧乏人か、あるいは世間をまだ知らない子供の言うことで、そんなことを言っても何の解決にもならない、ということは常識のある人なら分かるでしょう。
しかしまだまだ、わが国には社会主義的な金銭観に洗脳された人が多く、彼らが苦し紛れに吐き散らした「嫉妬」と「きれいごと」による言葉が、多くの人の思考を束縛していると感じます。
ということで、今日は「社会主義的な金銭観」の代表的な言葉を紹介し、それを打倒するのに効果的な言葉や、人生を考える上で現実的な思考のきっかけになる言葉をいくつか紹介してみます。
もっともらしいきれいごとほど、論理的に考えてみればその内容は馬鹿馬鹿しいほど空疎です。未来ある学生さんが、将来の自分を考える手がかりを得られたらと思います。
ぜひ、友達や恋人を占う尺度として役立ててみて下さいね。
【貧乏兄さん&貧乏姉さんの「負け惜しみ集」を一挙紹介】
■その一 『利益は悪い』
よく聞く言葉です。実に美しいです。「私の仕事は利益のためじゃない」、「我々は非営利団体だ」、「利益のために働きたくない」…なんと高潔な思想でしょうか。言葉だけなら、涙が出そうです。
そして、きれいごとで表面を偽装して「自活」できないこの人たちのために、陰でどれだけの「他人の利益」が食われ、また「善意の寄付」が犠牲にされていることでしょうか。
「非営利」とは、活動は価値あることかもしれませんが、その収益は「寄付」や「補助金」で成り立つものです。自分のお金で運営できないくせに、人のお金を搾取して成り立っている活動の方が「高等だ」とする頭脳の構造は、研究に値する屈折度です。
チャーチルはその昔、「只今社会主義者の方が言われたことは、利益は悪だということである。私は損失こそ悪だと固く信じている(『日本の終わり』竹内靖雄/日本経済新聞社)」と言っていますが、これは時代を考えると優れた見識と言わずにはいられません。
利益が嫌いですか。ならば、今月限りで大学を中退したらいいでしょう。
学費は「親のお金」という「会社の利益」で成り立っており、奨学金もまた「かつての受給者が社会に出て支払った金利」という「他人の利益」で成り立っています。
バイト代だってそうです。利益が嫌いな人は、自ら「店長!私の時給を300円にして下さい」と申し出て下さい。そして、「お客さんから不当に利益を取るのは間違った行為だ」と、店長と論戦を繰り広げて下さい。
なのに自分はまともな額が稼げないで、つまり他人に貢献する利益すら出せないで、他の人や会社の「利益」に嫉妬して攻撃するとは、朝鮮労働党並みの思想だと言わねばなりません。
☆結論:「稼げない奴は黙って歯を食いしばって働け」
■その二 『金じゃ幸せは買えない』
もっともらしいですが、全く無意味な言葉です。そう言っておけば、自分はお金以上の価値ある手段を持っているかのように錯覚でき、一時的に英雄気分に浸れます。
しかし、だから何なんでしょう。お金が大半の幸せを買う手段であることは誰も否定できない事実です。そして、必要な額が足りないことから大半の「不幸」が起こることもまた、事実です。
十分なお金がなくて幸せになれる人がいるでしょうか。達観した人はそういう生き方もできますが、だからといってお金を全否定できる生活は、今の世の中ではまず不可能でしょう。
☆結論:「貧乏は、不幸を買うための貨幣である」
■その三 『金なんていつでも稼げる』
そういう人はFUNの人気図書『フランクリン自伝』(ベンジャミン・フランクリン/岩波文庫)を読むことをお薦めします。彼はそう言う人に向かって、「ならば、今こしらえてみたまえ」と言い放っています。
「いつでも稼げる」。あるいは「いつでも作れる」。事実だとしたら、なんと素晴らしい才能でしょうか。もしかしたら偽札製造機でも保有しているのかもしれません。あるいは「むじんくん」という「打出の小槌」…?
しかし大抵、こう言う人ほどいつもピーピーです。支払いが悔しく、買い物の誘惑を抑え切れない卑しい自分を正当化するため、やむなく出て行くお金を見送る「贈る言葉」として「いつでも稼げる」と言うだけのことです。
☆結論:今日からは「金なんていつでもなくせる」と言え。
■その四 『自分は金のために働いているんじゃない』
またもや涙が出そうな「美しい労働観」に遭遇してしまいました。実に崇高です。ここは刑務所でしょうか。もしこんな考えの国民だらけなら、その国家の政治家は本当に幸せです。だって、どんどん税金をぼったくれるのですから。
「金のためじゃないか。ならば何のため?」と聞くと、大抵の人は「家族のため」とか「やりがいのため」、「将来のため」という、納得できそうで実は根拠不明な言い逃れをします。
そして、そう言う人ほど「可処分所得比率」は恐ろしく低いものです。つまり、収入の大半は、給料日にJR小倉駅の新幹線くらいしか口座に滞在せず、返済や宴会に消えていくのです。
「お金のためかどうか」は、精神論の問題ではありません。「収入のうち、いくらまで自由に使えるか(可処分所得)」の問題です。
そして世の中には、支払いや返済の比率が高まるほど、つまり「お金のため」になればなるほど、それに反比例して「お金のためじゃない」と誤魔化す偽善者が多いもの。
実際は住宅ローンや税金、借入金の金利、教育費、カードローンで「給料日=月に一度の差し押さえday」になってしまっている人ほど、「お金のためじゃない」と言いたがります。皆さんもこういうきれいごとを聞いたら、「可処分所得比率は何%ですか?」と聞いてみたらいいですよ。
☆結論:「幸せ者よ、汝の名は日本政府と財務省なり」
■その五 『金持ちは悪いことしてるに違いない』
やっと来ました、「酸っぱいブドウ症候群」。イソップ物語に出てきた、あの「キツネ」の話です。自分が欲しいものを得られないからと、その対象を批判して失敗を正当化する倒錯心理です。
お金持ちの中にも悪人はいますが、悪人が多いのは圧倒的に貧乏人です。「恒産なくして恒心なし」(収入の安定なくして心の安定はない)とは、2,000年以上も前に孟子が書いていることです。
犯罪者の大半は「無職の男性」でしょう。貧乏人ほど「お金が全て」だと思うので、そのお金を求めて犯罪や違反を犯すものです。
FUNの皆さんは、「社長取材」を経験したことがあるでしょう。実際に社長に会ってみて、どうでしたか?太って金ぴかの時計や装飾品を付け、愛人がいて、ゴルフ漬けで、昼から出勤して、違法行為を電話で打ち合わせていて、「世は金なり」と言っていましたか?
いませんでしたよね。こういう「誤れる社長像」は、やることもなく金もなく、家でのんびりテレビを見てストレスを解消するしかないサラリーマンの「妄想」の中にしか存在しない人物像だと、よく分かったはずです。
僕も社長ですが、皆さんに大金を要求したことはありますか?女子大生をたぶらかしていますか?遅刻・欠席しますか?準備に手抜きをしたことがありますか?責任の取れない発言をしたことがありますか?おそらく一度も思い当たらないでしょう。だって、やったこともないからです。
貧乏人ほど「お金を持っていない人の方が高潔だ」と考えやすいもの。そう思わないとみじめだからです。その反動で、「お金を持っている人間は卑しい」と錯覚するのです。その幼稚な反動に健全な自覚や批判が働かない状態こそ、卑しい精神といわねばなりません。
しかしこれは、見事な間違いです。僕は逆に「するってぇと、おい与作!おめぇ、そんなに貧乏なら、きっとウラで何かわりぃことしてるにちげぇねぇ」と思いますね。
いつまでも収入が増えず、稼ぎ不足や借金で親を困らせるなんて、異常です。きっと、何かよからぬことをたくらんで、地道に実践しているに違いありません。
ということで、貧乏な人がどれだけ悪いことをしてるか、興味を持って観察し、調べてみました。その調査結果とは…。
「約束はいつも口だけ」、「元気に始めてすぐ中断」、「計画は眺めて終わり」、「お客のフォローはしない」、「一人になったらすぐ手抜き」、「こらえ性がない」、「延期の達人」、「人を褒めずに批判する」、「生活は不規則」、「Mr.&Miss中途半端」、「給料が入ったらすぐに使う」、「ケタが変われば尊大になる」…
なるほど。こんなに毎日悪事をしでかしていては、収入が増えないどころか負債が膨れ上がり、しまいにはお金の方から逃げ出したくなっても当然、という所業ばかりです。実に納得しました。
☆結論:「貧乏人こそ、悪いことばかりしてるに違いない」
■その六 『そこまで耐えて金持ちになりたくはない』
僕も20代は誘惑を我慢して余計に働き、将来のための勉強を最優先してきました。僕はターミネーター並みにタフな自信がありますが、20代で1回だけ、ぎっくり腰で入院したことがあります。
その時に、昼間から真っ先にお見舞いに駆けつけてくれたフリーターの友達が、「オレは腰を痛めるまで頑張りたくない。無理だけはいかん。オレは健康を大事にしたいね」と言ってくれました。
彼は、「おまえは救急車か」と思うほど真っ先に駆けつけてくれたのは有り難かったのですが、僕はその言葉に非常に不快感を持ちました。
僕は自分を待ってくれているお客さん、病身の母、信頼してくれている上司のために頑張ったから腰を痛めたのです。無茶は反省しますが、今後は繰り返さない計画を練っていました。
独立後は、サークルの顧問として週1回、学生さんを応援しています。講義の謝礼などは、実に数十円~150円に過ぎません。しかし、友人とは遊べないほど準備に時間がかかります。それでも僕は、未来を信じる若者との時間を優先したいです。
そんな僕を見て「プライベートを犠牲にしてまで別の活動はしたくない」という人もいます。しかし、そういう人は若者が集まる人望や知識がないだけでしょう。悔しかったら学生が集まる企画を打ち出してみればいい。誰も来ないでしょう。
「犠牲」?なんと失礼な言い方でしょうか。そもそもそういう人ほど「貧乏発想の犠牲者」なのに。僕はやらされているのでもなければ、無知な学生を相手にぼったくっているのでもありません。その証拠に、僕は最年長ですが一番といっていいほど長い準備を自発的に継続しています。
全ての講義や資料は、そこらの大学や専門学校と比べても、信じられないくらい安いです。それもこれも、僕が大卒の何倍もの収入と「週休5日」という時間的両立を実現しているからです。悪いですが、FUNの収入だけでも東大卒より多いです。才能があるので仕方ありません。
僕はFUNの母体がミスドで生まれた頃から、相変わらず仕事の楽しさと若者の可能性を話しているだけで、皆、集めたのではなく集まっただけです。批判する人や大学を出て余計バカになった人ほど、僕より無能なのが悔しいだけでしょう。悔しかったら超えてみればいい。「貴様には10世紀早い」と言ってやるだけです。
☆結論:「そこまで耐えて貧乏にはなりたくない」
■その七 『金が全てじゃない』
結婚できなかった人が「結婚だけが全てじゃない」と言い、志望校に入れなかった人が「受験だけが全てじゃない」と言っても、誰も耳を傾けないでしょう。そういうのは負け犬の遠吠えです。僕には犬語は理解できません。
「金が全てじゃない」とは、マネー塾でも言いましたが「稼いだ人間」だけが言える言葉です。いつも支払いのために働き、稼いでも遊びに浪費する人間ほど、「金こそは全て」の生活をしているのではないでしょうか。
お金に関する言葉は、表面の言い方ではなく、その人のバランスシートに根ざして分析する必要があります。その分析結果は、「カネがない人ほどカネが全てじゃないと言いたがる」です。全く、社会主義者とは困った人たちです。
☆結論:「収入の9割を貯金できる身になって言え」
■その八 『人から多く取るより多く与えたい』
わが国は、21世紀になっても「金持ちが貧乏人を搾取している」と言った19世紀のマルクス主義思想を信奉する「人間国宝」が到るところにいる「労働者の楽園」なのかもしれません。スターリンや毛沢東が泣いて喜びそうですね。
貧乏人が金持ちに何を与えることができるのでしょうか。せいぜい「ルーチンワーク」的な単純労働力だけでしょう。そして与えているのは大抵、経営者の方でしょう。つまり、「貧乏人が金持ちを搾取している」と見るのが正しい経済の見方です。
それを誤魔化して「多く取るより与えたい」とは、一体どのような思考回路から導かれる言葉か、研究の価値ありです。まさか、「自分の給料」のことでは…?「給料を自分の分として多く受け取るより、支払いや金利、税金として多く与えたい」…。立派な思想です。恐れ入りました。
☆結論:「多く与えてから言え」
■その九 『他人を蹴落としてまで金を追求したくない』
お金持ちになるのにどれほどの克己心と忍耐力、継続力が必要か、それを貧乏な人ほど全く知らないものです。自分が金銭低能者だという事実を認めたくないばかりに、現実をねじ曲げないと帳尻が合わない人生には同情します。
お金は、与えないとそれより多く帰ることはありません。他人を優先せねば、自分が助けられることはありません。目立たない勉強を続けねば、お金を保つことはできません。人を立てねば、チャンスがもたらされることはありません。
よって、他人を蹴落とすなどは、お金持ちの行為からは最も遠い行いです。それはむしろ、貧乏人の方が得意なことなのではないでしょうか。「金持ちケンカせず。戦争は常に貧乏人が起こす」とは優れた警句です。
☆結論:「他人を裏切ってまで貧乏を追求したくない」
■その十 『金は必要な分があればいい』
優れた見識です。ぜひそうされたらよいでしょう。しかし「何に対して必要か」を考える必要もありそうです。生活に必要か、支払いに必要か、夢の準備に必要か…基準は人それぞれです。
そして、必要な分が揃っていれば、他人の収入にケチを付けるようなヒマなマネはしないことです。いちいちこう言う人ほど「必要な分さえもない」という事情が多いのですが、達観している人はそうでもないのでしょう。
必要な分があれば、と世間の皆が言います。ならば「9割の家計は赤字」という借金国家を、どう説明したらよいのでしょう。もしかして、必要な分を「借金」で調達するお金も含めて考えているのでしょうか…。
☆結論:「必要な全額を自力で稼いでから言え」
…ということで、マネー塾の内容には遠く及びませんが、今思いつく限りで「社会主義に洗脳された偽善者が持つ貧乏十カ条」について簡単に説明してみました。
皆さんの周りに、もしもこういう「マルクス教の信者」がいれば、迷わずマネー塾かビジネス塾を紹介した方がいいですよ。こんな腐った時代遅れの考えでは、どんな有名企業に内定しようが生きるほど不幸が加速するだけです。
そもそも社会主義という「19世紀の性病」に頭脳を汚染された人は、「仕事=苦痛」と考えるものです。だからこそ、その準備としての「就職活動」も、必然的に嫌なものだと思えます。
「就活=きつい」と考え、できるだけ先延ばしにして、できるだけ最低限の努力で済ませて、調子よく内定だけもらって後は遊びたいと思っている学生は、例外なくマルクス主義か進化論に洗脳されているといってよいでしょう。まだ若いのに、本当にかわいそうです…。
対策はお早めに。勉強は計画的に。