■「内定への一言」バックナンバー編

「年を取るほど仕事の重心を上げよう」





ここ数日、私用により県外を行き来していたので、3日ぶりの配信になります。…日付も忘れるような3日間でした。

「白いかもめ」の車窓から、台風でなぎ倒された稲を眺めながら、日頃は考えない自然の猛威や稲のたくましさを考えたりと、小旅行は日常とは違ったことを考えさせてくれるものです。



先日第③期のガイダンスを開催した「マネー塾」は、既卒の方やアルバイト中の方でも参加されて構いませんよ。アルバイト先の友人や兄弟に紹介したいという声を聞きますが、ぜひ一緒に学びましょう。

必要なのは、「このままでは終わらないぞ」という健全な反発心です。そう思っているのは結構ですが、何もしないとそのままかそれ以下で終わります。

発想は生後1分が勝負。ぜひお近くに「こいつを助けたい!」というお知り合いの方がおられたら、
お知らせ下さい。来週から始まります。



昨日の近現代史勉強会③はハイエクの「隷属への道」を取り上げ、資本主義と社会主義では、同種の事実をいかに相反した捉え方で理解するか、いくつかの事例を取り上げてご紹介しました。

また、嫉妬や先入観がいかに正確な理解を妨げるかについても触れ、その点については、参加者の方々から等しく「勉強になった」と感想をいただいたところです。

今の日本では、よっぽど頭を働かせて仕事に臨まなければ、いつの間にか気付かないうちに社会主義的価値観に頭脳を支配され、徐々に「タダ働きのスパイラル」に陥っていく事実が分かったことでしょう。

同時に、あの本が僕の仕事や人生設計、あるいは勉強にどれだけ役立っているかも、少しご理解いただけたのではないかと感じています。


さて、この時期になると学生さんから「自分に合った仕事」という言葉をよく聞きます。そして毎年、そのような大衆用語で仕事を考えないようにアドバイスをしています。

仕事そのものが独立して「楽しい」などということはなく、良い仕事とは「自分が合わせたいと思う仕事」のこと。

その仕事が解決しようとしている社会の問題に当事者意識を感じ、より良い業務を提供するために自分を高めていきたいと思える仕事が、「自分に合った仕事」です。


多くの学生さんは「合う仕事」の条件を仕事に求めることには熱心で、勤務条件や社風、理念、業務内容、会社のビジョン、社長の性格などをあれこれと懸命に論評しています。

でも、仕事が楽しくなる条件の大半は「自分の中」にあることを知っている人は少ないようで、まるで今の自分で一生を生きるかのような考え方で、仕事の方が自分に擦り寄ってきてくれることを望んでいるように思える時があります。

不足はたいてい、会社や仕事にではなく、自分の側にあるものです。それに気付いて不足や欠点を受け入れ、普通の人が避けたがる地道な自己向上努力を継続できる人には、どんな仕事も楽しくなってきます。


例を挙げましょう。高校を中退したフリーターと言えば、まず客観的に社会に通用する能力は一つも持ち合わせていないでしょう。他人に持ち得ないメリットは「年齢」のみ。努力の成果とは呼べない代物です。

このフリーター君が、18歳かそこらで「オレに合った仕事」を探しても、彼に合わせてくれる仕事などまず見つかりません。

あるとすれば、知識や思考がなくても対応可能な、「五体満足であればよい」というだけの肉体労働しかないでしょう。


知識や思考が不要だということは、「誰がやってもよい」、「代わりはいくらでもいる」ということです。つまり、「学習が不要な仕事」ということで、知的資産の集積はいつまでたっても起こりません。

さらに始末が悪いのは、「期待されない」、「重視されない」ということから、仕事を通じて自分を成長させようという意欲が起こらず、人生の興味がもっぱら「オフ」に移り、そこにカネと時間を投じるようになることです。

要するに、こんな働き方で若い頃を過ごしてしまうと、「18歳の時の自分」と「25歳の時の自分」ができる仕事が全く変わらない、という未来を迎えます。「増えたのは シワと脂肪と 愚痴の数」ですね。


「自分に合った仕事」を求めるとは、つまり、その時の自分でも楽しいと思えて、その時の自分がこなせると思う仕事や、自分を永遠に時代遅れにしてしまう仕事で「成長を固定させてしまう」ということです。

彼が払う「合わせる努力」は、さしずめ「始業に間に合うよう起きる」とか、「バイト代を使い果たして前借りしないようにする」くらいしかなく、そういう努力は原始人と差がありません。

「合わせる努力」を首から上と下のどちらで行うかで、その後の将来も占えるものです。要するに「朝がきつい」という仕事や勉強は、何をやるにしろ、実りません。


「朝がきつい」ということは、その日に何ら成長が予定されていないという印であり、また、健全な責任と緊張がなく、朝起きて準備するに足るような役割を世の中から与えられていない、というサインです。

こう言うと酷かもしれませんが、朝が弱い人に成功者や金持ちはおらず、またチャンスが舞い込むこともなく、よほどの努力をしない限り、「さらに朝が嫌になる」という悪循環を起こして、最後は世間から排除されます。

そういう人ほど「目覚ましを2個置く」とか、「目覚ましの音を大きくする」、「朝食は抜く」といった下流での対策に走りますが、それでは事態を余計悪化させるだけで、本質的な改善とはほど遠いものです。

もう、川は濁っているのです。「朝がきつい」という川の濁りが上流の土砂崩れで起きたなら、上流の護岸工事をやるのが正しい対策です。下流で清掃作業をしても、川が澄むことはありません。


本人はそれでも「合わせているつもり」なのでしょうが、体を起こすのと頭を起こすのでは、わけが違うのです。体だけ職場に運ぶような仕事やバイトを毎日やっているから、夜にストレス解消を求めて朝がきつくなるのに、それに気付かない人も大勢います。

早起きの最も効果的な対策は「友達と予定を入れること」です。つまり、「期待されている自分」を実感できるイベントを朝から組むこと。要するに「頭を起こすこと」です。

世の中、体は起きていても頭は何年も「寝たきり」になっているサラリーマンがたくさんいます。身分は正社員ですが、そのような働き方はフリーターと何ら変わりません。


そしてなぜ、そこまで仕事がきつくなるかというと、会社が悪いからでも、仕事が多いからでもありません。原因はたった一つ、「自分が成長していないから」です。

つまり、知識や技術が向上していない、ということ。だから作業を単純化させることもできなければ、早く終えることもできず、人を使うことができずに使われてばかりでいて、仕事から全ての「主体性」が欠落していくのです。

楽しくない仕事の定義は「やらされる仕事」です。正しくは「やらされ感で当たる仕事」。では、「やらされ感」とはなぜ生まれるかと言えば、「自分に合った仕事」を探すという考え方で探すからです。


「合う」というのは条件を対象に求めることで、「合わせる」というのは自分に求めること。そして、理想に自分を合わせようとする努力が、言い知れぬ充実感をもたらします。

つまり、「体でやる仕事」は楽しくなく、「頭でやる仕事」は楽しい、といえますね。仕事は嫌なものだ、きついものだ、でも仕方がないものだという人は、「仕事の重心」が足か下半身にある人です。

若いうちや経験が少ないうちは、頭の不足を手足で補わなければなりません。人より多く、速く動き、人より多く準備して、人より多く修正し、そうして「頭と心」が鍛えられていきます。


そうしてより少ない労力と時間で、より多く重要な仕事をこなせるようになっていくのです。つまり「頭で働く」という状態になってくるわけです。

正確に言えば、仕事を認識した時に、知識や経験を駆使して「最善の解決策」が想像できるようになり、想像と決断のズレ、決断と行動のズレ、行動と結果のズレが少なくなっていく、ということ。

これが「思い通りにいく」という状態で、物事は全て、この「思い通りにいく」というのが究極の楽しさの形だといえます。テレビゲームでも、初めてのゲームは楽しくなくても、勝手を知ったゲームは楽しいでしょう。

仕事もそれと同じで、つまり、経験や学習を経て「仕事の重心」が上に上にと移動していった、ということです。


「自分に合った仕事」?

たかが大学を出たくらいの22、23歳くらいの若者の頭など、プロレスの頭突きくらいにしか使えないでしょう。要するに、バイトでもできることくらいしかありません。

だからこそ、より価値ある仕事を楽しくこなせるように、自らの意思で失敗と学習を重ね、他人に抜きん出る知識と能力を身に付けていくプロセスが楽しいのです。

そのプロセスを詳しく知りたい人や、「自分に合った仕事」で悩んでいる人は、ぜひ大月さんに相談してみて下さい。大月さんは今、そういう努力を地道に続けています。



「楽しい仕事」とは、成長が伴う仕事です。その成長の喜びを仲間や先輩と分かち合える仕事です。人の喜びを我が喜びとできる仕事です。

そして、そのような喜びにつながることを予想できる時、どんな努力も先取りしたくなって、朝も自然と体が起き上がるわけです。

つまり、仕事との設置面積を可能な限り減らしたいと、朝から目覚ましをずらしまくったり、朝食を抜いたりしている人には訪れない「知的成長」という+αが積み重なっていく、ということです。



自分に合う仕事とは、今ある長所の発揮で間に合う仕事ではありません。むしろ短所さえ自発的に改善したくなるような仕事です。自分の専攻外でも、自発的に本を買って知識を収集したくなる仕事です。

なぜなら、働き始めて遭遇するのは自分の無力さや無知ばかりなので、要領の悪さや知識の少なさは、これを自助努力で補える習慣を養っておかなければ、仕事はどんどんきつくなっていくばかりだからです。

学生時代に自覚できる短所は、働き始めると明確な実体をもって改善を迫ってきます。大学の時はレポート提出が遅くても自業自得で、自分が痛い目に遭えばそれで済みますが、仕事だと信用を失います。


僕も学生さんが相手だと、時間の使い方やモチベーションの上げ方に悩んでいる時は、何度でも丹念に考え方の工夫を教えて、できる限り丁寧に応援しますが、社会人だとそうはしません。

僕の時間を尊重しない人、準備が浅く着手が遅い人、口だけで全然作業が進まない人、何度作業を重ねても要領が悪く改善の努力が見えない人は、安い手数料で徹底的にこき使います。

そういう人は、自分で自分の価値を下げているわけですから、僕がそういう人の時間を占有して単純作業を格安で割り当て、僕の人生の時間から単調な繰り返しを削除し、そこで雇用を生み出すのは、合理的社会貢献の一つだと割り切っています。

世の中、口だけの人にもそれなりの使い道はあるものです。



そこで人間が取る態度は二つです。一つは「責任の回避」で、自分にはそんな能力はないと遠慮して自ら自分の価値と存在感を引き下げ、それと同時に仕事の重心を「首から下」に下げるタイプ。

もう一つは、「これじゃいかん」とオフの時間も先輩との相談や勉強、セミナー、専門知識習得に充て、より大きな責任と価値ある役割を引き受けるに足る自分を目指すタイプです。

見てください。居酒屋や屋台で愚痴を言い合っているサラリーマンほど、勉強できる時間をストレス解消に捧げて気付いていないではありませんか。だからいつまでたっても仕事の重心が上がらず、いい年をして上司の使い走りをやらされているんです。


皆さんは、そんな仕事は嫌でしょう。だったら今、寸暇を惜しんで徹底的に勉強することです。世の中、勉強しない人間はいつも負けます。反対に、いつからであれ本気で「間に合う」と思って学ぶ人間は、最後には必ず勝ちます。フリーターだって、絶対に勝てます。

大学や会社は誰でも行きます。よって、そういうのでは何の差も付きません。仕事の重心が首から上になるか、それとも下のままで終わるかは、ひとえに「自由時間を未来に投資できるかどうか」で決まります。

そうして、「理想を現実に合わせて引き下げる」のではなく、「現実を理想に合わせて引き上げる」という種類の努力を歓迎できれば、どんな仕事も「自分に合った仕事」になりますよ。