■「内定への一言」バックナンバー編

「情報ではなく、情報源と付き合おう」





今日の一言は、FUNができる前から安田君とよく話していた言葉でしたが、メルマガ総集編を振り返ってみても、この基本的な言葉を紹介していなかったことに気付きました。

これは、「美を求める心」の心構えを記者活動に応用した言葉で、僕自身、経済誌の記者時代に深く心がけていた言葉です。

僕は新聞記者ではなく経済誌(ビジネス雑誌)の記者だったので、扱うニュースは「経営情報」でした。つまり、「未来」です。全国の成長ベンチャーの経営者を取材し、その思想や哲学を録音テープから抽出して記事の形に整え、誌面に掲載して売る仕事です。



僕は記者になって「未公開情報」に触れたことがきっかけで、テレビや新聞を見なくなりました。なぜかというと、そのような「マスコミ」と呼ばれる媒体の情報は、経営者が決定した情報を掲載するという点で、時代遅れだからです。

その時差は、平均的に半年~1年と見てよいでしょう。情報の受け手の側は「これからの時代、どうなるのか」と「なる」という言葉で未来を考えていますが、その一方では未来の芸術家たる経営者がいて、「どうするか」を考えているわけです。

「なる」と「する」、どちらと付き合うのが良いか、考えるまでもありません。また、加工・削除・編集された「情報」と付き合うより、まだドロドロしていて未発表で、未加工、未編集の「情報源」と付き合った方が、はるかにモチベーションが高まります。

モノにするためには、自分で加工・編集という調理作業をしないといけないからです。


その点では、いくらネット環境を整えて新聞を読みまくり、テレビを欠かさず見ていても、絶対に「情報源」を超えることはできないわけです。

本当の情報とは、得た瞬間に「これだ!」と確信できるものです。いわば、こちらに準備と努力の自覚があるから、それが役立つ情報だと認識できるわけです。

本当の情報とは、迷いを解き、過去から今、未来へと続く一本の柱を自覚させ、何か行動に移したくてウズウズしてしまうような感動をもたらします。情報の奥にひそむ何かを、想像力を駆使して見抜いたからです。



だから、大抵の人が「情報収集」とか「情報あったよ」とか言っているのは、空振りか凡打を繰り返しているようなものでしょう。本当の情報に出会ったら、伝える側が殺気立つくらい興奮するからです。

一般に「情報」とは、加工・編集が進み、相手が不明確になって受け手が増えるほど、その価値を失っていきます。新聞やテレビの情報には、ただ確認すればいい、くらいの価値しかありませんよね。

誰もが知っていることなど、情報ではありません。誰でも知っているのに、誰も考えないことを思いついて実行できるのが、本当の情報の生かし方です。「受け取って終わり」では、情報とは呼べません。

つまり、大衆向けの情報は「一般的な問いのために提供された一般的な答え」となり、受け手の側にも収集の工夫や努力は不要になるわけです。不要だから当事者意識も生まれず、感動も発見もありません。



本当の情報とは、目の前にあっても想像力を働かせねば、絶対に得られない性質を持っています。要するに、「自分の問い」がなければ、完全に受け取ることはできません。

情報とは、そんなに簡単にモノにできるものではないのです。ボケーッとしていたって、情報はその人だけを巧みに迂回して、どこかに通り過ぎて行ってしまうでしょう。

先日のメルマガの「実体と影」の話を使えば、「情報源=実体」で、「情報=影」とも言えます。皆影を追ってばかりで、実体をつかもうとは、なかなかしないものです。

そして、「○○業界は厳しいらしいよ」、「営業は止めた方がいいよ」、「あの会社はダメらしいよ」という、自称「情報通」の振り撒く「影=有害情報」に毒され、自ら選択肢を狭めていくことさえあります。だから、情報源と会って確認するまでは、粘り強く耐えて考え続けることが大事です。



そういう心構えで630社を取材し、2,000社以上を営業で回ってきて、そこからFUNの顧問を引き受けるようになりましたが、学生と会って驚いたのは、「情報収集」のやり方ばかり考えていて、「情報源」という発想がないことでした。

もっと言えば、情報をモノにする知的・精神的訓練は全くやっていないのに、この世のどこかに「自分のためだけに待ってくれている素敵な仕事」があるように思い込んで、何が欲しいのか具体的にイメージせず、そういう情報ばかり探していることでした。

僕は学生は「柔軟で固定観念に囚われない」と思っていたのですが、事実は全く逆で、学生ほど頭が固くて予備知識がなく、少しの情報を得ただけで「じゃ、いいです」と先入観で拒絶してしまう人々もいませんでした。


これは「ビジネス塾」の第⑦回『経営指標』の回でもお話した「予備知識と獲得情報のギャップがもたらす拡大解釈の弊害」で、例えば「営業」という仕事に対する基礎的な理解がなければ、「営業」という言葉を聞いただけで、「いや、別にいい」などと言ってしまうものです。

拡大解釈が良い方に働けば「チャンスを見抜く力」になりますが、それはこちらに未来の想像と準備がある時にしか働かないものです。

大方の人は、この「拡大解釈の力」をネガティブに作用させ、「情報源なき情報」に振り回されて、毎日影ばかり追って疲れています。学生はまさにその典型だったので、これはいかんな、と感じました。



FUNでも毎月、面白い現象があります。FUNの中心的活動である企業取材は、世の中の様々な「情報源」と付き合い、自分の視野を本当に広げ、迷いと混乱を通じて思索と想像に裏打ちされた本物の夢を描くツールです。

取材に行った学生さんは、基本的にはその週のFUNゼミで「取材報告」というものをします。1分くらいの簡単な報告です。

だいたい、取材概要や感動のポイント、新たに持った疑問、解決した問題、そこで得た発見などを簡潔にまとめて発表するだけの小さなプレゼンなのですが、皆さんも聞いていて、以下のようなことに気付きませんか?



それは、取材担当記者や同行記者として、「実際に」社長さんや社員さんと会った友達が、恐ろしく平凡な言葉や考え方に対して「感動した」ということです。

それは、学生生活でもありきたりの「継続が大事」、「やればできる」、「まずは行動」といった言葉だったりします。

はっきりいって、このような平凡な言葉を大学の中で、あるいは友達から聞いても、今の学生さんの大半は「それくらい分かる」、「だけん何」と生意気に受け流して、本気で考えてみようともしないでしょう。

そして、そういう当たり前のことを軽視するから、情報ツールばかりに金をかけて無駄な遠回りをし、「運命の出会い」みたいなものを求めて時間を空費したりします。そんな出会いなど、あるわけがありません。あっても、そんな態度では、まずモノにできません。


それが、取材に行って実際に会社に入り、「自分だけの問い」を直接社長さんや担当の方に発してみると、どうでしょう。

詳しい経緯や事情を話してくれるばかりか、この業界特有の考え方、マスコミでは教えないこと、説明会では割愛されること、伸びている人の共通点、社長の思い、会社のビジョンなどを踏まえて、すごく丁寧に答えてくれますよね。

そして最後に一言。「君たち学生さんも、やればきっとできるんだから、自分を信じて頑張りなさい」。



こんな言葉は、小学生でも理解できる日本語です。世間を知らない人が、世間を知る前に聞き飽きて、いちいち行動で確かめようともせず「知ってるつもり」になるくらい、ありふれた言葉です。

しかし、自らの行動で問いを発し、「情報源」と付き合った結果そういう言葉を受け取ると、それはもう、一種の魔力を備えた魔法の言葉になってしまいます。

「やればできる」という言葉は、情報として受け取れば見逃してしまいかねませんが、情報源から聞けば、周辺知識と合わせて確実な情報になるのです。それがFUNで言う「情報収集」だとは、部員なら誰しも知っていることでしょう。


ネットなどの情報ツールが発達すれば、大抵の人はラクをしようとします。

しかし、ヤフーの検索バーに「私の夢」とか「My Dream」とか入力しても、何も出てきません。

ラクをしようとする人間には、その動機に見合った粗末で低質な情報しか提供されないものです。就活の時期になると、怠け者ほど「いい情報ないね~」と文句を言っているでしょ。



だから、足と頭で稼ぎ、心と手で発信することが大事です。そういう情報こそ、人生を積極的に描く武器として活用しうる「本物の情報」でしょう。


そんな情報を武器に就活に臨むことができれば、東京や大阪の学生も相手ではありません。

だからFUNでは、そういう取材活動を地道にやっていこうと、発足時に安田君が決めたのです。


「テレビでイチローのインタビューを聞くより、実際にイチローに会いに行こう」という発想です。

世の中、溢れている情報は変わりません。だったら、受け取り方で圧倒的な差を付ければいいだけ。

そのためには、情報源の人たちの考え方を学べばいいのです。簡単なことですね。



例えば、野球を全く知らない人が「ホームラン」を見れば、「金属バットならホームランが打てるんだ」と思うかもしれません。

そうして野球を始めた人は、全く打てない自分を変えようと思った時、バットばかり変えるでしょう。

なぜなら、バット以外の要因を考慮することができず、自分の問題は「見えるもの」の改善で解決できると思っているからです。就活で情報収集をすればするほど暗くなっていく学生も、これと似ています。

バッティングはバットだけの問題じゃなく、足腰や目、筋力、基礎体力や反射神経まで含んだ問題なのに、「バットだけ」という可視現象だけを変えようとするから、一向に解決しないのです。

バットというのは、その選手の様々な想像と練習の成果を、「ボールとの遭遇」という瞬間に表現できるよう、能力を結実させる一つの道具でしかありません。

「選ばれたバット」より、「そのバットを選んだ想像力や着眼点」、あるいは「そのバットをモノにできる考え方や練習」をこそ重視せねばならないのに、多くの人は末端の瑣末な情報ばかりを拡大解釈し、余計迷います。


このメルマガにも、「就活と関係ない」と言う人がいますが、そういう人はモノにできる素質や訓練がないだけです。同じ年の学生さんから、熱狂的な感想をいただくこともあります。

だから、文句がある方は、関連付けられない自分の想像力の貧しさや、未来にオドオドしてしまうような自分の大学生活を反省してはどうでしょう。

自分の「就活」のスケールが小さいから、バットばかり変えようとしているのではありませんか。



面接やエントリーシートもまた、バットのようなものです。ヒョロヒョロの腕の人間や、腰がフニャフニャした人間がバットだけカッコつけても、逆にバットに振り回されるだけでしょう。

誰もが昔遊んだように、バットを地面に立てて頭を頂点に乗せてグルグル回り、その後まっすぐ歩こうとしても、歩けません。中には、ケンシロウに秘孔を突かれたように、意図する方向とは逆に進む人さえいます。

情報に振り回される人も、そういうものです。こちらの足腰の強さや筋力、集中力がなければ、大抵の人は情報にそうやって振り回され、得たばかりに余計迷って、まるでバットで遊んだ後のように、酔っ払いのような就活に突入していきます。

世の中どこでも、確実なものの周りを、不確実なものが回っています。人間関係でも同じでしょう。人の輪の中心にいるのはいつも、その集団で一番自信があって、行動を継続している人です。



このメルマガでは持久力や基礎体力、集中力、洞察力を鍛えることを重視しています。はっきり言って、新しい情報などありません。しかし、「出会ったら食いついて離さない執着力」なら得られます。

できる人というのは、凡人がやる前から「関係ない」とこっそり手を抜くところに偉大な関係を見抜き、一人でも努力に遠慮しない人のことでしょう。つまり、「情報源」と似た考え方を大事にしている人です。

無能な大衆は、「情報収集」ばかりやりたがります。そっちの方がラクだからです。そして、若いうちのラクなことは、常に間違っています。だからFUNでは、あえて苦しい遠回りを重視しています。

他の人が出会っても見抜けないものに感動し、見抜いても掴めないものを掴み、掴んでも生かせないものを生かし、生かしても続けられないものを続けるためには、頭脳と精神の筋力が必要だからです。


皆さんが取材を通じて会った方は、皆そういう人ばかりだったでしょう。苦労や奮闘を重ね、迷いを通じて紆余曲折を経て悟った言葉を聞いた時、それがどんな言葉であれ、例外なく感動したことでしょう。

情報は、単純な言葉でも大切に扱ってあげれば、それだけの働き方をしてくれるのです。だから、それを大事にしている人と同じ心掛けで情報と接することだ大事です。

学生生活もまた、情報と付き合うか、情報源と付き合うかで、最初から勝負は決まったも同然ですね。