■「内定への一言」バックナンバー編
「青年は困難な目標に取り組み、これを克服するのが好きなんだ」
(小林秀雄)
去年の夏といえば、その頃始まった「FUN韓国語塾」のサブテキストを作るべく、平日の夜はスタバにこもり、黙々とK-POPの翻訳作業に打ち込んでいました。
ただ眺めながら歌を聴いておけば、いつの間にか韓国語の発音、単語、活用、文法構造、構文が理解でき、映画やドラマ、ニュース、新聞記事などで外せない115の表現が記憶できてしまうこのテキスト。
キンコーズでコピーして配っているためか、1年たった今ではボロボロになってしまいました。でも、ボロボロになるまで使ってもらえるなんて、翻訳・制作した僕としては、こんなに嬉しいことはありません。
ただ、きつかったのは、日頃頭の中が「会計用語」、「収益計算」、「事業計画」などの数字や専門用語で埋め尽くされている僕が…
「そうやって僕たちは、この夜の果てを求めて愛し合ったね」とか、
「もし君が別れようなんて言ったら、僕は一体どうすればいいの」とか、
「遠ざかるあの後ろ姿を見ながら、僕はそれが別れだとは思えなかった」
などというように、およそ普段とはかけ離れた言語空間を頭の中に作り出して、一つの歌の世界を作らねばならなかったことです。
翻訳するのは別に苦しくないんですが、珍しく「このノートだけは絶対に見られたくない」、「字体だけ変えられないだろうか」と悩み続けたものでした。
かといって、意訳だけで済ませれば原文との照合が難しくなるし、直訳だと妙にぎこちない日本語になるし…ということで、右のページにさらに用語解説や文法解説を付け加え、完成させました。
訳が完成した後は、PC専門書を読んだり、財務諸表論を読んだりして「癒しのひととき」を持ったのも、今では懐かしい思い出です。
講座用のテキストと合わせ、日本に存在するテキストの中で、最も短期間で実力が付くテキストであることは間違いないと、自信満々の作品です。
でも、他にも役立つ表現を含んだ歌はたくさんあるし、「韓国語塾を通じてもっと勉強したくなった」という学生さんに、そういう歌も翻訳して紹介せねば…と思っていたら、最高の協力者が。
毎週1回、福岡女子大国文科2年のNさんと定期的に「翻訳&チェック」の作業を始めて、もう3ヶ月になります。
Nさんの大きなカバンからは、毎週ボロボロになったテキストが出てきて、全ページにびっしりと書き込みがあるのを見るにつけ、幸せな気持ちになります。
学習し始めて1年というのに、特に表現が難解なイ・ソラや金光石の歌詞をかなりの正答率で翻訳していて、僕が韓国語を始めた時以上のセンスを感じます。
また、キザで回りくどい表現が多いTOYや、方言と略語丸出しで難解さNo.1のDJ-DOCさえも意味が通るように翻訳していて、雨でも成人式の準備の後でも予定を外さずに提出する努力には、頭が下がります。
一つ不思議なのは、難解な表現はうまく訳せているのに、初歩的な読み違いで「なんだ、これは~!?」というような「妙訳」があること。F-1レーサーが自転車でこけるといった感じで、そんな時は「も~!」と悔しがっています。
そういう真剣な作業のはずなんですが、翻訳文を校正したり、原文と照合したりしている時の会話は、かなり異様で異質です。
「そのままの恋をまたやり直すよ、にしたら?」とか、
「彼が君の心を傷つけたの?僕には世界一大切な君なのに、かな」、
「僕たち恋人同士みたいだねって冗談を言った時、君は笑って、僕は夜を明かしたよ、になるね」…
といった感じで、ベローチェやミスドで周りに座っている人が聞けば、「あの二人は一体、何を話しているのか」と怪しまずにはいられないほど、Nさんも顔が赤くなってしまうような言葉のオンパレード。
ということで、「海の家の総会屋の密談」のように、こっそりとやってます。
意味不明の外国語を絶叫したり、得体の知れない空想をカッコつけてつぶやくJ-POPと違い、K-POPは98%が純粋にハングル(漢語も多い)で、しっかりと意味が把握でき、情景が想像できる歌詞が多いので、翻訳作業もやりがいがあります。
僕も韓国語やタイ語、インドネシア語、マレー語、タガログ語の歌を翻訳して一人寂しく遊んできましたが、ほんと、外国語の歌の意味を知るたび、日本の空疎で軽薄な歌が聴けなくなっていきます。
初代のサブテキストよりやや難解で、多様な表現を含む第②弾は、10月中旬から始まる第④期韓国語塾から使用しますから、どうぞお楽しみに。
また午前中は、FUNでは空手でお馴染みの九大2年・M君と、メルマガ編集作業の件でお話しました。
そろそろ夏休みも後半(長い…)ということで、最近読んだ本や語学への思い、同じく九大2年・T君とのエピソード、取材への思いなどを聞いて、本当に立派な若者だと感心しきりでした。
この前のブックオフツアーで最後に見つけた『外国語学習法』(千野栄一/岩波新書)が気に入ったようで、終始ご機嫌の様子。「FUNに来て本当によかったです」という言葉を聞いて、僕まで幸せになってきました。
「イマドキの若いモンは」と文句を言う大人がいたら、M君やNさんに会わせてやりたいと思います。
このような多くの素晴らしい学生たちを見るにつけ、いつも思い出すのは、小林秀雄さんの『青年』というエッセイです。
小林さんは「常識について」(角川文庫)や「兄小林秀雄との対話」(高見沢潤子/講談社現代新書)などでも、しきりに青年の可能性を賛美しています。
特にどの本でも、「青年の特権」と断言しているのは、「未熟ゆえに、困難なものと取り組み、これを奮闘のうちに克服して大きな自信を得ること」です。読んだことがある学生さんは、大きな勇気をもらったことでしょう。
昔の旧制高校では、1年間ドイツ語の基礎を叩き込んだ上で、2年からはいきなりゲーテやハイネの原文を翻訳させたそうです。今の教育では考えられないような超・荒技ですが、フランス語でも英語でもそうだったようです。
寮の友達とよってたかって作品と向き合い、持てる知識の全てを動員して、できる工夫は全て尽くして、そうしてやっと出来上がる翻訳。それが確実な実力と自信を生み出したんですね。
僕はこの、近代日本の学問を変えた明治の青年たちの奮闘を尊敬していますから、「語学は総力戦だ。みんなでよってたかって、文法と単語をやっつけよう。みんなで分かれば、楽しさ3~5倍だ」との信念で、韓国語塾に臨んでいます。
これは別に、語学学習だけではありません。
今は「情報化社会」とか言われますが、簡単で手っ取り早く処理できる「パッケージ情報」ばかり溢れていて、肝心の受け取る側である人間に異様な悩みが増えている状態では、明治期より衰退した時代というほかありません。
ツールが充実したからといって、別に手抜きができるようになったわけでもないのです。
時間や労力の損をしたくないからと、「やり方」ばかりを気にしていつまでたっても腰が落ち着かず、本気で取り組むことを躊躇しているようでは、それ自体が大きな時間と労力の無駄です。
僕はこの、現代の青年の心の中に潜む「本気を敬遠する恐怖心」を打破したいと思っています。だから、会計の講義でも「考えないと分からないこと」を教えます。
代わりに考えてあげることなど、親切でも何でもありません。だから、答えを欲しがる学生には、問いをあげることにしています。
今皆さんの前に小学生の子供がいて、ちょっとテストが悪かったからと、「僕、もうダメなんです」、「どうせできないんです」、「もうチャレンジする気力もありません」とか言っていたら、皆さんはどう思いますか?
「何を言ってるんだ」と励ます人もいるだろうし、「ばかもん!」と叱咤激励する人もいるだろうし、年齢からは考えられない諦観に驚き、豊富な体験談で諭す人もいるでしょう。
そして、その小学生くらいの年齢と素質があるなら、「今からやれば、絶対に間に合う」ということだけは、分かってもらおうと努力するでしょう。
僕から見た大学生も、大学生から見た小学生のようなものです。中年の人から見た僕もまた、そのようなものです。経験を重ねた人から見れば、年少者にはいくらでもチャンスはあるのが、手に取るように分かります。
しかし皮肉なことは、本人が全力で自分の邪魔を始めたら、周りにどんなに温かく有能な人がいても、何の役にも立てない、ということです。
「僕は誰がどう言おうと馬鹿なんです」、
「自分には無理だってことは、誰よりも分かっています」、
「生まれつき頭が悪いんです」
…などと、恐ろしいほどの集中力で自分の邪魔をしている何人かの学生に、どうやって可能性に気付いてもらえばいいのか。
その答えは、古い本の中にありました。それは、「困難なものに立ち向かい、その姿を遠くで見守ること」です。
「できない」、「難しい」、「向いてない」などの決め付けを排除させて、まずは小さい作業をさせてみます。すると、意外にうまくいきます。そこを見計らって、すかさず「すごい!センスある!絶対できる!」と言うと、大半の学生は照れ笑いをします。
調子に乗りやすい学生は、もう次の日になると、関連図書を買っていたりします。そうして接する新しい世界は、もう以前の「無理、困難、不向き」な世界ではなく、可能性とビジョンに満ちた舞台になっています。
学生には、「~かね?」、「~かも」、「ビミョー」、「~ぽいね」、「てゆーか」といった口ぐせからも分かるように、何も断言せず、人の判断を伺ってから自分の意見を表明するという、霞ヶ関の役人のような「御用根性」が染み付いている人もいます。
思うことや考えることさえ、自主的にできない青年もいるのです。これを一方的な「できる、できる、絶対できる」という断言で粉砕し、隠れた可能性を掘り起こすと、その学生は自分の考えを自分の言葉で話すようになります。
よく就活で「自分の言葉で」と言いますが、それは「自己責任で断言できる意見」と考えればいいでしょう。年長者から「本当にそう?それでいい?」と詰め寄られても、「はい。それが私の考えです」と言える意見を、自分の言葉といいます。
そのような自信はどこで身に付くのかといえば、やはり「困難なものに立ち向かい、それを克服した経験」しかありません。
だから僕は、日頃学生が「バカバカしい」、「それくらい分かっている」というような努力を、バカバカしいほどの基本から一緒に取り組んで、一緒に悩み、一緒に克服していきたいです。
まさに、西武ライオンズを常勝軍団に変えた往年の名監督・広岡達朗監督の『意識革命のすすめ』(講談社文庫)の世界です。
誰でもすぐにできるような経験で履歴書を埋め、困難に差し掛かったらすぐにやる気を失うような若者より、簡単には答えの出ないような深い課題と向き合い、七転八倒しながらも目標を見失わず、亀より遅くても前進する若者の方が、将来は絶対に伸びていきます。
だからぜひ、学生時代は「難しいこと」をやりましょう。そして、絶対に絶対に、中断しないことです。
「え~っ、なんでわざわざそんなことを」
「楽しむのが第一やろ」
「時間がないから、手っ取り早くやればいい」
と、95%の人は思います。だから、大衆と同じ俗っぽい悩みを一生にわたって抱え、挫折には卑屈になり、壮年を迎えても達観できないのではないでしょうか。
今日はNさんと翻訳作業を終えた後、西南4年のI君と「FUN発症の地(発祥ではない)」大濠ミスドで会い、簡単に歴史勉強会の打ち合わせをしました。
そこに挙げたのは、かなり難解で、よほどの決意がなければ読み通せず、自分の知識不足に机を叩いて悔しがりそうな名作ばかりです。はっきり言って、最初は知恵熱が出るでしょう。
しかし、この勉強会で読むような本を読み通すことができたら、皆さんがこれから社会で会う8割の人に対しては、「会って5分で心理が読める」という状態になるのは間違いありません。
それは、歴史、とりわけ戦史には、国民性や民族性の最も象徴的な要素や事例が凝縮され、日本人の行動原理や思考形式が如実に現れているからです。
こういうことは経済学でも商学でもなく、すぐに実務知識となって仕事に役立つような浅はかな知識ではありませんが、僕の経験を振り返っても、記憶力や集中力、判断力、構想力に最も役立ったと断言できるのは、外国語の勉強と歴史・古典の勉強です。
お金を節約するために、簡単には「終わり」を迎えない難解な本を買い、ずっと持ち歩く癖が10年来続いているのですが、「難しいからといって投げ出さない」というこの無料の習慣で、何千万円得したか分かりません。
ぜひ、仲間と一緒に難しい課題に取り組み、思考力と集中力の極限まで挑戦し、その果てに「求めていた自分」を探り当てたい方は、一緒に近現代史を勉強しましょう。
近日中に案内を流すので、ぜひお楽しみに。参加費は、多分100円くらいだと思います。
難しいですよ。本当に難しいです。財務諸表や国際金融の比ではありません。だからこそ、自分が本当に持っている能力が顕在化されるのです。