■「内定への一言」バックナンバー編
「不安は気分に属し、希望は意思に属する」(ポール・アラン)
海外勤務を志す人なら一度は読むであろう、深田祐介 さんの「商人」シリーズ(いずれも文春文庫)は、緻密な取材と豊富な文学知識に裏付けられた名作揃いです。
「神鷲商人」は日本政府の対インドネシア賠償貿易の実話を扱い、「革命商人」はチリのアジェンデ政権を支援したトヨタのエピソードを扱い、「炎熱商人」はフィリピンのマルコス政権に取り入ろうとした住友商事の実話を扱い、「暗闇商人」は、ベルギーで北朝鮮工作員に拉致された有本恵子さんの悲劇が題材です。
どの作品も上下二巻で、日本人の生きがい、海外勤務の苦しみ、人間関係の苦悩と感動が壮大なスケールで描かれ、僕もマレーシア勤務時代には何度も読みました。特に、深田作品に出てくる女性はカッコいいです。
深田さんはJALロンドン支店長として、世界中のビジネスマンを最前線で観察し、帰国後は広報部長として日本航空のイメージ戦略を担い、在職中に書いた「スチュワーデス物語」は80年代を代表するドラマとなり、大ヒットしました。
ちなみに、このドラマが放映されてからスチュワーデスの人気が高まり、「機内給仕係」から「客室乗務員」に名称が変わりましたよね。
航空業界を志望する学生さんに毎年、深田作品を読んだことがあるか聞いていますが、学生さんは評論や経済小説を自分で買って読むことは少ないようです。
さて、そんな深田さんの作品では、登場人物に名作文学の味な言葉を吐かせたりしていて、その辺のドラマよりよっぽどかっこいいセリフが出てきますが、今日のアランの言葉も、深田作品で知った一言です。
ポール・アラン
は「幸福論」で有名で、僕は半分ほど読んだきりですが、「アランの言葉」(加藤邦宏・PHP文庫)という本で、その思想のエッセンスを少しばかり勉強しました。
アランは1868年(大政奉還の年)にフランスで生まれ、本名はエミール・オーギュスト・シャルチェ。
若い頃から神童ぶりを発揮し、25歳で哲学教授の資格を得て、中学校の教師になります。彼が38歳からルーアン新聞に連載した「プロポ」は、活字メディアがメジャーになりつつあった当時のフランスで大きな反響を起こし、この連載を切り抜いて集める人々がたくさんいたそうです。
ちなみに、アランとはこの連載で用いたペンネームで、福田定一さんが「司馬遼太郎
」として有名になったように、彼も「アラン」として知られるようになりました。
彼は軍事、政治、社会、人間、芸術、文化、教育、宗教、文学…などを対象とした広範な表現活動を行い、終生、教育者・作家として生きました。
インテリからは好かれなかったそうですが、子供や学生、国民からは大きな人気を得て、特に物事の切り口や説明のうまさは、当時フランスに並ぶ者がいないほどの実力で、難解な哲学や政治、学問を彼一流の表現でシンプルに意訳した著作集は、死後80年を経た今でも、よく売れて読まれているとのこと。
その代表作で、アランは「不安は気分に属し、希望は意思に属する」と言っています。僕はこの言葉を深田さんの本で初めて見た時、「なるほど!」と思いました。
不安と希望は、外的環境や自分の実力が左右するもので、味わっている当人がどうこうできるものでもないんじゃ…と考えていたからです。しかし、アランは「不安と希望は、元々発生源が違う感情(精神状態)だ」と言っています。
例えばもうすぐ、「自分はそれを避けられない」と分かっている、ある問題が自分を待ち受けているとします。皆さんがそれぞれの立場でイメージしやすいように、センター試験でも、就職活動でも、社運を左右するプレゼンテーションでもいいでしょう。
その課題が「ある」ということは、当事者なら誰もが知っています。受験生ならもうすぐ入試が、大学生ならもうすぐ就職試験が、あります。そして「不安」とは、「ある」と分かっていながら、その課題を自分のものとして受け入れていない状態で、何ら積極的な姿勢が生じていない場合に起こる、とアランは言っています。
課題と向き合わなければ、課題の姿を知ることもできず、あるのに「ある」と認めない、あるいは「ない」、「まだ関係ない」と思いたがる心理が生まれます。
自分が近い将来、大きな選択を迫られるのが「嫌」だ。
まだ準備ができていないのに、そんな試練に直面させられるのは「嫌」だ。
それで人生の全てが決まるわけじゃないのに、それだけで自分が審査・判断されるのは「嫌」だ。
あぁ、嫌だ。嫌だ。嫌だ…と、認識不足や現実逃避が「不安」を掻き立てます。
しかし、この一連の「嫌だサイクル」に、何か正しい情報や計画・行動が介在しているでしょうか?そのようなものは、一つも見当たりませんよね。つまり、これは「気分によってそうなっただけ」の状態です。
だから、「気分」とは、思考や計画が伴わず、漠然と課題の存在を意識し、それと自分との結びつきが不自然・不明確な時に自分を妨害するのだ、というのがアランの指摘です。確かにそうだなぁ、と僕も思います。
反対に「意思」とは、解決できるかどうかはさておき、課題の全貌をその目で直視し、自分はどれくらいやればいいのか、今何をやればいいのか、やったら何が解決されるのか、を「知ろうとする」という心的状態です。
「知る」ではなく、「知ろうとする」である点が大事です。できる以前に、「これだけやればできる」というイメージを、思考・想像によって掴もうとする作業の土台が「意思」で、つまり、「人間はちゃんと考えれば、不安になることはない。不安になるのは、思考のごまかしや、想像の手抜きがあるからだ」と言うわけです。
課題と向き合い、ちゃんと考えれば、たとえ今の自分が足りていなくても、「それを埋めれば達成できる」というのは頭では理解できるので、不安の入り込む余地は、確かにありませんよね。考えれば、必ず希望が生まれます。というより、人間は「今より不安・不幸になるぞ!」と思考を働かせることはできない、と言ったほうがいいでしょう。
例えば、「数学なんて大嫌い!」という学生さんがいるとしましょう。そういう学生さんは、面接よりもエントリーシートよりも、筆記試験が嫌で嫌でたまらず、不安にさいなまれているでしょう。
とにかく、「数学」があるだけで嫌だ。もっと言えば、「数学」と聞いただけで恐怖を感じる。
自分は「数」という字の付くものには、とにかく向いてない。よって、数学があるからには、自分に良い就職など期待できるわけがない…。肝心の「数学のテスト(SPI)」がどのようなものであるか、それさえ知らずに、人はこうして、先入観だけで十分自分を邪魔し、可能性を阻害することができるわけです。
このタイプの人は、天気が良かったりすれば、「あ、なんか今、数学頑張ってみたい気分かも」とは言うかもしれませんが、それも課題や未来と結び付けられた「意思」ではないため、「気分」は天気のようにコロコロと変わるでしょう。
では一方、数学は嫌いだけど、「何とかしたい!」と思っている学生さんがいるとしましょう。
「何とかしたい!」と将来を積極的に描くのは、気分ではなく意思の力です。今は数学の力が足りなくても、「数学をどうにかしたい!」と今より良い状態を描いているのは、立派な「希望」と呼べる精神状態です。
そして、この学生さんなら、数学の参考書を見て、自分の「苦手ぶり」と向き合う勇気も持っているでしょう。だって、それが「合格への距離」を教えてくれる行動だから。
いざ、練習問題をやってみて、確かに最初の点数は合格とは呼べないようなレベルだった。しかし、それは「頑張れば、もっと点数は上がるはず!」と思わせるには十分な結果でしょう。
彼は再度、挑戦します。そして、初回よりは良い点数を取りました。それでも足りません。だから、また挑戦しました。
今度は、合格スレスレの点数でした。
「なんだ、やればできるじゃないか」。
こうして、苦手なことを平均レベルにまで到達させた精神力があれば、この先の上達は、放っておいても約束されたも同然です。
こういう簡単な例を考えても分かる通り、人は認識した課題に対し、今はたとえそれを解決できる実力や素養がなかったとしても、「やってやる」と思う、ただそれだけの「意思の力」で、大きな希望を生み出すことができるわけです。
「やるぞ!」と思うだけで、心と頭が、「やれる方法」を検索し始めます。その方法が間違っていれば、さらに良い方法を生み出します。やはり、「希望」とは、思考や想像が伴う精神状態のことなんですね。
一方、嫌だ嫌だと言い続けて「不安」ばかりを口にしている人は、ずっと繰り返したおかげで本当に心が不安に支配され、「数学?できんでもいいよ」とか、「運と勘で何とかなる!」と言ってくれる人を探してばかり。
「今の君でいいんだ」と言ってくれる人を探したところで、問題が解決されるわけでもないのに、人は往々にして、現実逃避をすれば問題もなくなったと勘違いしてしまうものです。
ということで、今日は「不安と希望」がどう生まれ、どう発展し、どう行動に反映されるのか、そのプロセスをアランの言葉に従って考えてみました。皆さんも不安なら、おそらく思考が足りないか、気分任せで未来を考えているのかもしれません。毎年、不安だと言う学生さんに不安の根拠を聞くと…
「だって…みんな、私の10倍もエントリーしてるんです」
「最近周りが…就活の話ばかりなんです」
「私だけ、志望業界が決まっていないようなんです」
「天神に行ったら…スーツの学生がたくさんいて不安になりました」
と言った、なんともかわいい答えが返ってきます。自分のエントリー、自分の就活、自分の適性、自分の準備から思考を逸らし、ただ周囲の雰囲気ばかりを気にして、それに影響されているなら、「気分」が心を支配して当然です。
このように、取れる行動が目の前にあるのに見えず、気付かず、不安に支配されてたった一つの行動すら起こそうとしない学生さんも、社会の仕組みやお金の稼ぎ方、社会で活躍する方法を30分も話すと…。
「小島さん、やっぱり人間、夢ですね!」
「何も知らんのに、エントリーの数ばっかり言う学生も多いっす!」
「スーツくらい、フタタで2着19,800円で買えばいいですよね」
とか言います。
おいおい。そんなにコロッと変わっていいのか…とは思いません。やっぱり、気分の仕業だったようです。
本当に毎年、お騒がせな若者たちです。「考える」とは、実に偉大な行為です。未来を展望し始めたら、不安や恐怖の入り込む余地はありません。
不安や心配で余計な時間、労力を浪費したくなければ、課題から目を逸らさない、ただそれだけで大丈夫。
自らの意思の力を信じ、どんな時でも、どんな状態でも、心の中に希望を起こせるようになっていきましょう!