■「内定への一言」バックナンバー編
「社長、これは絶対に成功します!なぜなら、彼らは全員裸足です」
今日はFUNのインストラクター・大月舞さんが、来週の日経ナビさんの合同説明会で行うスピーチのリハーサルでした。先輩を温かく見つめ、率直に評価する学生さんたちの姿に感動し、話し手、聞き手ともに、大きな収穫を得た一日でした。
さて、このメルマガは3年前にサークル内で配信していた、僕の独り言携帯メール1,000号分のバックナンバーを再編集して配信しているものですが、全体的に「知識」と言うよりは、「判断の仕方」や「物の見方」を扱った内容が多いことに、今さらながら気付きます。
そんな中で、3年前によく話していた内容を見つけました。それは、あるセールスマンの話です。
皆さんは運動靴を持っていますか?(「いつも履いてま~す!」と、九産大M君の声が聞こえてきましたが、気のせいでしょうか?)スポーツウェアやスポーツシューズと言えば、日本ではアシックスやミズノ、外国ではプーマやアディダス、ナイキ、リーボックなどのメーカーが思い浮かびますよね。
その運動靴メーカーが、かつて「有望かつ未開拓の市場」と期待したのが、アフリカ諸国でした。黒人の人々の運動能力の高さは、スポーツと名の付くほぼ全ての競技で、実証されています。
ただ一つ、水泳だけは白人が「同じ水の中には入らせない」と拒否してきた歴史から、欧米人やアジア系の人々が活躍していますが、陸上競技、球技、格闘技では、「体の作りが違う」と思わずにはいられないほどの差を感じてしまいますよね。
そのアフリカのある国に、某社が「他社に先駆けて、わが社のシューズを普及させよう」と狙いを定めました。営業・販売を行う前の基本的業務と言えば、やっぱり「マーケティング」。市場調査担当の社員が、派遣されました。
そして…。派遣初日に、調査結果が本社にもたらされました。
「社長、この国での販路拡大の見込みはありません。なぜなら、国民は全員、裸足で生活しているからです」と。
「この国は、靴を履く文化や必要性が存在しない国だ」という「現場の声」に従った某社は、あえなく営業計画を捨てました。
他の会社も同様に、新市場開拓を目指してアフリカを訪問しますが、どの会社の担当者も「裸足=文化」という現実を見た瞬間に、似たような回答を本社に届けました。
そして、ナイキの営業マンが某国を訪問しました。彼は空港を出るなり、本社に急いで連絡しました。「社長、これは絶対に成功します!なぜなら、彼らは全員裸足です」と。
社長は「おお、そうか!じゃあ早速、販売戦略の実地調査を継続してくれ」と言い、その報告を歓迎しました。同社の「Just do it」という社風が感じられるエピソードですね。
しかしなぜ、同じ商品を売ろうと、同じ目的の社員が、同じ国に行って、同じ事実に触れて、全く逆の答えが導かれたのでしょうか?
それは、「想像力が違っていた」からとしか言えません。同じ物事を見聞きしても、同じようには考えず、違った視点から光を当て、目的との結合点・接着点を探そうとする精神の姿勢…これが想像力です。
「想像力とは、目前の現象の中に適切なるチャンスを洞察する眼力である」とは、ナポレオンかシャルンホルストの言葉だったように記憶していますが、FUNではこれを要約し、学生さんには「想像力とは、チャンスを見抜く力だ」と言っています。決して、「自由に、しかし漠然と、取りとめもない妄想を繰り広げる力」ではないのです。
間違った定義によって認識された能力は、発揮されることはありません。
従って、「あの人は行動力はあるけど、なぜかいつも結果は運がない」という文は、成立しません。これは、「行動力」という言葉の本来の定義を考えれば、矛盾した文です。
結果を出せない力を「行動力」と呼ぶのはおかしいですよね。
「あの人は、権威には弱い」も同様。そもそも、人の弱さを露呈させるのが権威であって、それに対して弱くもなければ、その対象を権威とは呼ばないものです。あるいは単に、その人がそれを「権威」だとは思っていないだけのことです。
「チャンスを見抜くのが想像力だ」と考えれば、初めてナイキのセールスマンが発揮した能力の本質が分かりますよね。そして、自分の大学生活や就職を、この一つの能力を軸にして、少しばかり整理してみることもできるようになります。
事実が同じでも、情報が同じでも、それ次第で光景から有意義な情報や知識を抽出することもできれば、無意味な活字・風景のままに終わらせることもできる力…。皆さんは日頃、どのように想像力を発揮していますか?
もしかして、「いい情報がないねぇ」と言いながら、媒体や情報を取り替えたりはしていませんか?それは、本質的には何も変わらない、表面的な行動ですよ。ぜひ「見方」を変えましょう。
同じ就活でも、「楽しみ!」と言う学生さんもいれば、「やりたくない。学生のままでいたい」と言う学生さんもいます。得ている情報、参加している説明会、見ているサイトも同じなのに…「目の前の裸足の人々」に対するコメントは全く違うのが面白いですね。
ちなみに、わが日本には「泣き虫ばあさんの話」があります。
…あるところに、毎日泣きながら暮らしているおばあさんがいました。
おばあさんには2人の息子がいて、兄は傘屋さん、弟はぞうり屋さんの仕事をしています。そのため、おばあさんは…晴れの日には「あぁ、今日も傘が売れずに、兄の商売が苦しくなる。かわいそうに」と泣きます。
雨の日には「あぁ、今日もぞうりが売れずに、弟の商売が苦しくなる。かわいそうに」と泣きます。
要するに、心優しいおばあさんは毎日、息子たちの苦労を思っては、涙を流す日々を送っていたため、「泣き虫ばあさん」と名付けられたわけです。
そしてある日、そんなおばあさんとは知らずに村を訪ねた旅人が、おばあさんに会い、「おばあちゃん、なぜそんなに毎日泣いているんですか?」と聞き、息子たちの話を知りました。
旅人はそこで一言。「なんだ、おばあちゃん。じゃあ、晴れの日にはぞうりがたくさん売れて、弟さんはニコニコ、雨の日には傘が売れて、お兄さんはニコニコじゃないですか。よかったですね」。
おばあさんはその言葉に、「なるほど!そうじゃな」と目を開かれ、それからは「ニコニコばあさん」になったとさ…
という、ナイキの話と同じくらい有名な話です。学生さんの中にも、このように、ある事実を一面からしか見ることができず、泣き虫ばあさんのように不安や心配の中で暮らしている人がいます。
だから、不安や心配がある人は、現実逃避や「癒し」のような表面的なものに逃げず、まずは「見方」を変えてみてはどうでしょう?きっと、「なるほど、そうか!」と、すぐにニコニコ笑顔になりますよ。
ということで今日は、同じ物事を見聞きしても、同じようには考えない「想像力」のお話でした。