■「内定への一言」バックナンバー編
「フリーターこそ、型にはまった生き方だ」
昨日はFUNゼミが終わってから帰宅し、16時間くらい寝ました。HP作成やレジュメ校正で、かなり目が疲れていたせいかもしれません。これは、あと数年でメガネをかけることになるかも…。
HPで講義録をまとめてから、早速4人の方からレジュメ送信希望メールが来ました。無料で送れるのは、部費を払って参加している部員の方だけなんです。読者の方はご了承下さい。もちろん、これからも共用コンテンツは充実させていきます。なにせ、FUNは僕が最も大切にしているオフの活動ですから。
さて、今年は人材関連業界に進む人が多く、雇用問題についての話題を例年より多く聞きます。人材派遣会社に入る予定の4年生は皆優しく、思いやりに溢れた学生さんばかりです。きっと、相手から喜ばれる仕事を果たしてくれるでしょう。
僕は派遣事業者ではありませんが、雇用問題の分野では若干経験があるので、今日は再就職支援で感じていることについて、扱いたいと思います。
皆さんのような大学生の職業選択でもよく聞かれる言葉で、フリーターの間でもよく耳にする、ある決まり文句があります。それは、「型にはまった生き方はしたくない」というもの。
自由を求める若者の気概も少し感じられて、おそらく口にする人の大半は、本気でそう願っているのでしょう。
でも、正社員を目指す大学生と、正社員を避けるフリーターが同時に同じ言葉を口にするのは、不思議だと思いませんか?
だったら、「型って何なのか」と誰もが思うはず。ということで僕は、大学生とフリーターが「型」と口にする時の心理を観察してみました。
そして、おぼろげながらも分かったのは、企業経営者が「型」を良い意味で使うのに対し、学生やフリーターが「型」と言う時は、ほとんどが「抑圧」、「固定化」、「停滞」、「被命令」等の意味を込めている、ということでした。
あるいは、「誰もが歩いた道をまた歩くこと」、「父親たちの世代がはまっている生活パターン」といった意味で使うこともあるようです。
言葉は頭脳や心理の反映で、僕は外国語マニアだからかは分かりませんが、用語を注意深く観察する癖があり、若者が口にする言葉の裏にある心理を観察するのが好きです。
その中でも、「型」はユニークな言葉です。僕たち経営者は、学生やフリーターほど「型にはまった生き方」をしている人はいないと感じているのに、当の若者は「型」を嫌がり、避けている…面白い対比だと思います。
フリーターに、「どうしてフリーターになったのか」と聞くと、大半が「型にはまった生き方はしたくなかった」と答えます。当然、正社員よりフリーターの方が良いと思ってそうなったのだから、これは自然な答えです。
で、「型にはまるって、どういうこと?」と聞くと、「え?そんなの聞く人おらんやろ」という表情で、以下のような答えを並べてくれます。
①毎日決まった時間に起き、決まった時間まで残業し、夜遅く帰ること。
②ルート営業をし、各種の報告書を毎日書き、上司の指示に従うこと。
③夢とは関係ない仕事に自分の時間を捧げ、20代を無駄にすること。
う~ん…。なんと見えやすい「型」でしょうか。「型」って、そういう意味だったのかと思います。受験勉強と仕事を、全く同じように捉えているようです。
「お金の流れ」など、型のどこを探しても、カケラも見当たりません。彼らはこういう働き方の100%が、全て「会社のせい」と思っています。まるで往年の歌手・Oのように、「夢がある若者vs夢を認めない大人・会社」という幼稚な対立軸があるようです。
会社とは、①~③のような場だと彼らは決め付けており、よって、そのような場所に行く友達も、別にうらやましくない。さらに言えば、認めない。親父の苦労は分かるが、自分は同じ人生は嫌だ。
「なぜ本当にやりたいと思っていないのに、わざわざ会社に就職するのか。自分は自由を捨てるような生き方だけは嫌だ」と、彼らは同級生を俎上に乗せて言うわけです。
自分を正当化するには、とりあえず同級生や親を批判しないといけない、というのがフリーターの共通点。意義はフリーターの生き方そのものにあるのではなく、批判・対比して始めて、「まし」な部分が浮き上がります。
その「ましな部分」こそ、彼らがその生き方を選んだ理由。だから、フリーターという生き方そのものに、心から共感しているというわけでもないのです。というより、驚くほど自分の人生のパターンを見ていません。毎日そこでその生き方をしているのに…
フリーターを選んだ人の大半が、時間的自由や義務からの解放を条件にしているのは、ままあることです。
彼らは収入や信用より、誰からも命令されず、気ままに働く場所を変えられることを優先します。決まった仕事、決まった時間、決まった給料、決まった休日、決まった環境、決まった上司…とにかく、「決まっていること」は憎悪の対象になるようです。それが、彼らの言う「型」です。
そして、その型のどれにも当てはまっていないことこそ、彼らの誇り。その誇りのためには、収入や信用、経験を犠牲にしていいとさえ、思っているみたいです。
ですが僕は、フリーターほど型にはまった働き方はないと、フリーターに言います。そもそも、型とは彼らが言うようなものではなく、もっと違うところにあるものだ、と。
「抑圧」、「定型化」、「停滞」を避けてフリーターになった人は、最初は営業や研修に苦しむ同級生を見て、優越感めいた感情に浸っています。「ほら、やっぱりオレの選択は正しかっただろ」と。
1年を経て、フリーターの方は気楽に生活し、ボーナスも昇進もなくても、まあ自由に過ごせたと言える時間を過ごします。
一方、新入社員となった友人は、慣れない仕事や付き合いで疲労がたまり、週末は寝てばかり。初めて経験する営業の大変さや社会人のルールに、ストレスと緊張の連続のまま、1年を終えました。
そういう姿を見て、フリーターの優越感は加速します。そして、そういうパターンのまま、2年目に突入します。
フリーターは、そもそも時間的自由を優先するだけに、気ままに辞められる仕事を選びたがる傾向があります。そして、そのような仕事に共通していることは、「誰でもできる」ということです。
つまり、「何年続けても、役立つ経験にはならない」、「収入が低い」、「やっても信用にならない」という仕事です。「3年バイトを続けるのはすごい。しかし3年以上バイトの身分なら問題だ」ということです。
職に貴賎はなくとも、働いている人の意識には貴賎があります。仕事を大事にしない人は、仕事から大事にされることはなく、その軽視度は、収入や信用にバッチリ反映されます。
学生時代と比べ、バイトに割ける時間が増えたフリーターは、最初の方こそ服やお菓子を買いまくり、インテリアや車にも凝って、「充実している」と思える生活を送ります。夢がないのでお金もたまらず、義務がないため自分の力不足も感じないので、勉強もしません。
要するに、年だけ重ねて全然成長しません。お金は右から左に流れ、負債だけがコツコツ蓄積されていき、1年もすれば、「給料日即支払日」となります。皆さんの周りにも、バイト先で「給料日に悲しそうな顔をしている先輩」はいませんか?
そして、「全然お金がたまらないなぁ」と思い始めたフリーターは、あれほど優先していた「時間的自由」を自ら削り、早朝や深夜、あるいは休日に「かけ持ち」のアルバイトを入れます。期待した通り、その選択によって、収入は若干ですが増えます。
しかし、そもそも「お金がたまらない」というのが本来の志望動機で、その裏には「何か買いたい」、「支払いがきつい」という明確な「支出要因」があったため、かけ持ちで得た収入もまた、高速浪費に消えます。
そして、次に選ぶのは「食費の超・節約」か「3つ目の掛け持ち」。つまり、時間的自由をどんどん捨て去り、起きている時間は支払いのための仕事に占有されていくわけです。
その姿は、定価で売る三越の営業時間が10時間なら、半額のダイエーは12時間で、激安のドンキホーテなら19時間営業しないと、同じ利益が得られない構図に酷似しています。
要するに、時間がたつほど「激安バーゲン人間」への道を突き進んでいく、ということになります。人生そのものが、キャンペーン化していくわけです。
中には「実家に里帰り」という人もいて、「あんた、みっともないよ。あそこの家は昼から息子がブラブラしてる、なんて思われたくないから、一人暮らししておきなさい」と親を泣かせる人もいます。
あるいは、恋人から「もう別れよう」と絶縁を勧告され、焦って正社員への道を考えるフリーターもいます。さらには、消費者金融からの借金が返せなくなり、支払いの苦しさと収入の低さから、「ボーナスがある」という理由で、正社員への道を再検討し始めるフリーターもいます。
なんと定型化した生き方でしょうか。これが「型」にはまらない生き方だと、どうして言えるのでしょうか。フリーターほど型にはまった単調な生き方は、現代の日本には存在しません。公務員でさえ、3年おきに移動があります。
新入社員は「時間的に束縛される」と彼らは言います。それは当然です。何の経験も能力もないからです。しかし、本当に役立つスキルや知識を身に付けたいなら、最初は何らかの形で束縛、没頭、熱中しないと、話になりません。僕はそのような束縛は、正しいと考えます。「束縛」と呼ぶのは、フリーターだけです。
「ラクをして、時間がたてば使い捨て」というのが、フリーターの「型」です。誰も口にしませんが、世の中には使い捨てにされている人がいるのです。そして僕は、その悲劇に気付かせて、自分の可能性に目覚めさせる仕事をしています。「新たな型」を提案し、実行する仕事です。
フリーターの再就職支援は、型通り進みます。いろんな職場から「もうやってられん」と相談に来ますが、年齢、性別、年数、収入によらず、「型」は驚くほど似通っています。
でも、一番多く似通っているのは、「こうなるとは、最初は思っていなかった」という述懐でしょうか。始まりまで似ているなんて、驚きです。
彼らは、エントリーシートの何倍も複雑で、事実しか書けない「職務経歴書」に、「バイト経験は一切書けない」ということを知った時、唖然とします。自分が何年も低所得と蔑視に耐え、それでも続けたことは「経験に入らない」という社会のルールを知って、初めて「自分は何をやってきたのか」と後悔するのです。
はっきり言って、こういう人たちの再就職を成功させるのは、学生を志望業界に内定させることの数倍、大変です。「話題ゼロ」のフリーターに比べて、学生のなんと恵まれていることか。
今、フリーターは240万人いると言われています。ニートと呼ばれる人も、50万人ほどいるようです。仕事に通用していない社会人も、数十万人いるでしょう。10年後は、死ななければ彼らは「中年フリーター」になります。
「今、通用しない」ということは、「将来はもっと通用しなくなっている」ということだから、これは確実な予測です。いきなり頑張り始めるような素直な性格なら、最初からフリーターになど、ならないでしょう。若年無業者の存在は、「日本社会の時限爆弾」と言ってよいほど、深刻な問題です。
「型」とは、仕事の外観や所属している職種、付き合う同僚や上司、勤務時間を言うのではありません。収入形態や職務に対する熟練、夢へのアプローチ状況、スキルの蓄積などを言うのです。
「嫌だと思うところにしか、若者の成長のチャンスはない」というのは、真実です。悲劇は「ラク」という顔をして若者を誘惑します。その意味では、内定後に何をやったかが、新社会人の充実度を決めるといってよいでしょう。
今日は、「フリーターほど型にはまった生き方はない」という話題でお話してきました。おそらく、本メルマガを読んでいる方は、雇用問題や教育問題に関心があると思ったからです。同世代やちょっと上の世代は、深刻な悩みを抱えています。
「カネのためじゃない」と言う人ほど、カネのために働いています。今日のような話題に関心がある方は、「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」(ロバート・キヨサキ/筑摩書房)を読まれるとよいでしょう。経営者と従業員の間に存在する決定的な差が、リアルに分かりますよ。