■「内定への一言」バックナンバー編
「マネしてみたら、自分の実力がよう分かりまっせ」(吉本晴彦)
昨日は夕方から「一人ブックオフツアー」に旅立ち、ゆっくりと往年の名著を買い集めてきました。毎回、FUNのレジュメを作る時は、だいたい30~70冊の本を読んで要約し、自分の考えや変わらない原理などを整理していて、今回は夏以降の「業界研究塾(仮称)」の本を揃えるのが一つの目的でした。
司馬遼太郎さんは、一つの作品を書き上げるのに、だいたい2,000~3,000冊を読んだといいますから、僕など話になりませんが、いつも「今が最低だ」と自分を戒め、レベルアップを目指すのみです。
さて、今日のテーマは「マネ」。なぜこれをテーマにしたかと言えば、若い頃は浅薄な「オリジナル」を志向するあまり、先人や達人の遺訓をおろそかにしてしまいがちだからです。この「マネ」について深く考えさせられたのは、学生時代に韓国に行った時のことでした。
こちらが日本人で、たった一人だったからか、韓国の友達は温かく迎えてくれたものの、やはり何か一言言いたいようで、様々な批判を浴びせられました。その中に、「日本人は、アメリカのマネしかできない」という言葉があり、「おいおい、あんたらもよく言うな」と、激論になりました。
色々と言われたんですが、「マネできる能力もない韓国人が、ゴチャゴチャ文句言うな!」と言ったら、やっと黙ってくれました。
しかし、黙ったと思ったら次は、「我々は日本に、漢字と仏教を伝えたんだぞ。それがなければ、日本は絶対に発展できなかった」と、よくある恩着せの一言…。「島国根性」とか言いますが、「半島根性」も視野の狭さ、論理の貧しさは島国根性といい勝負です。
「確かに。漢字と仏教を伝えてもらったことには、感謝している。漢字を捨て、仏教を捨てた韓国人がどれだけみじめになったかを見れば、日本の先輩の賢さがよく分かる」と言うと、また黙ってくれました。
しかし、まだ何か文句を言いたい様子。だから、「あんたら、威張ってるけど、ただ伝えただけじゃないか。漢字は中国、仏教はインドが生み出したもので、あんたらは本来、自慢すべき立場じゃない。そんなにすごいなら、黙って勉強しろ」と付け加えました。
すると、「昔の日本人の90%は、韓国人だったんだ」とさらなる抵抗が。僕も、当時は19歳。さすがに「いい加減にしろ」と思いました。
「アメリカが超大国になったからと、イギリス人が、あれは我が民族の子孫が作った国だと自慢するか?もし昔の韓国人が優秀だったのなら、半島に残ったあんたらは、バカだったんだろう」と言うと、静かになりました。
まったく、この程度のことで言い合いになるとは、お互いなんと器の小さい民族だと呆れながら、韓国人と話すと、日本の歴史を勉強しようという意欲が湧いてくるなぁと感じながら、帰国しました。
中国の胡錦濤主席、韓国の盧武鉉大統領が、揃って日本を叩いてくれるため、「攻められるほど強くなる」という柔道精神を持つ日本人は、ここ2~3年で、日本語や日本史の魅力を見直すようになりました。両国の首脳とも器が小さくて、有り難い限りです。もうすぐ、まともな対話ができる関係が生まれそうで、楽しみです。
さて、「マネ」とはこのように、感情的議論の的になりやすいテーマですが、マネとは本来、悪いものなのでしょうか。学生さんの中にも、「人のマネはしたくない」というポリシーを持っている人がいて、その心意気は見上げたものですが、実際は「マネできる能力すらない」というのが事実の学生もいるようです。
そして、器の小さい人ほど、「できない」を「できない」と認めず、「したくない」とすり替えたがります。こういうのは、健全なプライドとは呼びませんよね。
この「マネ」について、FUNでも4年生に人気の大阪マルビルオーナー・吉本晴彦さんは、『便乗商法で儲けろ!』(日新報道)という本を書き、「良いモノは積極的にマネせなあきまへんで!」と説いています。吉本さんと言えば、「金儲け99の秘伝」(KKロングセラーズ)という超ロングセラーを書き、関西では「大日本ドケチ教」という異業種交流会を自ら主宰し、「教祖」としてケチを日本中に広めている、御年83歳の経営者です。
サントリー、野村證券、シャープなど、関西を基盤とする企業のオーナーも「ドケチ教」の会員で、今では全国津々浦々に「信者」を増やしているそうです。
この「ドケチ教」、別に宗教でも何でもないんですが、「ケチ」とは「経済の知恵」の頭文字を合わせた言葉であると説き、会員が守る教義の第一条は、一日一回、「嗚呼勿体無い、勿体無い、勿体無い」と唱えることだとか。
人に助けてもらった時も「もったいない」、成功した時も「もったいない」、失敗した時も「もったいない」…と念じることで、少ない資源に対する感謝の気持ちが日々強まり、幸せな人生を送る心がけが固まっていくそうです。
吉本さんは、3歳で父を亡くし、11歳で母を亡くし、孤児となった自分を引き取ってくれた祖父を14歳で亡くすという苦労を経験されています。以来、夢の中に現れては、「晴彦、くじけたらあかんで。頑張れ」と言ってくれる祖父の姿を支えに、猛然と法律を学んだそうです。
おじいさんは、夢から去る時、温かい言葉だけではなく、最後に必ず、「晴彦、ケチにならなあかんで」と言い残したそうです。
こういう少年時代を過ごしたためか、氏の著作には、有無を言わさぬ人間への厳しい洞察と、人間が持つ可能性への温かい思いやりが、ユーモラスでバランス良く、かつ簡潔にまとめられています。
このリズムや口調も、優しくも厳しい「師匠」を求める学生さんに、時を超えて支持される一因かもしれませんね。それ以上に、内容は一言一言が実践に裏打ちされ、ヘタな経済学の本などよりは、よっぽど勉強になります。
先に紹介した「便乗商法」では、吉本さん自身が多くの優れた人をマネした経験に加え、多くの経営者が先人をマネした事例が、「これでもくらいなはれ!」と言わんばかりに紹介されています。
吉本さん自身も、自分を「井原西鶴の信者」と言って憚らず、大阪が生んだ「ドケチ哲学」の基礎は、西鶴の作品にあると断言しています。
第1章には、「なんでこの本を手に取ったんや。あんたがドケチ教の信者なら、一日だけ貸してんや、と金を払わずに借りてきたかもしれん。しかし、腹の中には吉本晴彦の考えに便乗したろ、という下心や野心があるに違いない」とあります。
そして、「そういう心が欲張りであるとかという気持ちは、電車の網棚の上にでも放り投げて、ひとつ、吉本晴彦という男を利用したらよろし。ただし、利用できんかったら、あんたの負けや」と続きます。
そして、マネにも実は「コバンザメ」と、「タニシ」の二種類があると説きます。「コバンザメは、チャンスの時は自分から獲物に飛びかかる。しかし、タニシは強い動物の尻尾にくっついて、チャンスの時も動かず、踏み潰されてペチャンコになる。あんたのマネは、どっちのマネや」と。
氏は、この短い導入の章の要約として、「主体性、目的、技法で劣るマネは身を滅ぼす」と結論しています。
要するに、「自分なりよりも、マネの方が難しい」と言っているわけです。これは、通説とは逆の考え方です。通説というのは、いつも間違っているものですが、これはマネにも当てはまります。
同書を最後まで読めば、多くの人が「自分なり」と言うのは、都合の良い解釈に過ぎず、気楽なことばかりを選んで、隙あらば手を抜いてやろうと気が緩んでいるだけ、というのがよく分かります。
本メルマガも、あと2ヶ月ほどで300号を迎えますが、これまでに多くの学生さんが、読み始めての感想を教えてくれました。正直、最初はいくらか、「受かった人の考え方に便乗してやろう」という考えもあったのでしょう。
しかし、いざメルマガが届いてみると、「思っていたのと全然違う」という声が大半です。その時、僕は「じゃあ、どんなメルマガと思っていたんですか?」と聞くようにしています。
多くの学生さんは、「え?それは、面接の受け答えとか、企業研究とか、志望動機の書き方とかのメルマガと思っていました」と答えます。…僕が大学を出ていないのに、そんなのを書くわけがないじゃありませんか。
だいたい、就職技術なんて興味ないし、今後もそんな退屈なテーマを扱う予定はありません。中途半端な内定は、若者を不幸にするだけです。
大体、どこに「就活」とか書いてあるんですか。「内定への一言」とは、別に就職の内定じゃなく、「目指す自分」に内定すること、という意味です。
千利休の残した和歌の中に、「規矩作法守り尽くして破るとも 離るるとても本ぞ忘るな」というものがあります。「決まりごとや順序を完全に守り、新たな技術を身につけて成長したとしても、基本を忘れてはいけない」という意味です。ここから、「守・破・離」という有名な哲学が生まれました。
能の創始者・世阿弥の「風姿花伝」(岩波文庫)の方が有名かもしれませんね。高校の日本史の先生に教わって以来、心に残っている言葉です。
「守」とは、先人の型を徹底的にマネし、体に叩き込む過程。
「破」とは、型を脱し、独創的な要素を付加していく過程。
「離」とは、伝統を完全に脱し、完全なオリジナルを生み出した段階。
のことです。「型破り」というのは、ここから来た言葉だそうで、企業経営者はよく引用する言葉です。多くの人は、「守」すらもできずに「破」を目指し、先人の型より先に、自分の夢を破るという、もったいない過ちを犯します。
優れたものとは、「ムダが徹底的に省かれたもの」です。そして、自分が日頃やっていることにいかにムダが多いかは、マネしてみれば分かります。
学んで応用してみようとすれば、「守」の難しさを、いやというほど思い知るものです。そして、口数が少なくなっていきます。そういう「素直な状態」になってこそ、やっと「守」の第一歩が始まります。
もうすぐ始まるW杯ドイツ大会で、「最も注目される選手」の筆頭に挙げられている、ブラジルのロナウジーニョ選手の、この神業のようなプレーを見て下さい。
http://enjoy-sports.sakura.ne.jp/Ronaldinho/2006/04/_vs.html
彼は子供の頃から、世界中の名選手のプレーを徹底的にマネしまくり、一日も練習を休まず、苦しい筋力トレーニングもサッカーの勉強も欠かさず、20年以上をサッカーに捧げて、やっと「独創的」と言われるプレーができるようになりました。
それでも、ロナウジーニョらしい「オリジナル」といえば、今でも「エラシコ」のみと言われています。
世界に数百万人の競技人口を持ち、数億人が観戦するサッカーですら、世界最高の若きプレーヤーが全人生を捧げて達成できる「離」は、未だに「右足のちょっとした工夫」だけなのです。他の多くの選手は、ファッションや試合外の言動で「個性」を打ち出していますが、それだけ「マネ」は難しいということです。
マネにマネを重ね、ある時、ちょっとした弾みで「オリジナル」が生まれた時、それが「らしさ」となるわけです。吉本さんも「マネしてみたら、自分の実力がよう分かりまっせ」と言っていますが、それもこういう意味でしょう。
すぐに投げ出すのも「自分」。「すごいなぁ」と尊敬して続けるのも「自分」。創意工夫にこだわり、知恵を巡らせるのも「自分」。
なるほど。マネしてみると自分が分かるというのは、真実ですね。わが国も、中国文化のマネをやめて、国風文化を生み出しました。韓国も、漢字を徹底的に学んで、ハングルを作り出しました。
中国は、世界中の商品をマネしまくっている最中です。アメリカ人は、年中、ベンジャミン・フランクリンのマネばかりしています。「マネはダメだ」などというくだらない処世訓など、若いうちに捨て去りましょう。尊敬できる人や、心から学びたいと思う対象を持てる学生時代は、思っているより幸せですよ。
■今日の一冊 「買わない客に買わせる法」(佐藤久三郎/ダイヤモンド社)
昭和30~40年代の高度成長期に書かれた本には、最近のベストセラーより参考になる本が多くありますが、「集金能力」(押渡部武久/広済堂)や本書も、その一つです。営業や広告をしてみれば、「嫌だ」、「買いたくない」と直接言うのを嫌う日本人は、「忙しい」とか「持ち合わせがない」と言って、相手を傷付けずに断るのを、何千回と経験します。だからといって、本当に「忙しいか」、「お金がないか」は、全く別の問題です。
この2冊には、「忙しい」という人々を徹底的に論破し、味方に付けるための事例と、「お金がない」という人が全額きっちり払うようにするための工夫が、「今じゃここまで書けんだろ」というほどの勢いで書かれています。僕も債権回収や営業では、これらの事例を思い出して使ってきましたが、ホント、「あれ、お金ないんじゃなかったの?」、「忙しいって言ってなかった?」と言いたくなるほど、よく払ってくれます…。
サブタイトルが「ない袖を振らす法」というのも、ふるっています。つまり、「ないというお金を出させる方法」です。営業や広告、集客で困っている新社会人の皆さんは、一読の価値がある作品ですよ。最近の薄っぺらな広告・営業論よりは、よっぽど実用的です。
■今日の質問 「どれくらいの英語力なら、仕事に使えますか?」(九州工業大3年Sさん)
英語や中国語、韓国語を学ぶ学生さんにはいつも言うことですが、言語そのものを学ぶのは、カネと時間を食うだけの単なる「損失」です。純粋に学問上の目的以外で学ぶなら、まず、このことを分かっておく必要があるでしょう。
使わない語学など、「若き日の自己満足」で終わるのが関の山。大学の「第二外国語」は、授業料に換算して年間「7~8万円」というものですが、あれでまともに話せる学生が、どれだけいるでしょうか。
仕事に使うなら、点数や発音は二の次の条件に過ぎません。仕事に使いたければ、今のレベルがどれだけ低くてもいいので、「その言語を使って行う作業」を作り、習慣化しましょう。
「分かってから、やる」という間違った姿勢で、どれだけ多くの若者の外国語能力が「便秘状態」にあるかを考えれば、「やったら、分かる」という方法にいち早く切り替えるのが賢明です。英語でも韓国語でもいいので、好きな歌の歌詞を訳す、雑誌を訳す、留学生を見つけてしゃべる、何かの商品を提案してみる、日記を書く、などの作業を始めることです。
やってみたら、自分の語学力がいかに表面的でお粗末か、目を覆いたくなるくらい感じます。そして同時に、「分かる」という快感も味わえます。(ちなみに、FUN韓国語塾でも、来月は「社説の翻訳」をやるので、お楽しみに。全大学で、「成績トップ」を圧倒的な差で独占してやりましょう!)
だいたい、フィリピンやマレーシア、アフリカ諸国を見れば、英語が経済成長の条件とはいえないことくらい、誰でも分かるはずです。生まれた頃から英語ばかりのアメリカ人の60%は、なぜ借金や仕事に困っているのでしょう。
中国語が話せる13億人の中国人のうち、なぜ10億人もの人々がバングラデシュ以下の貧困にあえぎ、ビジネスチャンスを掴めないのでしょうか。「仕事ができる語学力」などとは、そもそも矛盾した質問です。仕事ができる力とは、「仕事本来の力」です。僕の個人的な体験ですが、会計や営業を知らないと、いくら英語ができたって、将来は貧乏なままでしょう。
「英語を話す」では、TOEIC800点であろうが、仕事にはなりません。「英語で話す」なら、TOEIC300点だろうが、仕事になります。仕事に使いたいなら、「英語で話すもの」を持つことです。そういう当たり前のことをしないから、大学生の英語は、10年学んでも全く使い物にならないわけです。まずは、「英語ブログ」でも始めてみたらどうでしょうか?
英語業者は、「英語が話せないと、将来仕事に困る」と不安を煽ります。しかしこれは、海外勤務を英語とマレー語でやってきた僕に言わせれば、全くの嘘っぱちですね。英語だけできたって、全く意味がないし、英語ができなくても、海外で仕事をすることはできます。