■「内定への一言」バックナンバー編
「伯楽は、愛する者には駑馬の鑑定法を教え、
憎む者には名馬の鑑定法を教えた」(韓非子)
その①
皆さんは昔、漢文の授業で習った「伯楽」の話を覚えていますか。
伯楽は名馬鑑定のプロで、「世に伯楽ありて、然る後に千里の馬あり」(伯楽がいるからこそ、千里を走る名馬がいる=才能を見抜いて活用する人がいるからこそ、才能ある人が活躍できる)という故事成語が残っているほど、成長する馬の可能性や資質を見抜くのに長けていたそうです。
馬は、現在では競馬や乗馬の対象でも、昔は車やバイク並みに使い、誰もが付き合った動物ですから、伯楽の故事を今風の言い方で理解するなら、「自動車査定コンサルタント」か「証券アナリスト」に置き換えてみると分かりやすいでしょう。
伯楽の逸話は、「いかに才能がある人でも、それを見抜いて用いてくれる人がいなければ、いつまでも引き出されずに世に埋もれてしまう」という教訓を含んだ、漢文の授業で習う名作の一つです。
僕は昔から、「返り点をどこに打つか」よりも「中国古典の登場人物の発想を現代に生かすには?」と考えるのが好きで、「頼朝は何年に幕府を作ったか」よりも「頼朝はなぜ、逆境から幕府を創設できたのか?」と考えるのが好きで、「食塩水の濃度」よりも「おいしく飲める水を開発するには?」と考えるのが好きでした。
よって、授業中もボーッと考え事に耽り、先生からは毎時間注意され、成績は全教科もれなく悪く、偏差値の意味を知ったのは中三の冬、偏差値は三十八でした。受験勉強は一週間くらいしかしておらず、行く高校も願書を出す時に知りました。読者の皆様の中にも、同じタイプの方がおられるかもしれません。
こういう子供は、学校で「頭がいい」とは言われませんが、社会では優等生を追い抜き、伸びるタイプです。実社会では、答えを覚える人よりも問いを考える人のほうが勝つからです。ただし、考え続ければの話ですが。
さて、学校の授業では「名馬鑑定の達人」として紹介され、「だから、自分を見抜いてくれる人を持つことが大事なんですよ」という、先生の念押しで終わってしまう伯楽の話も、リアリズムの古典「韓非子」に登場すると、また違った視点での解釈が得られます。
今日の一言「伯楽は、愛する者には駑馬の鑑定法を教え、憎む者には名馬の鑑定法を教えた」は、そんな韓非子の本(『男子一日に百戦す』会田雄次・岡本隆三共著 プレジデント社)からの引用です。
「駑馬」とは「駄馬」と言ってもよく、「ダメな馬」、あるいは「使い物にならない馬」のことで、「名馬」とは言うまでもなく、走行能力や体力に優れ、外見も立派で取引上も高い価値を持つ馬のことです。
常識的に考えれば、「名馬の見抜き方」を大切な人に教え、「駑馬の見抜き方」は嫌いな人に教えよう、と考えてしまいそうなのに、伯楽のやり方は逆で、「親友には駑馬の鑑定法、嫌いな人には名馬の鑑定法を教えた」ということです。
おかしい…。ひょっとして、「名馬鑑定の達人」である伯楽は、詐欺師だったんでしょうか。それとも、性格が悪かったんでしょうか。あるいは、ひねくれ者だったんでしょうか。
いいえ。伯楽は、極めて円満な常識を弁えた「人間関係の達人」でもありました。伯楽は、「名馬という、一年に一度出会えるかも分からず、ましてや買うのはさらに難しい商品の見抜き方など、知っていても虚栄心を満たすくらいの効果しかない。
名馬を待って、日々の生活や売買で気付かない損を積み重ねる方が問題で、名馬鑑定法などは、およそ非実用的な知識である」と考えたからこそ、自分を利用し、名声に集まって浮利をむさぼりたがる業者には、「お望みの名馬鑑定法」を教えたのでした。
つまり、「ブランド価値はあるが、実は全く使えない無駄な知識なんて、おまえらにくれてやる。せいぜい有り難がって、大好きな優越感にでも浸っておけ」と強烈な皮肉を見舞ったわけですね。
そして反対に、自分が大切に思う仲間やお客さんには、「世に溢れているのは駑馬です。あなたが馬の取引をしたり、家事や仕事に使う馬を買おうとしたりして出会う馬の大半は、駑馬なんです。だから、馬で失敗しないためには、とにかく悪い馬を買わないことが大切です。
だから私は、あなたに駑馬の鑑定法を教えましょう」と、毎日使える平凡で基礎的な「実用知識」を教えたのでした。目立たないし、当座の性急な成功を目指す人は軽視しそうだけど、実は毎日使えて損失を未然に防いでくれ、それが積もり積もって大きな利益を生み出す「実用の学」こそ、駑馬の鑑定法だったというわけです。
さすが、伯楽は馬の鑑定の達人だけあって、人間の虚栄心や素直さもばっちり見通していたんですね。
さて、大学といえば、「大学では、組織的腐敗の技術に大げさな名前を付けて教える」(『腐敗の時代』渡部昇一・PHP文庫)とも言われ、在籍している学生すら、「自分の専攻が何に役立つのか」を自覚しておらず、さらには、「経営の専門家」や「マーケティングの研究者」が一流企業並みに在籍しているのにも拘わらず、補助金がないとやっていけないほどの赤字を抱えた不思議な組織です。
でも、「大学の授業の大半は、なぜつまらないのか」、「なぜ日本の学生は、留学生と比べてやる気がないのか」、「なぜ社会人になったら、皆がもっと学生時代に勉強しておけばよかったと言い始めるのか」という、皆さんが一度は感じたことのある疑問も、この「伯楽の鑑定法」の故事に当てはめてみれば、さほど不思議に感じる必要もなくなります。
つまり、大学で習うことの大半は「名馬鑑定法」になってしまっているのです。言い換えれば、「名前は立派だが、目的不在で、使う機会が想定されていない」ということです。
単位さえ取ればアホでも学士になれ、卒論のテーマだけを言えば、高卒や中卒の人は「すげぇ」と言ってくれるかもしれませんが、そもそも、大卒の九割は「借金人生を歩む貧乏人」になるだけの話です。