■「内定への一言」バックナンバー編


「一利を興すは一害を除くにしかず、

一事を生(ふ)やすは一事を減らすにしかず」(耶律楚材)




4年生の皆さんに、2週間前ほどからお願いしていた「就活アンケート」が50人を超え、その集計・整理で3日ぶりの配信になります。中には久しぶりの方からの、近況報告をまじえた回答もあり、大変嬉しく、懐かしい気持ちで読ませていただきました。



また改めて返信するので、しばらくお待ち下さい。書き方はテキスト形式、HTML形式が混在し、自作の記号を使った人もいたり、改行なしで長文を書く人もいたり、項目を消して箇条書きの人もいたりと、編集しがいのある内容です。



さて、今年はモンゴルと日本が交流し始めて800年ということで、相撲や経済交流、文化交流などで、モンゴルの話題が時々扱われていますね。



そのモンゴルと言えば、誰でも連想するのがチンギス・ハンです。日本ではなぜか、ジンギスカンは「焼肉」の名前になっていますが、モンゴルでは神様のような存在で、今も全国民から慕われているそうです。



この、チンギス・ハンの世界戦略を支えた契丹人の宰相が、耶律楚材(やりつそざい)という人物です。僕は高校時代から学生時代にかけては、今よく読むような古典、実務書の類より、むしろ伝記や歴史の本ばかり読んでいました。それも、世界を征服したような人物ばかり。



その中で特に感銘を受けたのが、「耶律楚材」(陳舜臣/集英社)でした。本書は上下二巻の構成で、今では文庫版もブックオフで100円になっています。



「モンゴルの勢いを殺ぐためには、モンゴル民族と争うより、文明によって感化し、善政を敷くように仕向けるほかない」と悟った耶律履(り)は、息子に「楚材」という名を授けます。



「楚」とは、中国では代々南方の地域を指す名称ですが、それはほとんど「外国」といった意味で使われ、「未知の国」とでもいった感覚です。「材」とは、磨けば磨くほど、活躍の幅が広がっていく可能性を秘めた人物、という意味。自然がもたらした「木材」の普遍性が込められた字です。



つまり、「楚材」という名前には、「未知の外国で活躍する人材」という意味が込められていたわけです。もちろん、ここでいう未知の外国とは、すさまじい勢いで膨張するモンゴルを指します。



ちなみに、近年「材」という字の本義を知らず、財産の「財」の方が価値があるのだと勝手に思い込んで、「人材ではなく人財」といった言葉を軽々しく使う社長さんもいますが、これは勉強不足です。僕はその字を見つけたら、「これ、間違いですから、名刺に書いたら恥さらしですよ」と言うことにしていますが、「え~、会社案内にも財って書いてしまったよ」と苦笑されます。



「材」は、育てれば時を得てますます輝く人物を指し、「財」は単なる取引の手段か対象に過ぎません。「社員」を取引の対象にして、「わが社の仕事は、人身売買ビジネスだ!」と思っている人材派遣やコンサルティングの会社は、「人財」と誤表記していてもいいでしょう。



さて、この楚材、両親の期待を一身に受け、若い頃から猛勉強に励んで、なんと金の国で、異民族ながら科挙で首席合格というデビューを飾ります。今の日本で考えると、留学生が東大の入試や国家公務員種に首席で合格したようなものです。



官僚となった楚材は「尚書省」に配属され、ここで法令や政府文書の簡素化のため、膨大な書類を読み漁る仕事に着手します。



今の日本でも、官庁には外務省や財務省のように、「省」という字が付いていますが、これは本来、「省く」という目的で始まった慣例です。つまり、「増えていく業務をいかに省き、簡素化して、税負担を減らすか」こそが、政治家や官僚の腕の見せ所だったわけです。



もっとも今の日本では、「省」という字の意味を知らない役人が多いようで、増やし、引き伸ばし、予算を獲得することが「省」の仕事だと信じて疑わないようです。



楚材はここでも才能を発揮して、今でいう「検索エンジン」のような仕組みを作っていくわけですが、彼が26歳の時、祖父の代から仕えてきた金国が、モンゴルに滅ぼされてしまいます。金を滅ぼしたチンギス・ハンは、楚材があまりに堂々とし、言動が若者らしからぬ威厳と的確さに満ちていることに感動し、「どうじゃ、わしの配下に入らぬか」と誘います。



楚材はこの時、自分の名前の意味を思い出し、「モンゴル人に優しい政治を教えれば、近隣諸国から悲しみが消えるだろう」と、チンギス・ハンの陣営に加わる決意をしました。



楚材は、騎馬民族であるモンゴル人がいかにせっかちで、力を頼み、農業や文化を軽視しているかを、目の当たりにします。



経済や教育の視点が欠如した彼らは、全てを「現地調達」で割り切るからこそ、蓄積が生まれず、次々と他国を侵略せねばならなかったわけです。まさに、新店舗を立ち上げて現金を作り、そのお金で次々と新規開店しないと倒産する「家電量販店」と、まったく同じ仕組みです。


楚材はここで、チンギス・ハンにユニークな提案を行います。

「閣下は、新しいことには価値があると思い込んでおられるようですね」。

「そうじゃ。止まっていることは死を意味する」
「だから、次々と他国を侵略なさるわけでございますか」
「そうじゃ。敵は弱いうちに潰さねばならぬからな」
「政治や教育を行い、経済や文化を豊かにすれば、相手が訪れてくれるようになる、とはお考えにはならぬのですか」
「それもそうじゃな」


詳しい問答は省きますが、異民族である楚材は、「新しいことには価値がない」という卓見を、モンゴル民族の英雄に提言したのです。



言葉は丁寧ですが、言わんとするところは「あなたのやっている侵略は間違っている。自国に何の蓄積もなく、全てを使い果たしてしまうから、次々に他国を攻めないといけないだけだ」と、真っ向から間違いを指摘したのです。


これは、今で言うなら、「新商品開発」ばかりやっている社長に対し、「最初の商品が売れないから、次々とお金と人員を投じて営業しているだけであって、そんなのは正しい努力ではない」と言うのと同じです。


楚材に限らず、戦争や経営、スポーツなど、組織を運用して目的を果たす営みにおいて、優れたリーダーと呼ばれる人々は、皆「加える決断」より、「省く決断」が上手だった人ばかりです。



進化論が人類の頭に入り込んで以来、新しいことや変化は無条件に「良いもの」とされ、おかげで世界各国、「改革」を毎年叫んでいますが、「新しいことの大半は、ムダである」と楚材は結論しています。



これはちなみに、Business Cafeで半年ほど前に読んだ「型はまり経営のすすめ」(カーク・チェイフィッツ/阪急コミュニケーションズ)の指摘と同じです



楚材は、「一利を興すは一害を除くにしかず、一事を生(ふ)やすは一事を減らすにしかず」と言っています。「一つの新しいことをやるのは、一つの悪いことを省くのに及ばない。一つの仕事を増やすのは、一つを減らすのに及ばない」という意味です。


「新しいことをやるのは、そもそも、それまでやっていたことが中途半端に終わり、所定の目的を果たせなかったことが原因である場合が多い。新しいことは、不慣れであるために、余計な予算や人員、時間を要し、またもや中途半端で投げ出されて、結局は何事も成し遂げられないものだ。


だから、新しいことをやろうとする時は、民衆の生活を思って、よくよくその負担を吟味し、熟慮の上にも熟慮を重ねなければいけない。また、そうするよりも大抵の場合は、古い弊害を一つ取り除く方が、ずっと効果があるものだ」という提案を受けたチンギス・ハンも偉大でした。



チンギス・ハンは、「そなたこそ本物の忠臣である」と喜び、物流制度や軍事制度、経済機構を見直すよう命令を発し、統治国の人心が安定するような政策を決めて、モンゴルが歓迎されるような仕組みを作っていったのです。



楚材はその名の通り、大国で最も重く用いられる人材となり、モンゴルの「武力と威圧」の政治・外交スタイルを、「節約と人徳」を重視するスタイルに転換させたわけです。



新規事業や新制度、新しい法律が無条件に「好し」とされる現代社会において、「省くことの大切さ」を800年も前に説いた青年の洞察力は、本当にすごいと感動しませんか?



また、この本で驚いたことは、「チンギス・ハンは文字が読めなかった」という事実です。チンギス・ハンについては、井上靖さんの「蒼き狼」(新潮文庫)にも詳しく書かれており、こちらでもモンゴル民族に文字がなかったことに触れています。



連戦連勝の成果を挙げ、次々に異民族を征服し、モンゴル式の政治制度を根付かせていく中で、チンギス・ハンは「おかしい。なぜ文字を読める民族が、こんなに戦争が弱いのか?」という疑問を抱きます。



「文字になったもの以外を情報と見なさない」という欠点のために、文字を持つ民族は、文字を持たないモンゴルに滅ぼされたのでした。本書は短い小説ですが、文化や文明、リーダーと組織、歴史と現在など、様々なことを考えさせてくれる本で、僕も学生時代に大きな感銘を受けました。



とりわけ、妻の貞婉が登場するあたりは、理想の女性の選び方を教えてもらったようで、将来はこういう結婚をしたいと考えたものです。


さて、今日は夜からオーストラリア戦ですね。みんなで日本代表と、選手を指揮するジーコ監督を応援しましょう。



今日の一冊 「老子の読み方」(月洞譲/祥伝社)

「無為自然」、「無用の用」など、孔子をしのぐスケールで融通無碍の哲学を説いた老子について、その生き方や言葉の魅力を、分かりやすく現代に再現させた本です。僕の弟は諫早で建設会社の社長をやっていますが、そこの会長さんが老子が大好きで、いつも諫早でお話するたびに、「やっぱり無為自然だよ」と言われます。

といっても、それは無気力、無感動な消極的な生き方ではなく、人生の本質を知り尽くした処世訓とも言えるもの。僕も、最初に「無為自然」と聞いた時は、なんだかのんびりした雰囲気しか感じられず、それよりは韓非子や史記のような攻撃的な哲学の方がいいなぁ、と思っていました。


でも、最近は人為のむなしさ、人の力の小ささを思うことの方が多く、いかにして自然の摂理に従った経営や人生を目指すべきか、ということをよく考えます。

そういう時期に読んだからか、本書から得た着想や感動は大きなものでした。もう絶版で、ブックオフでも滅多に見つかりませんが、中国の古典に興味がある方や、人生を雄大に楽しみたいという方は、ぜひ一読されるとよいでしょう。「無用の用」を扱った第章は、なんだか世の中が2倍に広がったような印象を受けますよ。


今日の質問 「内定して卒業するまでの間、どんな本を読んだらいいですか?」(長崎総合科学大4年Tさん)

細かい知識や情報を今から詰め込もうとしても、どうせ会社に入ってからしか見えないことの方が多いので、今から卒業までの間は、業界や社会を大局的に捉え、世の中や人生を長期的視点と広い視野から見るきっかけになるような本がおすすめです。


やはり、若いうちであればあるほど、歴史や古典といった、古い本を読むのがいいでしょう。新しい実務書も、それなりに意味はありますが、どうも頭が忙しくなって、心のゆとりを忘れてしまいます。

人生への本格的準備を行う20代は、人生で一番忙しくなければなりませんが、それが「与えられた忙しさ」なら、後になって何も残りません。読書では、自分が経験することを予想できます。


これから会社に入り、様々な経験を重ねていくでしょうが、その時に「意味が分からない」と苦しむよりも、「ああ、これが自分の○○なんだな」と位置付けられた方が、余裕も生まれるし、味わいも深くなります。

心をどんと落ち着け、小さいことでうろたえないような基盤を作ってから仕事に臨めば、会社での収穫は大きなものとなります。他には、他業種への共感力を養うために、創業の本を読むのもいいでしょう。一つの仕事が完成するまでの過程を、知識としてでも知っておくと、営業や企画で想像力が働くようになり、社長さんに気に入ってもらえますよ。