■「内定への一言」バックナンバー編



「商人と屏風は歪めば立たず」(石田梅岩)



経済学の始祖、アダム・スミスより40年早く「市場経済」の本質を体系化し、資産管理の元祖、ベンジャミン・フランクリンより50年早く「財産形成」の仕組みを講じたのは、日本人だった



という事実を、数年前、山本七平さんの著書「日本資本主義の精神」(光文社)で知り、この先見性に溢れた先人・石田梅岩(ばいがん)について、手頃にまとまった本はないかと古本屋をうろつく日々が続きました。



そして見つけたのが、「清廉の経営~都鄙問答と現代~」(由比常彦/日本経済新聞社)です。「都鄙問答(とひもんどう)」とは、京都で町人・庶民に商学や処世術を講じた石田梅岩と弟子たちのやり取りを、今でいう「Q&A形式」でまとめた本で、梅岩の思想が最も端的に表れている本です。



字面だけを見れば、「都会」と「辺鄙(へんぴ)な田舎」の問答。「都会人と田舎者の対話」とでも誤解されそうな表題ですが、これは当時、学問の中心であった京都で展開された、ある私塾の問答集、という意味で理解すればよいでしょう。



石田梅岩の生い立ちや実績については、去年夏のBusiness Cafeで、既に触れました。 京都に生まれ、商家の奉公を通じて商業道徳に興味を持ち、日本人を覚醒させる理念を生み出した市井の学者で、商売を「道」と捉え、近代以降の勤労観や職業倫理に多大な影響を与えた人物、でしたよね。



山本七平さんの本では、同時代に活躍したもう一人の偉人・鈴木正三(せいさん)に比重を置き、仏教思想と商売の融合過程を詳しく論じており、梅岩の思想については、深くは触れていません。



プロテスタンティズムを受け入れてからの欧米諸国は、経済的にも発展するようになりましたが、キリスト教の文明圏では、労働を「罪」と見なす考えが根強く残っています。



中でも、「金融」と「流通」に関しては、具体的に何かを生み出している仕事に見えないため、古くから忌み嫌われ、差別されていたユダヤ人がこの二つに熟達したのは、有名な話です。



「士農工商」は、現代の公立高校の分類を見ても分かる通り、日本社会に強く残っている社会通念です。「士」は普通高校で、あとは「農」業、「工」業、「商」業高校でしょ?



「士」は公務員やサラリーマンで、要するに政府や支配組織に奉仕する人であり、この仕組みは21世紀の今も残っています。中でも、江戸時代は「商」が最下層に置かれ、「商人に学問はいらぬ」とまでも言われたそうです。



もし、このような通念が今も残っていれば、日本が経済大国になることなど、考えられなかったでしょう。明治維新がなかった近代史を考えてみれば、わが国はフィリピンやマレーシアのようになっていたかもしれません。



国民の名前は「デビッド」とか「ジョン」、「マリー」などとなり、内容の伴わない英語を話し、日本語は「年寄りの道楽」になっていたかもしれません。今、フィリピンで方言が死に絶え、マレーシアで固有のジャウィ文字が「博物館」行きになっているように。



大げさな言い方をすれば、梅岩こそは日本に固有の商業道徳を創出し、200年をかけて定着させた、偉大な経営思想家でした。「都鄙問答」を読んだ後は、なおさらその感を強くしています。以下、その思想の先進性、本質性を、現代語で見てみましょう。

・販売が落ち込んでも、不法な利益を求めてはならない。コストダウンに励めば、正当な利益を生むことは十分できる。
・非営利とは他人に迷惑をかけることである。必要な利益を求めることは営利ではない。
・商人憎しと排撃すれば、財貨を交換する者を失った社会は崩壊するであろう。流通の発展していない地域では、子供が勉強する時間はない。
・真の商人は相手の利益を思い、悪い商人は自分の利益を思う。利益が悪いと言うなら、あなたは自分で商品を作り、運ぶ気があるか。
・悪い主人は顧客や創業者に対する不忠者であるから、社員一致で相談して追放し、二度と経営に関与させてはならない。

などなど



この他にも、商品投機や手形取引、商慣習(商法)、収支と財産管理、企業倫理、経営哲学など、ありとあらゆる商業道徳に対して的確な回答がなされ、現代語だけで読むと、「ドラッカーの翻訳か?」と思うかもしれません。梅岩は一生をかけて、商人・町人が自分に誇りを持ち、家業に邁進できる哲学や知識を構築していったのでした。



中には、「おまえは邪教を広げる者だ」、「孔孟の教えを曲解している」と意地の悪い質問も登場しますが、梅岩は適切、丁寧な説明によって答え、相手を心から心服させるロジックを生み出しています。



身分制度では「最下層」である町人が勢いを得たのが面白くなく、文句を言ってやろうと出向いた武士にも、「健全な経済観念」を説き、あまりの洞察力に藩主も反論できず、梅岩が説く「心学」は日本中に広がりました。



中でも、商売に「道」の概念を導入し、「勤労こそが修行であり、お客の問題を解決することが商売人の幸せに直結する」と論じる部分は、著者が「日本的経営の元祖」と断言するゆえんです。



「経営道」、「商人道」、「コーヒー道」と、何にでも「道」を付ける我々日本人は、こういう感覚を奇妙だとは思わず、むしろ求道者的に感じ、尊敬の念を持ちます。



松下幸之助さんや稲盛和夫さんなど、思想家、宗教家的な側面を持つ経営者を見ると、「ただ一心に道を求めた人」という印象を持ちます。このお二人の著書にある全ての思想は、梅岩が290年も前に説いたことばかりです。そればかりでなく、明治、大正の偉大な創業者が遺訓としている言葉も、全て梅岩の言葉と符牒が合います。



「カネを扱う者」、「卑しい者」、「利益しか考えていない者」とあしらわれ、片身の狭い思いをしていた商人にとって、梅岩が説く新思想・心学は、まさに革命的な教えでした。商人は、新しい理論と旧来の教育をミックスさせ、職業に自信を持って、力強く次の時代を築いていく根拠を得たわけです。心学はこうして、時限爆弾のように日本人の遺伝子に埋め込まれ、近現代に開花したと言えます。



『キリスト教や英語を解さず、近代資本主義の体系的教育もなかった日本が、なぜ世界で唯一、非キリスト教文明圏の国で、近代化にいち早く成功したのか?』世界の国々が抱いたこの疑問に、明確な答えを出したのは、1959年に「徳川時代の宗教」(岩波文庫)を書き、日本の寺子屋や私塾の教育の先進性を英語で伝えたハーバード大学教授、RN・べラーです。



べラー教授は、店の掃除や神棚礼拝、大福帳(帳簿)の管理、事業承継、広告宣伝、商品開発、営業、顧客管理など、商業に関する一連の活動が整然と整備され、家族一丸となって取り組んでいた江戸時代の日本で、最も大きな影響をもたらした「心学」に、強く惹かれました。

「仕事が修行だって?」
「商取引が社会貢献だって?」
「商業道徳の向上が国家に安定をもたらすだって?」


欧米人が民族紛争、宗教戦争、植民地支配までやって、散々損を重ね、やっと体得した思想が、日本ではなんと、200年以上も前に、学者や軍人ではなく、庶民の間で説かれていたのでした。この「心学」は、神こそいないものの、明解な理論と実践の裏づけによって強力に推進され、江戸時代の日本に世界最先端の商業システムをもたらす「宗教」となったと、べラー教授の目には映ったようです。


べラー教授は、「心学誕生270周年」の記念式典で基調講演を担当し、京セラの稲盛さんとともに「世界に日本思想を広げましょう。心学こそ、21世紀の世界が待望してやまない普遍的学問です」と呼びかけています。


同様のことを日本人が言えば、「右翼」とか「危ない」とか言うのに、こと白人で、ハーバードとかいう枕詞が付くと「そうだ」と態度を変えた日本人も多くいたのですが、有り難くも恥ずかしいエピソードですね。


さて、この「都鄙問答」を出所とする、最も有名であろう言葉は、「商人と屏風は歪めば立たず」ではないでしょうか。「屏風」は、今の僕たちの世代では、家にあるという人は少ないでしょう。「一休さん」のアニメでも想像した方が、分かりやすいかもしれませんね。昔の「パーティション」です。この屏風の特徴は、「適度な長さに伸縮させて使うこと」です。



「都鄙問答」の魅力と言えば、読んでみて真っ先に感じるのが、梅岩の巧みで平易な「例え話」のうまさです。「猫」、「かつお節」、「船」、「川」など、無学の庶民でも一発で理解できる言葉を駆使した、ユニークな問答が満載です。幕府の役人や、当時有能とされた学者が、ことごとく梅岩の笑顔の前に論破されたのも、「なるほど」とうなずける絶妙の応答ぶりです。



梅岩は、経営に悩むある商人に対し「経営は、縮めすぎても倒れるし、広げすぎても倒れるという点で、屏風と同じです。むやみな事業拡張であれば、おやめなさい。しかし、意欲を失って縮小しすぎても潰れます。市場(部屋)に合った適度な長さに広げれば、あなたの屏風は役に立つでしょう」と答えています。



当時「誰の家にもあった家具」を例に、商売の本質を即答するなんて、どれだけ日頃の思索が深く、優しい思いやりがあったのだと、感動しませんか?



また、この言葉は就活や大学生活にも通じます。やることや対象を広げすぎても倒れるし、かといって、何もせずにいても倒れてしまうのが、大学生ではないでしょうか。皆さんが守る適度なバランスとは?知りたければ、「都鄙問答」を読んでみましょう。日本人であることに、ふつふつと自信が溢れてきますよ。



今日の一冊 「キミが儲けろ、オレが教える」(ロッキー青木/徳間書店)

野茂やイチロー、松井選手より40年も早くアメリカで成功し、アメリカで最も有名な日本人の一人である経営者と言えば、ロッキー青木さんです。19歳で慶応大学を中退し、単身渡米して飲食店「ベニハナ」を創業し、今ではハリウッドスターや政治家、実業家までがひいきにする、全米で最も人気がある焼肉チェーンにまで育て上げた実業家ですよね。


「テッパンヤキ」を合言葉に、ニューヨークから世界中に日本食を広めた立役者で、偉大な国際貢献を果たした先駆者でもあります。また、ヨットレースで世界2位になったり、旅行家として世界中を回ったり、娘さんがスーパーモデルとして活躍していたりと、先日紹介した「ケチ彦」さんも、著書の中で絶賛している「若手実業家」です。



といっても、そのロッキーさんも今年で69歳。今では息子さんに事業を譲り、奥さんと世界中を旅して回り、世界の若者に独立起業の夢を説く、優しく厳しいおじいさんになろうとしています。

このロッキーさんが30年前に書き、今も読み継がれている「海外勤務版・ユダヤの商法」が本書です。略歴の写真が時代を感じさせる古い本ですが、内容は先見性と創意工夫に溢れる言葉ばかり。外国で成功したいと考えている学生さんは、ぜひ読んでみてはいかがでしょう。

今日の質問 「どうして起業したのか?」(西南3年Nさん)

それは、昔から人に使われるのが嫌で、「独立しないなら家出しろ」という家庭で育ったからでしょうね。母は、「公務員にさえならなければ、何をやってもいい」と、僕が幼稚園くらいの頃から言っていました。幼かった僕は、「コームイン」を、ウルトラマンの怪獣か何かと思っていました。まぁ、偏った家庭教育で育ったわけです。「金持ち父さん」くらいの内容は、既に中学生で習っていました。

だから、起業以外に将来の選択肢は考えていませんでした。でも、自分では最近、社長の他に、「学者、教師、作家、監督」にも向いているかもと感じており、これらの役割を、今後の人生で5年ずつくらいに分けて経験し、気長に「就活」でもやろうかと考えています。

考えてもみて下さい。社長だと、サラリーマンや公務員が定年するまでかかって働き、稼いだ頃には既に「白髪のおじさん、おばさん」になっているようなお金を、20代のうちに稼げる可能性があるんですよ。人の数倍のお金と時間を稼ぐ条件は、「若い頃、人の2倍ほど頑張ること」だけだなんて、簡単すぎませんか?



世の中、本当に不公平です。この程度の努力で、格差が開いてしまうなんて。人は「起業は危ない」と言いますが、僕は「就職の方がよっぽど危ない」と思います。だから、起業できるような就職をして、早いうちに独立してしまいましょう。