■「内定への一言」バックナンバー編
「チャンスが過ぎ去るのではない。我々が過ぎ去るのだ」(ペリクレス)
最近はFUNに新しく入部する方が、ぽつぽつ訪れているようですね。FUNはご存知の通り、学年、経験問わず、いつから入っても夢に間に合うサークルで、部員のほぼ全員が「途中入部」のサークルです。3年の冬や4年の春から入部する、なんてケースも珍しくありません。
だって、創設した学生さんが、4年の春から立ち上げたんですからね。FUNの基盤を作り上げた大月さんと牛尾さんは、3年の10月に入部しました。もっとも、その頃は活動の形すら、よく分からなかったのですが。
取材やら、雑誌作りやら、ビジネス勉強会やら、色々なことをやっていますが、要するにFUNの活動内容は「あなたの夢」ですから、自分に好きなだけチャンスを用意し、なりたいだけでっかくなってもらえればいい、それだけのサークルです。
「自分の大学生活って、こうして終わっていくのか?」
「遊んだ。飲んだ。コンパもした。でも、全部飽きた」
「好きなように過ごせることが楽しみだったのに、好きなように過ごすって、なんて退屈なことなんだろう…」
「今の生活に不満なわけじゃない。でも、卒業後の自分の姿が全く見えないのは、なぜなのか?」
入部を決意した学生さんに後日、「なんで入ったの?」と聞くと、たいていこんな声が返ってきます。
友達には「楽しいよ」と言っていても、
親には「充実してるよ」と言っていても、
後輩には「大学楽しいぞ」と言っていても、
今の自分が毎日やっていることが、自分が目指す将来に自分を導いてくれる種類の努力であるかどうかは、本人だけが知っているもの。「いかん…このままじゃ、チャンスが逃げていく…」と思った学生さんがふと、就職課に立ち寄った時に、ちょうどFUNのビラが置いてあった、というのはよく聞く話です。
でも、FUNの案内はいつも、福岡中の大学に設置されています。隈本さんや宮田君たちが、毎月雑誌とともに配っているからです。同じビラを見ても、何も感じない人も多いだろうに、見学に来る学生さんは、一種の決意を持って訪れます。
だから、初対面でも話が合います。「今からでも間に合うはずだ」という期待の元に集まったからです。この春はどんな素晴らしい出会いが展開されるんでしょうね。
今日は、紀元前5世紀のギリシャの政治家・ペリクレスの言葉を紹介しました。世界史を取った人も取らなかった人も、古代ギリシャにアテネとスパルタという都市国家があったことはご存知でしょう。
僕は戦争の話にすごく興味があるので、最近はナポレオンやクラウゼヴィッツ、孫子の本を読んでいます。今の日本には「戦争」と聞くと、即「反対!」と言う思考停止人間がいっぱいいますが、戦争ほど学ぶべき教訓が多い題材もありません。
本メルマガは、建前上「内定」をテーマにしていますから、そういう趣旨に合致する言葉ばかり紹介していますが、本当は「戦争に学ぶ人間学」みたいなテーマでも書いてみたいところです。
ところで、アテネは文化国家、スパルタは軍事国家だったというのが古代ギリシャの通説で、スパルタの子弟教育が「スパルタ教育」の語源だというのは有名すぎる話です。
そんなアテネにも、軍事力増強を訴え、スパルタの脅威に武力を持って対抗しよう、と主張した政治家がいました。それが、政治家であると同時に軍人でもあった、ペリクレスです。
ただ、己の願望のみを信じ、スパルタが攻めてくることなんてない、と平和ボケに浸っていた都市国家・アテネ。元老たちは「わが世の春」を謳歌し、この平和は永遠に続くと誰もが思っていました。
そんな中、「そんなのは勝手な思い込みだ。国家は外敵に滅ぼされる前に、自滅するものだ。わが国も、国力にふさわしい軍事力を持たねばならない」と主張したペリクレスは、若者の説得に力を入れます。
若者たちは、大人たちよりも切実に国難を感じ取っていました。彼らはペリクレスの呼びかけに呼応し、訓練を受け始めます。
元老たちは、「わが国のひ弱な若者たちが束になったところで、スパルタの精兵たちに勝てるわけもなかろうに…」とバカにします。
また、ある同僚は「そんなことをしたら、余計にスパルタを刺激するだけだ。やめとけ」と文句を言います。
大半の人は、「今さら遅すぎる。やっても無駄だ。スパルタに追いつけるわけがない」と最初から諦めていました。
若者たちも、せっかくやる気になっていたのに大人から水を差され、意欲をくじかれて、ペリクレスに「やっぱり僕たち、ダメなんでしょうか?」、「もう手遅れなんでしょうか?」と聞きます。
そんな若者たちの不安を前に、ペリクレスは一言、「チャンスが過ぎ去るのではない。我々が過ぎ去るのだ」とだけ答え、アテネの若者を短期間でよく訓練された兵隊に鍛え上げた、といいます。
ナポレオン、シーザー、アレクサンダー大王、孫子、劉邦、曹操、チンギス・ハン、楠木正成、豊臣秀吉、西郷隆盛、山本五十六…いつの世も、「烏合の衆」や「若者の寄せ集め」を精鋭部隊に生まれ変わらせるのは、一人の偉大なリーダーです。
彼らに共通しているのは、「過去や現在と付き合わず、ただ、若者が持つ可能性を信じて向き合った」という点です。
若者は不足の塊です。経験、知識、見識、能力、視野…全てにおいて足りません。そんなことは、分かりきったことです。
問題は、その不足と「どう向き合わせるか」でしょう。現状を指摘しても、意味がありません。ただ一つ、効果を上げる方法があるとすれば、「可能性と付き合うこと」。「君たちは、頑張ればここまで伸びることができる」というイメージを与え、そこに向かって不退転の決意で導くのが、優れたリーダーです。
ペリクレスもまた、若者の可能性を信じた政治家でした。のち、アテネで大流行したペストに罹り、多くの若者とともに命を落としますが、彼の政策はのちのアテネに引き継がれ、この国を「精神と肉体の対話=スポーツ」の発祥の地にしたのは、有名なエピソードです。
「チャンスが過ぎ去る」と言えたら、気も楽になります。
しかし、楽な気分になる時は、現実を自分の願望に合うように正当化した時でもあります。そういう甘い願望を認めず、「我々が過ぎ去るのだ」と言い、過ぎ去らずにぐっとこらえ、青年たちとともに国家の基盤を固めたリーダーの姿に、私たちも学びたいものですね。